皆さんこんにちは。平成31年の過去画、今回は春休みの中京遠征です。後述の台湾短期留学から帰国したばかりというのは私の勝手ですが、台湾回に関しては本命が留学なのでそこまで電車の写真もなく(全くないとは言ってない)、一度公開を見合わせることにしました。
また台湾を訪れた際に過去画も引っ張り出すか、それともあの頃の写真だけで組みなおすか…。台湾も好きだからこそ迷っております。ただし台湾では現地の皆さんに本当によくしていただきました。これは事実ですし、本当に今でも感謝しています。あと高鐵を1駅で降りたやべえ日本人は僕です。すみませんでした。
平成31年3月、私は台湾での短期留学を終えて帰国していた。その数日後、伊勢でのテニスの大会に弘前の従兄弟が出場するので母と共に応援で東海地方を訪れていた。今回は当時の撮影からの写真も一部使う形で旅行記として書いていきたいと思う。

旅は実家から車でn分、成田スカイアクセス線の印旛日本医大からスタート。せっかく成田空港からの移動なのでアクセス特急で行こうかと思って切符を買ったらその高額さに驚愕したのも懐かしい思い出だ。せっかくだから青い3050もちゃんと撮っておけばいいのに。

今度はJALで台北に行ってきます!んな訳あるかい。あんた伊勢に行くって言ってたでしょうが。

当時はクラスJとしてビジネスに乗るにあたって追加料金が1kだったのがよかったなあ。まあ成田→セントレアで乗ると本当にあっという間なんだけどさ。機材はボーイング767-300ERだった。JA610Jに乗った気がしつつ、違ったらサーセン…

人生初名鉄だった。宿は伊勢に取っていたので名駅で降りて近鉄に乗換えるんだけどね。この時はまだ名古屋にご縁があることを知らなかった。結果として名古屋での生活自体は楽しかったと思っている。後悔しているのは名鉄や近鉄にJR等々、もっと色々撮れたのではないかということ。いや大学院生にそんな時間あるかって話にもなるんだろうけどさ。

近鉄特急に乗換えて伊勢を目指していく。12200系で合ってましたっけこれ。近鉄特急ももっと乗って撮って楽しんでみたかった。あの沼を極めたかった。そういえば人生初の近鉄特急はビスタカーでクソ中学の修学旅行だったっけ。あれ以来ビスタカーは乗れてないけど。

私が乗っていたのは恐らくこのク12355。流石に当時は非喫煙者(そりゃ19ちゃいだもの)な上に今も非喫煙者の母も同行していたので無論喫煙席ではなく禁煙席に乗っていた。
そういや当時使っていた安いアンドロイドが壊れて、購入していたチケットレス特急券を使うにあたって詰んだっけなあ。不幸中の幸いだったのは座席を覚えていたことだろうか。私の落ち度とはいえ、近鉄名古屋の駅員の嘲り笑うかのようなジジイは酷い対応だったが、特急に乗務されていた爽やかな車掌さんは誠実に対応してくださって今でも感謝している。現業リスペクトの私に書かれるというのがどういうことかってことだ。

こういうのに弱いヲタクです。近鉄特急も全面禁煙になってしまったのが残念だ。名阪の移動において東海道新幹線と競合するにあたり、喫煙ルームが廃止された新幹線に対しての大きな利点だと喫煙者としては思ったんだけどなあ。
そう言いたいが、今の自分は体調の関係で実質的に禁煙してしまったので、あまり困らないんだけどね。とはいえ列車内で吸うたばこの何がいいかって、夜間の列車で書くなって言われそうではあるけど、車窓を見ながら一服できるのがよかったと思っている。あと喫煙席の場合は酒盛りしながらその場で吸えたのも。

多分伊勢市に着いた時の写真。近鉄特急と言えばこの色のこの顔なんだけど、もうこの色は少なくとも見られないのが残念。いやまあ復刻塗装がない訳でもないんだろうけど。近鉄特急の形式もなんかすっかり頭から抜けているのがよろしくない。
翌日。応援を終えて会場最寄りの駅で名古屋行特急が来るまでの間、少しばかり近鉄特急を撮っていた。こちらはビスタカーの賢島行特急。また伊勢にも行きたいものだ。
ちなみにこの写真をパクった令和4年公開の記事でも似たようなことを書いたが、その10日後ぐらいに単発のバイトで某レンタカー屋の仕事に申し込んだらホンダのGR系フィットで伊勢の店に回送して電車で戻ってくるという実質ご褒美タイムだったことがあった。現行フィットは免許取り立ての際の新潟遠征でも乗っていたが、いい車だと思う。
その時の話は令和4年の過去画回で言及する予定なので、皆さんにお読みいただけるのはまだまだ先のこととなりそうだ。
名古屋行特急に乗ろうとしたらしまかぜが来るという(笑)。しまかぜはずっと乗ってみたいと思っているまま、今も乗れていないままだ。かっこいいし車内も色々と魅力的だし。ひのとりに乗った時も思ったけど、近鉄特急はどれも客の心をがっちりと掴む魅力的な車両が揃っていると思う。

名古屋に戻って名鉄百貨店かどこかのレストラン街にある京都イオリカフェさんに入店。とても美味しかったのでいいだろう。ひつまぶし食いたい。あと矢場とん行きたい。
矢場とんなあ。かつてこの数年後に大学院生だった私が学業とバイトに明け暮れていた時に仕事を辞めた当時の自称友人(笑)が私の家に居候させてくれと願い出てきたことがあった。当時はそんな奴だと思っていなかったので快諾したが、私がいない間に私の知らない人間を家に入れた疑惑もあれば家賃水道光熱費も全て私持ち、挙句の果てに毎日遊び呆けて(遊んでいたことが悪いとは言ってない)いちいちそれを私にLINEで報告してくるという始末。そいつが現地の「ダチ」(笑)と矢場とんに行った報告をしてきた時も本当にイラっとしたもんだった(笑)。今になっても恨みつらみ書かれるなんて某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁ!!! ※そいつはもう死んじゃいました

その某氏BOT(恐怖の横取り10万円漢)はお亡くなりになったので記事に戻る。美味しかったなあ。ピラフのようなものとサラダ。ここの存在は名古屋市民時代も覚えていたが、なかなか行く機会もなかったのが残念だ。せめて他人の、それも学生の家に居候するにあたってせめて2週間いたならその分の家賃や水道光熱費さえ払ってもらえていたら1度ぐらいは行けたかもしれない。いくらって提示しろじゃねえんだよ。いくらかって聞くんだよ、こういう時は。それでよく他人に育ちが悪いなんて言えたな。
書くだけお店にも料理にも失礼か。ごめんなさい。でも本当に美味しくいただきましたよ。

してパスタも食べていたらしい(笑)。食い過ぎだよ。でも美味しかったなあ。いやこれ母の分の写真を撮ったのかな。流石にもう6年も前なので覚えていない。にしても成人してから本当に人生があっという間だ。次の6年が過ぎると私は31ちゃい、どのような人生を歩んでいることだろうか。

デザートのパフェ。おいおい贅沢三昧だなお前(笑)。これも抹茶か何かの味で美味しかったのを覚えている。この1年半後に名古屋に月に2回も3回も通うようになるなんて当時の私が知る由もないのは自明の理だろう。そもそも彼女できると思ってなかったし。大学の同期なんて論外なのしかいなかったしな(笑)。※大学の同期は絡みのあった1名を除いて全員お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。

さて、2つの目的のために尾張一宮を目指そう。もう683系が名古屋に来ることも…いや普通にあるわ。ただ敦賀行にはなっているんだけどね。これは元スノーラビットが種車のあれだろうか。同年9月の関西遠征において乗ったのは覚えている。まあ1本早い新快速に乗るためで、しかも特急券を買ったのにその新快速には間に合わなかったこともあったけどね。
道中の清州かどこかで貨物線を走るEF64形1000代重連の貨物列車を撮影。恐らくは中央西線から来た列車だろうか。この後の尾張一宮での撮影についてはまた当シリーズとしての次回記事でお届けさせていただきたいと思う。

一応予告編で313系の写真も貼っておきますね。これ定期回送だったのかなあ。


