おはようございます。昨日の記事に続いて、大回りで撮った新幹線の写真と帰り道の話です。さっそく参りましょう。昔から東の新幹線が大好きなもので、どうしてもこのジャンルになると語りすぎてしまうのは私の悪い癖のようです。
将来が心配でまともなコミュニケーションを取れない、と何回も同じ話をするキョロ充に言われた私ですが、好きなことの話になると急に眼の色が変わってペラペラしゃべるあたり、救いようがありません(笑)。まあいいじゃんそういうの。
大宮の新幹線ホームに入りました。もう少しまともに撮っていただけるとよかったんだけど、案外まだE4系Maxの旧塗装もいたんだなあという感想だ。もちろん目的は新幹線の撮影。流石に高校2年生16ちゃいだったので喫煙所目的ではありません。喫煙所目的の16ちゃいだったらやばいわ(笑)
E8系導入で最初に廃車になった1本、L53編成。この編成は1000代最後の純正の車両だった(L54・L55編成はE3系0代R23~26編成から組成した改造車)。この顔のE3系が現存しないのはやはり寂しい。2000代もどこかで保存されてほしいけど、どうなることだろう。
※追記 貨物新幹線またはインド新幹線試験車両として保存される気はしなくもない
あの、もうちょっとちゃんと撮ってもらえませんかね。いやデータが消えただけかもしれないけど、でもなんかなあ。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁ!
実は最初に撮っていたのはこれだった。ゴールデンウィークなので既に夏光線なので下りの撮影は早々と諦めた思い出。とはいえ既にいない編成の車両なので、こうして撮っておいて損はしてないだろう。J68編成はE2系1000代の大多数を占める前期型としては最後まで走り続けて、令和6年3月改正を前に引退した車両。東京方1号車が解体される際に前半分がなかったとの報もあるので、カットモデルとしてでもどこかに残っていると思いたい。
たくさんE2系0代に乗ってきた私だけど、残念なことにちゃんと編成で撮るということを覚えてるようになったのが遅く、実は0代の編成写真がほとんどないのが悔やまれる。この時点では0代は基本的に上越新幹線の運用がメインだった気がするけど、でもこの4カ月後に新青森から乗った臨時はやてはJ15編成だったっけか。この時点ではJ8・J11・J13編成がまた日立GTOを搭載して現役だった。
恐らく臨時と思われるL71編成のつばさ。まあ当時の光線状態がアレなのは皆さんもお察しかと思いつつ、しかしもう少しなんとかできなかったのだろうか。この頃のJR東の新幹線ではE2系初期車とE4系初期車の一部が廃車になっていたような時代だったこともあり、まさかE3系2000代までが置換えられて、この記事が出るであろう令和7年7月から半年と少しでE3系という形式が本当に引退してしまうというのが信じられない。
続いては北陸新幹線からのE7系F16編成。実はこの編成は令和元年秋の台風によって水没してしまった10本のうちの1本。実に5年も本線上を走らないまま廃車となってしまったのがとてももったいないし、気の毒だ。とはいえ水没となると電気系統は間違いなくやられているので、もうどうしようもなかったのだろう。乗用車も水没したら基本的に全損扱いになるのと同じと考えていいだろう。
このF16編成もだし、初めて見て初めて乗ったF1編成もそれ以外の編成も、無論誰の落ち度でもないとはいえ、あのような形で廃車になってしまったのは本当に残念なことだった。
当時は1000代全25編成が現役だった。既に新青森までの定期運用は後継のE5系に譲っていたが、まだ盛岡やまびこの運用は普通に持っていた。写真の質はクレームレベルだけど、でもこの時にも撮っておいてよかったことかと思う。酷い写真だけど。というか、どうせならもう何回か大宮にも撮りに来ていたらよかったんじゃないですかね。ヤッパシンカンセンダッタンジャナイデスカネー。
この塗装で来るとは知らなかったP14編成のMaxとき(多分)。結局、山吹塗装でロクに撮れたのはこれぐらいしかない。思い出は沢山あるからいいけど。P14編成はラストランまで残っていて、この数年後の私も新潟県内で撮っているはず。本当に懐かしい。
昨日の記事でも少し書いたがラストランはJR側が大々的に宣伝を打って盛り上げていたので、当然ライトなファンに加えて葬式鉄も砂糖に殺到するアリのごとく沸いていて、私に対しても謎のマウンティングをしてきた連中やブログの写真を撮った際の条件を大した絡みもないのにクレクレしてきたアホもいたが、そいつらがこの頃に撮ったMaxの写真を是非とも見てみたいものだ。
続いての北陸新幹線はF14編成。あさまかもしれないしかがやきかもしれないしはくたかかもしれない。で、なんか嫌な予感がして調べてみたらこの編成も例の水害での水没車となっていたみたいで…ただただ残念。まだまだこれからだったのに。こうして見ていると、今回の新幹線撮影記に際しては(ここまでの車両に限っては)割と大半の車両が既に鬼籍ということになる。マジっすか…。公開予定日時の時点で9年が経っているとはいえ、E7系に関してはまだまだこれからだったろうに…。
続いては編成URのやまびこorなすの。臨時はやてかもしれない。この写真を含めた数枚は後付けなのはまあここだけの話。まともな構図も組めないなんて、将来が心配だ。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁぁぁ!!!!!この頃はそういう奴と繋がっていなかっただけ平和だった。代わりに面倒な粘着野郎とは繋がっていたけど、でもどっちももうお亡くなりになっちゃってるから別にいいか(笑)。
だからさあ(笑)。ちゃんと撮ってもろて(笑)。この頃から東北のあのステッカーあったんだな。
こちらは既にやまびこ・なすの号の増結用として走っていた(臨時ではやてもあり)E3系0代のR21編成。R22編成共々コロナ禍の減車に合わせて廃車になってしまったのが残念だけど、でもR20編成みたいに放置されて結局解体されたよりはよかったのだろうか。それにしても高圧洗浄機で洗い流したくなる顔をしている。絶対楽しいだろうなあ。※このブログの主は洗車大好きマンです。
U30編成。いや~ごめんなさい。これはない(笑)。数を重ねれば写真の出来も向上するんだろうし、当時は本格的に撮り始めて1年程度のひよっこだったとはいえ、これは将来が心配になる(笑)。某氏完全に構図崩壊しているなこりゃ。そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁぁ!!!!!
追記:Netflixで独占配信されている令和7年版の「新幹線大爆破」のうち実際の車両を使って撮影したシーンがあったが、そのうちの1編成はどうもこのU30編成だったらしい。だからこそちゃんと撮りなおしたい。なお、草なぎ剛さん演じる高市車掌の新青森場面・要潤さんが演じるYouTuber等々力が車内放送をしていたのは別の編成で、恐らくはU46編成と思われる。
大宮だと16両はケツが巻くけど、もういっちょMaxと撮っていきましょう。未練タラタラなんて陰で言われているのかもしれないけど、でも引退から3年以上経った今もこうしてまたその雄姿を収めた私の写真で記事を書けるのは嬉しい。ラストランだけ盛り上がって謎のマウンティングをしてきていた奴らにはご理解いただけないと思うけどね。ご理解いただきたくないわ(笑)。楽しかったな、Maxを撮っていたあの頃は。と、あの頃は飲めなかったアルコール片手持って深夜に記事を書いています。思えばこの年(平成28年/2016年)で引退と当初報じられていたE4系Max、その二度にわたる延命の理由は決して喜べたものではないものの、それでも私が酒を飲める年まで動いてくれていたことはやはりよかったと思ってしまう自分がいる。
こんなに好きになれる、こんなにwktkさせてくれる、そんな新幹線にはきっともう二度と出会えないことだろう。しかしこの時は本格的にMaxを撮るようになった黎明期。常々書いて来た厨房の時に東京駅に見に来ていたのとは違う。この写真を撮った平成28年5月以降も、それ以前も、沢山の素敵な思い出があることは嬉しいことだ。引退まであっという間だったなあ。
さて、ここで新幹線撮影を終えて大回りに戻ろう。あれ、いま何気なくこの編成の写真を貼りはしたけど、よくよく考えたら大宮→小山で乗ったのってK-28編成だったような…。まあいっか。あんまいくないけど。
大回りで小山に到着。新幹線だと大宮→小山はそこまでの距離でもないように感じつつ、実際は小山→宇都宮より断然距離があるというね。はじめて宇都宮線ローカルに乗ってそれを実感したのが懐かしい。大回りなので、小山からは水戸線のローカルで友部を目指す。この少し前だかあとだかの大回りでは、水戸線でE501系に乗れたのも懐かしい。久しぶりにE501系も撮りたいものだ。
常磐線で我孫子にきました。最新鋭の印象しかないメトロ16000系です。それこそこの形式も久しく撮っていない。どこで撮ればって話ではあるけど、久しぶりに撮りたいな。今年(執筆日時点なので令和6年)は京成とJRばかり強火だったからなあ。
我孫子の弥生軒では唐揚げそばを食べて、成田線我孫子支線で成田へ。なお画像はイメージというか別の時のものですのでご了承ください。
なんかこんな臨時列車もあったな。あの頃はこういった臨時快速が沢山あって楽しかったな。乗ればよかった。
お座敷ということで485系「リゾートエクスプレスゆう」が成田に来ていた。写真の出来はさておき、撮っておいて損ではなかったと思いたい。しかしゆうを次に撮ったのは残念ながら廃車回送だった。
そんなこんなで大回り終了。長いが楽しい1日だった。ヤニカスとなった今はなかなか大回りをすることもない(訳でもない)が、純粋にこうして楽しめたのは楽しかったものだ。
最後に津田沼で撮ったと思われる3007編成。この時はまだ旧ROMだった。マジでこの記事で登場する何もかもが懐かしかったなあと思うが、それはきっと令和6年の今に撮った写真を数年後に見た時、同じことを思うのだろう。
撮影 平成28年5月
執筆 令和6年12月25日 ※翌年6月一部加筆修正