ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

アフィリエイトのアクセストレード

平成30年長野総合車両センター訪問の思い出(ヲタクNN入場)。しなの鉄道115系、189系N102編成、E2系の遺構、改造中のE257系とE231系、211系、185系。

おはようございます。以前も何かのタイミングで記事にしてはいるのですが今回は当時甲府に住んでいた私が長野総合車両センターの一般公開にお邪魔してきた時の話です。今回はその前後も含めて(いや後編はもう記事にしてるだろうがYO)お伝えいたします。

 

撮影は長野駅からスタート。当時からお世話になっているヲタクと甲府で合流し、始発の421Mで長野を目指す。一旦上諏訪で途中下車の後、長野行に乗換えて長野駅に到着。

普通長野 S3

柵が邪魔だけど115系。いやーいいなあ115系、撮りに行きたいな。E217系廃車回送の追っかけのオプションとして2日目のしなの鉄道撮影は普通にアリ。

 

団臨 信越線開業130周年号 N102

この時は189系で唯一稼働していた長野総合車両センター所属N102編成が団体臨時列車信越線開業130周年号」に充当されていたのを今思い出した。私のN102編成の写真といえば臨時あずさ・臨時かいじ・回送程度しかないのは今でも悔やまれるが、この日は古巣であろう信越線向けの団臨に充当されていた。横軽、私が生まれる2年前の廃止だからどう頑張っても私が乗れるわけもないんだけど、乗ってみたかった。横軽の「横」にあたる横川は執筆日から起算して数週間前にEF64の1053号機目当てで行ったことしかないので、今度は横川目当てでゆっくりと訪問してみたいもんだ。

 

大盛況。そりゃまあ長野総合車両センター公開と被ってますしね。N102編成というかこの色は「あさま」幕以外は…ということで、また私が甲府に進学したタイミングでは豊田の189系のうちM50編成(あずさ色)は既にいなく、M51編成(国鉄色)とM52編成(グレードアップあずさ)も最初の1か月で廃車回送となってしまったこともあり、今一つあずさ運用で撮ろうと思えなかったのがとても悔やまれる。

 

189系、また撮りたいなあ。長野総合車両センターで保管(要出典)されているところでもいいから久しぶりに見たい。できればあさま幕で←無理

さっきのS3編成。しなの鉄道も新型車両のSR1系が導入されているため、そう長くはない事だろう。115系での呑み鉄はまだできていないほか、もっともっと写真も増やしたい。是非令和7年は沢山のご縁があればと思う。だったらもっともっと残業して稼げよ貧乏人(笑)。※将来が心配な無職ニートキモータヒッキーなので、そもそも残業できません。

 

翌年の長野公開にて

なお翌年令和元年の長野公開においては、最後に189系N102編成のあさま幕を拝むことができた。そしてこれは私にとって最後の189系撮影ともなった。渇望していたあさま幕で撮れたことは一生の思い出だ。お隣にはE257系が「急行アルプス」表示で停まっていた。当時は臨時特急としてアルプスの名が復活し、またそこにE257系2000代が充当されるということも、この数年後に甲府を離れて名古屋に進学しつつも結局は千葉県に帰ってくるということも、当時の私は知る由もない。令和元年の長野総合車両センター公開についてはまたいつか。

 

長野駅を出場。そういえば令和6年9月にE217系廃車回送で訪れた際もだけど、意外なことにSuicaが使えなかった。多分この記事が出る頃には使えるんだろうけれど、でも正直奥羽線弘前~青森より遅かったのは意外だった。私の故郷を悪く言う気はないけれど、でも弘前Suica対応なら長野ぐらいSuicaでスイスイ行けると思ってたもので…。逆にSuicaさえあれば千葉みなとからも千葉からも新幹線経由で弘前まで帰れる今は便利なものだ。

そんな青森帰省と関係がありそうで実はないかもしれないE2系0代N編成(長野新幹線用)のカットモデルみたいな何かも展示されていた。これは素直に嬉しかった。12~13年前なら長野新幹線は全部E2系N編成で、例外もあるがあの東芝+シーメンスな音が東京駅に響いていたことを懐かしく思い出す。N7編成等は機器更新をしたかと思えば新しいロゴまで貼ったのに、そこから程なくして廃車になってしまったのは残念だった。まあ新しい訳でもなかっただろうから、仕方ないんだけどさ。

 

あさまといえば、長野新幹線といえば、このロゴだった。N編成は保存されることなく全車解体となっている(N1編成もN21編成も)と思うが、こうして生きていた証が生きているのは嬉しいこと。なおN編成は長野新幹線あさま以外では上越新幹線でも運用された(当時J編成も8両だったので、J編成も一緒)ものの、J編成が8両だった際には長野新幹線での運用もあったのに対してN編成は長野新幹線一筋で運用されていた。理由はわからない。ただJ編成とN編成で中間車のトレード等もあったのだけど、それを話すとこの記事が永遠に終わらないので今回は割愛。

何はともあれ、久しぶりに「あさま」に会えてうれしかった。もっとも、特急のあさまとしても活躍していたのであろうN102編成の方が長生きしていたのはそれもそれで面白いけど。※N102編成の車歴については詳しくないので、間違ってたらサーセン

 

さて、長野総合車両センターに入場しよう。当時はNN入場やNN出場を撮っていた私もめでたくNN入場って訳だ。せっかくだから脳みそ機器更新してもらえばよかったのに。

こちらは2000代へと改造中のE257系。元は0代M-112編成、現在は2000代NA-09編成ととして運用されている編成。この編成が2000代への改造第1号となる訳だけど、結局内外装に残工事がある状態で出場したのは有名な話だね。無論この時はそうなるとは思っていなかった。

 

その姿がこちら。出場配給に関しては留学中だったのでまず撮れるわけもなかったのがけど、これはこれで割とアリなのではないかと思っている自分もいる。0代のリバイバル塗装ならE653系K71編成よろしく可能性はあるかもしれないが、この塗装のリバイバルはないだろうなあ。この写真の撮影は令和2年9月なので、その時の話も当時の写真と共にいずれできたらと思う。

 

なお先ほどの写真は再改造のために長野総合車両センターに入場するときの写真だった。2000代の改造のうち長野総合車両センターでのものはM-102編成=現NA-02編成で一応終わったのだけど、その1か月後にNA-09編成が出場した。最初に出場して最後に出場した編成、そういう意味でも0代→2000代の改造は面白いものだった。

まあ、外観としてはせっかく側面の塗装もされたのに面縦してどうするって話だけどね。この時に見えていた同業さんのせいではなく、まったり撮りたいという私のせいだけど(笑)。なので本当にこの時の同業さんは何も悪くない。悪いのは、このエピソードを自虐として話したときにバカだなんだと抜かしてきた恐怖・横取り10万円男(妄想の人物です)。結局面縦ですかい。そんなオチだと思った。

 

話がかなり脱線していたので、とりあえずM-112編成に話を戻そう。

段ボールわろた。まだこの時の11号車はM-112編成だったほか、他の車両に関しても2000代への改造を匂わせるものがなかった。M-107編成が平成30年6月に入場したにもかかわらず0代として出場し、同年8月に入場したM-111編成も(中略)し、このM-112編成も当時は動きがわからなかった。懐かしいな、もう(執筆日の時点で)既に6年以上も前のことだ。

 

入場中のN334編成

こちらも同じく入場中の211系N334編成。かつて幕張車両センターに所属し、5両編成のローカルとして活躍した経歴もある編成。まさか幼少期に乗った房総ローカルが211系ばかりで113系がこなーいなんて思っていた私が、211系の転属先でまたお世話になる日が来るなんてね。名古屋に住んでいた時だって中津川まで行けば見られた訳で。長野ローカルに転用される編成とまさか普通に千葉県で会ってたなんてな…。もうそのネタやめなよ(笑)。

 

こっちも段ボール。先ほどのM-112編成のクハE256を後ろから見た図となる。M-112編成、私が甲府に引っ越す時に乗った思い出の編成だったなあ。あの時に心細かったのも今は昔、この記事が出る頃には7年以上前のことになっているのだろう。当時のスーパーあずさ23号を人身事故の遅れで乗り逃がして、結局後続のかいじ115号に乗ったんだった。E353系に乗ってみたかった私としては複雑だったが、しかし新宿駅では高校生時代からのヲタク2名がそれぞれ見送りに来てくれて、それが何よりもの救いだったと思っている。

 

185系もいました。こちらは平成30年9月に自走で廃車回送されてきたB4編成(だったと思う)。B4って言われるとレガシィが出てくるなんて、当時の私は思ってもいないだろう。スバル・三菱・マツダは何かこう人を引き付ける魅力のある車を作っていると思う。185系関係ないでしょそれ。もー。気まずいので千葉県警レガシィの覆面でも撮ろうかな(笑)。何のための捜査車両だと思ってるんだよおお!!!!!!!!!

そうそう、この185系には乗車可能だったんだ。せっかくなのでご同行いただいていたヲタク氏と乗っていこうではねーですか。

方向幕設定機というか駅名対照表。快速甲府・快速横川・快速宇都宮等の香ばしい表示があって沸いたような。185系みたいな車両で有料かつ全席指定の快速を各線区で走らせるのも悪くはないと思うんだけど、まあでも非現実的かね。総武快速で仮定してみよう。東京発の千葉行として、停車駅は錦糸町船橋津田沼・千葉みたいな。成田エクスプレスしおさいよりは廉価かつ普通の快速よりは速く、快速グリーンとは違って全席指定で600円の5~6両みたいな。無理か。うん、普通にダメそう。

 

B4編成の運転台。私も幼少期は電車の運転士に憧れた側で、いつかここに座って仕事をする世界線があればと今でも思わないことではない。それこそE4系Maxの運転士も夢だったし。しかしこの年(執筆日の私さんは25ちゃい)になると、鉄道利用客の8割がうんこだと理解している訳でもある。きっと駅員時代に心を病むか客を殴って捕まるかでその夢は玉砕していたことだろう。何が言いたいかって、鉄道利用客なんてクソしかいねんだよ。

 

非営業列車だからこそできること、それはおふざけ。無論不法行為は絶対にいくないが、とりあえず非常ボタンでも押してみましょう。クハ1両での展示なので作動する訳もない上に、長野総合車両センターの職員の方に押してみてもいいかと伺ったところ「どうぞどうぞ!こんな機会でないと押せないですから。」というお許しもいただいている。無論ふざけて押しても電車は停まらない。今後、モノホンの非常ボタンを押す事態に遭遇しなければいいなと思う。この他のおふざけとしては、「国鉄車掌×クソ客」というありえない組合せでの車内改札ごっこ(with同行ヲタク)というのもあった。無論中央特急のクソ客共への皮肉をこめてのものだ。おいこるぁ!特急券持ってんのかコルルァ!こち亀中川圭一巡査が壊れた時のノリでやった。クソ客全員死ねばいいのになって思ったけど、半分ぐらいもう死んでるんだっけ。ご冥福をお祈りいたしません。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/C/ComExp2133/20241005/20241005025610.jpg

いつかの前の記事とも被ってしまうのがアレだけど、そんなB4編成と武蔵野線車両に改造中のE231系

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/C/ComExp2133/20241005/20241005025619.jpg

115系訓練車と元八高線205系と入換車。115系は多分もういないけど、205系はもしかしたら富士急に再就職(再々就職かも)した編成かもしれない。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/C/ComExp2133/20241005/20241005025630.jpg

未だに解体されず、253系0代の原形を残しているクロ253-1。どうせなら第二の鉄道博物館でも作って、こういう「後世に遺すべき車両」を保存しておけばいいのになあと思う。まあ金もかかるから難しいってのは言われなくともわかるが。執筆日時点ではどうなるかわからないけど、E217系もせめてこのような形でもいいので1両でいいから残ってほしい。

 

こちらはE351系パンタグラフ。恐らくは長野総合車両センターの職員さんの教材として残っていたんだろう。翌年はなかった気もするけど。

 

E257系のパンタグラフ。PS36形っていうみたいです。PSって2文字で口でフットサイレンを鳴らすキッショい警察マニアの皆さんはお亡くなりになりました。これも今はあるのかどうか不明。

 

EF63 19

長野総合車両センターに今も放置もとい保存されているEF63形機関車も当時は健在。別に執筆日の時点で解体されたなんて話は聞いたことないけど。私さん(平成11年式)が生まれる前に「横軽」での補機としての任務を終えた機関車が当時こうして残っていたのはエモいものがある。今でもこうしてその姿があるのであれば、電源を入れて起動したら走れそう…だけど、30年近くこの状態の機関車だと流石に無理かもね。もし信越線の横川~軽井沢が廃止になっていなかったら、211系+EF63みたいな光景を今でも見ることができたんだろうか。

 

庫内での展示から1枚。同年9月に自走で長野総合車両センターに回送されていた485系「ゆう」とE353系の並びという、ありそうな訳もない並びを撮ることができた。ゆうは結局この後に全車解体となっていて、これもこの時だからこそ撮れた写真だと思う。

 

車両部品販売において売られていたEF81形137号機の車番プレート。30万の買い物なんて当時大学生の私ができるわけもないので、まあ買えたわけもない。しかしかつて寝台特急あけぼのでお世話になった青森車両センターのEF81形137号機にこうして再会できたことは、嬉しいことだった。秋田総合車両センターに廃車回送された同機はもう解体されてしまっていてもおかしくはない。実際にこの写真を撮る1か月前に秋田総合車両センターにいるところは見ていたけれど。

 

ああこれだ!と思ったらこれは136号機ですた。この1年前のあけぼのが137号機だった。

 

同じく展示されていたバス。

 

国鉄の字だけでもうエモい。バスだから(?)これは客寄せパンダとして残していた車なんだろうか。私は普通自動車免許しかないのでアレだけど、こういうデカい車を運転しているバスの運転士さんってすごいなあと思う。バスの発進妨害の違反点数、もう少し重くならないもんですかね。

 

当時は京葉線のワインレッドで残っていた訓練機械の205系。運転席乗車だったり車内放送だったり、その辺も当時は可能だった。幕回しで遊んだっけか。翌年は信州色になっていたのも懐かしい。

 

E351系が生きていた証といってもいいだろう。保存されずに全車解体となったのは残念だったけれど、こうして後世に遺っていくことだろうと思いたい。

 

115系保存されてる!と言いたいが、正体は実は生首として解体を免れた後に信州色となり保存されている113系。確かS62編成だったっけか。この時は車内に入ることもできた思い出。

 

さて、長野総合車両センターの一般公開の話はここまで。過去記事との重複もあるかと思うので、それに関しては以下の記事へのお乗り換えをいただけたらと思う。

comexp2133.hatenablog.com

こちらです。

 

 

で、今回はその記事での未公開写真を中心に書いていきます。まあそろそろ終わるけど。

T14編成とS101編成。ただの被りで何バルブしてるんだと言われたらそこまでかもしれない。しかしE233系0代のうち中央快速線のものはグリーン車組込みが始まっていて、この記事が出る頃は間違いなく12両になっている。このT14編成もそうで、12両になったらこの写真も撮れないことだろう。当時は何も考えていなかったが、改めてこのような日常の記録は大切なんだなあと思った。

 

 

以上、長野総合車両センターの一般公開(平成30年)の未公開写真とオマケという形だったですけれども、この記事はここで終わりです。続きはJR東日本公式アプリからはお読みいただけません。

 

撮影(訪問) 平成30年10月13日

執筆 令和6年11月30日

img { pointer-events: none; -webkit-touch-callout:none; -webkit-user-select:none; -moz-touch-callout:none; -moz-user-select:none; touch-callout:none; user-select:none; }