ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

アフィリエイトのアクセストレード

平成30年8月関西遠征後編。223系新快速で行くEF510形500番台撮影記、阪急1300系試運転、3300系、9300系、泉北ライナー12000系のサザン代走。N700系と373系での帰り道。

サムネ用です

昨日投稿した平成30年関西遠征のリブート版記事の後編をお伝えいたします。2日目は223系新快速で北陸本線に突撃して、EF510の貨物を撮るところからスタートです。阪急と南海および帰り道に関しては最終日の3日目となります。それでは行きましょう!スリーツーワンゴー!

 

長浜まで出向くところ。大阪から新快速で1本、便利すぎる。新快速はマジで特急のケツを煽っているようなイメージしかないし、あれはマジで便利だろうと思う。あと223系かっこいいから好き。なんか3.6kで乗り放題のお得な乗車券で移動していた覚えがある。

 

長浜に到着。今はここから数駅行けば北陸新幹線が来ているというのがすごい時代になったものだと思ってしまう。あと新快速(JR西の方)って下手すりゃ特急すらバチバチに煽る訳で、それに乗車券だけで乗れるってのがすごいなあと改めて感心する。久しく乗ってない俺に言われたくないだろうけど。

無論、東海の新快速がどうって訳ではないし過去の論調からして私は東海さんの良さも西日本さんの良さもわかっているつもりであることをご理解いただけたら幸いだけど、尾張だか岐阜だかのこういう関東の人ムリだわキッズ(お亡くなりになりました)みたいなバカには無理か。

そいつはさておき、西の新快速って本当にすごいよなと思う。京葉線なんて令和6年で朝夕の快速の運転中止と通勤快速の廃止で大炎上したってのにね。無論その新快速が運転される背景には競合私鉄とのバチバチな競合関係があるので、関東と一概に比べるのはナンセンスかもしれないが。

 

お目当てのEF510形500代による貨物列車。積載も大変良好で素晴らしい。今思えばこの条件で223系・225系や681系・683系も撮っておきたかった。撮影地が消滅ということはないと思うが、それこそ名古屋からしらさぎで1本なんだからこの数年後の大学院生時代に行っておけよ。バカって書くだけでこの文字数(笑)。しかしまあかっこいい機関車だなあと思う。

もっとも北斗星カシオペアの廃止で売却しなくてもよかったのではないかという気がしなくもないが、しかしそうしたらそうしたでスーパークモヤやGVなんかが生まれることもなかっただろうし、機関車の削減を目標としていたのであれば理屈は通っているので、何が正解かはわからない。

 

撮影を終えて再び新快速で帰る。フォントがかっこいいし、英訳だとスペシャルな快速になるってのもなんかかっこいいと思う。新快速、混雑の平準化の名目で全列車が各駅停車にならないといいですね。なる訳ねえだろ(笑)。そもそも新快速が何で存在しているかってことを考えたら余程耄碌していても新快速廃止ってのはないだろう。

 

大阪で降りた。当時は18ちゃい未成年なのでできないが、22ちゃいの時に新快速車内での飲酒は達成できた。姫路→大阪だったが普通に楽しかった。楽しかったのは飲酒と新快速乗車もだけど、イベントにお誘いいただいたこと、そして仲間と楽しく帰ることができたことである。その話もいずれさせていただけたらと思う。過去画を例外を除くと7~8年差で公開している以上、その話をするのはこのままのペースでいけば令和10年~11年ぐらいになりそうだけど。いや~223系撮りたいな。あとやっぱ乗りたいのもある。

 

串カツを食べてました。当時大学生の割にだいぶお金を使ったなあと思う。まあでもあれか、バイト代出てすぐだからできたのか。串カツ食いて~~~。

 

別の日のラーメン。最終日だったっけ、これ食ったの。めちゃめちゃ美味しかったのは書くまでもないだろう。という訳で最終日の写真を最後に数枚貼って帰路につくこととしよう。大学生の時に家系ラーメンを覚えてしまったけれど、美味しいからしょうがないじゃん。

 

試運転 1307編成

新車の試運転を撮ることができていた。この年と翌年はどういう訳か阪急の試運転にぶち当たることが多かった。コロナ禍以降なかなか行けていないのが残念である。執筆日時点での最後の関西遠征はコロナ禍前のイコラブちゃん握手会。一応お誘いいただいたバスの貸切も入れていいのかとは思うけど、写真についてはここで公開するものはそこまである訳でもないのでなんとも。

あの記事は何回でも振返りたい。私にとってイコラブちゃんとの最後の握手会だったから。いや別に対面お話会でも全然いいんだけどね、直接会って気持ちを伝えられるなら。オンラインお話会については…私のインカメでの映りが悪いのが悩みどころだ。何はともあれ、阪急さんもご無沙汰なのでアレではあるが、いつかまたこの1307編成が営業列車として輝いているところを撮れたらと思う。

 

準急梅田 3327編成

無論試運転以外も撮ってます。3327編成は比較的阪急で遭遇したイメージがあるけど、この翌年に廃車になっていて現存しないとのこと。執筆日の時点で最後に撮ったのが6年前である訳だが、今の阪急を撮りに行ったら色々と違っておったまげることだろう。多分ね。プライベースも気になるし、9300系の後継が出ているのも信じられない。あの頃叩き込んだ知識もだいぶ抜けていると思うので、そういう意味でもリハビリを兼ねて名古屋市民時代に行っておくべきだったのだ。まあ平日学校+バイト、土日はフルでバイトだったような生活じゃ無理か。1年生の春休みはだいぶ稼げたなあ。

 

特急梅田 9310編成

9300系の特急。この時も往路で乗っていたが普通に寝落ちしていた。座席がめちゃくちゃよかった。最近の阪急の事情がなかなか把握できていないので、今年こそは行きたい。社割使えたらいいのにな~。何のことだよ(笑)。阪急行きたいし京阪も行きたいしJRも攻めたいし近鉄も行きたいし夢と希望は無限大。時間に余裕を持たせて近鉄の名阪特急を使ったり、復路でサンライズに乗ったり、そんなのもいいかもしれない。まあ復路でサンライズに乗ったところで酒飲んで現像して仮眠して朝7時には東京って思うと厳しいどころではないけど。

 

特急サザン和歌山市 12121F+9505F

その前に撮っていた南海…と言いたいがこれは当時泉北高速鉄道の泉北ライナー。いや何回線内での撮影ではあるんだよ。でもこれは特急サザン。確か1か月限定でサザンと泉北ライナーの車両を入れ替えていた。南海もまた行きたいんだよなあ。なんかこう京成と似た何かを感じる(個人の感想です)。しかし知識は皆無というね。ダメじゃねえか(笑)。大阪行きたーい。行きたいのに万博で変に混みそうなのがもうね。

この記事を出すのは万博終了後だと思うが、万博終了後にでもまた関西遠征ができたらと思う。といいつつ、万博関連の各種臨時列車は抑えたい気もするので、複雑な気持ち。せめて公害でしかないインバウンドや移民がいなかったらね。

 

 

さて、本来であればこの遠征においては復路も飛行機で帰ることになっていた。しかし8月下旬ということで運悪く台風が当たってしまい、飛行機は欠航。結局払い戻された金を利用して、鉄道経由で帰ることにした。

乗ったのはスモールaのひかり号。私は当時甲府に住んでいたと書いた通りなので、帰り方も色々とある訳だけど、今回は時刻の都合で静岡まで新幹線、静岡から特急ふじかわで帰ることにした。

 

乗っていたのはひかり478号で、これは岡山からの列車。当時の400番台、現行の500番台のひかり号は山陽直通のもので、基本的には静岡や浜松にも停車する便。名古屋在住時は…そこまで使わなかったかも。ごめん。ひかり号の何があれかって、便によってはのぞみ号から逃げ切れる爆速便もあるとはいえジャパンレールパスで乗ってくる外人がいることだよね。

ジャパンレールパス不正利用で捕まった不正乗車常習犯のクソガキはさておき、外人がいるのがね。とはいえ名駅の時点では博多からののぞみ号の5分前の新大阪始発ひかり号に乗った方が早く着く上に、そんなことも知らずに脳死でのぞみを使っているバカと同じ空気を吸わなくていいので、そういう意味ではひかり号も重宝したけれど。

 

静岡の駅名票。この時が初めて静岡で降りた瞬間だったかもしれない。浜松は新幹線を撮るためにギリ中3の時に行ってたけど。この時は重ね重ねマジで非喫煙者だったので関係ないが、数年して成人した私は静岡駅上り新幹線ホームの喫煙所に何度も助けられることとなる。16号車のとこだから端っこどころではなくて、乗換えの時間がかついと吸えなかったけどね。

 

※画像はイメージ

静岡からは甲府行最終のふじかわ13号に乗車。乗継割引(正しくは値引きなんだけどね)がまだあったので指定席ですら半額だったが、乗車率に鑑みたら自由席でもよかったよなあ。まあ自分で稼いだ金だからどうでもいいか(笑)。これで親からの仕送りだったら論外である訳だけど、自分で稼いだ金というのは自由に使えて多少は贅沢をしても全く罪悪感がないのがいいと思った。それは今もそうだけど。しかのこのこのここしたんたん(鹿が列車に衝突)することもなく無事に甲府に着いて帰ることができた。

 

当時は合同の学生寮に住んでいたが、野球部の高校生のガキがいっつもこうして玄関を散らかしていた。また私の部屋のポジションもあり、奴らの騒音でこの数か月後に聴覚過敏と鬱とパニック障害となることを当時の私はまだ知らない。もっとも鬱に関しては大学の連中も関与しているが。結果としてここの寮(親父が勝手に契約した)は年内で退居して一人で別のマンションに引っ越したのだけど、アレもそんなに前なのかと思うと時の流れを感じずにはいられない。引越しに際しては両親が車で来てくれて、当時まだ新車だった実家のAWポロが引越しに際してのトランポとなってくれていた。

その思い出はいつか実車と共にできたらいいだろう。

 

これ以外の同年8月記事に関しては既に別記事を組んでいるので、そちらも併せてお楽しみいただけると幸いだ。悔やまれるのは当時のSDカードが見当たらないこと、そしてその写真で記事を組めないことだ。残念。

img { pointer-events: none; -webkit-touch-callout:none; -webkit-user-select:none; -moz-touch-callout:none; -moz-user-select:none; touch-callout:none; user-select:none; }