ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

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平成30年10月の京成撮影記とE257系の思い出。3000形、3400形、3500形、3600形(3688編成)、3700形、京急600形快速。E257系500番台しおさい4号と0番台あずさ7号でのいっちょ前(笑)な登校と両列車考察。

皆さんこんにちは。今回は大学生時代の過去画で記事を書いていこうと思います。撮影は平成30年10月8日、この記事が出る頃には何年前になっていることでしょうか。10年経って、懐かしいなって思ってもらえる記事を目指しております。

 

youtu.be

10年経って~の元ネタは=LOVEの推しの1人である諸橋沙夏さんのソロ曲である”My Voice Is For You”。本当にいい曲で私も毎日最低3回は聴いてます。この記事の写真を撮った頃から本格的にイコラブちゃんにハマっていたらなあ。

 

閑話休題。電車の話題に入ってまいります。

55K 快速西馬込 3858~3851

大神宮下で撮った3858編成の快速からスタート。何が宮下だよ(笑)。この写真を収めるや否やハイビームになったので、まあそういうことだったのだろう(笑)。当時は急行灯に関して日中は点灯しないことというご指導がなかったようだけど、それでもハイビームはするという(笑)。でも残念でした~、そのハイビームは切り位置より手前だったんですよ。全米が泣いた。

常々書いているけれど、私はハイビーム自体が嫌でこう書いている訳ではない。それは常々私が書いている通りだ。ハイビームならハイビームでかっこいいことだって多いんだし。やれ前照灯を下げろだ急行灯を点けろだうるさいキッズと一緒にされては困る。ただし、こちらの視界や写真を邪魔する目的でのものは純粋に面白くていいネタになるというだけだ。

 

A01 特急成田空港 3033-8~1

成田空港行の3033編成。平成30年10月8日の撮影なのでこれもだいぶ昔のこととなる。やはり京成ファンとしては特急成田空港行に安心感こそ覚えるのだけど、しかし中国人をはじめとして最早インバウンドとも言われる外国人観光客が公害となっている以上、京成本線をはじめ地元ユーザーが外人のせいで迷惑を被るのだけは勘弁してほしい。

そういう意味ではいい加減に成田で完全な系統分離をしてほしいとすら思う。本線から成田空港に行く際に乗換えが生じるとはいえ、香水臭かったりうるさかったりその他マナーが壊滅的だったりするインバウンドを締め出せるなら個人的には全然あり。

 

09 普通津田沼 モハ3525ほか

後続の各駅停車津田沼行。当時はSR無線工事が始まっていないので、多分私がよく知っている組成での運転だった。モハ3525自体は今も先頭に立つことはあったはずなので、まあパッと見ではそこまで珍しくないんだけどね。

個人的に言うのであればやはり2+4または4+2の組成での3500形6両の方が未だにしっくりくる(割にはお前高校生の時の過去画で組成忘れてることも多かったよな?)ので、なんかなあって気持ちになる。あの頃の組成を撮ることができるのもこの時からせいぜいあと数年ってところ。もう少し撮っておくべきだった。やはり高校生時代の過去画を書き直し終えてもやはり京成の電車は私の趣味の青春の1コマであるので、そう思ってしまう。

 

07 普通上野 3004-8~1

続いては3004編成の各駅停車。ハロゲンの前照灯と本来のROMがとっても懐かしい。しかしそんな私は3000形の3色LED時代の写真があるのかと言われると、まあない訳ではないけれど実質的にないに等しい。そういう意味では私とて所詮はガキンチョ。それでも、撮っておいて損はなかったと確信している。3004編成は高校生時代によく遭遇していた編成のうちの1本だった。

 

A03 特急成田空港 3688~3681

この日は市川市内に住む高校以来の親友との会食に向かっていたので、その途中での撮影となる。いくら後年にアイドルとなる3688編成とはいえ、流石にこの写真は(笑)。残念。なお彼とは現在、千葉県人V6エンジン愛好会として定例会を開いて飲む仲ではあるが、当時はお互い未成年なので無論飲酒はしていないのでご安心を。この時の俺に3688編成がこのおよそ2年後にファイヤーオレンジになるなんて言ったらどんな反応をするんだろう。案外3300形の例もあるので納得しそうだけど。

 

A13 快特成田空港 3428~3421

八幡の発車標がまだこの時は3色LEDだったんだなあ。この時から八幡の沿線で撮れると知っていたら、もう少し記事にもできたと思うんだけど…。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁぁぁ!!!!!というか純粋にこの頃でいいから戻りたい。酒飲めないのは困るけど。※そんなことで困らないでください

 

A07 特急上野 3029-8~1

当時の実家の最寄りのうすいで撮っていた3029編成の特急。シラフでこれかあ(笑)。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁぁぁ!3029編成はまだまだ新しい印象…だったけど冷静に考えて既に3040編成までが竣工していたんだった。高校生時代の過去画を予約投稿し終えた後に見返すと色々と混乱してアレだ。

 

79H 快速西馬込 6011-

こちらは平成29年10月28日改正で土休日の高砂以東にも復活したH台の快速。現行(執筆日の令和7年1月時点でのダイヤに準拠する)の土休日のH台の場合は81Hか61Hしかないうえに西馬込行のバルブもできないので、結果としてまさかこれが貴重になるとは登場当時も撮影当時も思わなかった。私は当時高3だったのだけど、誕生日から土休日のH台快速も復活するのが嬉しくて予備校帰りに撮っていた。ばっかじゃねえの(笑)。だから受験落ちるんですよ…。この時通っていた大学が最終学歴なんてほんと恥ずかしい。

話を電車に戻そう。強いて言うのであればだけど、いつ京急車の快速がなくなってもおかしくないからって気持ちはあったかもしれないが、79Hが高砂以東に来ることと夜間西馬込行がryとは思わなかった。正直そっちかーい!って言いたくもなるけれど、これも4直のスリルって訳だという解釈もできる。

 

19 普通上野 3548-47+3512~3509だったっけ

組成が合っているかは不明だけど、まだSR無線対応前での組成だったはずなので多分あってるであろう3500形。まさか3500形更新車の置換えが本格化しようという時期に再びこんな写真でこの頃の記事を焼き直しているとはな(笑)。3500形もいずれ貴重になりミーハーが沸いてくるかと思うと頭が痛くなる。3500形○○編成が発車するシーンみたいな(笑)。

この撮影から数年後の令和4年頃、私のツイートが謎に伸びた時に引用欄で3500形未更新車が3600形と東急8500系のハーフって言われてたのは本当に息ができなくなるまで笑った。知らないことが悪いのではなく、知ったかぶりで偉そうなことをしているのがね。そういうおめでたいキッズもいれば、「畏れ多くも京成自治に喧嘩を売るなんて、殴るで」(令和2年の発言)とのたまうキッズもいるので、お前ら鉄オタのそういうところだと思う。私も鉄オタだけど。そいつらを戦わせて、私はワイン片手に対岸からそんな乱闘を見ていたい。君子危うきに近寄らずってはっきりわかんだね。俺のどこが君子なんだ。

 

せっかくなので、当時甲府に進学して1人暮らしをしていた私がクソ大学のFラン国公立の授業のために甲府に戻る時の写真も最後に書いてからお別れとさせていただこう。

※画像はイメージ

当時は佐倉市に実家があった訳だが、ありがたいことに朝早く親が弁当を持たせてまでJRの佐倉駅まで送ってくれていた。親が作ってくれた弁当が一番美味しかったんだよな。しおさい4号の車内では基本的に半分寝ていたので、まああずさ7号の車内(または帰宅後の可能性もある)で食べていたんだけどさ。

 

そういやここ数年で沸いて来た257キッズ(笑)ってNB-07なんて撮ったことあるのかね

なお当時のしおさい4号に関しては99%が通勤需要に応えたものであり、一時期はE257系500代を2編成繋げた10両が全席自由席で運転されていたという過去からも本件列車の性格についてお察しいただけるだろう。

しおさい4号(当時)はE257系10両で運転、トクだ値の拡大と共に指定席が増加していった。私が高校生ぐらいの時には全車両自由席で、指定席が設置されてからも改札担当だけで3人ぐらいの車掌さんが乗務されていたイメージ。佐倉始発ではあるが乗客の8割は四街道と千葉から乗ってきて、千葉から先は基本的に満席で運転されていた。自由席車両にあっては大半の客が無札乗車で車内購入となっていたが、その9割が偉そうにSuicaを出して「東京!」とのたまっていてキモかった。小学生が「先生トイレ!」って言ってるのと知能指数が変わらないというね。鉄道利用客なんて所詮そんなもんだ。中国人やクルド人よりマシなだけで。

 

いつか乗れたらいいなって思って撮っていた高1が懐かしい

基本的にラッシュ時のうちピーク時に運転される特急というのはだいぶレアな気もするが、しおさい4号は総武快速線のラッシュに特攻していく。ヤァヤァヤァ!佐倉から千葉までは順調に走るが、千葉から先はお察しの通りだ。所謂特に急がない特急である訳だが、まあ急げないというのは事実として、遠近分離に加えて着席需要というものに応えていたのだろう。総武快速のラッシュは馬鹿にできない混雑だもの。そりゃあ数年後に登場するE235系1000代がオールロングシートになっても仕方がない。その更に数年後の京葉線のダイヤ改正(改悪)で君津・上総一ノ宮発着の快速は混雑も悪化する訳だしね。

 

これ自体はしおさいではないけれど

いや~(笑)それにしても利用客のクソリーマン共を見ていると鉄道利用客を地で行くスタイルがもうまさにホンモノだった(笑)。結局鉄道利用客の大半は知恵遅れということを身に染みて覚えた2番目の場面は、まぎれもなく当時のしおさい4号だった(笑)。マジでやばかったもん。まあ、だから今でもしおさい11号のリクライニングを直せないような知恵遅れをバカにした論調で記事を書いている訳だけど。何も房総特急や総武線に限った話ではない。中央線、特に特急あずさ・かいじもそうだし、他社なら京成や京急にもクソみたいな客は沢山いる。中国人と大して変わらないようなのも。日本の恥だよ。

 

閑話休題。東京から中央快速線で新宿を目指し、甲府までガキがいっちょ前に特急に乗っていたって訳だね。今こうして焼き直している俺はもうアラサーなんだけどまだガキなのかな(笑)。年確も全然されないし四十肩酷いんだけど(笑)。

この元ネタは何回も書いて来たが、初見さんのために書いておくと、この数か月後の平成30年12月24日の4053M「特急あずさ3号」を船橋で撮った際に、当該列車乗務と思われる運転士(千葉運輸区と思われる)がハイビームを向けるに飽き足らず、鉄道利用客をdisるツイートをしたらFF外から特定して噛みついて来た時のフレーズだ。私がどのような立場にいたのかも知らず脳死でそうして噛みついて来た挙句、なんかメンタルが不安定になって「私はすぐこうして人を傷つけてしまう」、みたいなツイートをした後、ツイ消し。更に俺がブログでこうして日付と列車を出すようになってからはTwitterアカウントを消して逃亡。だっせえよなあ(笑)。ご冥福をお祈りいたします。

 

新宿からはあずさ7号で甲府を目指す。新宿8時半のこの列車は後の改正でかいじ1号+富士回遊1号となり、現在は同7号として運転されている。あずさ7号は当時のダイヤでは唯一三鷹に停車していたあずさ号であるあたはかなり停車駅の多い便だったことが特筆されるほか、案の定新宿→立川・八王子での短距離利用クソリーマンも乗っていた。短距離利用が悪いのではない。態度の問題だ、あいつらはそれでも社会人か(笑)。

そいつらは死んだので別にいいけど、あずさ7号についても面白かったのでいつかまた考察記事を書くことができたらいいなと思う。なお当時の最繁忙期等にはこのあずさ7号の後続で臨時のかいじ号が運転されていて、詳細に関してはこちらも併せてご覧いただけたらと幸いだ。

 

一応簡単に書いておくが、あずさ7号(当時)は新宿8時半発の9両で、3から5号車が自由席だった。中央ライナーとして東京まで運転された後に折返し、新宿で車内整備を行って客扱いとなる。当時の私は先述の通り東京から中央快速に乗っていたので東京から乗れたらと思っていたが、折返し時間の猶予もないのでこればかりは仕方がない。誰も悪くない。

この列車は立川や八王子までの通勤需要も拾っていたほか、あずさ号としては珍しく三鷹にも停車していたのが特徴。新宿を出ると甲府までの停車駅は三鷹・立川・八王子・大月・塩山・山梨市・石和温泉という実質かいじ号だった。まあ定期列車に絞ると当時の新宿7時発スーパーあずさ1号の同区間停車駅は立川・八王子・大月・石和温泉、7時半のあずさ3号(千葉始発)は1号停車駅に加えて塩山と山梨市に停車、8時ちょうどのスーパーあずさ5号は立川・八王子のみ停車で甲府に向かっていたはずなので、7号の停車駅は妥当なものがあるのだろう。

リンク先においては同列車ならびに近い時刻を走っていた臨時列車についても言及しているので、お楽しみいただけたらと思う。

 

この時は確か自由席を使っていた気がしなくもない。一度、船橋から千葉あずさこと特急あずさ3号をお手洗いに行っていたせいで乗り逃がしてあずさ7号に乗ったこともあったっけなあ。その話は恐らく別の回ですることだろう(多分もう書いて下書きに突っ込んでる)。

なお民度については中央線特急ということでお察しください。もっとも当時もインバウンドは酷かったが、コロナ禍を経た令和の今、もはや公害レベルになっているということを当時の私は知る由もない。コロナのタイミングでインバウンドが根絶やしにされて、日本がインバウンドに頼らずとも稼げるように立ち直っていたらよかったのになあ。当時通っていた山梨県の某Fラン国公立は観光立国だのインバウンドだのおもてなしだの抜かしてインバウンド政策を推進していたバカ教員ばかりだったけど、今どんなツラしているのかについては気になるところだ。インバウンドが公害になる可能性も予測できない大学教員、なんならそれが我々日本国民や富士山のある山梨県民を苦しめていることも予測できないような奴ら、移民推進の左翼ばかりだったからねえ。意味のない大学しか受からなかった自分を呪いつつ、中国の留学生ばかり受け入れていたあの大学なんて一滴残らず地球上から干されて消えるべきだと思う。まともな先生もいたんだけどさ。

 

なんなんですかね~この大学。台風で中央線もバスも運休出てるのにこれだよ。

このメールについてはさておいて、まだ女性だから准教授から教授に昇格させないみたいな時代錯誤のハラスメントやってるんですかぁ?と声を大にして言いたい。まあネットに書いてる時点であれだけど。これを中傷だなんだとバカが騒ぎ出したら面白いが、お世話になった先生がTwitterにそうやって書いてるからねえ。

私が1年生の時にお世話になった女性の先生もそれが原因でおやめになってしまったなんて話も聞いたし。これから本格化する大学生時代の過去画記事において、何の圧力も忖度もない私が時折こうして暴露していくのも楽しいかもしれないね。大丈夫だって、こんな弱小ブログをあいつらが見ている訳もないし、大学名も出していないし。

 

撮影 平成30年10月8日(一部を除く)

執筆 令和7年1月20日

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