ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

アフィリエイトのアクセストレード

中学2年が行く弘前帰省。E2系0番台臨時はやて、701系ローカル、E751系臨時つがる、789系スーパー白鳥と485系白鳥。相鉄9000系とE217系、京成3500形、3050形やAE形等。

中学2年生だった平成25年末、弘前に帰省していた。帰省と言っても母の実家なのであれだけど、肝心の母は仕事の関係で来ていなかったっけか。私単品か妹付属で帰ったんだっけ。寝坊して親父に殴られたのは覚えているが、結局当初乗車予定だった「はやて351号」には乗れず、東京のみどりの窓口にて後続の「はやて355号」を選択。しかし年末の帰省ラッシュとのことで満席となっていて、私が駅員さんに「仙台まで立席、仙台から指定席なんてできたりしますか?」とお尋ねしたところ、それなら取れるとのことで無事に確保していただいた。駅員さんには朝早くからお手数をおかけいたしました。

 

※画像はイメージ

東京を8時台に出る臨時はやて355号で新青森を目指していこう。充当されていたのは日立GTOふつくしい音色で皆を魅了するJ13編成だった。車両自体はE2系0代で既に経年車だったこともあってか、東京→仙台での立席は今思えば地獄だった。ガンガン揺れて普通に酔ったもん(笑)。今思えばいい思い出ではあるんだけどね。

 

仙台を過ぎて無事に着席できた時の写真。年末年始の最繁忙期ですら仙台以北は余裕で座れたのがなんか今になってイラっとしてきた。いや別に今も変わらないけどさ。仙台までの利用ではやぶさ・はやて・こまちに乗る奴ほんときらーい。いやまあそんなの新青森まで利用する私からしたらって話なんだけど、実際仙台からならやまびこもあるのに邪魔でしかないもの。もっとも、この時の私さんとて仙台まで立席ではなくやまびこ号でも使っておけとは思うけれど。次に弘前に新幹線で帰る時は少なくとも仙台以南は混んでいるだろうからはやぶさ号は利用しないと思う。

 

懐かしいなあ、E2系。いや別に記事を書いている時点では1000代後期車が現役だけどさ。仙台も行きたいなあ。E2系で。なお乗車したのは0代J13編成だと書いていたと思うが、ご存じの方も多いかとは思いつつ、0代J編成10両のうち7号車と8号車は八戸延伸に際して増備された車両。見た目と内装は1000代、機器類は0代にそれぞれ準じているHENTAIみが深い車両といえよう。J5編成による北陸新幹線試運転の例に鑑みても60Hz対応とみていいだろう。

 

個人的な思い出を書くと、弘前帰省の際の往路のはやて号は95%が0代だったのだけど、そのうちの半分以上は7号車または8号車だった。音を聞けば0代だけど、内装は1000代というカオスっぷり。決して嫌いだなんて思ったことも無いが、それでも純正の0代であれば座席毎にモケットの色が違うので、どの色かなあと思ったら7・8号車でしたーって時はズコーって感じではあった。逆にその2両以外が当たった時はどの色の座せいかなとwktkしていたものだった。

 

インフォメーションボード。願わくはあと30年ぐらい早く生まれてE2系全盛期をガッツリと撮り、E2系にも当初は存在していたであろう喫煙席でタバコを吸ってみたかったなあ。ただ私が30年早く生まれていた場合は現在55ちゃい(公開がいつかは知らんけど執筆は令和7年2月)なので、それはそれで嫌だけど。いやでも俺ら世代と違って年金はもらえるか。なんか考えるだけで将来が不安になってくるからこの話はナシ。将来が心配だよ。うわ出たクチャラー警察マニア(笑)。何が某氏だよキッショ。呼吸すんのやめてくれませんかね(笑)

 

七戸十和田付近を通過中です。もうE2系のうち本線上に現存している編成の車内LEDは全てフルカラーLEDなので、このタイプの車内も見られない。実家のような安心感といっていいのかは不明だけど、しかしE2系といえばこの車内だった。故にあっという間にE2系がいなくなってしまったのはやはり残念だ。その頃はよりによって関東にいなかったのが尚更ね。なんかなあ。

 

当時は当たり前のように設置されていた車内の公衆電話も10年後にはなくなっているなんて信じられない。いやまあJ13編成自体がそもそも10年後にいないだろって言われてしまうかもだけど、そういう話ではなくね。それが普通(笑)。このブログが気に入らないのに毎日毎日見に来てくれる厄介な山伏みたいなのがすーぐ拡大解釈して下痢みたいにピーピーうっせえんだもん(笑)。俺には見えていないだけで情報なら来ている(笑)。いじられたくなきゃ詫び入れな。公衆電話に話を戻すが、確か何かの時にテレカを買ったら700系柄だった気がする。

 

無事に新青森に着きました。J13編成は0代で一番遭遇していた印象の編成。その節は大変お世話になりました。最後に見たのっていつだったっけ。日立GTOを最後まで搭載していた編成だった。大学生になってやっと自由になったという時にいなくなってしまったのがねえ。

 

当時はまだ北海道新幹線が開業していなかったが、新青森新函館北斗方から北海道新幹線方面を撮影してたみたい。線路は繋がっているのかと思いきや案外手前に車止めがあった。北海道新幹線の札幌延伸はいつになるのかわからないけれど、対東京以外の目線で見ると儲かるだろうなあとは思う。多分。北海道新幹線札幌開業後のダイヤについても暇なときに考察してみたいと思う。

 

この時は789系0代が北海道への客を迎えるべく新青森に来ていた。じゃあLED止めろ(笑)。今はこのLEDもなんか新しいのに更新されているんだっけ。もう2年半ぐらい789系も見ていないので、いい加減に北海道にも行きたい。やはり札幌は外せないな、撮りたいものが沢山ありすぎる。なお新青森発着ではあったが、新青森の線路容量の関係でスーパー白鳥・白鳥は次の津軽新城まで回送として運転されて、津軽新城で車内清掃等の折返し作業を行っていた。

 

HEAT789のロゴがかっこいい。これもう見られないんだもんなあ。今のライラックとして第二の人生を送る789系0代もいいが、私にとってはやはり789系0代は永遠にスーパー白鳥だと思っている。

 

この時の編成はHE-103+HE-203編成だったみたい。いや~本当に789系0代にはスーパー白鳥幕がよく似合う。願わくは編成で撮りたかったけれど、写真がないよりはいいだろうと思いたい。また会う日を楽しみに、と書くのは簡単だけど、いつになることだろう。次に北海道に行くのは車の予定だし。

 

普通青森 N25.+N18.

よりによって柱か何かにぴったり被ってしまった701系のローカル(笑)。これはダメだ。そういう自戒の念を込めて敢えて公開したい。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁああああ!!!何が某氏だ(笑)。撮り鉄や警察マニアの連中のあの某氏って言い方なんなんだよ(笑)。気持ち悪い。

 

後ろはN18.編成。秋田の701系って何故編成番号の末尾にドットが入っているのかは不明。動画を見たら既に機器更新をしていた模様。701系の後継ってどうするのかね。流石に今になってE721系を作るとも思えないけども。なんか一部では延命工事なんて話も聞くけど、個人的に秋田の701系はとても好きなのでまだまだ頑張っていてほしい。ただね、この頃は臨時つがるだった列車が今は701系の快速に置換えられてしまっているのはね、はやぶさを降りて乗り継いだ時に何とも言えない気持ちになる訳ですよ。

 

リゾートしらかみに乗りたい!と言いたいところだけど、私が当時目指していたのは弘前駅なので無理だね。流石に最繁忙期の臨時列車に新青森での接続なんて求めるのもモンスターなので無論私はそんなことはしないが、臨時のはやて又ははやぶさ号で行くと新青森では待ち時間が生じることも多いので、そこは注意が必要。まあ新青森駅構内で時間は潰せると思うけど。

 

リゾートしらかみ1号 くまげら編成

先ほどの701系が返ってきたのでそれに乗って弘前を目指す。八戸時代は基本的に全ての定期はやて号が八戸において特急と接続を取っていたのが、弘前方面に限れば新青森開業後は微妙になった。函館方面はちゃんと取ってたけどね。八戸時代ははやてと接続する特急の号数が一緒でわかりやすくなっていて、新青森開業後も函館方面はその原則が維持されていたような。

 

痛!

痛!の吹き出しの印象が強烈な1枚。ドアステッカーにも色々と個性があるので、注意して見てみるととても面白いなあと思う。

 

その半自動ボタン。これは古いタイプのものだね。執筆日時点での前回の帰省では往路のローカルが701系だったのにそこまで見ていなかったので、今もこのボタンかどうかは不明。復路はGV-E400だったので尚更わからない。改正までに弘前に帰省できたらGVの弘前~青森の運用も撮っておきたいが、間に合うだろうか。キハのだったらあるんだけどなあ。

 

さて、弘前駅が近づいてきました。私が生まれた地であり、祖父母や親戚もいる地であり、私にとって弘前は大切な故郷である。それは何歳になっても変わらない。もし弘前に育っていたら雪国だから安心して乗れる四駆が欲しいという理由でスバルのS4やレヴォーグでも買っていたのではないだろうか。本音?スバル車にも乗りたいからだよ。

 

置換えなんて考えてもみなかった五能線のキハ。あの岩木山をオマージュしていそうなロゴが好きだったんだよなあ。従兄弟からはボロ電なんてあだ名で呼ばれていたのも懐かしい。

 

普通弘前 N18.+N25.

乗ってきた701系。折返しはまた青森行になるんだね。先ほども書いた執筆日時点における最終の帰省は令和6年1月だったのだけど、奥羽本線弘前~青森に限ってSuicaに対応している。当時は考えられなかったが、そう考えると千葉・千葉みなと~弘前はその気になればスマホだけ持っていれば移動できるわけで、当時は考えられない便利な世の中になったものだと思う。

 

3番線の発車標。つがる・リゾートしらかみ共に秋田行だけどルートは大違い。北海道新幹線開業に際して485系3000代が失職したため、つがるが減便されるというとばっちりを喰らったのは正直なんとも言い難い。E751系自体が少ないので、そういう意味では予備車兼波動用車として残しておいてほしかった感はある。アンチエイジングしたとはいえ経年車だったから、生き残っていたとしてもいずれにせよ今はもういないんだろうけど。五能線乗りたい。

 

向こうには弘南鉄道弘南線7000系がいる。大鰐線に比べると比較的経営状況はいいみたいなので、末永く地域の足として活躍してくれたらと思う。大鰐線の事実上の廃線が決まっているのは残念だけど、しかしこの数年後に乗りに行った時の保線状況が悲惨だったり客も少なかったりと、防ぎようがなかったんだろうと思ってしまう面があるのも残念。まあ弘前も車社会だからなあ。

 

弘前での楽しいひと時は終わり、現実に帰っていくこととなる。スキー楽しかったなあ。復路はE751系つがる号に乗っていく。編成はA-101編成、トップナンバーだね。何がトプナンだ、何がトプナンの呪いだ(笑)。気持ち悪い。某氏って言い方するのと同じぐらいアレ。

 

浪岡で運転停車中。弘前~八戸の特急つがる号のうち、つがる22号(途中青森のみ停車)を除けば基本的に大半が浪岡に停車していた。東北新幹線全線開業後の青森~秋田の新生特急つがる号は最初は浪岡を通過していた。まあ前身の特急かもしかもそうだった気がするし妥当だろうけど、浪岡って割と需要大きいイメージあるのになあ。今はスーパーつがる号を除いてつがる号2往復が停車している。

 

リンゴの壁紙がオシャンティー。そりゃまあ青森県だからね。奥羽線上りで弘前を目指している時、弘前が近づくにつれて周りのリンゴ畑が増えていくのと岩木山が見えてくること、祖父母宅と親戚宅近くのホームセンターが見えてくるのが今でも好きだ。ちなみに新青森~浪岡あたりだとリンゴ畑は案外見られない。線路沿いからに限った話になるけど。

 

E751系つがる号との離合だったみたい。E751系自体が3編成しか作られていないので、こうした並びは貴重になることだろう。まだ置換えは先だと思いたいが、後継を作らずに快速で代替という結論が下された場合は奥羽本線から特急自体が消滅してしまう(ミニ新幹線は除く)ので、そこはご勘弁いただきたい。

 

新青森に到着。乗ってきていたのは大館発着の臨時「つがる51号」。大館発着は2往復の設定があり、うち1本の52号は青い森鉄道浅虫温泉始発で、青い森線内は快速として運転されていた。2番線の回送については新青森止の特急スーパー白鳥で、先述の通り新青森津軽新城を回送し、津軽新城で車内整備を行う。スーパー白鳥・白鳥廃止後は新青森~青森の需要(この区間東北新幹線開業後に特例で特急自由席は乗車券のみで乗車できるようになっていた)に応えるために津軽新城~青森のローカル運用も爆誕している。

 

乗ってきたA-101編成。本州最北で頑張る特急車両、なんだかんだ取り上げる回数が絶望的に少ないながらも私が一番好きなJR特急はE751系だ。もう何年も見かけてすらいないが、しかし私にとっては大切な故郷への特急だから、なんだかんだでE751系に票を入れたい。八戸→弘前のつがる13号はいつもE751系だったなあ。もう最高130km/hでの運転もないかと思うと寂しいし、中間モハユニット2両×3編成に関してもやはりもったいないという印象しかない。

 

向こうからは789系が接近していた。これ工夫したら絶対にちゃんと編成で撮れただろ(笑)。無能すぎる。当時の私、ダメですわ。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁああああ!!!こんなにホームが長いのは東北新幹線全線開業後からは新青森にも寝台特急が停車するようになったことによるものだろう。違ったらスマン。

 

特急つがる51号青森行 A-101

対向が出たのでフル点灯ハイビームです。ふと思ったのだけど、もしかしたら秋田支社管内はハイビームが定位なのかな。やたらめったらとE751系はじめ789系や485系でもハイビームの写真が多い。ドン曇りの冬の津軽だからって可能性もあるけど、なんかそんな気がしなくもない。

 

新青森の新幹線改札に向かいながら1枚。コンコースから485系3000代の白鳥の送込み回送を撮っていた。いやーマジでこの頃に戻って電車撮りたい。スーパー白鳥も白鳥もいるし、平成25年なら寝台特急あけぼのもいる訳だし。ああでもこの時点では定期あけぼの最後の数か月だったのかあ。あけぼのなあ、庄内・秋田・津軽エリアへは少なくとも定期最末期のダイヤだと新幹線より早く到着できていた訳で、ご利用の減少は廃止の大義名分にはなっていなかったはず。もっと乗りたかったなあ。

 

はやぶさ12号 U21

この時の編成はU21編成。まだE5系デビュー3周年を迎える前ではあるが、既にU21編成は竣工していた模様。これだいぶハイペースで作ってたよね。それだけまとめてガタが来るかと思うと、E5系初期車をどうするのかについてはJRさんとしてもだいぶ頭の痛い話なのではないだろうかとすら思う。ALFA-Xのデータをフィードバックした新型車両の話は執筆日の時点で一切表に出てきていないので、E5系E5系で置換える可能性が割と現実的なのが何とも言えない。あいにく内部情報を教えてくれる「俺のダチ(唾飛ばしてドヤア)」はいないので何もわからないけれど、車両計画にあれこれ夢と希望を膨らませるのも楽しいものだと思う。

 

はやて、というかE2系の乗車位置目標だろう。八戸にはMaxのものもあったのを覚えているが、まだあるのだろうか。Maxはやて、見てみたかったなあ。喜び勇んで乗りに行っていたに間違いない。E1系MaxとE4系Maxは盛岡以北での営業運転こそ叶わなかったが、E4系MaxのうちP9編成だったかな?は建築限界の確認も兼ねてEast-iの次に新青森まで入線した経歴がある。

 

八戸付近での撮影。もう八戸線もキハE130になってるんだもんなあ。八戸到着前と発車後、通過後にここを見るのが好きだった。

 

盛岡にて

列車は盛岡に到着。みんながときめくこまちとの連結タイムです。まあこの時はE3系R編成の置換え途中だったので、はやぶさと連結する秋田新幹線スーパーこまちだった。とはいえE5系はやて+E6系こまちというのもあったので、スーパーこまちという名称を設定した目的はE6系のPRという面とはやぶさ+スーパーこまちでは300km/h運転を行うということのPRも兼ねていたのではないかと思う。まあ、それ言ったらE8系でスーパーつばさが出なかったのはどういうことよってツッコミが来てしまうかもだけど。

 

スーパーこまち12号 Z9

秋田から来たスーパーこまちはZ9編成、令和4年の地震で脱線して廃車になってしまった車両。現在は7両のうち東京方3両が研修施設として利府の車両基地にいて、実質的な保存車となっている。秋田方4両は減価償却を待たずして廃車解体となってしまった。

 

J13編成のやまびこ

数日前に乗っていたJ13編成はこの日は盛岡やまびこで盛岡にいた。思えばE2系の盛岡やまびこがなくなったのもずいぶん前の話になるんだなあと思うと何とも言い難い気持ちになる。

 

盛岡の電光掲示板。はやて・こまちの組合せももう見られることはないだろうなあと思うと、こういった何気ない一枚が貴重になる日も来るんだなあと思ってしまう。当時から撮りたいものを撮っているだけなんだけどね。この頃は盛岡の発車ベルが盛岡のアレで、私は盛岡のベルといえばアレだと思っていた。今は小田和正さんのダイジョウブを採用しているが、ベルが変わった時は残念だと思っていたけれどいざ生で聞いたら普通に神だったので、あれは変更しないでほしいなと思う。新青森弘前の発車メロディがアレだったら涙腺がいくらあっても足りなかったことだろう。駅メロヤクザのマウンティング大歓迎です!さあさあ紅茶でもいかがですか。

 

仙台で撮った発車標。仙台の新幹線ホームの発車メロディはこの頃の曲の方が好きだったなあ。

 

大宮で撮ったE4系Max。この頃はあと3年だと思っていたMax、延命の理由自体は喜ぶことはできないものの、結果として+5年生きていた。成人してE4系Maxで酒を飲むなんてできないと思っていたが、何とかそれは間に合うことができた。Maxとの思い出が消えることはないので、これからも事ある毎に書いていきたいと思っている。P82編成廃車回送の自慢とか団臨の見送りエピソードとかそういうの大歓迎で~す!いらっしゃいませ~!もうその辺にしておいてやれよ(笑)

 

上野で無事にはやぶさ号を降りて、徒歩で京成の上野駅を目指す。案外早く着いていたようで、まだ時刻は16時過ぎ。上野東京ライン開業前なので始発表示もなければ、211系もいたのでドア数の表示もあり、そしてやはり「寝台特急北斗星 札幌」の表示が目を引く。できれば見送っていきたかったけど時間がありすぎてダメだった。次に上野で札幌行が見られるのは北海道新幹線が札幌まで開通した時になるのだろう。どのようなダイヤになるのかが楽しみだ。もし今も各種寝台特急が残っていたら私は休みの度に撮りに行っていたと思う。

 

これはイブニングライナーかスカイライナーか不明なAE形。どうせ写真として終わっているのでもうどうでもいい。恥晒しだなんだと鍵垢で下痢みたいにピーピー騒いでないでコメント欄に何か書いていけばいいのになあとは思う。所詮その程度の小さい人間なのだろうけれど(笑)

 

青砥での1枚。この時のイブニングライナー63号って上野18時20分発だったっけ?いやでもしたらさっきの写真は撮れないか。えーじゃあ30分発?もう全然覚えていない。当時は大半のイブニングライナーが空港行だったが、今もだったらまあ地獄だろう。夜に空港を目指す層がどれだけいるかはさておき、だ。インバウンドは公害だ。特に中国人。

 

佐倉まで乗っていたらしい。イブニングライナー関係の写真に関してはこの年度の京成の写真でも重複していると思うので、ここからしばらくは駆け足で進めていこうと思う。

 

普段イブニングライナーに乗るときは八千代台で降りていたのでこのLCDが新鮮だったのだろう。まだ第3ターミナルも開業していなかったので2ビルが第2旅客ターミナルだったり、ROM更新の7年半ぐらい前なので当たり前だけど京成○○表示でもなかったりと、懐かしいなあと思う。

 

年が明けて平成26年になりました。この日は当時の私の実家でのルーティンでもあった正月恒例の横浜の祖父母宅を訪れていた。クソ面倒だったな~。ババアまじで嫌いなんだもん。この記事が出る頃には死んでいてほしい。血が繋がっているのに~みたいな偽善に介護でもしてもらいたいものだ(笑)。金残して死ねばいいのにねえ。こちらは八広発車後の写真で、当時は下り線の高架化が進められている状況だった。

 

急行横浜 9707編成

ババアの金で寿司だけ食って帰る時の写真。おじいちゃんはいい人だったんだけどね、私が小学生の頃に亡くなってしまったのが残念だ。写真の質は残念であるが、9707編成の急行で横浜を目指すこととしよう。

 

一部車両にはボックスシートがあった。9000系の場合はネイビーブルーになってからもこれが残っている。ボックスシートの是非ではなく、ボックスシートやパワーウインドウ等を見ているとああいう相鉄らしさっていいなあと思ってしまう。クソババアの顔を見ることばかりだったので当時は相鉄の電車もあまり撮っていなかったのがもったいない。

 

横浜→船橋ではE217系の快速に乗車していた。この頃の私にE217系の置換えが始まるなんて言っても信じないだろうなあ。まあまだE235系の話が出ているかどうかってとこだったしな。恐らくだけどこの記事を出す時にE217系は全車が引退していることだろう。せめてどこかに1両だけでいいから残してほしいが、無理かなあ。209系と並んでかなり革新的な車両だと思うので、鉄道博物館は無理だとしてもどこかしらに保存して後世に遺していってほしいんだけどなあ。

 

船橋からうすいは京成線で帰ります。色々と懐かしいね。旧デザインの駅名票、船橋表記、シティライナーの乗車口。

 

当時の船橋の電光掲示板も懐かしい。割と最近までこれで残っていたし、放送もこの頃のあれで残っていたんだけどなあ。4両が当時は定期運用を持っていたのもわかる。

 

A15 特急芝山千代田 3718~3711

ひでえ写真だけど3718編成の特急。

 

59K 快速佐倉 3688~3681

翌日。弘前の親戚一家が翌日からの欧州旅行のため成田空港に来ていたので、家族みんなで一緒にご飯を食べに行くときの写真。両親が酒を飲むので電車で行っていた。両親の運転マナーにはお尋ねしたいことが多々ありつつ、飲酒運転は絶対にしなかっただけよかった。それが普通なんだけどね。編成は3688編成、10年後には既にアイドルになっているなんて誰が予想できようか(笑)

 

A15 特急成田空港 3758~3751

佐倉からは3758編成の特急。この編成も執筆日時点では機器更新を行っているなんて当時の私が知る由もない。こんな写真で記事を書いているとまたこのブログと私が気に入らないのに気になってスクショして私の本名や顔と一緒に晒してムキー!ってなっている山伏がピーピーうるせえんだろうな(笑)。ほんと面白いよね、もうキモいを通り越してるよ。キモー!頼むからこれ以上息しないでください。※お亡くなりになりました

 

2ビルの駅名標ってまだこれだったっけか、なんか去年の秋に数回程度行ってはいるんだけどちゃんと覚えてない。京成の駅名標はこのタイプが一番好きかもしれない。見慣れているからだけど。

 

親戚一家と合流して会食の後に少しホテルにお邪魔して歓談。私の両親と親戚は酒を飲み、私は従兄弟とYouTubeを見ていた。屁こきましたね貴方~のアレとか、北朝鮮で歌うと消される朝鮮人民軍歌とか、あの辺を見て爆笑していた。半ギレ唸る~チョンチョンウリヨ~。邪魔だ~朝鮮人民軍~。令和になってから例の人民軍歌で菅総理前進歌みたいなのも見つけたけど、アレもアレで色々と面白かった。ナガジャ~スガチョンリ~。ああして見ていると日本語と朝鮮語ってやはり似ている単語も多いのだなあと思ったものだ。

 

2ビルのJR成田線発車標。今と違うのは各駅停車と成田エクスプレスの発車時刻が数分単位で違うことと、成田エクスプレス54号の行先だろう。当時は池袋なんて普通に行っていたし何なら大宮行もあった時代だけど、今の成田エクスプレス54号は大船・新宿行。最終便ぐらいは池袋まで運転してもいい気はするけれど、きっと大人の事情があるのだろう。ただし房総特急の強引な減車は許さない。マジで。

 

変わって京成の発車標。上野表示が懐かしいというか全部上野行なんだ。スカイライナーの間隔が40分以上空いているのが令和の今では信じられない。公害インバウンドに免税しているバカ政府がのさばる現状でこんなダイヤ組んだら地獄だろうな。マジで夜間の空港からの本線の電車は成田で系統分離してくれよ。マジで。そろそろマジで京成にクレーム入れたい。政治の話は極力避けているが、しかし執筆日時点での石破内閣ってこの記事が出る頃も存続しているのかね(笑)。もうさっさと総辞職してくれよ売国奴政権。石破は退職して電車乗ってニヤニヤしてればいいのに。

 

スカイライナー。この時親父がめっちゃ酔っていてシラフの妹と騒いでいて、回してた動画に親父の声が入って不愉快だったのを覚えている。当時14ちゃいの私は酒飲んでああなるのは恥ずかしいから、絶対にああなりたくないと思っていたものだった。というか酒なんて飲みたくないなあとすら思っていた。ところが今の私は休みの日には酒ばかり飲んでいる。これはこれは(笑)。親が親ならナントヤラ。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁああああ!!!

 

多分イブニングライナー。成田から先は急行灯を点けなくてもいいのだろうか。残念ながら内部情報を教えてくれる「俺のダチ(唾飛ばしてドヤ)」はいないのでわからない。日中の急行灯を点灯しないことという指導がある10年以上前なのでそれについてもわからない。ハッハッハ(笑)。

 

01K アクセス特急上野 3051-8~1

アクセス特急の3051編成。K台の上野行ってのが新鮮に感じる。やはり青い3050がいちばんだ。どうせアクセス特急の後継となる3100形をオレンジで統一するならこの塗装で本線に転用してくれたらよかったのになあ。とは思いつつ、飛行機模様もあり空港アクセス感がゴリゴリだった以上はそれも難しかったのだろう。

 

A27 特急上野 3718~3711

この特急に乗って帰っていく。普通によくいる3700形、そういう認識だった。3700形までいなくなったら流石に寂しいが、まあ流石にまだ10年以上先だろう。

 

佐倉で降りた時の1枚。この頃はインバウンドがまだそこまで公害になっていなかったので、空港からの電車でも比較的快適に利用できた。今はもうひどいからね~。この時間帯の本線上りは基本的に空港からなので車内は気持ち悪い中国人に中東人に黒人に紅毛人に、終わってるからね。臭いし。公害だよ公害。

 

A29 快速高砂 3738~3731

うすいが最寄だったので我々が乗っていくのは快速。快速高砂の響きだけで種別行先変更がある気がするけれど、A台だと普通に入庫だったのかなあ。この頃の写真はこんな感じでなかなか目も当てられない酷い写真ばかりだけど、しかし資料としての価値がないとは思っていない。あくまでも私個人として、だけどね。

 

A05 特急成田空港

翌日。アリタリア航空か何かで出国する親戚一家を見送るべく成田空港を目指す。この時は何の珍しさもなく誰が撮る訳でもなかった3500形8両の特急が颯爽と通過していく。まあ全体的にそこまで3500形が余っている訳でもないので可能性は限りなく低いとはいえ、もし仮に今になって3500形8両が復活したらもうそれはてんやわんやでYEAHだろう。ラストランがあるかはさておき、また一部を残しておくという計画があることもさておき、仮に3500形がラストランを行う場合はその時に8両が見られるのだろう。転落防止幌等が一切ないので、4+4で見られるかどうかは不明だけど。

 

佐倉までの1駅は3500形未更新車の宗吾参道行に乗っていた。モーニングライナーは入線がアレなのでケツうちだけ。せめてトリミングしろだなんだと言われていることだろう(笑)。自戒の念を込めての投稿なので、恥を晒す覚悟でやってる。すぐに他人の個人情報をポロリしてしまうぐらいに口が軽いお前とは違うんだ。職場での自撮りなんてキモいだけだから送ってくるな(笑)

 

1ビルに到着。親戚一家を見送りに行こうとする前になんか撮っていた。この快速は千葉で成田エクスプレス14号の待ち合わせかなあ。何がアレかって、池袋行については先ほども言及していたのだけど、なぜ大船行と横浜行が混在していたのかがわからない。なんでだろう。横須賀線横浜駅で着折なんてできるわけもないのだから。横浜→大船は回送だったのかなあ。

 

ブレブレだけど本線が特急上野行のワンメイク。公害と化したインバウンドを見ていると令和4年改正で京成が日中のダイヤを白紙改正してくれたのはよかったが、結局空港発着の快速がある以上は本線ユーザーも公害の影響を被っている。なんなら成田始発のはずの快速特急にすら乗ってるからな(笑)。とりあえず東成田・芝山千代田方面に快速を流して成田~成田空港はワンマンでよくないですかね。そんぐらいしないとマジで本線ユーザーのヘイト買いますよ、京成さん。無論悪いのは京成ではなく、観光立国なんてくだらねえ政策を抜かしているバカな政治家だけど。岸田とか石破とか。まあこの記事が出る頃には石破は総理ではないだろう。

 

85K 快速西馬込 3532~3529+?

帰りに乗っていたのも3500形。まあ快速なので佐倉→うすいなんだけどね。3500形の8両の運用が普通にあったのが懐かしいなあと思うし、3532編成自体も更新車の中ではかなりよく遭遇していただけに、平成30年に更新車初の廃車となってしまったのは残念であった。

 

執筆 2月5日

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