長く続いた東北帰省・遠征記事もこれで終了です。皆さんお付き合いいただきありがとうございました。今回も最終回ということもあってか長めですが、皆さんにお楽しみいただければそれ以上のことはないです。
ではさっそく。前回はE2系やまびこ218号のグリーン車に乗車したところまで書いて終わっていたかと思う。やまびこ218号は終着の東京まで各駅に停まるので、当然途中駅では後続列車の通過待ち等もあり、ヤニカスの私からしたら格好の気分転換のターゲットともなるので二重に三重にありがたいアレ。もう俺が乗る日だけ毎日218BをJ単で運転してほしいまであるが、お金持ちではないのでそこまで毎月のように乗りに行けないのが悲しい。
さて、列車は福島に到着。昨年帰省した時のように14番線にE2系上りが入線することはもうないだろう。E3系2000代の方が先に消えるなんて信じられないが、まあ荷物新幹線として1本残るしインドに強奪はされるし、そもそもE2系後期車の方が新しいからそこはさもありなん、といったところか。
福島ではなかなか見られなくなったE2系同士の離合を見ることもできた。E2系同士の追越しを撮り逃がしたのは不徳の致すところだが、次回帰省時に仙台からまたやまびこ218号を利用する際にE2系に乗れる日を狙えばいいかと思う。また会う日を楽しみに。※なおこの時はタバコ目的で一度降りていました。やまびこ号、時間の余裕さえあればヤニカスの強い味方かもしれない。いや、まあ私も最近タバコの本数がだいぶ減っているのでアレだけど。
改めてグリーン車の扉。E2系グリーン車なんていつぶりだろう(さっき10年ぶりって書いたよね?)。あの時は確かJ66編成だった。グリーン券はモバイルSuicaの中にあるので券を物理的に持っていないだろムキー!って言われそうだけど、ちゃんとグリーン車を値引きとはいえ抑えさせていただいておりましたので。ええ。その点3割値引きでも10k飛んでいく我々庶民を横目にタダで新幹線も電車も乗れる国会議員が日本を中国に売り渡そうとしている現状には改めて反吐が出る。俺だって9年以上やってきたこのブログでこんなことは書きたくなかったが、もうなりふり構っている場合ではない。7月の選挙は絶対に行きましょう。
してJ66の写真あったっけか。いや元々の塗装の方ね。
あったー!平成27年夏の臨時はやて号ね。大宮で後続のはやぶさ・こまち号を先に通して、大宮発車場面では北陸新幹線E7系とガチンコダッシュバトルをしていたのが印象的だった。J66編成も廃車かと思われたが、まさか20年目にして北海道に渡って北海道新幹線スピードアップの試験車両として新たな活躍をするとはね。一度ぐらい撮る機会があればそれ以上のことはないが、何はともあれ試験結果が北海道新幹線のスピードアップにしっかりとフィードバックされることを切に願っている。ただ青函トンネルの環境は過酷なので、E2系がどこまで耐えられるのかは気になる。
閑話休題。
出来上がってるわコイツ…。手の色おかしいし(病気の前兆?)。でもE2系グリーン車はこうして小さいテーブルと大きいテーブルが2つあるので、私みたいな人間がPC作業をしながら酒を飲むのもそこまで苦労しなくて済むのがいい。後期車は全席にコンセントもあるしね。所要時間にしておよそ2時間半、はやぶさ号であれば東京→八戸ぐらいまで走破できそうな所要時間ではあるが、それでもあっという間に感じてしまったものだった。
列車は那須塩原に到着。やまびこ号と一口に書いても、現行のやまびこ号全ての列車に唯一共通する点は「仙台を通る又は仙台発着」であることだけであり、その停車駅についてはこの記事で解明していこうとするとおそらく徹夜で丸2日はかかるので今回はパス。
私は調べる気力がないので、いつも愛読させていただいているFreedom Trainさまの記事をご参照いただければと思います。
してこのやまびこ218号は先述の通り各駅停車なので、那須塩原でも降りてみよう。
ここでもE2系同士の離合。どうせならちゃんと一眼を持って降りて撮っておくべきだったが、これも次回リベンジしろという神様のry。神様のプレゼントって訳だね(元ネタ:部活中に目が合うなって思ったんだ/=LOVE)。
元ネタはこちら。平成30年リリースの=LOVE3枚目シングルに収録されている曲。ガチ恋口上も打てるのでライブでも楽しめる一曲であり、高校生の頃は部活に命をかけていた私にはストレートにグッサリ刺さる、いわばまさに名曲である。なおこの曲は私が大学生になってからのリリースだった上に、私みたいなキモータヒッキーに「部活中に目が合うなって思ったんだ」と想ってくれる女の子は今も当時もいない模様。ち~ん(笑)
なんか話が脱線しまくりですね。ごめんなさい。
こんな当たり前だった光景をなかなかちゃんと抑えてこられなかったことを今更恥じるとともに後悔しつつ、しかしまだ時間はあると思う。私の青春ともいえよう「あの頃」の東北新幹線のエースだったE2系1000代との最後の時間をどうするかは私次第。そのためにも稼いでできるだけ東北遠征を決行すると共に、そのどこかしらの過程でE2系乗車・撮影を組込んでいきたい。まだ遅くないはず(棒)。ま、まあ一応0代の写真でもどっかで記事書いている(これから先の予約投稿分の可能性もアリ)はずだし…。
それはそうと、E4系Maxの引退前の1か月だけ沸いて来た引退前だけ最高キッズたちや撮影地のクレクレをしてきたパンハンドラーのような気持ち悪い奴らの餌食にならないといいなあ。E2系は。なにが「たくさんの思い出をありがとう」だよ(笑)。今まで見向きもしなかったくせに(笑)。あーもうマジきもいから黙っててくんない?!※元ネタ:新幹線大爆破
このグレーで統一されたデッキがいかにもE2系って感じでめちゃくちゃ好き。マジで。那須塩原あたりからは乗車率も上がってきていて、仙台始発とはいえ各駅停車のやまびこにも需要があることを再確認した。まあ私の隣には誰も来なかったので何でもいい。おまえ最低だな(笑)。いや流石に平日のやまびこグリーン車で相席にはならんでしょ。なったところで普通席よりはマシだし、そもそも今回は値引きで乗っているのでそこも含めてババを引いたら残念だけど。
もうこの辺からいい感じにお酒が回ってきたので(弱いなあ)現像は放棄。ゆったりとE2系グリーン席でダラダラして好きな曲を聴いていたらあっという間に東京だ。この前日までの弘前帰省においても実感したが、楽しい時間というのは本当にあっという間に終わってしまう。何はともあれ、最後にE2系グリーン車に乗った高校1年生(15ちゃい)の時を初めE2系に沢山乗っていたあの頃はまだ結成されていなかった=LOVEの曲を聴きながらE2系に乗っていると、なんだか不思議な気持ちになったものだった。
ここで車内紹介のコーナー(超手抜き)。E2系1000代後期車のグリーン車においてリクライニングは手動だが、レッグレストは電動、要は乗用車で言うところのパワーシートになっている。一部電動一部マニュアルの運転席というとフォルクスワーゲンの6代目パサート(B8形)を連想するという話はさておいて、このレッグレストのおかげで更に快適な時間を過ごすことができた。食事中には使わないが、でもフルリクライニングでテーブルを手前に引き出して現像する際や寝る際には重宝することだろう。
あと読書灯もある。E5系以降もグリーン車なら読書灯はあった気がするが、当初どこにあるんだろうと探してみたらここにあったってだけ。Train Shopを読む時には最適だね。トランヴェールもだけど。
この通りコンセント完備です。あとWiFiも。E2系1000代後期車の基本設計というかプラットフォームがどこまでE5系準拠かは知らないものの、まあそこまでE5系に見劣りしないと思っている(コンセントとWiFiあればなんとかなるし)ので、E2系もまだまだ頑張ってほしい。なお後期車の営業開始にあたっては私が小学生の頃の話となるが、そこから既に15年ほどが経過しているという事実に老いを感じて悲しくなる。私の中身は当時から何も成長していないのにね。
楽しい時間は以下省略。やまびこ218号は定時で東京に到着した。名残惜しいがここで降りなければならない(折返し仙台に行って、翌朝のE2系やまびこ号で出勤してもいいけれど、そんなの体力的にも金銭的にも無理)。
2時間半がこんなにあっという間だとは。改めてこれといったトラブルもなく東京まで運んでくれてどうもありがとう。帰省・遠征の最後の思い出としていいものになったと思う。21番線に着いてくれたので、9号車から南方まで歩いて1枚撮った後に南方の喫煙所で一服してから少しだけ居残りをしていこう。※やまびこ218号は東京20時48分着で、千葉までのいい感じの特急がないので。
なおJ75編成は折返しやまびこ221号仙台行となり、恐らく到着後は仙台の車両基地に引き上げていくのだろう。仙台までお気をつけて。楽しい時間をありがとう。
それはさておき、これもう以前からも書いてきているのでアレなんだけど、このJ75編成は平成22年12月4日に東北新幹線が全線開業した際に、新青森始発一番列車(同駅6時31分発)の「はやて12号」に充当された輝かしい経歴もあり、青森県生まれの電車オタクでありE2系オタクである私にとってはとても大切な車両でもある。
長野からのあさま630号が到着。編成番号をメモるのは忘れました。ごめんなさいマジで。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁあああ!なおこの翌日にはE217系の基本編成として最後まで残ったY-42編成の配給があり、私も定時ダッシュ()で東京から新幹線往復で撮りに行ってもよかったんだけど、予算と体力と翌日の予定の都合で断念した。既に後悔しかないが、かといって3日連続で新幹線に乗るほどの財力もないので、仕方がない。
上野東京ラインE531系との並びも。かたや常磐線、かたや上越新幹線と北陸新幹線というアレだけど、でも冷静に考えたら普通に毎日こうして離合しているんだよね。上野東京ライン開業から10年、E7系関連では北陸新幹線金沢開業からも10年。早いものだよ本当に。金沢もその気になれば日帰り旅行が余裕になったのは新幹線のおかげだが、まずは公害と化したインバウンドで酷いことになっていると思うので、それが落ち着いたらかな。中国に媚びて日本人の子供が拉致されていることを黙認している今の政権は次の選挙で終わらせましょう。
という訳でお時間です。改めてこの2時間半楽しかったなと思う。改めてありがとう、また会う日を楽しみに。これはダイヤモンドリリーの花言葉である。今回の記事のエンディングテーマは=LOVEの「探せダイヤモンドリリー」でお願いいたします。お前マヨラボ*1の真似すんなや(笑)。でもいい感じにエンディング曲として使えそうじゃん。あとこの空がトリガーあたりもかな。はいお時間ですイコラブオタクさん。
平日の夜の新幹線ホームでこんなことしているあたり完全にアレだけど、まあいいか。またE2系で美味しい酒を飲める日が来るのを楽しみにしている。別に運転の予定があったらシラフでも楽しめるけど。一説では後期車6編成は新青森開業に際してE5系営業開始が間に合わないからと作られたなんて話も聞くが、事実であれデマであれ、こうして令和の今もE2系が残っている事実が嬉しいし、それを大切にしていきたい。これからも沢山の思い出を作っていきたい。
22番線の電車をそこで撮るのはもうやる気なさ過ぎてダメなんよ。まあJ75撮ってからまたタバコ吸ってたんだろうけど。この時間でもまだ金沢に行けるあたり新幹線ってマジですげえなって思う。それ言ったら名古屋行最終までまだ時間もあるし、まだ名古屋にいて夢を諦めずにロー3回生になっていたら669Aで帰れていた訳だけど、それに関しては別にいいか。編成表を改めているとこのW22編成は令和4年10月28日製、私の誕生日と竣工日または落成日が被ることはあんまりなかったので、なんか今になって勝手に親近感を覚えた。次にE217系の長野行廃車回送があったとして、でも笑っても泣いても最大あと2回。その点でまた新幹線に乗るにあたってはE7系所定運用での帰宅となるので当面乗る機会はないかと思いつつ、またどこかでご縁があればと思う。
これははくたかなのか?もう正直ここから先の記憶はある(あるじゃねえか)が、編成番号がわからんことには判別できないので何とも言えない。やはりアレだね、ちゃんと東の新幹線メインで撮りに行かないとダメですわこれ。だって最後に新幹線メインで撮ったのだって10月だし、その次は記憶が正しければ今回の弘前帰省に際してはやぶさ71号を待っている時のアレだし。まあはやぶさの客層を見ていると所詮普通席ってグチはいずれ総集編で書くとして、とりあえずこれを以て新幹線ホームを退散。東北よさらば。次にまた来月あたりにでも弘前に帰ることのできる日を心から楽しみにしている。それは私にとって弘前は大切な生まれ故郷だからであり、待ってくれている祖父母や叔父と叔母もいるからでもあり、東北が大好きだからである。今回とはまた異なる行路で帰り道を楽しんだっていいんだしね。
して、東京でモタモタしている間になんかノリで京成で帰ろうかなって思った(ここからおまけ)
思えば佐倉市に実家があった中高生の頃はたまにイブニングライナーで八千代台まで行ってたし。そう思って京浜東北線で上野を目指したはいいものの、なんか上野でモタモタしていたらライナーは間に合わなかった。こいつマジでバカだろ(笑)
ということで上野で1時間待つのもなんか悔しいので、後続の快速で津田沼にワープ。たまたま3448編成が来た。どうせなら撮る時に来てくれYOと思いつつ、なんか途中でガチで寝落ちしていた。あんた飲み過ぎだよ(笑)。寝過ごしたと思って東中山あたりから停車駅に着くたびにビクビクっと起きていたが、無事に谷津あたりで意識を取り戻したので事なきを得た。階段ビクビクナントヤラみたいな中国語を駅で叫んでいる中国人のガキにはこんな怖さわからないでしょうねえ!いや酒飲んで寝ている俺が悪いんだけど。何はともあれ無事に津田沼で降りることができた。
降りたらなんかいた(笑)。こんばんは(笑)。ここまで酔い度レロで新3200形を見たのは初だろう。新年度ということもあって今月は上旬こそ気合いで撮りに来てはいたが、なんか既にお久しぶりだった。東北から戻ってきた時に京成の電車を見て、例えば日暮里で新幹線が地下に潜る時に京成の電車が見えると安心感と虚無感のシナプスが軋んだものだった。おめでとう、新3200形もその仲間入りだね!何がめでたいのかはわからないが、何はともあれ改めて赤と青の電車を見ると帰ってきたなあって安心感を覚えたものだった。
津田沼からは3024編成の各駅停車で帰る。なおC台前の2人掛け席でスーパー酔い度レロになっていたところ、車掌さんが体調を気遣ってわざわざお声かけくださった。夜も遅いのに、大変恐縮かつ申し訳ない気持ちであると共に、改めて自身の行いを見直したいと思う。無論この記事を当該の車掌さんはご覧ではないと思いつつ、しかし私個人としては大変感謝しているほか、僭越ながら客センの方にも御礼とお詫びということでメールをさせていただき受理いただいている。末筆で大変申し訳ないが、当該車掌さんの益々のご活躍を祈念して、この記事を終わらせていただきたいと思う。ご本人に何かしらの形で私からの感謝の気持ちが届いていたら、それ以上のことはない。