令和5年、私はまだ名古屋にいた。大学院生で放課後は予習復習とアルバイトに明け暮れ、土休日は基本的にフルタイムでアルバイトという生活をしていたが、たまにこうして金曜にバイトを終えたその足で終電に乗って帰省するということをしていたものだった。なお現在はアルバイトも大学院も辞めていることを考えると、意味のない人生だったと思ってしまう。
当時の最寄りである鶴舞線の原またはバイト先の最寄り駅から地下鉄鶴舞線に乗りまずは鶴舞へ。そして~今日も~地下鉄に乗り~

やってきたのは当時現役で中央西線からの撤退まで半年程度となっていた211系5000代。といっても中央線は鶴舞を出ると金山、終着の名古屋の順に停まるだけなので大した時間は乗らないんだけどね。ロングシートということで中津川から乗る時は敬遠しがちだったが、特にラッシュ時なんかは逆に当たりになることもあった車両。確かこの頃はもう313系の中津川以西運用ってなかったんだっけか。私が名古屋に来たばかりの頃に315系が営業開始したが、その時に「JR東日本とJR東海による211系全廃RTAが始まりました!」なんて書いていたと思う。圧倒的にJR東海の勝ちでした。

名古屋からは東海道新幹線で一路関東を目指す。都内から通われていたという先生もうちの大学院にいたが、遭遇することはなかった。そりゃまぁ16両もある列車が1時間に何本も走ってますから。確率に鑑みたらってはっきりわかんだね。逆に新幹線で芸能人に遭遇ってそう考えるとすごい確率じゃない?とも思った。
私は電車オタクでドルオタでもあるが、でもいちいちアイドルが新幹線車内で自撮りしたツイートに「何々系だね」ってリプライや引用をしたり、あまつさえ「鉄オタじゃないからN700Sとかわかりません(なおN700Aだった模様…)」といきなり会話に入って来たりするような、「そっち側」に生まれなくてよかったと思う。好きな女の子が俺と付き合っちゃって悔しかったんだね。悔しいのう悔しいのう(笑)。25にもなって好きな女の子に意地悪って小学生じゃねえんだから(笑)。JR東の子会社にいたのにE257系5000代・5500代を知らないフリで通そうとしたその努力は認めますよ。※その方はお亡くなりになっています

名古屋発車、21時39分ちょうど、時刻ヨシ。乗降オーライ、ドア閉じ。全然違うし何してんだこいつは。飲酒の緩解ヨシってか。バカなのはわかるし、こんな頭でも大学院に通っていたという事実に戦慄する。結局挫折しているあたりそういうところだとは思うが。実際小論文と面接しかやってないしね。
ちなみに先ほどのセルフ喚呼(リアルでやるとマジで痛い奴)は映画「新幹線大爆破」の「はやぶさ60号」の本務車掌である高市和也車掌(草彅剛さん)が新青森場面でしていた喚呼の応用。会社違うじゃないか…。東海道新幹線だと「側灯滅、挟まれなし、接近なし!移動開始、挟まれなし接近なし!」だったよね、確か(戸閉前は知らんので戸閉後で代用)。勝手に乗務員さんのお仕事を撮影してyoutubeにうpするお察しな方々の動画を見てまで確認しようとは思わないんで間違ってたらサーセン。あといきなりエキセンや車の中でモノマネしたり、あまつさえ某鉄道系博物館シミュレーターでガチッたら本職ですかって言われた自慢をしたり、そちら側に生まれなくてよかった。係員さん内心引いてたと思うよ。

乗車中の列車はひかり668号。指定席を利用する場合、ひかり・こだま号はのぞみ号より若干安く利用できるほか、名古屋からの上り列車においては(本数の都合もあるが)大半の脳死がみーんなのぞみに乗ってくれるので、ひかり・こだまの方が若干空いている可能性も高い。ジャパンレールパスはのぞみ号で使えなかったはずなので、ひかり自由席は怖くて乗れないけれど。インバウンドはもう公害だし、インバウンドではなさそうな外国人が道を普通に歩いているのはおかしな話だよ。極めて不愉快ですよ私は。極めて不愉快ですよ私は。※大事なことなのでry
車内では酒を飲みながらも院の授業の復習に励みつつ、名古屋から1時間半程度で品川に到着。品川の折返し設備を有効活用する形で東海道新幹線の増発ってできないものなんだろうか。

編成はG49編成、令和元年夏に落成したまだまだ新しい車両。私がその翌年から遠距離恋愛で時折新幹線を使っていた際はどういう訳かN700Aばかりを当てていて、当時の彼女と乗ったのもN700Aだった。編成違うけど。終わった恋だし未練はないのでその話をしたいのではないが、N700Aがデビューしたのは平成25年2月、私が中学生の時というのが信じられない。いじめ天国(地獄だったけど)の中学校に登校する前の朝のニュースで見たのが昨日のことのようだ。N700Aは700系の後継として製造された車両。
品川の喫煙所で一服してから横須賀線ホームを目指して酔っ払いが歩いていく。この時は学割ではなくSmartEXを利用していたので、モバイルSuicaでスイスイ(モバイルPASMOを使っていた可能性はある)していたはず。いちいち学割証を取りに学務課だか教務課だかに歩くのが面倒だったというのもある。私の出身大学と違って大学院のキャンパスすんげえ広かったもん、何回も迷子になった。できればああいう大学で学部生の生活を送りたかったものだ。

横須賀線南行にE217系が来る。これはどの編成だろうか。きっと一度はお世話になったことだろうと思う。その節はありがとうございました。

私も2226S、当時の千葉行終車で千葉を目指していこう。15両で運転されるこの電車の前11両はY-22編成での運転だった。院の2年生だった令和5年度、まだまだE217系もいたのが既に懐かしいしこの時に戻りたいとすら思ってしまう。千葉行の終車で金曜日夜に帰ることが多かったが、この数か月後に24ちゃいの誕生日を迎える瞬間にこの電車に乗っていた時は既にE235系の運用となっていた。

品川場面ではボックス席もがら空き。やりますねぇ!グへへへへ。千葉まで快適な帰宅時間となりました。普通車ボックス席での飲酒は既に横須賀線・総武快速線においてはできなくなっているが、今思えばいい思い出だ。どこかの記事でも書いた可能性があるが、私が大学進学で佐倉を離れるに際して千葉→東京でE217系に乗車して送り出してもらった私がこうしてE217系で帰省することができたこと、そして最後の1年に再び千葉県人となった私が立ち会えて数回程度だが長野まで追っかけることができたこと、嬉しく思う。まあこの時の私は挫折という形で千葉に帰るなんて思いもしないのだけど。

無事に千葉に到着、6番線の到着だったんだね。E217系で帰って来られたのが嬉しかった。当たり前だったE217系に乗る機会も二度とないかと思うと残念極まりないし寂しい。251系やE351系が容赦なく全車解体となった以上、E217系の運命を察するまでもないだろう。地下トンネル含めて過酷な環境での劣化が激しかったのかもわからないが、どこかしらで生首でもいいから保存されたらいいのになと思ってしまうのはオタクの悪い癖なんだろう。
なおこの後に徒歩で帰宅した私だが、疲労と寝不足に加えて名古屋→品川→千葉でしこたま酒を飲んで帰ったんや。したところ、疲れからか不幸にも途中で力尽きて昏倒してしまう。アイスティー飲んでないのに…。まあ実家の玄関だからよかったんだけど、翌日親にタバコがバレて無事に怒られました。お疲れさまでした。
翌日。大学院の授業というかそのための自習で使いたい本を探すという建前で電車を撮りにいこう。ニコラス・デンシャスキーって感じだ。どこの外人だよ(笑)。実際にちゃんと本は買いました。その後の京成撮影記については後述。

あやめ祭りのシーズンだった。特急あやめ号は高速バスにフルボッコにされて10年前に廃止になってしまったが、着席通勤の需要に鑑みたらワンチャン復活の道もある気はしつつ、朝の上りのうち佐倉・成田からの需要は成田エクスプレスが代替している以上は無理なのかね。

3668編成のターボ君をどこかしらのエキセンで撮っていた、西登戸だろうか。4両になってから3668編成を撮るのはワンチャンこれが初めてだった可能性が微レ存。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁあああ!おっそうだな(適当)。そんなことよりもう少し気合いを入れて撮ってくれていなかったことに困る。

津田沼で書店巡りをしたのちにY-35編成の快速(津田沼始発の可能性が微レ存)で船橋を目指す。無論当時は知る由もないが、結果として私が最後に乗車するE217系はこの編成になった。あの時は昼なのに車内で酒を飲むという安定の私らしさを発揮していたが、本当に最後かもしれないと思うと今までの思い出が蘇ってきて、どういう訳か視界がぼやけていた。理由としては、酒を飲んでいたので水分過多となった上に身体も火照っていた(これを利用してこないだの冬は暖房使いませんでした)ので、目ん玉も汗をかいていたということが予測される。
この時とは関係ないが、狙わずに乗るのが最後だろうと思って乗ったら乗車自体が最後。ちょっと残念な終わり方ではある反面、こうして私の日常の大切な日々を彩ってくれていたE217系だからこそ、そんな別れ方もまた一興だと思いたい。まあこのY-35編成は廃車回送を長野までストーカーもとい追っかけしてるので完全なお別れが最後の乗車ではなかったが。

A508編成の黄色い総武線。やらかした~この時の写真の原版が見当たらない。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁあああ!だから困ってるのは俺だから…(困惑)。そんなに不満なら堂々と悪口書けばいいのに、わざわざ某氏ってごまかしたり名前も出さずにエアリプでお気持ち表明したり、あの手の人種は本当に卑怯だ。
それはそうと、この時期ならではの臨時特急あやめ祭り号の運転があるほか、E257系5000代が臨時特急の運用に就いていることもありしばらく船橋で撮っていこうという感じでエキセンながらも撮影を開始。総武快速は沿線撮影地が実質皆無なのが残念。いやなくはないけど。

臨時特急あやめ祭り号に充当されるE257系500代と黄色い総武線では少数派となったE231系0代の並び。なかなか撮れるものではない(気がする)ので、まあこの写真自体はスマホでの撮影とはいえ、当時の俺ナイスゥ。

NB-15編成で運転されていたあやめ祭り号の写真がこちらだ。今年はもうエキセンで撮らないぞ~と意気込むのは私の自由だが、そもそも去年ちゃんとあやめ祭り撮ったっけ?って話になるのか。一度ぐらいは撮ったと思うけど。と思って過去記事に検索をかけたところ、千葉のエキセンで撮っていたらしい。まあ構図は5両にちょうどいいが、やる気はどこへ行ったのだ…。今年はモノサクはじめ各沿線撮影地で撮ることができたらと思う。

Y-33編成の下り快速。こういうのも本当に撮っておいてよかったと思う。Y-33編成は比較的最後まで生き残ることとなる編成だが、令和7年1月に引退して廃車回送された際は甲府でも撮影していた。あの時は色々とむしゃくしゃして何も考えずに甲府に行ったんだった。基本的にスマホ鉄した写真をバカ真面目に載せることはしないが、今回はE217系なので大目に見ていただけたら幸いである。

Y-32編成の快速。この編成の廃車回送に関しては高尾での撮影より先の追っかけができなかった。今思えばもっともっとE217系の廃車回送も追っかけておくべきだった。(やる気のNASAに)たまげたなぁ…。
255系Be-05編成の新宿さざなみ号。この辺は既に記事にしているので今回は未公開写真もついでに供養・帰省日記としての記事ということで駆け足で書いていきたいと思う。Be-05編成は結局255系で最初に廃車になってしまったが、定期運用終了(京葉線一部特急の代走を除く)から1年と少しして唯一残されていたBe-03編成が臨時列車に抜擢されたというのだから、だったらあと2編成ぐらい残しておいても良かった気はする。まあ計画変更の可能性もあるし、仕方ないか。撮影に関しての未練は正直ないので、快速線内を爆走している時のモハ、客レのような乗り心地のサハ・快適なグリーン車にはもう少し乗っておきたかった。結局255系1編成ってのもアレだからって秋田から255系の返品があったら腹をかかえて爆笑しつつ撮りに行くんだろうなあ俺は。ほら、113系でもあったじゃん。いやあれは大雨で長野に行けないからという理由での返品だから一緒にしないでもろて。

255系との並びもね。この数か月後に挫折した私は翌年度に泣きじゃくりながら千葉に帰ってきて再びめでたく千葉県人になった訳だが、まさか255系もE217系もいなくなるなんて思ってもみなかった。いやE217系に関してはだいぶ覚悟してたんじゃないですかね…。この記事が出る頃、どうなっているのだろう。255系は執筆日の時点でBe-03編成のみが残っているが、マニア用の金のなる木としても9両という収容力を活かしても、最繁忙期だけでも何かしらの運用があればと思う。絶対運用辞めないで。うわキモ!頼むから俺の推しにクソリプするのやめてもらっていいですか。アイドルも大変だよなぁ。クソリプはされるし、「俺が来て嬉しそうだった」って言われるし。俺が来て嬉しそうだったは草(笑)。勝手にやっていればいいが、頼むからイコノイジョイで勘違い彼氏ヅラだけはしないでくれ。俺のことを殺してくれても構わないからそれだけは本当に。
