皆さんこんにちは。今月からスタートした平成31年の過去画キャンペーンとして、その頃の写真の再掲をさせていただきます。そんなキャンペーン打ったことないけど。
ただ平成31年以降のものに関しては原版を見つけて再現像しているものもありますので、そこもひっくるめてお楽しみいただけたら幸いです。それでは本日もよろしくお願いいたします。スリーツーワンゴー!


甲府を13時半に出るかいじ112号、この日はM-101編成が充当されていた。2連続で表示負けとなるともうこちらも英文で記事を書くのが面倒になるが、当シリーズで以前も書いた通りcutの意味もわからない同期よりはマシだろう。C,U and Tなんだけど(笑)。それいったらこの写真はK,A,I,J&Iか。うるせえなお前は。
ご存じの方も多いかと思うが、このM-101編成は3月の改正で運用を離脱した後に塩尻大門にて1年近く放置された後に、0代のうち2000代ないし5000代への改造を目的とした場合に限ると唯一EF64牽引で配給輸送された0代となった。

537Mって小淵沢行だったっけ。多分そうだと思うんだけど。私は甲府を離れて4年以上経つ今でも211系各編成の特徴を把握できていないが、実は長野の211系にあっては6両の0代・2000代と3両の1000代・3000代共に沼が深い。諏訪湖もビックリ!いや諏訪湖は湖なので沼ではないんだけど。

さて、この写真は本来であればボツなのだけど、私が現認した中ではS209編成初の営業運転だったので記念カキコって奴だ。無論松本所属の車両なのでこの15Mそれ自体は初の客扱いではないはず。
これまで平成31年春改正までのE353系は「スーパーあずさ担当(E353系後継、平成29年12月または同30年3月から運用開始)」と「あずさ・かいじ担当(7月から運用開始)」の2つに運用が分かれていたと書いて来たが、この日はどういう訳かその法則を覆してこのような運用が組まれていた。もっとも、今となっては中央線特急の主力であるE353系の運用が分かれていたなんてこと自体がもう昔話になりかねないのは、それはそれで何とも言えないけどね。

ケツを切ってしまったが、先ほどの一環なのか、これまでS204編成と組んでスーパーあずさ担当だったはずのS104編成が単独であずさ・かいじ担当に鞍替えしていた写真も撮っていたみたい。E351系やE257系みたいにヘッドマークがないので、ぶっちゃけ見る人が見ないとってのはあるんだけどね(笑)。
こういう時に「オレ何でも知ってるから舎弟のお前に負けないアピール」で必死のキョロ充がどのようなリアクションをするのかについては気になる(笑)。まあそいつと繋がる前だったけどね、この時。※その方は既に棺桶に収まりました。ジャストフィット!
この当時のあずさ16号は甲府以東はオーソドックス(途中の停車駅は八王子と立川)な停車駅、甲府以西は下諏訪や富士見に韮崎といった停車駅にも停まる、停車型のあずさだった。
同日、バイトを終えたその足で甲府駅に退勤特急ペダル号(普通の人が自転車と表現するアレ)で再度突撃。既に185系はまかいじ号の運転はなかったが、その代替でE257系が使用されていた(新宿行なので横浜線に入線はしていない)ので、バイトで撮れなかった分はその返しでも撮ろうというノリでやったぜ。

肝心の82号は撮ったことがないらしい。ダメみたいですね…。
八王子以西は上り9056Mはまかいじ号と同等のダイヤで運転されていたあずさ82号は早い話はまかいじみたいな感じで、甲府16時半発のあずさ24号(当時。甲府から八王子までノンストップ)の続行で運転されていた。

下り回送で到着したS115編成。定期特急は甲府到着場面において基本的に下り本線の1番線に到着するので、この3番線ホームに新宿方から到着するのはレア。まあこれ回送だけど。何の回送だったのかな。甲府停泊の運用だとは思うんだけど、目撃がある訳でもないから詳細は不明。
E353系が平成30年7月にあずさ・かいじ運用の一部に充当されるようになってから落成した車両だが、既にこの頃はS115編成も運用に就いていたんだね。S116編成が尾久、S119編成が幕張などで一部編成が疎開していたのとは対照的。

甲府から先の最終特急であるあずさ35号も撮影していた。以前も書いたがこの時は11両なのが羨ましい。現在のあずさ55号(当時の35号にあたる)が12両で運行できないのは運用の都合もあるのだろうけど、もし山梨市駅関係ならこの頃の特急あずさ10号みたいに山梨市だけ通過でもいい気はする。
それはさておき、本当であれば石和で撮った方がいい列車なのはわかっているのだけど、82号返却と掛け持ちしたくて甲府でいいやってなっていたのだろう。意識が低いなあ。
翌日。485系TG01編成「宴」が回送で下ってくる。原版があれば切りなおしたいが、戒めの意を込めて当時の写真のまま公開する。悔い改めたい。

宴はその名の通り車内で宴会ができるお座敷列車で、私が乗ったのはこの半年と少ししてから長野総合車両センターで最後の展示を行っている時だけだったのが残念。もう少し早く生まれていたらお座敷列車で酒盛りなんてしてみたかったが、写真があるだけまあ多少はね?ということでいいのだろうか。

原版ありました~!MIU404第8話の刑事みたいな言い方すんなよw
この写真を撮った時もAIというものは知ってこそいたけど、こうして標識まで消してくれる時代が来るとは思わなかったよね。もちろんAI頼りではなく、自らの腕を磨いて研鑽に研鑽を重ねなければいけないというのはわかっているけど。
それはそうと、今思えばジョイフルトレインという形で485系が生き残っていた平成後期って本当にいい時代だったんだと思ってしまう。それはきっと同じ年数が経った頃、今に対して同じことを思うのだろう。今できる記録を消して疎かにせず、できる範囲でできる記録をしていきたいものだ。

面潰れになるのは承知の上であずさ20号を回収。編成は上記2編成。今になって思ったのだけど、この2月の下旬から台湾に短期留学することになる私は既にこの頃が付属編成最後の撮影となっていた可能性も高い訳か。帰ってきたのは3月末だったからね。まあそれ言ったら基本編成だって定期運用で撮るのは既にあと何回だって話になるんだけどさ。

影が酷い(笑)。ちょっと(笑)。これなら撮れる場所他にあんだろって話なんだよね。ただ恐らくバイトがあったからこれで撤退していたって言い訳しておこうと思う。満身創痍だったイメージの強いM-101編成は翌月に運用を離脱した後に、塩尻大門に疎開した後に令和2年2月まで放置されることになった。

高尾行に乗れていたら今度こそ石和温泉でバルブしたかったんだけど間に合わなかった、って当時の私が申しておりました。残念だね~。確かバイトで残業が発生していたんだっけ。まあもうどうでもいい。当時のE257系あずさ・かいじ運用は都内でのライナー運用が絡んでいるものが多かったので、恐らくこの運用もそうだったんだろうと思う。
今でこそグリーン車に取って代わられたライナーだが、そのせいで甲府・松本方面の特急が混むのはなあと甲府に住んでいたら思っていたことだろう。大月まで敢えてグリーン車で移動して酒を飲んでローカルで帰るのも悪い話ではないとはいえ。

同日撮影の441MはN604編成で運転されていた。そこで撮ると標識が被るんだけどもう少し頭を使ってもらえませんかね。高尾発長野行という当時の甲信地区でもかなりの距離を走る列車で、18きっぷシーズンには特に人気だったイメージだが、それはあくまでもN604編成をはじめロングシートの0代が充当された時だけの話。ロングでもそこまで211系が苦行ではなかったと思うけどなあ。

N302編成の小淵沢行?と思われるのも撮っていた。この編成は211系3000代で、一時期は幕張にも所属していた経歴のある編成(元マリ405編成)。その頃の写真があれば無双できたのだけど、流石にない。
房総ローカルを私が小学生の頃に使おうとするとなぜかいつも211系ばかりで113系や209系が全く来なかった上に、一度館山→千葉でローカルに乗った時も211系でちょっとがっかりしていたのが懐かしい。結局寝てたからいいんだけど。その後に行った地元の夏祭りがクソだったというめちゃくちゃいらない記憶はもうどうでもいい。

甲府駅に当時貼ってあった乗車位置案内。色分けに加えて定期列車のものについては全てこうして行先まで含めて案内してくれるという優しい世界。確かに9両なのに10号車~12号車が存在したり、先頭が3号車や4号車だったりと初見殺しであることは事実だもんね。
ただ、このような鉄道会社の社員の皆さんのお気遣いは一定数の人間には見えないようになっているというデータもある(要出典)。特に中央線特急においてはそれが顕著だった。