皆さんこんにちは。昨日公開の記事の続きとして、引き続き平成30年春の思い出を書いていきます。スマホ写真中心なのはごめんなさい。すみません。それでは本題に参ります。今回は弘前から戻ってくるE2系の話からです。一応昨日の記事と多少は関連しているかもしれないし、そうでもないかもしれません。

ちゃんと撮ってもらえませんかね。これはもう将来が心配になる写真である。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁああああ!!!もはや俺が某氏そんなんじゃ困るんだよなbotになりつつあるのがアレ。まあね、こうしていじられている以上は向こうも言いたいことはあるのだろうけど、だったら詫び入れて金返せって話になるので何も言えないのだろう。どんまい(笑)
この時に盛岡から乗っていったのはJ69編成だった。200系K25編成が脱線した時に中国の命令を受けたマスコミ各社がヒスってプギャーってなっていたことがあったが、あの編成の代替として製造された編成でもある。最後はディズニーラッピングをしていたが、あれは普通にオシャンティーでよかった。

こんな感じ…って全然わからないじゃねえかよ(笑)。J69編成はこの写真が最後のものとなり、2か月後に引退して新潟に回送、既に解体されてしまった。200系の後継として一大勢力を築いたE2系も今や新青森開業に際して増備された1000代後期車6編成のみ。寂しいものだ。まだ記事のメインである平成30年なら1000代は全車現役、0代が風前の灯火だったというのに。ふつくしい音色で全国114,514億人の音鉄を魅了した日立GTOを搭載した編成も3本(J8,J11,J13編成)が残っていた。
一応こんな感じ。いいですね。ディズニーは私みたいな陰キャでも楽しめる、いわばまさに夢の国と呼ぶにふさわしい場所だと思う。まあ高3以来行ってないけど…。行く相手がいないしね。
閑話休題。時間軸を平成30年に戻そう。

もう少し写真は撮っているのではないかと思いつつ、この時に使用していたTwitterアカウントは一切現存しないので詳細はわからない。既にE3系R編成がこまち号としての運用は終えているせいかその表記が一切ないのが悲しいが、E2系の表記が「はやて号・やまびこ号」として残っているのはなんか嬉しかったことを覚えている。もう盛岡で乗換えてE2系に乗ることもないかと思うとなんか寂しくなるね。いや臨時で入る可能性はあるけど。

佐倉の実家に一泊した後に朝一番のスーパーあずさで甲府に戻ってそのまま大学に登校していた。いや当時の俺まじめすぎ(笑)。この頃の私は学部3年の私がオンライン授業をサボって彼女と電話したり買い物に行ったついでに電車を撮ったりしているなんて思いもしないことだろう。あーはいはい彼女なんていませーんでーした。もうこのネタを出すとイキリ流しマウンティング小僧と横取り10万円漢(お相手さんBOT)がうるせえから無限にいじれるのが面白い(笑)。安心してほしい、これから少なくとも4年分以上の過去画においても沢山いじっていく予定だし当面止める気はない。

編成は恐らくS104+S204編成だったような気がするが、記憶は定かではない。このペアはスーパーあずさ廃止まで先代E351系同様に基本的に組成変更をせずに運転されていた。このペアというか、E351系が引退した時点でスーパーあずさ運用に充当されていた編成は全てそうだった。無論過去にも取り上げたように、イレギュラーはあったけど。なお同編成は少なくとも前回の記事において書いたように、甲府から立川のスーパーあずさ36号(現あずさ60号)自由席に乗っていた(確かS204編成の3号車)。思えばE353系を崇めるのはこの時がトリガーだったのかもしれない。
※後日追記 S106+S201編成ペアでした。

甲府に戻ってからの1枚。こちらは信玄アイスだったかな、甲斐善光寺を訪れた際に食べていた写真だと思う。

それと前後して撮ったNB-07編成の臨時かいじ197号がこちら。まあもう回送表示になっていたけどね。ゴールデンウィークということで臨時列車も多数運転されていた。このかいじ197号は最繁忙期のみの運転で、14時ちょうどに新宿を出る当時のスーパーあずさ19号の2分後を走る列車だった。189系で運転された実績もあるみたいだけど、あんまり運転されなかった印象の列車。既に豊田常駐のE257系500代もいたが、当時は余剰気味だった房総特急向け500代のうちNB-07編成が来ていた。多客期のアルバイトって訳だ。つまり、僕アルバイトォォォ!!!って訳だ。※元バイトの分際でエキセンで社員を気取るバカとは無関係
せっかくなので少し時間軸を戻してみよう(提案)。

この日の撮影はN102編成の回送から始めていた。確か前日に回送を一人で撮ったんだっけ、して新宿からは快速ムーンライト信州に充当されてたはず。折返し回送となり新宿からの臨時あずさ号に充当されることとなる。既にオタクホイホイだった上に私も無論その一員だったのでは偉そうなことは言えないが、シャツインした小学生が八王子から乗ってきて車内改札から逃げ回るよりはマシだと勝手に自己正当化している。人間性が透けて見えるぜ。どうせなら189系送込みを利用した臨時特急でも運転しておけば金になった気もする。いろんな意味でムリだろうけど。

先ほどのNB-07編成は朝のかいじ183号としても利用されていた。富士急方面の臨時快速で豊田常駐が出払っていたのか、その一員で何らかの検査が被っていたのかはわからないが、NB-07編成は平成29年にも代走で中央線特急運用に就いた記憶がある上に現在は2500代NC-32編成に改造されているので、何かしらその辺を紐解けば見えてくるものがあるのかもね。
かいじ183号は朝8時30分に新宿を出る当時のあずさ7号(9両)の後を走る列車で、先行のあずさ7号が途中三鷹(三鷹?!なんて言わないの)、立川、八王子、大月、塩山、山梨市、石和温泉、甲府の順に停まっていた(甲府以西は省略)ことに鑑みると実質的に同列車の増結という解釈もできるかもしれない。勝沼は曜日によるのと記憶にないのでごめん。
かいじ183号自体は都内をはじめ首都圏から山梨へ出かける需要の高い時間帯に運転されていた。この年度も紅葉シーズンを中心に割と運転されていて、車両はE257系500代に限らずE353系での運転ということもあった。なおこの日のかいじ183号は折返し回送となり、先述のかいじ197号に充当される行路だった。あの時のSDカードどこ行ったんだろう。出てきてくれたら更に書けることもあるだろうに。

この撮影地に来たのはこの時が最初だっただろうか。もう覚えていない。昼飯を食べた後にもう一度出撃し、先ほど上っていったN102編成の臨時あずさを撮りに来た。これはその練習電となる訳だが、この色の連結器カバーは後に交換されてしまうので、結果として撮っておいた当時の自分ナイスだ。写真の出来はさておき、だけど。
※何らかの臨時スーパーあずさと混同している可能性あり

211系6両のローカルで、恐らく小淵沢行ではないかと思う。当時と今でダイヤ違うし時刻表引っ張り出してまで調べる時間ないけど。東海道線から来た0代で車内はボックスシートを装備。執筆日の時点で明確な情報は出ていないが、後継はE131系になるのではないかと言われている。6両のそれは見てみたい反面、車内にボックスシートがあるとたまにローカルで山梨に遊びに行った帰りの酒盛りが捗るので嬉しく思う。
※この頃はまだ令和2年に物議を醸した「211系保存会」とやらは結成されていませんでした

今後腐れ縁となることなど何も知らないまま撮影し、何ならLEDを粉砕するというやる気のなさよ。ダメみたいですね…。後続67MのM-101に関しては間違って写真消してるらしいし。無能って書くだけでこの字数だよ。
朝の湘南でも撮れって言われると反論の余地もないが、思えばこの頃は線路際で待ってさえいればあずさ・かいじでE257系0代なんて無限に撮れていたのが大変懐かしく、また美味しく感じる。そりゃまあE257系0代だけで中央線特急が運転されたことなんてないけど、中途半端だの干されていただの言われる覚えはないだろう。現在の東日本特急は大半の線区で車両が統一されているとはいえ、それでもこうして撮っておくことに意味があるのではないかと改めて思った。現に2000代を撮るとしてもこんな効率よく撮れないだろうし。いやあの湘南撮ってから言えってば。

当時お目当てだったN102編成のあずさ号。横軽廃止の2年後に生まれた私が偉そうなことなど言えないが、この色にはあずさよりあさまだろう。とはいえ貴重になった、というか最後の1本になった189系の特急運用なので、こうして撮ることに意味があったと思っている。まあ数週間前のM52編成に比べるとギャラリーはだいぶ少なかったけど、それは撮影地の都合もあるんだろう。あっちはまあラストランだし…。後日189系初乗車を果たすことになるのだが、それについては後に詳細に書いていこうと思う。

一旦善光寺にお参りした後に立ち位置を変えて再び撮影。高校生の頃に善光寺を訪れた際に膀胱が暴行して人としての尊厳を失いそうになっていたこともあったが、結果として人権は失わずに済んだ。おそらくその話はその時にしていると思うので割愛。先ほどの信玄アイスはその際にいただいたものだろう。
してこちらはS106編成とS201編成のスーパーあずさ19号。記憶が正しければ当時の19Mは立川をすっ飛ばして八王子、甲府、茅野、上諏訪のみに停まって松本まで走る爆速便だったと記憶している。今となっては立川飛ばしなんて嘘ダルルォ?!と言われてしまうかもしれないが、当時は飛ばしていたんです。なおこの翌年の改正ではそこから更に上諏訪を差っ引いた爆速便も誕生するが、それはまた別の話。
車両面に話を移すと、以前からも書いてきているのだが、当時のE353系はスーパーあずさ運用のみに充当されていた(定期あずさ・かいじはE257系0代のみ)。E351系の運用をそのまま引き継ぐ形でE351系を追い出しているので、スーパーあずさ廃止・E353系統一まではスーパーあずさ組は基本的に固定編成で運用されていたのが印象的だ。して、この後にNB-07編成のかいじ197号を撮ってから帰宅という流れになっていたはずだ。

前にも上げたかもしれないが、こちらは中央線のローカルが混雑の平準化のために廃止されて特急のみが運転されるようになった世界線。京葉線と真逆の路線を行くスタイル。もう千葉支社いじめるのやめなって(笑)。まじめな話、ユーモアというものが理解できない稚拙なお友達はこの一連の記述を見て顔真っ赤にしている(京葉線のワインレッドかな?)のだろうが、ユーモア欠落症の方はさておき、ただ単にゴールデンウィーク(笑)で臨時特急が増発されていただけ。がまんのウィークではない。

別の日の猫様。私に優しくしてくれた猫様である。甲府市内での撮影だった。猫様が優しくしてくれるのは、その猫様に接してきた人間が猫様に優しくして来ていたからだろう。知らんけどさ。当時以前飼っていた猫様に家族をよろしくと伝えて実家を出て1か月だったので、なんか癒されたのを今でも覚えている。後半に続く。あれ?この記事ってそもそも昨日の記事の続編で分割した記事だったような…。
