2日投稿記事の末尾でE233系1000代の写真を貼り、それに乗ったということは書いたかと思う。せっかくだから普段撮らない線区を攻めてもよかったのだけど、光線を気にするのがアレという撮り鉄の風上にも置けない私は爆死を恐れたので今回は断念。割と小田急も撮ってみたかったし江ノ電も行きたかったんだけど、まあ江ノ電に関してはほら、インバウンドと移民で酷そうだしさ。ほんとこれ以上日本を汚してほしくない。江ノ電行きたかったなあ。誰なんだ、円の価値を暴落させてインバウンドなんかを推進した売国奴は。金だろ普通に(国民への謝罪という意味で)。
まあいいじゃんそういうの。いいかは知らないが、大船での休憩を挟んで根岸線から乗換えて京急に転戦した。できたばかりの~根岸線で~。※元ネタは小田和正さんの”MY HOME TOWN”で、金沢文庫駅の接近メロディ

おい(笑)。2か月ぶりに京急を撮りに来て、後追いとはいえ一発目があんたかい(笑)。1017編成はここ数年なにかと遭遇する印象しかないので、もしかしたら3編成ぐらいいるのかもしれない。いる訳ねえだろうが。という訳で皆さん拍手でお送りください。
何かとつけて遭遇しているこの編成、今年に入ってからの思い出に限るとやはり1月に東京ビッグサイトで開催された=LOVEお話会の帰りに撮ったのを思い出す。なお、千葉中央行で寝落ちした挙句に津田沼に返品されて、タクシーで幕張本郷を目指したところ最終の黄色い総武線も出てしまったので本郷から歩いたという思い出も付属している。認知は切れていて当然だが、あの時に推しと久しぶりに会えただけで嬉しかったのヨシ。

続いては後ろ4両が1000形1890番台、通称ル・シエル(Le Ciel)の急行。下りを撮りに来たのになあ。とある有名撮影地にでも向かおうかと思っていたのだけど、途中でいい感じに撮れるのではないかと思ってこちらに来ていた。少し文庫で迷子になった時間が本当に無駄だったと思う(降りたの初めてだったとはいえ)。今回の一連の京急撮影分が結果として大変な枚数になっているので、恐らくはこの返しもどこかで撮っているのではないかと思う。

被りを緊急回避!その割にはピントが甘いのでもうダメだ。快特等の優等種別はそこそこ待っていれば折返してくるものが大半だけど、普通車にそれは通用しない。多分。それ故に残念だ。極めて残念だ。1367編成は京急車の中で唯一PMSMのインバーターだが、制御器ヤクザに殺されても困るのであんまり突っ込んだことは書かないようにしておきたい。ウケる(笑)

続いてもル・シエルを先頭にした急行。もうエア急が来ないのも新逗子駅ではないのも未だに違和感しかないが、そもそもあんた京成沿線民でしょっていうね。そういえばガチ恋口上をベースに京急の口上をツイートされている方が一昨年ぐらいにいたんだけど、その画像を無断転載してあたかも自分が見つけたかのように「鍵垢で」ツイートしていた不届きな輩もいたっけか。承認欲求の塊で草(笑)。そういうのが大嫌いなびゅうタカサキ君(仮名)とそいつを戦わせて、私はそれを対岸からワイン片手に高みの見物をしていたいと思う。

差分でもう1枚。そんな下劣な連中はさておき、ル・シエルはまだ乗ったことがないので、早いうちに乗ってみたい。それがビール列車ならそれほど嬉しいこともない。別にワインでもウイスキーでもいいけど。未だに急行という種別が復活したのが新鮮のような懐かしいような感覚だが、2人の赤い糸を切り離すいじわるな急行電車のモデルかどうかは不明。車体は赤いけど。
何言ってんだこいつ?となった方も多いと思うので元ネタを解説。=LOVEの13枚目シングル表題曲「この空がトリガー」の歌詞から引用した。叶わぬ片想いを描いた切ない歌詞とイケイケの曲調が私にドストライクなブッ刺さり方をしていて、そういえばあの曲の歌詞にそんなフレーズがあったよなって思って今回ぶち込んだ。
なおリリース時はまだエアポート急行が残っていたので、多分間違いなく関係ない。でも「向かいのホーム君と目が合った」なんかもそうだけど、全体的に歌詞も曲も美しいしわかりみが深くてもうね。最近だと18枚目シングル「とくべチュ、して」なんかが流行っていたのでイコラブをご存じの方もいらっしゃるかもしれないが、よかったら是非聞いてみてほしい。

A快特のうち日中のものは基本的に2100形の運用だけど、京急に詳しい方に向けては敢えて書くまでもないが、2100形が諸事情で足りなくなるとこのように3つドアの車両が代走する。31Aという運番がなかなか新鮮だけど、私が知らないうちにできていたってアレだろう。もしこれが所定3つドアの運用だったらマジでサーセン。

続いての特急は1225編成。この編成もなんかやたらめったらと遭遇する印象だ。といっても私の場合は基本京成線内でばかり撮っているので、そこはすまんけど。明るい時間帯に京急線内で特急を撮ることができるのが未だに新鮮で仕方がない。今は知らないが私が知る限りでは京急線内において特急の最高速度は110km/hとなっているはずなので、なんかもったいないと思う。京急車に限れば120km/h出せない車両なんてない訳だし。思えば1月に横浜→青物横丁で特急に乗った時もなんかこう物足りなさがあった気がする(停車駅ウンヌンではなく)。

ケツうちで1631編成。現行の京急車は物理的には他社局への入線も可能かと思う(都営線内でのホームドアに対応しているかは知らん)が、そんな定期運用はないのでやはり京急線内だからこそ撮れる車両。だからこそ京急線区間で撮る意味もあるんだろうと思う。

すれ違いでまた銀千。一部からは心無いご意見も散見される車両だけど、個人的には別にステンレスになった+車端部のクロスシート廃止ぐらいでさほど京急らしさを失ってはいないのではないかと思う。加速はよさげ、座席は腰に良い、先頭はモーター車(というか、厳密には先頭台車が動くっちゅーアレ)、顔はまあ多少変われど普通に京急らしさもそこそこあっていいと思うんだけどなあ。
もっとも800形や2000形も元気にしていたあの頃に来ていたらまた違った記事を書けたのではないかと思いつつ、今は今で1000形ばかりでもそれはそれでまた楽しいので、それでいいじゃんと思う。ちなみに私は銀千も普通に好きです。この電が~好きだから~銀千が好きだから~。

ラララい~ま~京急の~仲間たち~♪♪。前回京急を撮りに来た時(3月)は沿線でマラソン大会が開催されていた関係で2100形の運用(A快特)は3つドアの車両で代走となっていたので、2100形は114,514年ぶりの撮影となった。2100形は都営線のうち泉岳寺から西馬込(と車両基地)および浅草橋まで入線したことがあるので、何かの間違いで京成線内にも来てほしいなあ。(京成線に)入って、どうぞ。
なお私のオレ調べによると、2109編成は10編成いる2100形の中で2番目に遭遇していた編成らしい。最後に撮ったのいつだよって話にはなるけどね。またいつか乗りに行きたい。

差分でもう1枚。関東の私鉄において唯一となる2つドアの転換クロス(客が向きを変えられるとは言ってない)ということで私がガキンチョの頃から一躍人気を集めていた印象である2100形、後継車種がどうなるのかは気になるよね。京急の看板列車もといフラッグシップとしての側面もあることだろう。2つドアクロスシートの使い勝手が必ずしも優れているかと問われたら答えには困るが、それでも華の快特車両として2100形が末永く輝いていてほしいと思っている。
…あとやっぱ2100形の車内で酒飲むのってアウトですかね。イブニング・ウィング号なら許されそうな反面、敢えてのモーニング・ウィングでやりたい気持ちはある。朝の湘南で酒盛りしたの楽しかったもん。
影がアレなのでこれにて退散。途中で見えた同業の方に改めてご挨拶を申し上げ、徒歩にて文庫~八景の撮影地を目指す。途中のウェルシアで酒買ってたあたり救いようがないが、まあ私は酒がメインの動力なので多少はね?このあと運転の予定もないし。ビール!ビール!ビールは1本しか飲んでないし果たして何本後になるかもわからん帰り道の記事においてE259系を居酒屋にしてからが本番だ。そんな話はさておき、先述の通り文庫~八景の撮影地に来た。卍徒歩で来た卍

枯れているススキが被ってしまったのは気になるが、京急ブルースカイトレイン(以下ブルスカと表記)となって10年以上が経過する2133編成が来た。このブログのURLに入っている2133は紛れもなくこの編成が由来。というのも私が中学生の頃に京急に遊びに行くとまずもってこの編成が来ない方が珍しかった。2133編成は2100形としては最後まで歌っていたこともあり、おかげさまであのドレミファインバーターも存分に堪能することができた。その節はごちそうさまでした&お久しぶりです。いつぶりに撮ったんだろう。

せっかくなので2133編成の過去画を振り返っていこうのコーナー。2133編成にも赤かった時代があったんです。これは先ほどの写真の撮影地から歩いて少しの金沢八景から乗った時の写真。往路は品川から始発の快特で自引きしたので、復路はガラケーで運用を調べて乗っていたんだっけ。中学生の時の思い出だが今でもこの時のことは覚えている。なお往路の佐倉→品川、復路の横浜→佐倉においてはE217系に乗ったのも同じく大切な思い出だ。

これも中学生の時の写真だ。もう11年近く前になるのがクリビツテンギョー。この頃からもっと撮っておくべきだったよね。「ちゃんと撮ってなかったツケ小僧」に殺されてしまいそうだ。そんなんだからなりすましアカウント作られるんだよ(笑)。飽きもせずに自慢話(笑)。それが高校生の頃ならまだしも21ちゃいになってもだからねー、承認欲求ばかりで大変だねー、ウケる(笑)。そんなのせっかくの京急回で書くだけ京急さんと社員の皆さまと車両に失礼。

ごめんなさい、もう1枚だけ。この辺は恐らくはどこかしらの過去画記事で書いている可能性もあるのでアレだけど、今思うともしかしたら赤い2133編成を撮ったのは最後だったかもしれない。というかこの撮影日を見ると俺まだ中3なんだよね。今の時代の中3の方がよほどいい写真を撮っているというのはさておき、高校受験にあそこまでお熱だったんだから電車撮ってないで勉強した方がいい(笑)。もっとも結果として進学した我が母校は楽しかったし、今もよくしてくれている同期かつ親友諸氏や先生方には感謝しているので、どうせなら最初から母校に絞って中学生の時から色々と撮っておくべきだったんだけどね。
おじさんそろそろ昔話やめなよ。はあい。という訳で時空を令和7年に戻します。令和と一言に書いても、令和元年は既に6年前なので元号が変わった頃と今とで色々と違うんだなと思うと色々考えさせられる。

ファッ?!これはたまげたなぁ…。全体的に数分程度の遅延があったようなので、まぁ多少はね?数分程度の遅延が原因となって乗換えレースに敗北する可能性は確かにあるが、そこでヒス起こす短気な客側に生まれなくてよかったなと思う。駅員さん乗務員さんにキレて遅延がなかったことになるのであれば、是非とも論理的な解説をお願いしたい。ムリだろうけど。そういう人種は心がロンリーだもんね!ワッハッハ…ハハ…ハァ。無職ニートキモータヒッキーの俺だって社会的にはロンリーだろうが。鉄道利用客は嫌いだけど、その364,364倍嫌いなのがインバウンドと移民です。

ダメみたいですね…。立ち位置を変えてもよかったんだけど、ロケハンちうに沿線に生えていた日本語を話せない可哀想な人の近くに行きたくなかったのでここで粘った(後にもう少し八景寄りの立ち位置に移動した後に結果としてここに戻る)。後から来て人の前に入れるその神経の図太さが羨ましい限りだ。
なおこれ以降もえげつない分量の写真が残っているので、しばらくはこの後の京急撮影記が記事として続いてまいります。帰りの成田エクスプレス53号車内で死ぬ気で現像して津田沼手前で何とか間に合ったんだった。東京からほぼ満席でキモかったし隣に気持ち悪いしけたジジイが来た上にすみませんの一言も言えなかったあたりキモかった。とはいえ、例の文庫~八景にいたのもそのトナラーも死んでしまったのでご冥福をお祈りいたしません。成田エクスプレス車内でのあれこれについてはまた別の記事で書いていこう。移民が一番クソだった。
令和7年5月上旬執筆