以前の仙台遠征記事の続きとして、仙石線・仙石東北ラインの撮影記を中心にお届けいたします。そういや弘前に2泊3日している間に津軽弁をしゃべれない割に訛りが多少は移っていた割にはもうそれも抜けてしまったのが寂しい。小学生の時みたいに1週間ぐらいどーんと弘前に帰れたらなあ。いっそのこと向こうの会社に転職して弘前に骨を埋めたい気もする。

さて、前回と同様の写真で申し訳ないのだが、こちらのHB-E210系による仙石東北ラインで撮影地を目指していくこととしよう。HYBRIDロゴがかっこいいね。60プリウスのボンネットを開けるとあるHYBRID REBORNみたいな感じのカッコよさがある。なおこの先の撮影地において到着したところ既に面トップというオチになることを、当時の私は何も知らない。結局そんなオチだと思った。そんなオチ構文の元ネタのキョロ充からしたら舎弟かつ道具のお前が何勝手に仙石線なんて撮ってんだムキー!って感じか(笑)。ウケる(笑)。しなの鉄道の時も言われたからな(笑)。あと、もう武蔵野線205系の最後の陸送の話はいいよ。あんたらの思い出は無論大切にしてもらいたいが、何回も同じ話をするのやめて(笑)
撮影地に到着。この区間は津波での被害が大きく、内陸へと移設された経緯がある。改めて震災の被害の大きさを実感すると共に、復興とか被災地とかそういうのがなくなるまで震災は終わらないんだろうと思う。現に仙石東北ラインが仙石線区間に入ってから、内陸側の建物の大半が見るからに新しく、私でも胸が痛んだものだった。

さて早速撮影開始です。でももう面トップ。もう少し調べてから来なさい(笑)。しかもよりによって仙石東北ラインのマンガッタンライナーであり、尚更側面を目立たせるべき被写体なのにね。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁあああ!俺が一番困ってる。俺の脳みその足りなさに。

続いてもマンガッタンライナー(笑)。運がいいのか悪いのか。いつもの私なら「ラッキー池田!俺の日頃の行いがいいからだ!」ってキャッキャすると思うんだけど、結果として来るのが遅くて面トップなのでむしろ自ら日頃の行いと頭の悪さを体現するというオチに陥っている。オチなだけに。お前もう黙ってろ(笑)。なおM2編成は別の場所でも撮ることになるんだけど、元々ここが面トップでアレだからつって移動した結果として曇っていたので、もう救いようがない。そういう日もあるんだろうけど。

仙石東北ラインのHB-E210系。この区間は案外仙石東北ラインの比率が高いみたい。というか仙石線って思いの外この辺の本数が少ないんだね。半年もすればデビューするであろうE131系も撮りに行ってみたい反面で、あの路線、特に仙台近辺での混雑に鑑みた場合のワンマン化と恐らく実施されるであろう減便には疑問の念を持ってしまう。それは外様の私だから書けることであって、実際に何回も利用している皆さんからしたら私の意見がおかしい可能性だってあるんだけどさ。というか仙石線ワンマン化の後って仙石東北ラインはどうするんだろう。仙石東北ラインだけツーマン?

さて、光線もアレなので次の撮影地を目指していきたいと思う。計画変更というアレ。ちょうど仙台から乗ってきたHB-E210系が折り返してきた。同形式車内ではトヨタ車でいうエネルギーフローの表示もありつつ、今回はそこまで撮影できなかったのが残念。また乗りに行けばいいんだろうとは思う。気動車に乗るのも好きだけど、気動車でも電車でもないハイブリッド鉄道車両の面白さをこの車両から学んだ(書類上は気動車だと思うというのはさておいて)。次は石巻までゆったりと酒でも飲みながら乗ってみたいものだ。

あっなんか微妙な構図だね()。もっと東北を堪能したかった。そういう意味では大学生の時にもう少し動いておくべきだったし、大学生活の後半を中国の武漢で発生した新型コロナウイルスのせいでめちゃくちゃにされたのは許せない。中国も中国人も。差別だの右翼だの言いたければ言えばいいと思う。日本国憲法で保障された思想の自由と言論の自由があるのだから。どうせFラン国公立しか行けないバカなんだもの、学生の時にもう少し遊んでおくべきだった。意味のない大学生活だったよ。

往路の写真だけどHB-E210系のボックスシートには209系2100代同様にドリンクホルダーがあるので、それではありがたく飲ませていただこう。とくべ酒、して?って訳だ。イコラブのとくべチュ、してみたいに言うんじゃないよ。この時間で既に酔い度レロなあたり頭が悪いと思うが、しかし反省はしていない。反省はしてくれ。後悔はしなくていい。いや何言ってんだお前は。

スマホズームというアホなアレ。驚いたのはHB-E210がサスティナであるということ。今まで知りませんでしたすみませんでした。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁあああ!俺も困る。いつまでもいろんな面倒くさい人間に粘着されて。それだけ俺がモテるってことだね!ちげーから(笑)。ネトストにばかりモテてどうする。また家を体のいい宿にさせろって迫られるぞ。下手したら千葉の警察マニアにまで粘着されるぞ(笑)。

復路。とくべ酒、して。もういいからそれ。百歩譲ってこれが特別快速ならとくべ酒快速ってギャグできたんだろうけどさ。いやそういう問題ではなくてですね…。なんか一連の4連休、特に弘前にいた時間はあっという間だった反面で、内容が濃くて逆に長く感じたようにも思える。無論こうして乗ってみたかったHB-E210系車内で酒を飲めたのも嬉しいけれど。そういえば実家にあると思われる時刻表の表紙ってHB-E210系と当時SKE48にいた松井玲奈大先生の写真だったっけ。実家の私の部屋には色々と貴重なデータもあると思うので、そろそろガサ入れに行きたいね。

以前の記事でも貼ったのでアレだけど、この地に咲く桜の花を見て色々と考えさせられるものがあった。常々書いている通り、なんなら常磐線全線復旧前から、私は被災地とか復興とかそういう概念がなくなってからだと思っている。そしてあのような悲惨な災害は二度と起こらないでほしい。

往路は山側に座って酒を飲んでいてこんな綺麗で美しい海が見られるということを知らなかった。無能とも言う。小学生の頃に一度宮城県のどこかの海で、当時仙台市民だった従兄弟と叔父と共にサーフィンしたことがあったな。懐かしい。今の私は間違いなくサーフィンなんてできないが、あの時は楽しかったな。当時はまだ仙台発着のMaxやまびこが当たり前だからMaxやまびこに乗りたかったんだけど、諸事情でいつものE2系はやてだったのがなんかなあって思ってたっけ。今思えば贅沢なもんだ。当時小学校5年生(震災のおよそ半年前)にして初めて一人で遠くに出かけたものだったが、その時に乗れたのがE2系だったのも今となってはいい思い出だ。

仙石線とお別れした車窓でこの記事を締めさせていただこうと思う。この後仙石線を撮りに行くんじゃないの?と思いつつ、いやまあ撮りには行くんだけど、諸々の事情に鑑みて仙石東北ラインで東北本線内まで乗っていた。レッツさわやかウォーキング。この記事の続編となる記事においては仙石線撮影記として記事を書かせていただくが、しかし結局エキセンでの撮影となってしまったのが少し残念だ。次回はもう少し沿線撮影地を調べてから出向きたい。

という訳で最後に次回予告。本数とコマ単価に鑑みて仙石線の電車だけが来る区間に出向いてきていました。このM16編成は津波をギリギリで免れて今も活躍している歴史的な車両だが、その辺のうんちくに関してはまた次回記事で書いていきたい。
後書き
本日は東北新幹線大宮~盛岡の暫定開業記念日です。43周年となります。心から御礼申し上げます。できれば今日は記念記事を書きたかったんだけど…なんかいい案が思い浮かびませんでした。本当にごめんなさい。