ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

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平成30年4月の中央線撮影記。E351系・189系ラストランの副産物。185系はまかいじ、E257系0番台、211系、313系、373系、EH200、215系回送。

皆さんこんにちは。これまでこれまで平成30年過去画シリーズのうち3回連続で4月5月のものをお届けさせていただきました。そこから、初回で書いた通りそこから零れ落ちていたものを今回は書かせていただきます。一昨日・昨日の記事と重複する点もありますあります、そこは本当にセンセンシャル。飛ばして、どうぞ(適当)

 

9450M 団体専用列車 S23+S3

これは既に載せているがせっかくだから多少はね。この日の目的はE351系ラストランで、私が初めて乗車したS23+S3編成ペアが充当されていた。E351系は基本的に組成ぺが変わることはなかったと聞いているが、例外もあったみたい。あと1年いてくれたらもう少し撮れたのだろうと思いつつ、その場合はE257系の転用改造を見届けることはできなかった可能性が高いので何とも言えない。

 

9065Mだっけ 特急はまかいじ B3

してさっきの写真を撮る少し前に踏切を撮ったらあらビックリ!185系はまかいじ号が背景に写っていたではありませんか!もう少し歩けばちゃんと撮れていたんだよなあ。ちゃんと撮影地の精査もできないなんて…。みっともない撮り鉄ですよ、ハッキリ言って。

 

3003M 特急かいじ103号 M-111

次。M52編成ラストランに際して今となってはかれこれ114,514年訪れていない撮影地で中央線・身延線を撮っていたみたい。流石に団臨かつラストランということで*1そこそこの人出だったが、お目当てが来るまで談笑して平和だった気がする。

して、こちらはM-111編成のかいじ103号。既に終着の甲府が近いので回送表示になっている。平成30年度の記事を書きなおして思ったのは、E353系に定期列車が統一されてからはヘッドマークのない同系で同じようなことが全くなかったのでかいじ表示ガチャが懐かしいということだろうか。

 

533M 多分小淵沢行 N608

次、確かこの時間帯のローカルは小淵沢行と思われる。確か甲府で後続の特急あずさ13号の待ち合わせをするはずで、3番線に到着だった気がする。この当時のダイヤにはあんまり詳しくないからアレだけど。これから4年間たくさん撮ることになる211系、当時はE231系の転用との噂が専らだったけど、結果としてその計画はトケたとみて差し支えなさそう。記事公開までにはタイムラグがあるので皆さんにお読みいただく時には既に後継車両の話が出ているのかもしれない。

 

特発やら標識やらが被ってしまったが、JR東海313系と並走してきた。いや別に金手停車中の電車を追い抜いているだけだから別に並走ではないのか。313系3000代はそこまで古くないように見えて313系の中では初期の車両だが、JR東海の財力を考えればそう遠くないうちに後継車が導入されて置換えられてしまうのかもしれない。それが果たして新形式なのかどうかはまだわからないが、まずは383系の置換えが急務なのではないだろうか。

 

ワンマン甲府 V4

カッツカツ~(笑)。ちゃんとしてくださいよもう。シラフでこれだから救いようがない。いや当時18ちゃいだから酒飲んでたらやばいんだけど。身延線のうち甲府エリアはローカルが313系、特急が373系、時折検測でキヤぐらいしか撮れないと言われてしまうとそこまでになるが、それでももう少し撮りに行っていればと後悔している。撮影地なんて探せばいくらでもある。まあ当時まだ免許持ってなかったから電車・バスに頼るか快速ペダルライナー(世間一般でいう自転車)に頼るしかなかった訳だけど。

 

多分普通甲府行 N327+3両

甲府行と思われるローカルで、前3両はN327編成で、元々高崎にいた編成を転用した編成。なんかN327編成ってやたらとこのブログの記事で登場する気がするのだけど、そこまで書いていざ記事内を照会してみたらそこまで登場していなかった。なんだそのオチは…たまげたなぁ…。

私に対して私がそこまで興味のないアイドルのイベントをゴリ押しして、私が寝坊して行けなかったって時にそんなオチだと思ったなんて暴言を吐かれるのはまだまだずっと先のこととなる。あれと繋がっていたのは悪夢のような3年間だった。平気で私の見えるところで私の悪口を書く、いわばまさに私を貶めようとするその努力は認めます。ええと、会社の愚痴をスクショして人事にTELしましょうか(笑)しないよ、しないから安心せい(笑)

 

4008M 特急ふじかわ8号 F4

ふじかわ8号もよく撮ったなあ、別に号数表示はないからどれ撮ってもってところだけど。まだこの時点では乗ったことがなかった373系、いざ乗ったら普通に快適だった。明るい時間帯に乗ることも翌年以降何回かあったが、そこで身延線の風光明媚な魅力、そして特急ふじかわが大雨で増水した富士川の水流より遅いというギャグを目にすることになることを当時の私は知らない。

 

貨物 EH200-19牽引

13時前の貨物列車、この時は19号機の担当だった。これを撮ると昼を実感したものだった。いやそうだっけ?ちゃんと覚えていないというのが実のところだ。土休日で仕方ないとはいえ短いのがなあ…。あと全体的にこの頃の写真って今以上に下手。恥ずかしくないのかね、って言われそう。この頃まだ繋がっていなかった、どっかのびゅう高崎あたりに。俺に「直接的に」何かしたわけでもないのにブロックされたというなら「間接的には」何かしていたんだね。鍵垢の内通者にもっとスクショもらえばよかったなあ。

ちなみにEH200がホームに入ってくるとその爆音に耳を塞ぐ客も時折散見されるが、機関室内は別にそこまでうるさくないという。居酒屋にいたJDがそう言ってた。

 

537M 普通松本 N612

続いて松本行だったような気がするN612編成。いやどうだっけ、甲府だったっけ。当時と今ではローカルの事情も異なるのでわからない。この頃は現在と比べて塩山~大月の本数が若干多かったが、令和4年に減便されることとなる。N612編成、というか長野車6両は元東海道線の車両で田町所属だった車両(一時的に東京総合車両センターに書類上転属)。

この編成かはわからないし今はもうない可能性もあるが、元田町車のいずれかの編成のお手洗いには令和2年の時点で「田町車両センター」の文言が入るステッカーが残っていたはず。この日は211系保存会(笑)が結成されるまであと2年といったところか。ちょっと男子ィ~もうそのネタやめてあげなよ~。

 

3005M 特急かいじ105号 M-110

続いてのかいじ号も回送表示だが仕方がない。そんなことよりもLEDを切っているのがアレ。211系を撮った時にシャッタースピードをかち上げて撮ったまんま撮ったんだろうね。マヌケだ。こりゃLEDイキリブン流し小僧が飽きもせずにまた自慢を始めてしまいそうである。この頃は転生を繰り返すうちに縁を切れていて快適だったが、後に見つかることになるのはずっと後のことだ。大丈夫、そいつを外したグルチャなんて存在しなかったから(笑)。

してM-110編成はこのおよそ2か月後に定期運用を終えて一度尾久に疎開するが、8月に突如運用に復帰して1か月程運用された。これは先述のM-111編成が検査入場で車両が足りなくなるためのもの、いわばまさに代車である。

 

539M 普通小淵沢? N601

なんか写真の出来が怪しいなぁ…。申し訳ないがこれはNG、といいつつ自戒の念も込めて記事にすることで似たような写真を撮らぬよう反省していきたい(戒め)。N601編成が211系最初の車両であることは書くまでもないが、特徴は右上の日焼け(長野方クハ)が挙げられる。

 

ワンマン甲府 V9

V9編成の甲府行。実は一昨年あたりに313系3000代・3100代静岡車の全14編成を記録した記事を書いていてV9編成だけどうしても写真がなかったのだが(4年間何してたんだ?)、これで14編成全ての写真があることが判明。やったね。

 

回9593M 回送 NL-2

この写真は当時の記事でも貼っていたらしい。こちらは当時冬季を除く土休日に運行されていたホリデー快速ビューやまなし(以下ビューやま)関連の定期回送。いやビューやまは定期列車ではないから定期回送ではないのか。

当時のビューやまの運用については書くと、新宿から小淵沢まで運行されていた下りビューやまは一旦富士見に回送、折返して酒折に回送、折返してまた富士見に回送(韮崎での待避もあったらしい?)、更に折返してようやく上りビューやまに充当されるというなかなか珍しい運用を組んでいた。新宿から先の入出庫運用に関しては専門外なのでごめんなさい。何はともあれどのような都合でそうなっていたのかは不明ながらも、たらいまわしとか卓球とかバドミントンとか、そんな言葉が脳裏に浮かぶ運用だった。

 

70M 特急あずさ20号 M-201+基本編成

およそ1時間後、今度はM52編成ラストランの復路を撮ろうと思う。これはその露払い列車であるあずさ20号。いや露払い的な意味合いなんて一切ないただの定期列車だけどさ。表示勝ちに加えてフル点灯ハイビームは嬉しい。

この時間帯に金手で撮ると面の光線が終わっていることになるのは承知の上だけど、まあ仕方ないね。塩山ストレートで撮っていた方がいいのだろうけれど、この年の1月に何かトラブルがあったばかりだし。あれ?もうその頃には縁を切っていたKTKGN先輩がなんかお気持ち表明していた記憶があるけどなんでだろう。その界隈の似たような奴が撮りに行ってたんだっけ。覚えていないということはつまりその程度ってことだ。何はともあれ合わせて土とか水とか畳とか汚さずに死ね。このカルト信者の反日が。意味のない存在だよ、全く。※KTKGN先輩はお亡くなりになっています

 

ワンマン富士 V6

V6編成の富士行。313系はまだいるとはいえ、運用範囲外の千葉県に帰った今、もっと撮っておきたかったと思ってしまう。何ならJR東海お膝元である愛知県名古屋市に住んでいた時、ほとんど撮れなかったからね。いやしっかりして(笑)。なんかそれを思うと、名古屋市民だったことさえ既に昔のことのように感じるのに、これを撮ったのはそれよりも更に前である訳で、人生あっという間だなと思ってしまう。

 

9812M 団体 M52

して本命のM52編成が来ましたが、タイフォンパッカーン。往路は何故か直前でカバーが直っただけマシか。これ以降私が同編成を撮ることは一切なかった。後継は皆さんご存じの通りE257系500代の豊田常駐3編成。あれ?翌年からあの3編成にはそれぞれNB-10編成が赤、NB-11編成が灰色、NB-12編成が緑といった具合でそれぞれロゴ等に変更があったけど、あの3色ってもしかしてM52編成リスペクトでやってたんだろうか。あいにく私に内部情報を教えてくれる「俺のダチ」はいないので知る由もない。

なおこの時だが、JR東海南甲府駅の駅員さん方が横断幕をお持ちの上でお見送りにいらしていた。M52編成がかつて大宮所属波動用車両のH102編成だった時代にムーンライトながらでの入線経験がある(当然静岡支社管内も通っている)こと等、JR東日本の車両ではありつつもJR東海とご縁がない訳ではないからではないかと思う。今では信じられない方もいらっしゃるかもしれないが、JR東海といえばとにかくお堅いイメージが当時強かっただけに新鮮さと温かみを感じて、なんかH102編成・M52編成時代共にさほどご縁のなかった私まで温かい気持ちになったものだった。

 

思えば私が中学生の頃は183系・189系485系といった国鉄型車両の波動輸送最盛期で、親に買ってもらった商業誌の「鉄道ファン」では大宮でムーンライトえちご485系と波動運用の183系が並んだという読者の方(私からしたら大先輩ですよね)の投稿もあったっけ。元々本を読むのが好きだった私だが、こうしてブログを書こうと思えた原点は鉄道雑誌でありブログやサイトに投稿をされていた大先輩の皆さまあってなのかなとふと思った。そうか、あの頃の波動用183系・189系の残党がM52編成だったんだな。10両の183系や189系なんてのも撮ってみたかったが、もう後の祭りである。

 

 

ちょっと待って、E353系の写真なんでないんだ…?ダメみたいですね。

*1:M52編成の本当のラストランは後日施行された廃車回送

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