おはようございます。昨日の記事ではE5系はやぶさ24号と臨時やまびこ号で福島に来ていました。今回の記事はその続きの記事として、福島駅での撮影をメインに書いてまいります。
という訳で、前回はJ66で終わっていました。マジでよく遭遇したなあ。もう会えないんだろうか。思えばこの時はコマ単価とコンセントの有無で帰りのJ66編成を干してしまったが、もったいないことをしたものだと思う。
確か回送だった記憶。冬ということもありまあ光線が酷いのが残念。E5系もちゃんと撮りたい。東京・上野・大宮以外でも。
ノイズで編成がわからなくて悲しい。まあこの光線だしそんなに興奮しないでくださいって言われたらそこまでだけども。
福島でやまびこを抜かす列車のうちはやぶさ号はH5系が担当。H5系は先の脱線事故でH2編成が廃車となってから、一部運用をE5系で代走する形を採っているみたい。まあ代替新造したところでって話だろうしなあ。H2編成とは関係なくなってしまったけど、北海道新幹線が札幌まで延伸された暁には恐らく現行の特急の北斗の代替となる道内完結便も設定するものと思われる。その際に新函館北斗以北の冬季の環境にE5系・H5系が耐えられるのかは不明なので、道内完結用または新青森~札幌用として全くの新形式を起こすのかなあなんて想像している。
よくわからないつばさ号のL62編成。改正前の時刻表がないので今の時刻表と比較しながら書くしかないのでアレだけど、臨時か何かだったのかな。
こちらはU41編成のやまびこ211号。東京発仙台行で、福島まで各駅に停まり、福島を出ると次の白石蔵王だけ通過して仙台に行くタイプのやまびこ号。やまびこ号の停車駅パターンを覚えるのはマジで難しいけれど、しかしそれだけ沼が深くて楽しい列車という解釈もできる。はやて号のように名称が実質ほぼなくなるよりは、準速達列車から実質的な各駅停車として名称が残っているだけいいのかなあ。
さて、上りのやまびこ号が下り本線を跨いで接近ちう。新幹線が本線を跨いでこうして入線してくるのは、始発終着駅でもない限りなんか珍しいもののように思える。これはマジでダイヤを如何に上手く組むかというところが試されているのだろうけど、しかしどれか1本遅れたら全てが終わる。遅れた瞬間終わったわ👏👏
編成はJ75編成。E2系最後の編成=最新の編成にして、新青森発の一番列車に充当された輝かしい経歴も持っている編成だ。それについては今月下旬に公開予定の新潟遠征記事でも言及しているので、またその記事もご覧いただけたらと思う。こうしてE2系を年始に撮ることができたから、今年1年はいい1年だったと思いたい(?)。なんだかんだ大学院もバイトも辞めて地元・千葉で社会人できてるしな。
福島ではつばさ号との連結がある(でしょうね)ので、こうしてつばさ号が接近ちう。前回の記事でも書いた同業の方と旧塗装が来たらいいですね~なんて会話をしていたら本当に来るっていうね(笑)。今の小中学生にもE2系やE3系が好きな子がいたのがなんだか嬉しかった。
パッカーン。でもピントが外れてます。やってもうた。歴史に残る記録を作ってしまった。いずれ福島のアプローチ線ができたらこれも見られなくなるので、個人的にはE8系のこれも撮っておきたい。
ってことでE3系2000代本来の塗装である、いわゆる「銀つば」も都合よく回収できた。これは新年早々に幸先いいね。重ね重ね、福島駅のいわゆるアプローチ線も完成が近づいているので、この福島駅のこのホームでのこういった撮影も将来的にはできなくなる。
見学ゾーンがあるんだね。流石にここにはもうE4系Maxはいないか。12年前にMaxの東北新幹線運用は終わっている訳で。
先ほどからおよそ20分ほどで今度は下り山形新幹線が発車。マジで余裕がないので、どこかでコケたら詰むアレ。とはいえあれほど綺麗に組まれたダイヤもないので、この時も酒を飲みながら感動していた記憶がある。ダメな大人の典型例だ(笑)。
こちらは定期のつばさ号。さっきのL61は臨時か何かだったのだろうか。当時の記事を下書きにでも残しておけばよかったなー。成田空港での不祥事さえなければなあ。え、何をやらかしたんでしょうか。一つ言うのであれば、京成の駅員さんと窓口の係員さんにはお手数をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。
山形までお気をつけて。E8系導入でまずはE3系1000代が全滅したが、2000代も既に一部編成が廃車になっている。このL63編成も既に役目を終えて新潟に廃車回送されてしまった。長い間お疲れ様でした。いや、まだまだ全然新しい車両だとは思うんだけどね。
福島で分割したやまびこ号はJ68編成。私が3月に最後に乗車できたE2系1000代前期型で、新潟に回送された後に廃車解体となってしまった編成。東京方1号車の半分ぐらいは切り取られてからの解体とのことで、生首状態でも保存されることを願いたい。コンセントはないけど、でもこの時に前期型の乗り納めをしておくべきだったのだろうか。
1月の撮影なので、もう17時前後でだいぶ暗くなってきた。所謂準定期列車である6000代の列車だけど、ここに客が流れてくれると15分後の定期やまびこ号はがら空きと見て、今回はJ66編成乗車を断念。この時に乗らなかったことを一生後悔することになることを、この時の私はまだ知らない。
J66編成は仙台で折返して帰ってきた。この15分後ぐらいにもう1本E2系のやまびこがあるので、もう乗れるチャンスはないんだろうか。ふるさとチャイムも聞きたいし、E2系1000代前期の車内はもう一度堪能したい。
福島方からE3系つばさ号が接近ちう。やわやわ~。左半分だけ見ていると、なんか幼少期に見た「のりもの探検隊」での200系やまびこ+400系つばさの連結を彷彿とさせるものがあるように思えた。後日出す令和4年の焼き直し記事でも言及するけれど、J66編成の緑色って200系のそれそのもので懐かしかったんだよね。いやまあ復刻塗装だからそれはそうだけどよ。6編成残っているE2系で200系・E1系リニューアル車・E2系N編成・E4系山吹等のリバイバル塗装なんかもやってくれたら嬉しいけど…でももう最終全検も終わっているらしいし、流石にないか。それこそ、そんなことやって荒れるよりはこのままひっそりと引退でいいけどね。
思えばJ66編成がこの塗装になった一昨年、特に初めてそれを見た時は脳内が「???」ってなったけれど、しかしこうして見慣れるとよく似合っていたもんだと思う。執筆開始時点(令和6年10月19日)時点ではまだ解体されていないはずだけど、今後どうするのだろうか。
なんか200系が帰ってきたみたいで、見る度に好きになっていったもんだった。特にこの緑は200系のそれと一緒だったし。でも200系K編成(リニューアル車)のリニューアル塗装も割と好きだったけどね。
先述の通り、15分後のやまびこ号の方が空いているだろうということで、残念ながら今回は見送ってしまった。ただコンセントの有無では選んでいないので、逆に私が乗車するやまびこ150号にJ66編成が充当されていたらラッキー池田だったんだけどね。
またE2系が来た。こんなに嬉しいことはない。そして新青森開業に際して製造された後期車である上に、この後期車にはコンセントもあるので、PCやスマホの充電にも困らない。これはもうありがたい。でも、もう前期車に乗れないのはそれはそれで寂しいけど。
というわけで10分だか15分後だかその辺に来る次のやまびこ号に乗車していく。このカラーリング、この塗装、このオーラ。全てが実家のような安心感だ。あとこの時期までの東の新幹線のトレンドだった下半分が濃い青の塗装、汚れが目立ちにくい説もある???
ああ、懐かしいな。この内装こそE2系だしこの内装こそはやてだと思っている。
という訳で、改めまして福島→東京はE2系に乗っていきます。こんなに嬉しいことはない。実際この時かなり嬉しかったからね(笑)。E2系1000代の生き残っている数編成はどうか末永く活躍してほしい。あと久しぶりに乗りたい。
お隣のE5系は盛岡行のやまびこ号。今の東北新幹線、特に福島近辺のダイヤは本当に上手く組まれているなと思う。どれか1つ遅れたらもうジ・エンドですからね。下り本線、まだ信号開通できませーん!福島、確保だ!
E2系の横顔と冬の日没後の空。BGMは「この空がトリガー」でお願いいたします。
やっとE2系に乗れる。確かもう1年ぶりだったっけか。この前回の乗車ではまだ上越新幹線での運用があったので、強引に高崎→上野で乗っていたのを覚えている。
後期車はE5系U1編成より後の製造だったりそもそもE5系の製造が間に合わないから製造されていたりするせいか、内装も前期車とは異なる点が多いのが特徴。
私さんは2号車に乗車。懐かしいなあ、本当に。もう今乗れるE2系はこれしかないのが寂しい。個人的には純正だと思っている前期車はこの辺の内装も色々と違うので、なんかもう少し乗っておくべきだったのではないかとも思う。
ま、そんなことはさておいて東京まで飲みながら帰るんだけどね。何なら福島での撮影中も普通に飲んでたし、ホームに喫煙所があるのをいいことにタバコも吸ってたしな。小学生の前でそんなことをするなんて将来が心配です。
ちなみにE5系普通席にもE2系1000代前期車にもない設備の1つとして、この読書灯が挙げられる。これマジでなんであるのかわからんけど、でも豪華だよね。
私さんは飲酒しながら現像開始。E2系はWi-Fiもあるのでその気になれば記事作成も可能。幸せな時間だったなあと思う。今のE2系はなすの号メインな上に仙台発着のやまびこ号も混みそうな時間での設定なので、なんかこう何とも言い難い気持ちになる。まあでも何としてもあと何回でも乗りに行きたい。誕生日に乗りに行く計画はトケてしまったが、年末にでも行こう。
終着の東京で撮影。この車内こそ実家のような安心感と言いたいが、先述の通り後期車の内装は前期車までのそれと違うので、一概にそういうこともできない。ただ、正直レアキャラで当たったらラッキーだった後期車しか乗れない今となっては、逆に前期車の内装なんかももっとしっかり見ておくべきだったのかもしれないとすら思う。
福島からの1時間半、幸せで楽しい時間をどうもありがとう。まあこのJ73編成は今日も元気に走っているので、また会えない訳ではないんだけど。
折返しは那須塩原行のなすの号となる。なすの号での酒盛りもしてみたい一方で、しかしいかんせん乗車時間が短いのがねえ。
福島で連結したE3系2000代はL68編成だったみたい。E4系Maxの東北新幹線撤退以降、12年近く見てきたはずの編成JLが未だに慣れないと思っていたら、もうこれも見られないんだってよ。寂しいもんだ。でも逆に当初はE4系Maxと連結していたE3系2000代の連結相手がE2系に代わり、そして今ではE5系に代わったのを見ていると、それだけE3系2000代も年を重ねたってことだと解釈していいんだろうか。おれ沿線のどこそこに住んでたからわかるよ!なんだよこの記事で登場させたくなかったんだけど帰ってくれよ(笑)
ちなみにここまで250mほど歩いてきた理由は喫煙所。あれっでも22番・23番線だと南方にも喫煙所ってあったんだっけ。ヤニカスが見落とすとは思えないからないかも。でももうどうでもいいよ。
もうこの連結を見ることもないだろう。いや二度と実現しないとは言わないが、でもここ10年の当たり前だったこれさえもなくなってしまうとは。
改めて、私が福島から乗ってきたのはJ73編成だった。現時点で最後に乗ったE2系はJ68編成で、それはまあ別のリバイバル記事で書くと思うんだけど、本当にありがとう。また会う日を心から楽しみにしたい。
さて、総武線で帰る前に時間潰しでもしていくこととしましょうか。
ファッ?!まさか、200系復刻塗装となるJ66編成と普通に東京駅で会っていたなんてな…。あっはい(笑)。あの女ヲタと繋がってる俺モテモテ男アピールしてるキモい男達って脳みそ何でできてんだろ。マジでキモい(笑)
ということで、J66編成のやまびこが仙台に向けて旅立っていった。これ以降、現時点で私はJ66編成の客扱いを見ていない。どうせまた会える、そんなノリでこんなお別れはあまりにもアレなんで、どうかまた本線上で会える日を楽しみにしたい。
J66を無事に見送ったところで、千葉の実家に戻るとしましょう。
いやー当時のダイヤだと以前も最終成田エクスプレスの7分後に銚子行最終のしおさいが出ていたので、それはもう空いていて平和でいかったわ(笑)。まあ現行のしおさい11号は東京20時45分発なので、時刻的にはそっちの方が使いやすくて丁度いいんだけどね。
幕張を出庫して一時的に両国3番線に置かれた後に、着折ではない回送として入線してくる。この時はBe-01編成での運転だった。当時のダイヤだと土休日ダイヤでも特急しおさいはそこそこ運転されていてよかったのになあとすら思ってしまう。
はい、入線撮りました。氷結のこの味を選んだのは実質房総色っぽかったからです。東京→千葉の特急ってせいぜい35分もあれば終わりだけど、でもこの時も乗れてよかったなあ。
東京で発車を待っていると、地下4番に来た成田エクスプレスは旧塗装だった模様。あらまー。いや、本当に旧塗装というか本来の塗装が消えてしまったのがやはり残念。この先のE259系はじめ各特急車両の車両計画によるものはあると思いつつ、しかしもうあの塗装をおがむことはできないだろう。悲しいなあ。
そして255系車内から横須賀線方面のE217系を撮影。既に255系に関してはこのまま全車引退の可能性が高いが、それを差し引いても、これから先255系の車内からE217系を見ることはできないだろう。
てな感じで千葉市の実家に帰宅。寝不足も相まって飯食ってから爆睡。翌日(火曜日)はバイトも大学院もサボって二度寝し、夕方に起きてから名古屋に戻るリアクションに移ることとする。どうせもうどっちも辞めるつもりだったので何でもヨシ。名古屋市民時代は本当にはんかくさい2年間だった。
この続きはJR東日本アプリからはお読みいただけませんが、また明後日、帰り道の写真については記事にいたします。よろしくお願いいたします。明日は一気に時空が歪んで、12月2日に公開した記事の続編となります。