おはようございます。平成29年1月1日夜~6日は弘前に帰省していました。今回はそんな日帰り青森遠征の話を、当時公開していないエピソードも含めて改めて公開させていただけたらと思う。
弘前駅から遠征はスタート。いや別に弘前から青森なんて大した距離ではないんだけどさ。

弘前始発の青森行ローカルで一路青森を目指していく。今となっては後ろにいる五能線のキハが懐かしい。実は一眼で写真を撮るというのはこの時が初めてのことだった。ファインダーをのぞき込んで写真を撮るというのがとても新鮮だったと思う。701系かっけーなあ。足元のヒーターはクソ暑いけど、でも座席は209系やE217系と違って硬くないし(というか209系のアレの断面を見ると鉄板の上に布貼ってるだけだからなあ)、良くも悪くも冬は温かいのでいい車両。あと顔がいい。でも暖房が効きすぎていて、一回うちの母さんのブーツが溶けたことはあった。あれはあれでびっくりだし、それを俺に任せろと言わんばかりに自力で修理したおじいちゃんの技術にもびっくり。おじいちゃんおばあちゃんに会いたいなあ。
列車は定刻通りに弘前を発車。今では奥羽本線も弘前~青森であればSuicaでスイスイできるのがとてもありがたいことだ。当時はできなかったけどね。新幹線も予約の仕方によってはSuicaでスイスイできるので、そう考えると弘前から東北新幹線経由の場合は千葉でも千葉みなとでも佐倉でも、Suica1枚でスイスイできるなんてすごい時代だと思う。モバイルSuicaならスマホさえあれば移動できる訳だしな。そりゃ紙の乗車券の往復割引や連続乗車券がなくなってしまうのも無理はないことだ。いずれ学割もなくなりそう。

そんな701系の普通列車の車窓から津軽富士こと岩木山を望む。標高1,625m、青森県では一番高い山だ。夏になったら愛車で岩木山に行きたいかもしれない。それはさておき、この山を見るととても安心してしまう自分がいる。実は執筆日時点での前回の帰省(令和6年1月)は悪天候のため岩木山を見ることができなくて、長いことこの目で岩木山を見ることができていない。
さて、新青森で一旦ローカルを降りよう。目的は後から来る列車。

それがこちら、昔からドアの弱さに定評のあるE751系だ。だから函館には行けないままつがる(かもしか)専属になってしまったんだね。そんな彼らのことを大好きなのがまさに私だ。6両の時代に撮れなかったのは残念だけど、でも今もこうして活躍していることが何よりも嬉しいことだ。
この撮影の6年後に当時3往復設定されていた「つがる」のうち1往復が「スーパーつがる」に格上げされたのは、青森秋田間の特急の起死回生の生き残りを賭けたものなのではないだろうかと思う。まだまだE751系にはいてほしいが(つってもあと10年ぐらいはいそうだな)、本州最北端特急がこれからも地域の足として、また新青森と秋田でそれぞれ新幹線接続を担う特急としても、ずっと輝いていてほしい(フル点灯で)。でもご安心いただきたい、私は絶対運用辞めないでなんて指の骨が折れても書かない。書くのは自由だが頼むから俺の推しにクソリプしたりタグ濫用したりしないでくれ。※その方はお亡くなりになっています

ヨリでも1枚。あーマジでいい。全てがいい。多分、普段このブログをお読みくださっている皆さんは私がE257系強火ヲタクだと思われていると思う(それはまあ事実)けど、実は同じぐらいE751系も好き。予備車として485系3000代も残してくれていたらよかったんだけどなあ。E751系は当初から3編成しか作られなかった超少数精鋭なので、何かあるとかつては485系3000代、今は701系の代走に頼ることもある。マザコンか。なんか憎めない。でも、それこそいつか寿命が来た時に保存の道もないのかなと思うとなんか寂しくなってしまう。いや、波動用で残りそう。秋田・青森エリアの波動用で。大穴で仙台に転属していわき~仙台の特急になるのは…なさそうだね。
新青森と青森の間は特例で特急列車の自由席に限り乗車券のみで乗車が可能。これは新青森開業時からの特例で、当時はつがる号のみならず白鳥号・スーパー白鳥号もそうだった。本数ないからね(直球)。白鳥・スーパー白鳥が新函館北斗開業で廃止されてからは、青森~津軽新城のローカルがその役を担っている。まあ新青森ってダイヤ密度の割に折返し作業の余裕はなくて、実際に白鳥とスーパー白鳥は新青森着折ではなく津軽新城に回送した上での折返し作業を行っていたからな。

えっこれ執筆日時点で11年前…マジか。俺も年取ったな。でもこの頃悩んでいた中学時代のあれこれはもう中学の同期が全員死んでいるおかげで逆に俺の勝ちだと思っている。中学の3年間でマジで人間性歪んだなあと思うし、不登校になってもよかったのに、まあ統合失調症になりながらよく耐えましたわ。そんな中坊の時に撮っていたスーパー白鳥がこちらだ。案内は新青森行だが、実際は津軽新城までの1駅を回送して、先述の通り車内整備を行っていた。もう789系が新青森に来ることも八戸に来ることもない。できるならあの頃に戻りたい。でも時は戻らない。全米が泣いた。だから何が全米だっつーの(笑)
さて、という訳で新青森→青森で合法無札乗車をしたのちに下車して昼飯を食べに行く。いや弘前から乗ってもよかったんだけど、どうせなら撮りたいという思考が先行しましてね。で、向かった先は

「味の札幌 大西」さん。本場の味噌カレー牛乳ラーメンを食べに来たって訳だ。あれはもう背徳感がなくても美味しいんだよなこれが。最近はYouTuberかインスタバエだか知らんが写真だか動画だか撮ってロクに食わないクズがいるらしいが、死ねばいいと思います。食わねえなら俺によこせ。

自爆の音(飯テロという意味で)~!マジで味噌カレー牛乳バターラーメンを食いたい。次に行くときはいつになるだろうか。この記事を校正しているのは4月の青森帰省を終えた後なんだけど、立ち寄る時間がなかったのが残念。
さて、美味しいラーメンを補給したので電車を撮っていくこととしよう。横取り10万円や肉澤が青森に来る日がないといいなあ。祖霊ましますこの山河、敵に踏ませてなるものか。もっと酷い敵は中国人。先述の令和7年弘前帰省でも外国人が多くて気持悪かった。誰なんだ、観光立国なんて日本を売り飛ばす政策をしているのは。

青森駅手前での撮影なので、既に弘前行になっているN7.編成から撮影開始。LEDはまあ…生まれた地の2文字を粉砕するのは気が引けるけど、でも止められないもん。グスン。こりゃLEDイキリブン流し小僧に殺されてしまいそうな写真だ。

新青森から青森までの1駅で乗っていたA-101編成が青森での折返し作業を終えて上っていく。フル点灯ハイビーム、大変ありがたい。これ以上のことはない。E751系を撮りたい。正直めちゃくちゃ撮りたい。帰ってこないかなあって思ったけど普通に現役だったわ(笑)。お前が弘前に帰れって話だろうが。新幹線で3時間、飛行機でも羽田青森なら1時間。でも飛行機で帰るとしても、イキリ流しマウンティング小僧の勤務先の京

多分この線路にいるので青森行の奥羽線だと思う。多分。ぷろーばぶりー。5両とはなかなか贅沢でよろしい。俺が昨年(執筆日:令和7年1月)の帰省に際してはやぶさ7号から乗り継いだ快速(かつての臨時つがる52号)が2両だったのは残念だった。

HB-E300系のリゾートしらかみ。当時まだ新車だった橅編成だ。思えばリゾートしらかみに乗ったことないなあ。いい加減にあの頃は飲めなかったアルコール片手持って乗りに行きたい。この時が橅編成とのはじめましてだった。2代目青池やくまげら編成と違って、なんかリゾートしらかみといえばHBの橅編成ばかりあたるような気がする。令和7年春帰省でも見かけたし。

五能線のキハが津軽線に入る日が来るなんて昔は思ったことも無かったが、これは三厩までのローカル。三厩云々についてはまた後程。おそらく八戸のキハが持っていた運用を五能線のキハが持ち替えたのだろう。五能線カラーが懐かしい。快速深浦の廃止以来しばらく川部から先の奥羽線にキハが来ることもなかったが、ひょんなことから復活していた。執筆日時点では後継のGVでも継続しているが、今後どうなることか。
なおケツの1540だが、解体を免れてタイへの海外売却の道を辿ったとのこと。いつかタイに行く機会があれば、その時にまた会える日を心から楽しみにしたいと思う。

入れ替わりで津軽線運用から帰ってきたのがこの2両。光線はちょっと残念かも。前の1006は解体を免れて、今は我が地元千葉県の小湊鉄道で活躍している。かつて少し小湊のキハに触れた際にも言及したかもしれない。いずれまた会える日は来るかと思う。思えば我が故郷の電車だった車両が私が生まれ育った千葉県でまた新しい人生を歩んでいるのはエモいことだ。あ、陸送ヤクザのマウンティングはいらないのでお帰りください。この記事がいずれ公開される前に小湊鉄道で頑張る姿も記事にできていたらいいなと思う。

後ろはキハ48の544。この車両は海外譲渡になったらしい。秋田で散るか、海外譲渡で新たな人生を歩んで限界まで使われて朽ちるのか、何が正解なのかは私にはわからない。しかし異国の地でどうか大切に扱われていることを心から願いたい。

あ、当時は青森車両センターじゃなくて盛岡車両センター青森派出所でしたか。正直どうでもいい(笑)。今では青森派出所(これでいいかい?)どころか改造センターもなくなってしまって、なんか1つの時代が終わってしまったことを実感して切ない気持ちになる。青森車両センターで各種機関車詰め合わせセットな展示会(友情出演:E655系)や24系あけぼの・日本海が車内整備を行っていた時に戻りたいと思ってしまう。
なおこのキハ100は大湊線の快速運用を終えた回送。今はどこで整備してるんだろうな。というか後継がアレになるのはなあ。窓ねえしロングだし。夢語れJR、時代創れJRってことか。どういうことだよ。
ここで789系0代や785系300代も撮れていたらよかったんだけど、まあ1年遅かった。それは一生後悔していくことかと思いつつ、しかし白鳥・スーパー白鳥の引退と前後して当時の猫様が闘病の末に天に召されたので、最期に一緒にいてあげられてよかったと思っている。無論お墓の場所も火葬場も忘れていないし、沢山優しくしてくれたことも忘れていない。

ちなみに、その猫様に荷造りを邪魔された時の写真がこちら。高1の時の写真だけど、勉強合宿で川越に行こうとしていた時にスーツケースに乱入してきた。可愛いなあ。いつか俺が死んだとき、天国で会えるだろうか。最期のその時に私が握った手を握り返してくれたこと、今でも覚えている。まあそれ以前からも肉球プニプニ要員だったけどね、この猫様。
閑話休題。これ以外にも写真は撮っているかもしれないので、関連記事で当時の記事が出てきたら是非お乗り換えくださいませ。

当時なんとなく撮っていた「あおもり駅」と駅前の通り。なんか駅前の通りの飲み屋にふらっと入ってみたいが、それ以前になんか青森駅もリニューアルされてしまっているとのことで、この光景も見られないのが信じられない。
長くなってきたので、続きは明日の公開とさせていただく。青森駅での撮影と、E751系撮影・乗車、かつての八戸発着の特急について軽く考察(なお誰も得をしない模様)といった内容でお送りさせていただきます。本日もお読みいただきありがとうございました。