皆さんこんにちは。今回は本千葉・蘇我での撮影を振り返っていきたいと思います。
最近こそ千葉県内の電車ばかり扱っている当ブログですが、この撮影は令和5年8月、まだ私が大学院生で名古屋に住んでいたことでした。学歴ロンダリングって意味ではあの院だけでも出ておけばよかったんだろうけれど、正直思っていたよりって感じだったというかネームバリューだけというか、もう終わったので知りません。そんな私の人生の話はどうでもいいので、早速本題に行きましょう。

外房線運用のC415編成。一応現時点では209系2000代・2100代の4両は6両からの編入を含めて全ての編成が現役なので、置換えが始まる前にもっともっと沢山の写真を、その写真を可能な限りでかっこよく撮っていきたい。マリCの6連撮っとけー。うわでた(笑)。マリCなんて聞いたことねーよ(笑)。ただでさえミツBとかミツKとかああいう呼び方は苦手なのにマリC(笑)。いつだったか千葉支社戦隊マリンガ―Zなんて寒いネタでいじったこともあったなあ。通勤快速廃止ビーム!

後続の快速は既にE235系1000代。正直E217系みたいに昔からの思い出がある訳でもないせいで、無論好き嫌いの話ではないものの、正直今の私がE235系1000代にE217系並の情熱を注ぐことができる自信はない。とはいえそれは今だからこそ言えることであり、きっとこれからの30年ぐらいの間にE235系1000代との思い出も増えていくことだろう。多分15年もしたら普通に情熱を注いでる気がする(小並感)

友情出演ということで3544編成のワンマンも。京成のワンマンについてはあくまでも試験的にやっているものだろうし、京成線各線内において他社局の車両もわんさか乗入れている現状に鑑みると全線ワンマンはやってもあと20年ぐらい後だろうと思うが、まあ試験的にやりたいんだろう(某無能大臣構文)

JRに話を戻して、これは定期回送のE257系500代。当時はまだ255系もいたものの、日中を幕張車両センターで過ごした一部の編成は夕ラッシュの京葉線経由の特急に充当されるためにこうして回送される。NB-18の因縁(?)についてはまだこの写真を撮った時点では知る由もないので割愛するが、個人的にはそれ以上にやはり房総特急の減車がただただ残念だ。

こちらは一眼での写真がレンズエラーでダメだったので回していた動画からの切り抜き。ご覧の通り画質が終わっているのが大変申し訳ないが、編成はY-31編成だろう。この編成の配給も撮りに行ったなあ。E217系がいなくなるのはやはり寂しい。きっとロクなラストランもないままのお別れになってしまうのだろう。 追記:なりました
無論私とて気を付けてはいるが、それでも撮り鉄が世間から叩かれる風潮がある以上は仕方ないのかもしれない。まあ、数字のためにでっち上げの報道をしたり、何かと撮り鉄を引き合いに出したり、あまつさえ車移動を外野が否定したり、そういうのを見ていると争いは同じレベルでしか起きないと思ってしまうが、これもお気持ち表明なんて言われるオチなんだろう。外野が首を突っ込むのはキモいし、でも首を突っ込ませる原因を作る撮り鉄もキモいし、あーもうめちゃくちゃだよ~。

後ろ4両はY-131編成だったみたいだ。E217系が置換え対象となった理由に関しては正式な理由こそ知らないものの、塩害はその理由の1つだったのだろうか。何はともあれ、なんかいなくなってしまうのは寂しい。でも実感わかないんだろうなあ。

続いてのローカルも209系。それはそうなんだよなあ。209系2000代と2100代はできれば京浜東北線での0代の写真も撮りたかったけれど、しかし房総ローカルでの活躍の方が最早長いまであるので、なんか房総ローカルが209系じゃなくなったら寂しいかもなあと思ってしまう。もし叶うのであれば113系と211系3000代の置換えを行っている時期にタイムスリップして色々と撮ってみたいとも思ってしまう。
こちらはまた別な帰省の時の写真。

こちらは当時既に中央西線名古屋~中津川において回送を除いた定期運用がなくなっていたはずの313系がたまたま代走という形でローカルに充当されていた。長距離で乗るなら313系がベストだけど、でも名古屋近辺のラッシュ時の混雑に鑑みると…ね。そういう意味では中央西線の名古屋~中津川って難しいんだろうなあと思う。当時のバイト先での末期で干されていた時は毎週のようにラッシュの電車での引取りを任されていていたと思うと今若干イラっとしないこともなかった(笑)。当時のバイト先において私が死ねばいいなと思った人間に関しては令和6年末の時点で全員がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。
なおこの代走に関してもTwitter(知り合い向け非公開アカウント)には貼っていたが、案の定めんどくさいのが齧りついてきて大変だった。

この時だったかは不明だけど、一度新幹線ひかり号に乗っていて(のぞみよりは空いているので)静岡到着場面で「そういえばこの時刻だとちょうど千葉あずさが甲府を出ている頃か」と思って、静岡発車後に新宿→千葉のあずさ50号の指定を抑えていたことがあったか。この時だったかもしれない。思えば名古屋に住んでいる時もこうして時折E353系で帰省できていたのは楽しかったなあ。E353系はこれからも沢山お世話になっていくことかと思う。山梨と長野に行くにあたっては中央道を車で走っていくのも楽しい反面、E353系というか電車なら私が運転する訳ではないので、酒を飲めるというのが一番の利点だ。

千葉到着後の撮影だろうか。車両等こそ変われどE353系というか特急あずさの千葉発着が今でも維持されているのはありがたいこと。3月改正で特急はちおうじ・同おうめが運転を取りやめてしまうため、E353系の運用も少なからず変わるものと思われる。運用に関してはさておきやはり客の動線については個人的に研究していきたいが、それでも執筆日時点では千葉発着のあずさ号(と朝の回遊)についてはこれといった言及もないので、まあ流石に存続するものと信じている。昨年の津田沼始発快速のように最悪の結末にならないと思いたい。20分我慢しろ小僧(童貞ヒッキー)をネタにするのはまた今度やるとして、まあ朝の千葉あずさは錦糸町・新宿までの通勤特急としての役割もあるからな。その千葉あずさの着席戦争で私に敗北したクソダサリーマンに関してはまたいつか。

千葉で降りて、貫通の確認後(要出典)に幕張車両センターに回送されていくE353系。思えば実質的に第二の人生となった甲府市民時代を支えてもらったE353系がこうして今の私のホームグラウンドである千葉市にも毎日来ているのはなんか嬉しいし、余裕ができたらもっと千葉直通も増えてほしいなあなんて思う。それはヲタクとしてもそうだし、房総特急の全体的な減車に鑑みてもそう思う。まあ千葉支社は申し訳ないがもうそこに関してのみ信頼できないので、そうなることはないと思うけどね。かといって現業社員の方々にキレるバカは死刑でいいと思います。

先程の一連の写真を撮影した後に撮っていた1枚。まだこうしてカメラを向けたらE217系がいたのにな、そういう感想が一番に出てきてしまう。そうだよなあ、E217系もいなくなってしまうんだもんな。それは頭ではわかっている理屈だが、しかし実際にE217系が本当にいなくなってしまったら本当に寂しくなると思う。

して、なんか蘇我に足を延ばしていた模様(笑)。同日の撮影ではないと思うけれど、このさざなみ9号が例のJRファイヤー改正で廃止になるとも思っていなかった。まあ9時5時(笑)で働いている連中からしたら東京21時半発の特急、それも君津行なんてまあ使わないのだろうというのはわかるし、中国の武漢で発生した新型コロナウイルスを受けて若干変わった世間様のライフスタイルに鑑みても、こればかりは致し方がないのだろう。そこでJRさんを叩くのは流石に違うと思う。

これも蘇我での撮影。このシチュエーションに関しては三脚なんて使ったら入線中のE217系が確実にブレていたんだよね。ちなみに私個人の意見として、どこで三脚を使おうが往来妨害の罪の構成要件を満たした時点でアウトだし、言葉を返せば三脚を使っていようとも同罪の構成要件を満たさず、かつ乗務員さんからして危険行為と判断されていないのであれば不法行為ではないと思っている。ただし鉄道会社側に施設管理権のある駅構内では指示に従わないといけないとは思うけど。

気を取り直してE217系の快速。Y-104編成も記事を書いている時点でもういない編成だったかと思う。当時こそそうは思えていなかったものの、しかし今となってはこうしてE217系がまだそこそこ残っていていいなあと思ってしまう。今になって慌てて消していた記事をこうして書き直している訳だけど、何とかE217系運用終了前にE217系の記事は放出しきりたい。まあ運用終了後も楽しい楽しい配給追っかけツアーがあるので、記事を書けない訳ではないけれど。

蘇我で発車待ち中のEF210牽引貨物列車。新塗装もだいぶ見慣れてきたなあと思う。かれこれ255系臨時特急を撮った昨年9月上旬以来全然京葉線を撮っていないので、次の休みで久しぶりに撮りに行こうかなあ。

2番線の209系ローカルと1番線E217系。外房線からのローカルと内房線からの快速がほぼ同時刻に到着し、先に出ていくのは快速。お急ぎの方は快速をご利用くださいという案内があるが、個人的にはE217系でなければ敢えて空いているローカルで行こうかと思う。千葉みなとから歩くにしても本千葉から歩くにしてもというのはさておき、仮に蘇我から本千葉までだと1駅数分といったところではありつつも、ガラガラのボックス席で缶ビールの1本でも飲みたいもの。ビール!ビール!

E217系が出ていく。こうして見るとマジで沢山いたんだなあ、一昨年は。名古屋自体は楽しい街だったし、私も日本三大都市という都会に住めたことは貴重な経験になったけれど、でもE217系の置換えをなかなか見られなかったのだけは痛かった。もっとも都会とはいっても、私がいた天白がそうかと言われたら…だけど。ただ夜の栄や錦ではもう少し遊んでみたかった。あと伏見ね。いい飲み屋さんいっぱいありそうじゃん。

話を電車に戻す。こちらは209系2100代の普通千葉行。209系2100代にも113系時代に両国から運転されていた新聞列車みたいなのがあったら、時折今の私が撮っていたのではないかなあと思わないことも無い。快速は120km/h、特急は130km/hで爆走する市川→西船橋で快速や特急に煽られながら209系が爆走しているところは是非とも見たいし、乗ってみたいとすら思う。ボックス席のドリンクホルダーから飲み物が落ちそうだけど。

10両のわかしお。この時は目視で6~7割が乗っていて、そのうちの半分程度は蘇我で降りて行った。自由席もあった時代とはいえ、夜間帯のわかしおは千葉市民中央区民のみならず(蘇我が中央区って去年まで知らなかったのはさておき)外房線沿線各自治体の住民の貴重な通勤特急ともなっていたことだろう。流石に勝浦やその先への需要は多くないかもしれないけれど、例えば大網や茂原あたりまでの需要もかなりあったのではないか。

もう10両も定期で見られないのはねえ。無論JRからしたら車両だって足りていないと反論したい気持ちもあるだろうし、そこに関してはやはりコロナ禍での減収等もあっただろうから理解はしているが、しかし次期特急型の導入でどこかしらに余剰車は出るだろうから、それを潰すのではなく首都圏全体で足りていない特急車両の増強として何らかの形で活用してくれると願いたい。

そうだ、この頃から500代にもコンセントが付き始めたんだったね。で、255系引退もまことしやかに囁かれ始めて。窓側だけとはいえ、コンセント設置は素直にありがたいと思っている。まあ私が基本的にご指名させていただくしおさい11号だと、コンセントを使っても東京→千葉の30分程度なんだけどね。とはいえそれでもPCの充電はできるので、やはり助かることは事実だ。
※PCをパーソナルコンピューターの略ではなくパトカーと変換して口でフットサイレン「ウー!」しちゃう痛い警察マニアの方はお帰りください。ウー!きんきゅうちゃりょうてんかいしあーちゅ!転回して帰ってくれました。

恐らくはさざなみ号の運用を終えての回送と思われるNB-18編成。君津ないし木更津あたりへの停泊ってないんだろうか。まあしおさい11号だってわざわざ毎回幕張に回送しているし、ないのかもしれないね。いや~そうか、この時はまだ令和6年春改正の内容発表前だから京葉線の通勤快速廃止等があそこまで炎上していなかったのか。100日後に燃える鉄道会社。

京葉臨海鉄道の機関車が入換をしていた。ノイズがひどい。

折返し西船橋行となるケヨ509編成。そうだ今のうちにE233系5000代もコンプリートしておかないとなあ。しかしまあ改正で元なるかつがなくなるかと思っていたんだけど、今のところアナウンスがないから存続みたいだね。いやまあ昨年の津田沼始発快速問題みたいにしれーっと掲示物でお知らせしてJRファイヤー2025(2026かも)をやってくれる可能性もあるかもしれないけれど。
それはそうと、京葉線の蘇我・海浜幕張・新習志野方面からの電車の場合は基本的に通過駅がない場合は「各駅停車」なんだけど、西船橋行に限っては「普通」表示となるのが興味深いところ。普通列車・普通電車の場合、例えば東海道線のように線路上にある駅だけ停まって書類上の駅でも線路上に駅のない駅、例えば京浜東北線の有楽町や蒲田や東神奈川といった駅は通過する。この理屈で類比した場合は、京葉線西船橋行は書類上はどこかの駅を通過している(二俣新町あたり?)という解釈が理由になるのだろうか。違ったらスマン。暇なときに調べてみようと思います。

翌朝、当時住んでいた名古屋に帰るために千葉駅で電車を待っている間に255系しおさい1号が入線して来たので撮っていた。朝早くてとても眠くて死にそうではあったが、錦糸町の留置線に湘南号の運用を終えたE257系2000代がいるのを見たり新幹線乗車後に同系同代と並走したりしたのはこの時だったかなあ。まだ新学期ではなかったので、多分家に荷物置いて着替えてその足でバイトに行っていたのだろう。よくしてくださった方も副店長や社員さんに大半のスタッフの皆さん等たくさんいらっしゃるのであんまり悪く書きたくはないが、なんか色々と無駄な時間だったように思わないこともない。
y