大学生だったこの頃の写真、案外公開していないものが多いことが判明した。そこで今回以降、未公開だった写真を中心に掲載済の写真も改めて現像した上で、今だから書ける情報も含めて書いていきたいと思う。まあ高校生の頃の過去画程の本数は書けないと思うけど。にしてもなんで社会人になった今、暇だった大学生の時の写真を書き直していないのだろうか。暇な大学生なんだから書いておけよ(笑)
本題。元号が変わる前、平成31年の2月、元205系が富士急6000系として甲種輸送されるので、それを撮りに行っていた。それ自体は当時記事にしているものの、その後に撮った2本を記事にしていないというマヌケなチョンボが発覚。どうせならこの類の未公開写真で記事を書くのも悪くはないと思って立ち上げたこのシリーズも皆さんにお楽しみいただければ嬉しい。

一応まあ記事にしてはいるんだけど再現像ってことで富士急6000系の甲種輸送から。元カワ81編成で、現在6702Fとして活躍している編成。私の出身高校の系列校が川越線沿線にあるため、時折勉強合宿や英語でのスピーチ大会に行く時(準優勝で悔しかった)に川越線を利用した際には少なくとも1回はお世話になっていたことだろう。勉強合宿(高3)の時は八高線川越線で元気にしていた編成なのでその時に乗っていたかもしれない。その節はありがとうございました。努力が足りず結果として志望校落ちたけど。

甲府から先の最終特急であるあずさ35号も撮っていたみたい。この1年間(平成30年度)遠征帰り等にお世話になりました。現在これにあたるのは特急あずさ55号だけど、松本までの最終特急である上に9両での運転なので混雑がドイヒーである模様。立川や八王子へ特急はちおうじ・おうめの代替として乗ってくる層もいるだろうし。
E257系0代を追っかけたこの1年は楽しかったし、今思えば各編成の写真や動向等の知見があるおかげで書けた記事も沢山あるので、そういう意味では甲府に進学してよかったのだろう。意味のない授業ばかりだったけど。懐かしいなあ、E257系0代。もう少し時期が違えば付属編成も5500代の伴車としての余生があったのではないかと思うと悔やまれるが、今回はそのお話は割愛。なお平成30年度分の過去画については、リメイク版ということで改めて来年以降に公開する記事もあると思うので、楽しみにお待ちいただけたら幸いだ。

甲府は中線がある関係でどうしてもいわゆる紐構図になってしまうが、まあそこはもう仕方がない。211系のバルブなんて最後にしたのいつだっけ。久しぶりに乗りたいし写真もまだまだ増やしたい。後継がどうなるのかは気になるところであるが、6両はE233系をどこかしらから調達ではないかと睨んでいる。E131系の可能性もあるけど。233で可能性が高いのは豊田の0代かなあ。E233系転用については夢と希望が無限大に広がるので、考察するのも楽しいなと思う。

4月に撮影のK417編成。あれ、前も同じ列車で同じ編成を撮ったような…偶然か被りか、まあいずれにせよ表示ぐらいは違うだろうしいいのかね。常磐快速線からの列車ではあるんだけど、種別をどう表記するかで少し悩んだ。まあ併記しておけば平気だよね!ワッハッハ!ワッハッハ…ハァ。K417編成は後年、ベトナムかどこかの移民の盗難車に突っ込んでクハの代替新造をするという憂き目に遭っている可哀想な編成。そういや俺常磐線を撮りたいって思いながらなかなか行けてないな。我孫子の唐揚げそばも食べたいし。
なお時刻に鑑みると、恐らく甲府行最終特急でもある当時のかいじ23号(東京22時45分発)に乗るために実家最寄りであるうすいから京成、日暮里から上野東京ラインで移動していたんだろうと思う。当時中央線特急は全席指定になったばかりで、全体的に値上げという批判の論調が強かった印象。指定席の値下げって思ったらこれほどお得なこともないのにね。うちの大学の学生は馬鹿ばかりだったので値上げだ値上げだとなっていて微笑ましかった。あと教員も。

別の日、E231系B31編成を伴車としてE231系0代が各線区への転用等で不要になったサハを大宮から長野総合車両センターに回送するアレがあるとのことで甲府駅に撮りに行った。まあ結果として被ったのでそれは非公開かつ省略させていただくが、今まで出していなかったであろうE353系S120編成の写真でも貼っておこうと思う。左に小さく甲府常駐のEF64(この時は1053号機だったっけ?)が写っているのも懐かしい。
前年度のこの列車はかいじ115号、私が甲府に引っ越してくるときに乗ったりE353系S109編成の出場試運転を撮るついでに撮ったりした思い出の列車でもある。ただ引っ越してくるときはダイヤ乱れの影響もあって私が指定の列車に乗れなかったとはいえ、せっかくの東京始発に新宿から乗るというマヌケっぷりも披露していた。もっとも新宿では友人2名の見送りがあったので、結果としてよかったんだけど。

続いてS106編成のあずさ25号。平成31年春改正まではE257系で運転されていたこの列車は松本到着後に種別と行先を変更して快速長野行として運転されていた(翌朝の長野始発快速松本行として帰ってくる)のだけど、改正後の同列車は長野までの直通がなくなり、運用も211系に代替された(同時に189系おはようライナーも運行終了)。現在は運行形態は違えどE353系付属編成が特急信州として長野まで運転されているのは面白い反面、全席指定化後の乗車率の推移は気になる。まあ乗る人は乗るか。私も一度乗ってみたいが、夜の塩尻行は乗ったところで終車がなくなって詰むので多分無理。

続いてはまるで品川・東京・上野~取手・成田では見られなさそうな風景であえて撮った松戸のE231系マト126編成。千葉県出身なのに私が持っている松戸のE231系の写真は圧倒的に山梨県内での物ばかりなのはいただけないと思いつつ、また常磐線もしっかりと撮りたいと思う。高校生の時の私の顔や名前に住所まで晒していた肉の塊と化したKTKGN先輩に笑われてしまいそうだ。どうぞ笑ってください。イコラブちゃんの現場に来ないでくれるなら構わないよ。まあでもKTKGN先輩、全ての教員がお前がTwitterでやっていたことを知らないと思わない方がいいよ。よかったね、退学にならなくて。誰のおかげだろうね。イッヒッヒ(笑)。ご冥福をお祈りいたします。

時間が空いて午後の撮影。いやさっきの常磐線も時刻的には午後だけど。空きコマだったのかな。まあどうせ行く気もないのに結局親父がうちから私を追放したいがために進学させたような、そうでなくとも実態を知っていたらこれほど意味のない大学もない訳だけど、甲府での生活自体は楽しかったと思っている。もうこの写真を撮ったのが6年前って事実には背筋が凍るけど。ということはそろそろ推しと出会って6年か。実際に直接気持ちを伝えられていたのはその半分の期間もないんだけどさ。不甲斐ないオタクだよ。

続いて身延線313系3000代。せっかくJR東海のおひざ元である名古屋市に住んでいたのにその頃はロクに313系を撮れなかったのが残念。何なら甲府にいた4年間と名古屋にいた2年間において、単純計算なら名古屋での313系の写真が半分のはずなんだけど、現実は半分にすら届いていないというね。ダメですわなくぉれは。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁあああ!某氏だなんだとぼかしつつ明らかに私だと分かる悪口を平気で私から見えるTwitterに書くクズと繋がる前で平和だったわぁ。いちばん腹立ったのはやはり令和5年2月にそいつが推しているアイドルグループのイベントに行けと言われた大学院生の春休みのことかな。バイト続きで疲れて寝て間に合わなかったところ、顔真っ赤にして「結局寝坊かよ。行かないと思ってたわ」というニュアンスのことを書かれたのだもの、こっちも飽きるまでブログでいじり倒すぐらい別にいいだろう。

オレンジなのでこれも身延線だよね!ちげーよ(笑)。何なら中央線の電車として大月まで来ているだろうが。こちらは長野総合車両センターに何かしらの理由で入場したT41編成の写真。この編成はTK出場にぶち当たった(なお被った模様)こともあったけど、なんかそういうご縁でもあるんだろうか。千葉県の田舎で育った私ではあるが、それでも甲府に進学して心細かった時、中央線特急で千葉に帰る時に高尾でE233系0代を見ると安心したものだった。
なおこの回送、私はE257系0代が機能保全か何かで帰ってくると思って撮りに行っていたものだったので、なんか予想外の電車が来て少々拍子抜けしていたのも懐かしい。このおよそ1年後、京葉線同系5000代でも同じようなことをやったような、あの時は別だったような気もするが、もうどっちにしろずっと前のことだからわからない。その時も今も推しへの気持ちが変わらないってのだけは事実だと思うけど。

月が変わって5月の写真。過去画のうち大学生の時のものは基本的に公開日未定で一旦下書きに投げているので、もしかしたらどこかで重複している可能性もあるのでそこは本当にごめんなさい。こちらはS118編成のあずさなんだけど、この日の写真のうちいつもは撮れないものがSDカードに残っていなかったので、どういった理由で撮りに来ていたのかは既に不明。そういう意味では大学2年生の平成31(令和元)年度はこちらのひがなり雑記帳の更新がおざなりでやる気もなくなっていたので、当時の私には反省していただきたいものである。

N608編成の多分小淵沢行じゃないかな。実際に断言はできないけれど、あくまでも偏見として書くのであれば、6両の韮崎行のイメージはあんまりない(絶対ないとは言ってない)ので、甲府か小淵沢か松本のどこかが行先なんじゃないかなと思う。当時の時刻表は手元にないのでわからない。そういう意味では当時改札等で配ってくれていたポケット時刻表なんかも貴重な資料になるんだろうなと思う。
※追記:たぶん甲府行の可能性が高いです。ごめんなさい

V14編成の甲府行。前にも書いた通り313系3100代は2編成しかいないレアキャラなので、こうして当たるとちょっとラッキーだった。もっとも身延線の列車においては313系の他区分も定期的に充当されているので、3000代と3100代だけが全てではないんだけどね。それこそ朝夕の身延線は普通に混んでいるので、むしろあの時間に転クロやボックスシートの車両が来た日には地獄というのもある。

最後に翌週撮影のM-102編成。例にもよって機能保全検査で松本に帰省するタイミングだと思われる。平成31(令和元)年度は基本的にほぼ毎週E257系の臨時が設定されていて、定期運用終了後なのにとても楽しかったのを覚えている。まあ朝のかいじ73号なんかは意地でもあずさを峡東3駅に停めないという特急政策のせいだろうし、ぶっちゃけコロナ禍でもないのにひどい乗車率だったけどね。
当時甲府在住の私にはあずさの停車駅削減なんて関係ないと思っていたのは本当に恥ずべき行為であると共に私自身の勉強不足だったと今でも反省している。東京と1本で繋がっているということの大切さをわかっていなかった。沿線の皆さんが反対していた理由は今だからこそ理解できるし、当時半ば否定的な目で見ていたことはひとえに私がバカだったからだ。
執筆 令和7年4月