皆さんこんにちは。昨日お送りした記事の後半戦兼、E257系撮影・乗車の思い出も交えて記事を書いていきたいと思います。まずは引き続き長坂カーブからお送りいたします。お待たせ!昨日の続きだけどいいかな?って訳だね。どういう訳だよ…(呆れ)

この列車はスーパーあずさ22号で、ありがたいフル点灯ハイビームでいただくことができました。なんかまあ光線が怪しい気もするけど、多少はね?
22Mは甲府を16時前に出る列車で、繁忙期でなくとも土休日を中心に満席ということも珍しくなかった印象の人気列車。まあ甲府から都内って基本的にあずさ乗ればいいみたいな風潮はあるしね。当時の中央線特急を利用する一番の利点は、まあ書いて来たあずさ回数券・えきねっとトクだ値なんかもあるのは事実なんだけど、車両云々(でんでん)を抜きにクソ大学の学生との遭遇を回避できるということだったと思う。

当時なんもわかっていないアホな私がハイビームじゃなくてもって書いていたのが最高に頭悪いと思った。過去記事は黒歴史ってはっきりわかんだね。少なくとも私にとっては貴重な資料だと思っていても、なんか読んでてうわぁ…(ドン引き)みたいな。
こちらはEH200の貨物。当時まだこの機関車が名古屋方面にも進出するなんて考えたこともなかった。というか運用範囲マジで広いよなぁ…現在の家の最寄り路線の1本でもある京葉線でも見られるし。

気が被ってしまっているけどなんか列番的に塩山行のような気がする(ド偏見)N613編成のローカル。先ほどのN605編成やN601編成とは異なりこのN613編成は2000代で車内はロングシート。全国364万人に愛された441M(当時の高尾発長野行)に充当された日には各方面から悲鳴が上がったことだろう。言うほど211系のロングはそこまで疲れないし、端っこの座席だと缶1本置けるぐらいのスペースはあるのでそこまで酒盛りにも困らないし、別に全然いいと思うんだけどね。

The next train is the limited express 'Azusa' No.24 to Shinjuku, operated by the E257 series, unit M-108 with 9 cars. This train also had non-reserved seats at the time, as well as the strong impression that it was a popular train on the Kofu to Hachioji section, where the reserved seats were sometimes full even on weekdays.

編成メインでもう1枚。八ヶ岳をぶった切るのは心苦しいがこれはこれでアリだろう。先ほどは表示負けとなってしまったが、この切り位置では表示も無事に日本語+イラスト表記。やったぜ。ありがとう。しかしこの時の私はこの編成がJ-TREC横浜で2000代に改造された際に塗装だけこのままで出てくるということをまだ知らない。まあ2000代になることもペニンシュラブルーになることも、少なくとも内部情報を教えてくれる「俺のダチ」がいない私は知る由もなかった訳だけど。

確か国府津に疎開されていたM-112編成が下って行った。この編成は当時の0代で一番検査期限に余裕がなく、このまま長野総合車両センターに入場。翌日の長野公開で再会することにはなるが、結果として2000代最初のNA-09編成として誕生する。この付番から当時色々と夢と希望と車両計画と妄想に夢がムクムクっと広がったものだった。なお同編成の出場に関しては、台湾留学と丸被りだったので撮れていない。

既に日は短くなりつつある9月だったのでこれが限界だった。というか次の特急って当時だとこの1時間ぐらいあと(スーパーあずさ28号)だしね。次の改正で夕方の甲府発上り特急の時刻が代わり、甲府では最混雑列車である千葉行のあずさ30号(現50号)まで45分程度時間が空くという事態になった。これは今も継続しているが、30号(現50号)の混雑を悪化させるだけで誰も得をしないのではないかと思ってしまうのは私だけだろうか。
ここまで撮って我々は撤退。甲府に戻ろう。

当時からあったんだなこれ。ほとんどの人間がスマホを使っている時代とは言えその全員が運行情報を見られるわけでもないので、こういうのがあるのはいいんじゃないかな。

そして当時ノーマークだったE231系余剰車の配給も撮っていたみたい。サハ単体での配給も可能だけど色々と面倒だからという理由でB31編成がよく伴車として利用されていた。サハ単体もあったことはあったけど。E231系0代は武蔵野線、一部を八高・川越線に転用するためにこうして時折中央線でも配給・自走共に見かけることがあった。
なおTwitterで検索して列番を調べたところ、当時大人から睨まれていたキッズのツイートが出てきてうわぁ…となった。E257系君ちゃんって書いてる奴でロクなのを見たことがない(笑)。※お亡くなりになってしまったようです。ご冥福をお祈りいたします。

三脚持っていたらなあ。まさかバルブするなんて思わんかったもん。この時ってこの後どうしたんだっけ。解散して帰ったのだろうか。甲府では乗務員交代が行われていたが、仲のよろしい方同士のようで、発車の際に甲府までの運転士さんがお手振りをされていたのが印象的だった。

翌日、信州カシオペアが運転されるのでそれを撮りに来ていた際のもの。令和7年4月に投稿した焼き直し記事では触れなかった写真なので、今回再現像の上で投稿させていただこうと思う。まあ当時も記事にしてない訳ではないんだけど。

However, this picture has probably not yet been seen by everyone. This is the limited express ’Azusa’ No.31, departing Kofu at 20:36. The front of 9 cars are unit M-106. It is similar to the current limited express 'Azusa' No.49. The train was calling at many stations from Kofu onwards, but considering the time of day, it is probably a reasonable stop.
※お使いの端末は正常です

日本語表示でも撮れました。やったね!211系は別に被っているというよりは写り込みかつ並びだと思っているのでいいのだけど、周りを見えない可哀想な電車マニアが写り込んでいたのでこうしてぶった切らざるを得なかった。20時半ごろ発の大月行だろう。してあずさ31号という列車名と号数の組合せがとても懐かしい。「中央線が、変わる。」とはよくいったもので、今となっては色々と変わってしまったのでたかだか7~8年前のことなのにとても懐かしく感じてしまう。

平成30年10月3日に撮影していたM-108編成の特急かいじ号。何故この時に金手で撮っていたのかについては不明。まあ結果としてこの撮影から何私の好きなドラマ「ブラックス・キャンダル」が放映開始されていた。松井玲奈さんが出演しているからという理由で見始めたこのドラマは本当に傑作だった。特にゲスが死ぬシーン。

翌々日の5日に撮っている多分かいじ116号っぽいの。この日はM-114編成での運転だった。まああずさ回数券か何かで乗っていたんだろうなあ。ここで撮っているということはまあこれに乗って帰っていたのだろう。楽しかったなあ、E257系0代がいた時。乗っても撮っても楽しかった。
しかしまあこの頃に「185系置換え反対!ムキー!」だったキッズたちが今では手のひらクルーして2000代や5000代をヨイショしているのは見ていても微笑ましいものがある。まあどうでもいいけどね、他人の思考まであれこれと批評するなんてのもアホらしいし。私はあくまでも見ていて面白いだけ。

その前にラーメン食ってたみたいです。美味かったなあ、甲府の大黒屋(家系ラーメン)。最近食事制限をしていてなかなかラーメンを食べることもないが、大黒屋のラーメンまた食いたいなあ。本当に美味しかった。ラーメン食ってからE257系かいじってのもまた贅沢な話だが、私にとって優勝であることは間違いない。

八王子で降りました。快適な1時間だったはずだ。上り特急が相模湖から高尾の山岳区間を抜けて減速し(制限70)高尾を通過する時に隣にはE233系0代がいて、大抵の列車で高尾を通過した旨の放送が流れると首都圏に戻ってきたんだなあと思っていたのが懐かしい。既に甲府を離れて4年、上り中央線特急で似たシチュエーションになると旅が終わるんだなあと寂しくなるあたり千葉県人に戻ってしまったのだなと思う。八王子では少し撮影をしたのちに、高校の同級生である親友と一緒に帰った気がする。

その日に例のかいじ号を降りて撮影したNB-14編成の臨時快速富士山。まだ特急富士回遊が運転開始する前のものだ。
189系6両をE257系5両で置換えた件についてはただ単なる減車に過ぎないので、まあそこで批判の意見が出るのは致し方がないし私自身も特急の減車大反対の意見ではあるが、しかしまあこの頃にヤクザの自治が189系を置換えやがってムキー!ってヒスってた(そこまでは否定しないよ)挙句に時折私に(それはなんで?)も噛みついてきていたのは面白かった。
残念なことにそいつらは死んでいるが、実際にTwitterも凍結されているのがもう最高に草。捨て垢作って俺に噛みついてきたっけな(笑)
なお豊田常駐の500代はNB-10,NB-11,NB-12の3編成だったものの、この時はNB-14編成が充当されていた。これは恐らくだが検査周期か何かの関係で、当時「「「は」」」比較的運用に余裕があったE257系500代の非豊田常駐の編成に白羽の矢が立ったのであろう。多分、多分ね。この他にもNB-05編成が同様に中央線方面の運用に就いてたのは確認している。