24日公開記事の続編ということで、仙石線205系の撮影記後編および帰り道の新幹線のお話の前編を強引なGoing My Wayでくっつけたやっつけ記事がはじまります。まあ前回24日の記事の続き兼明日27日公開予定の記事のハーフみたいな感じではあると思いますが、皆さんに少しでも楽しんでいただければ幸いです。いつもありがとうございます、本日もそんな感じでよろしくお願いいたします。関連記事(例:24日記事)も併せてお読みいただけると更に嬉しく思います。
マンガッタンライナーのM2編成が帰ってきた。種車に関しては先ほど述べているので割愛。E131系にもマンガッタンライナーが引き継がれるのかどうかは気になるところだけど、可能性は薄いかなあとよそ者ながらに思っている。まあ仙石東北ラインのHB-E210系で残ってるしいいでしょ?みたいな。仙石東北ライン開業で仙石線からの電車は全て普通になった訳だけど、混雑の平準化という建前で仙石東北ラインも仙石線内各駅停車にならないことを切に願う。余計なお世話か(笑)。ちょっと男子ィ~もうJRと千葉支社ネタにするのやめなよ~。男子といえる年齢ではないのが悲しい(現在アラサー)。
引きでもう1枚。重ね重ね今回の仙石線・仙石東北ライン撮影においては晴れると面トップになる時に晴れて曇ると残念な時に曇ってくれたものだった。多少混むとは思うが、E131系への置換え時期に合わせてまた撮りに行けばバリエーションが更に増えて楽しそう。寒いと思うけど。舎弟が勝手に仙石線撮りに行ってムキー!って言われることもないから気楽でいいわぁ。お前の軍門に下った覚えはない。酷かったなあ、しなの鉄道撮りに行った時も。私、心がバリケードなのですぐにメンタル折れるんです。いやそれを言うならデリケートだろうが。バリケードって普通に鋼のメンタルになるぞ。
バイビー。205系3100代もE131系導入完了後は順次廃車になるのだろうか。なんかまだそこまで古くないはずなのに、と思ってしまうのは私がアラサーだからだろう。特に2WAYシート車については普通にリセール良さそうだと思うんだけど、かといって譲渡先として思い浮かぶ場所もないし、何とも言えない。そして推測の域を出ないが、近年故障が多発しているという話は聞いていて、もしそれが塩害によるものだったと仮定したらもう仙石線205系も限界なのかもしれないね。205系3100代のまとまった数での出物と思えば手を挙げる地方私鉄がないとも思えないが、塩害は馬鹿にできないからね。
M13編成の東塩釜行。ヤテ26編成のサハとヤテ30編成のモハから改造された編成。山手線の後継となったE231系500代のうち6ドア車を含む一部のサハが短命に終わったことを考えたら山手線(等)から仙石線に転属したグループは比較的長生きできてよかったのだろうか。先ほど塩害でウンヌンとは書いたが、海外輸出の話があればそれはそれでまた面白いと思う。
M16編成が折返して帰ってきた。先述の通り震災での津波を免れた車両ということで歴史の生き証人といえる存在なのかもしれないね。震災があったのも14年前、今の小中学生の中には震災を知らない世代もいると思うと色々と考えさせられる。
なお、あの震災の翌日に震災と東北を茶化すかのような電話をしてきた父方の祖母は死ねばいいと思います。日本人名乗るなよ(笑)。そんなゴミの血が流れている私自身も正直死にたくなるまである。せめてあのクソババアの葬式で参列者の席にランダムでブーブークッションを置いたり、焼香するフリして十字架切ったりと、葬儀業者への威力業務妨害の罪の構成要件を満たさないギリギリのラインを攻めて、ババアの葬式を荒らしたい。これを非難するのは自由だけど、私は遊びと復讐と仕事を本気でやるので。ええ。
そんなことこの記事で書くだけで(略)。やはりE231系800代みたいな色に見えるが、れっきとした仙石線の電車。思えば仙石線は3年前にMaxと最期のお別れをするべく仙台に来ていた時以来の乗車だったか。仙台駅周辺の運転は怖いからと陸前原ノ町のカーシェアのヴィッツで利府に突撃したのが懐かしい。その話はまた別の時にでもしよう。もうあのヴィッツも第二の人生を歩んでいるんだろうなあ。
改造時期的にはまあそうとはいえ、下手すりゃE231系と同期に見えるこの先頭車改造された205系も個人的には好き。どうせならこの手の205系もVVVFに換装しておけば面白かったのになと思いつつ、そこまでする必要がないというのが当時の判断だったのだろう。
反対側のホームに移って東塩釜行のM5編成を撮影。ヤテ20編成のサハ、ヤテ22編成のモハを組み合わせて組成された編成。思えば仙石線の205系はこの後に乗るものを含めて計4回しか乗ったことがないが、これら2WAYシート車は当てたことがない気がする。いや例の3年前のアレがどうかって言われたら記憶があやふやではあるけどさ。
構図としては微妙なのを承知で現像したが、一応仙石線205系最後の桜かもしれないのでということで、今回は散りかけではあるものの桜も入れてみた。桜の咲く音がした。だからもう散ってるんだっつーの。電車の揺れでは誤魔化せない模様である(元ネタ:=LOVEの「桜の咲く音がした」)。彼氏ヅラbotはお願いだからイコラブというかイコノイジョイの現場に来ないでね。お願い。な。俺に会いたくないだろう?(笑)。何が「俺がきて嬉しそうだった」だ。冗談としては面白いけど。
バイビーベイビーサヨウナラ。次に東北を訪れるのはいつになることだろうか。企画ちうの南東北遠征が明日だったらいいのになあ。次は今回できなかったこと、例えばいわゆる仙台ひたち乗車(乗り通しても相席は嫌なので乗り通すとは言ってない)、E3系惜別乗車(そりゃ東京→上野で0代・浦佐→新潟で現美の2回しか乗ったことしかないですし)、いわきでのはしご酒なんかもやりたいので、改めていくつかのプランをしっかりと計画しておきたい。あとちゃんと沿線撮影地を調べて撮りに行きたい。マジで。
現美で思い出したんだけど、元はといえば秋田新幹線こまちで運用されていたこのR19編成は700代改造後(R18編成とれいゆを含む)は私が知る限りではE2系等との連結運用はなかった。
現美新幹線は普段新潟~越後湯沢間を各駅に停まるとき号として運転していたが、乗客の大半は乗車を目的としていた可能性が高いので、「(目的地まで)あくしろよ!」という需要に応えた列車ではなかった故だろう。同区間を各駅に停まる東京発着のとき号との連結があったらそれはそれで面白かったのではないかと今になって思った。例えばだけど、東京発新潟行とき号が越後湯沢で前に現美新幹線を連結するなんてのは正直見てみたかった気がする。一部では黒塗りの高級車とも言われた現美新幹線なので、いわばまさに、バァン!と連結して「お前クルルァについてこい!」って訳だね。それはまずいですよ!
閑話休題。
仙石線最後の撮影ということで、このM13編成のあおば通行で仙台を目指していこう。つってもまあ車内においては東北新幹線はやぶさもビックリするレベルの爆速で寝落ちしていたんだけど。気が付いたら仙台、危なかった。コインロッカーに突放していたボストンバッグとスーツケースを回収し(よく忘れなかったな俺)駅弁を購入し、新幹線ホームに上がる。コインロッカーもSuicaでスイスイできる(PASMOも可)なんていい世の中になったものだ。まさにいい世が来た訳だ。何となく見つけた駅弁が相場より明らかにべらぼうに高くておったまげたが、美味しかったのでヨシ。これも米の価格を高騰させた上に海外に売り払う売国奴政権が悪い。バカが大臣やっている以上は仕方がない。
名残惜しいが新幹線ホームに入って乗車予定の新幹線が待つ13番線を目指していこう。
仙台18時12分発のやまびこ218号は本来E5系10両での運転だが、時折E2系で運転されることもある。言うまでもなく、今回の私はそれを空腹のハイエナがドン引きして逃げ出すレベルで目ざとく特定して乗っていた。やはり乗れる時に乗らないと。久しぶりに乗ることができて(おまえ2月に東京大宮で乗ったよな?)とても嬉しい。こんなに嬉しいことはない。この時、私がE2系を知った時は当たり前ながらリリースされていなかった=LOVEの青春”サブリミナル”がイヤホンから流れていたという。えっそうなの?好きな曲なので確率は十分にあるけど。※ただイコラブちゃんの話をしたいだけ
青春”サブリミナル”はこの曲です。せっかくなのでご興味のある方は是非。すんげえいい曲です。でも私を舎弟と見下して挙句にアイドルの彼氏ヅラ(○○俺が来て嬉しそうだったの奴)するような奴はイコノイジョイの現場に来ないでね。俺が来て嬉しそうってなんだよ(笑)。マジで頼むから来ないでくれ。
現在本線上で営業運転を行うE2系はこの通り後期車だけなので、乗った回数的には一番多いであろう前期車にはもう乗れないのがやはり寂しいけどね。でもE2系であることは変わらないし、スピーカーのあの若干こもったかのような音質は変わらない(←変態)し、まあ多少はね?
それにしても、まあこのブログは見ていないだろうけれど、E4系Maxや185系等にボウフラのごとく沸いてきた引退前だけ最高キッズがこの記事を見てE2系に沸いてきたら気持ち悪いなあと思う。それまでなーんにも言及しなかったのに、引退が近づくと「おけ、やりたいことやれた」「控えめに言って最高」意味が解らない(笑)。ほんっっっとうにたのしませてもらいました!(笑)
ここだけ切り取れば夜の18時台に東京を出る新青森行最終のはやて号って言ってもバレないよね。いやバレるバレないの問題じゃねえから。そもそも19時台発かもしれないだろ。そう考えるとマスコミの皆さんが切取りや誘導質問で偏向報道をしているあのスキルは俺にはない天才的ですごいものだと思う。どこの国からお金貰ってやってるんですかねえ。
E5系との並び。既にE5系が主力となって久しく思えるが、E2系だってまだまだ現役。今残る6編成全てが対象かはわからない(多分対象)が、E10系の発表に際して置換え対象として明言されている以上、残り数年は安泰だと思っている。まあ青函トンネルを通るE5系の方が正直ガタは来ているだろうしね。何はともあれ、このやまびこ218号は東京まで各駅に停まるのでそれだけ長い時間E2系を堪能できるということになり、これほど美味しく嬉しいこともない。ごめんよララァ、僕には帰る場所があったんだ。帰る場所はどっちかというとE2系で新青森まで帰るのが正解な気もするけど。
改めて懐かしいロゴだ。一応先月もE2系を撮ってない訳ではないし、なんならそれこのJ75編成だったけど。それでも私が生まれた少し後(平成14年)からずっと新幹線はやてとして青森県と東京を結んできたのはE2系だもの、久しぶりにこの新幹線に乗れるなんてこれほど嬉しいことはない。2月にも東京→大宮で一応は乗ったけどさ。一応は。
今回はえきねっとトクだ値を利用してグリーン車に乗っちゃいます!いやっほう!E2系のグリーン車自体はおよそ10年前に臨時はやての指定席が取れずに乗ったことがあったんだけど、今回は3割の値引きでなんと普通車指定席の正規運賃より数百円安く乗ることができていた。ありがとう。そしてありがとう。流石に正規運賃でグリーンはきつい。でも宝物はグリーン(元ネタ:=LOVEの諸橋沙夏さんのソロ曲)。いや普通席もだけど。もういいから次行けよ。
宝物はグリーンはこちら。皆さんも是非ご覧になってみてくださいね。ちなみにこの帰りに千葉線の車内でさなつんのSHOWROOMを見ていたのが私です。
そしてもう1つ。小学生の頃、何ならまだ新青森開業前から、私は新幹線の車内で牛タン弁当を食べるという、どう頑張っても5,000円もせずに叶えられる夢があったのだが、今回無事にE2系車内でそれを叶えることができた。シャララララ~僕の牛タン~。美味しくいただきました。これでもういつ死んでもいいけれど、またこれやりたいからダメですね。せめてE2系後期車最後の5~6年をこうした乗車のみならず撮影の面でもきっちりと追って行かなければ死んでも死にきれない。まあ同時にE5系初期車の記録も進めていかないとなんだけどさ。
そうそう、いつだったかこれをやりたいって話をした時に話を遮って唾飛ばしながら「少しなら金出すから店で食べろよ〜」と飽きもせずにマウンティングしてきたキョロ充がいた。その前に踏み倒した家賃水道光熱費返せよ(笑)。
この辺の車内の雰囲気については別館で乗車記として出す予定だが、でも乗れてよかった。それは私からE2系への愛を差し引いても、普通に快適だった。途中の通過待ちで一服できること、また仙台始発やまびこなのでそこまでべらぼうに混むわけでもないこと、さらに今回のように普通車指定席とほぼ同額でグリーン車に乗って快適に移動できることを勘案したら下手に満席のはやぶさ・こまちに殴り込みをかけるなんてドMの所業としか思えない。
ただ各駅に停まるので、はやぶさ・こまち及び速達のやまびこ号が通過する駅からの需要もあることは書いておこう。
なお本来は2本でお届けする予定の記事だったものを足して3で割っているため、E2系での帰り道に関しては申し訳ないが続きを明日更新予定の記事で言及させていただきたいと思う。すみません。あんま面白い記事にはならないかもですが、東北帰省・遠征の最終回ということで、明日の記事もお楽しみいただければ幸いです。いずれ今回の記事から漏れているあれこれもまとめて記事にしたいけど、同じコンテンツの繰り返しになってもアレだから、完成させて下書きで眠らせて…って感じかな。