こんにちは。いつかの記事の続きとなります。詳細はソチュラをお読みいただいた方がわかりやすいかと思いますので、先にお読みいただいた方がいいのかもしれません。ざっくり書いておくと、記事の後半ではセントレアからJALで千葉県に帰省していたってだけです。無事に着陸できたので、名残惜しいが降りて次なる目的地に向かうこととしましょう。乗務員の皆さん、ありがとうございました!

無事に成田空港に到着。本当に乗務員さんはじめ沢山のスタッフの皆さんのお力のおかげで帰って来られた。改めて御礼申し上げます。また成田空港からどこかに行きたいし、成田空港に帰ってきたいと思う。それこそ空港までの東関東道は四街道からの一部区間では合法120km/h運転できるし。

航空博物館提供の模型。航空博物館もかれこれ20年ぐらい行ってないっけか。また行きたいね。

かつて検問があったところ。空港に遊びに行く度にここで検問があったのも今は昔、流石に今は存在しない。なお令和6年12月8日に公開した記事においてもここを通っている(その時の内容自体はこの写真の翌年)が、あの時は腹痛でトイレに向かって高速進行していたので、ここの検問がなくて本当に良かったと思った。この時はまだそんなことを知る由もないが。無論私はそういう危険な思想ではないので、そういう意味で検問がなくて助かったと書いている訳ではないことは普通の方にはおわかりいただけよう。覆面パトカーをバス停に停めて買い物している成田空港警察署のバカ刑事にはわからないだろうな。過激派に火炎瓶でも投げられて死ねばいいのに。

そんな税金で遊んでるクソ私服刑事とは違って日々空港警備に当たられる制服警官と警察犬に成田空港を感じつつ、ひねくれたヲタクである私は2ビルから東成田に歩いた。全員がそうとは言わないが、警察官って酒の飲み方が汚いっていうよね。バカでも税金で安定したいい給料もらえるなんて羨ましい。
誰もいない通路を歩く。と言いたいが、なんか1匹ぐらい人間がいたかもしれない。どうもでいいわ(笑)。赤の他人にマジで興味がないもの。成田空港の機能拡張でターミナルが集約された場合はこの通路も再開発で消えてしまうのだろうか。バカな政府のせいで既に公害と化したインバウンドで2ビルも空港も終日ひどいことになっているので、そういう意味ではまあ作り直した方がいいのだろう。しかしまあ石破にしろ岩屋にしろ、ほんと中国好きだよなあ。俺は中華料理は好きだけど中国や共産党は好きだと思えない。

がらんとした東成田駅。ここがごった返しているのは7年前の旧スカイライナーホーム公開の時ぐらいしか知らない。しかし個人的にはこうして静かな東成田駅からしか得られない栄養素があるとも思うので、このままでいてほしい。空港機能拡張でなくなってしまったら嫌だなあ。

改札。これがもし成田空港駅だったら明らかにどう頑張っても改札が足りないね。東成田はこのように客は少ないように見えるけれど、案外空港関係者の通勤で使われているなんて話も聞く。そんな東成田よりも客が少ないと言われるのが大佐倉です。

これでこそ東成田駅。向こうの暗いスカイライナーホームは現在留置線として使われていて、夜間停泊もある。京成の乗務員になれば合法的にスカイライナーにも乗務員室にも入れるということになる。しかし間違っても乗務員室でミーグリをしてはならない。みっちゃんも困ると思うよ。もう乗務員室ミーグリ事件から1年かあ(笑)

東成田からは3500形の各駅停車でとりあえず成田を目指す。まだ柿と沼のバラードがう歌われる前の話だよ。芝山シャトルは日中に限って4両ワンマンだけど、この時のダイヤでもワンマンこそ行われてはいたものの、こちらは元より6両の運用だった。個人的には芝山シャトルは6両のイメージなので違和感がなくてよろしい。いや何様(笑)

令和の今も車内に扇風機があるのがすごい。実際暑い日に乗るとエアコンのアシストをしてくれるので実はだいぶ助かる存在でもある。乗車中の編成のうち上野方成田方の2両、計4両は3504編成で京成の現役の車両としては最古の編成。御年53歳、電車としてはかなり長寿の部類。そんなおじいちゃんも執筆日時点で最後に車検を通っている編成なので、下手したら最後まで生き残る編成または動態保存対象となる可能性もある。

東成田→成田を爆走中。この辺って車で走るといい感じの田舎でめちゃくちゃ楽しいので好きだ。峠やワインディングとはまた違う楽しさがある。この電車も東成田を発車後に分岐器を抜けると駒井野信号場通過前から爆走してきて、まあそれが3500形なのでそれはもう轟音でゴイスー。京成本線ではうすい~ユーカリが丘と並んで一番爆走できる区間でもある。

成田に到着。どこかの記事でも書いているかと思うが、この存在を知らない大会帰りの連中がこれに乗って東成田・芝山千代田に連行されていったのは面白かった。中学の時の話だけどね。次に京成でダイヤ改正をするのであれば、日中の本線からの電車は成田空港ではなくて東成田または芝山千代田発着に変更、成田~成田空港でワンマンをやることで本線から邪魔くさいインバウンドを排除して欲しい。オーバーツーリズムはもう公害だよ。

酒々井の撮影地に寄り道。そりゃ久しぶりに帰ってきたんだもの、京成の電車を撮らない訳には行かないでしょう。

何か貼ってある。見てみよう。

酒々井って成田管轄だったんだ。いやそこを見ている時点でだいぶ重症のヲタクだけど、ここの撮影地において私が知らない間に何かしらのトラブルがあったのだろう。エキセンならわかるけど沿線撮影地でも問題を起こすとは恐れ入りましたわ(笑)。無論そんなの一握りだけど、かといって鉄オタに自浄作用なんて期待していないので私も偉そうなことは言えない。ただ撮り鉄を叩けば数字を取れると思っているバカな売国マスコミの連中は、誹謗中傷にならないギリギリの範囲に限り不定期でいじっていく。とりあえず朝鮮中央通信、間違った、フジテレビはご愁傷さん(笑)。SMAPのチンピラみたいな顔した、何だっけ、名前忘れたけど、あれと共々朝鮮にお帰りください。

3500形の回送からスタート。3508編成はSR無線対応前の組成では6両だったイメージが強いけど、今はご覧の通り4両で活躍している。51運用は本線での客扱いは行わないが、毎日宗吾~津田沼で運転されている定期回送で、千葉線・千原線に奇跡の復活を遂げた4両の運用(B51)の送込みと返却を兼ねているもの。時々6両でも代走するけど、その場合は千原線内でワンマン運転は行わない。

天気が微妙だけど3055編成の快速から上りの撮影をスタート。この辺はどうしても本数が少ないのでコマ単価も高くなりがちなのがアレ。とはいえ、これ以来ここの撮影地にも行けていないので、また日が長くなった頃にでも行きたいと思う。快速高砂行なので、まあ高砂からは(お察しください)。それはそうと、私の写真をアンサイクロペディアに無断転載した劉禅というガキについては既に昨年のうちに書いた記事で派手にいじっている。早くそれを公開したい。

快速特急の登場時(当時は快特だったけど)は夕方というか日中の上りでもこうして撮ることができるなんて思いもしなかったよなあ。そんなことを思いながら撮っていたかどうかは不明。まだ3818編成もヘッドライトがハロゲンだったんだなあ。LEDに換装されるのはここからおよそ半年後のことだったが、当然そんなことを当時の私が知る由もない。

ケツうちだけど下り特急。本線高砂以東から成田空港に行くときは若干不便にはなるけれど、正直スカイライナーに乗る金すらケチる貧乏な公害インバウンドが本線に流れてくるだけで不愉快なのでマジで系統分離してほしいと思ってしまう。本当に不愉快だもの。特に中国人ね。そのうちインド人でも酷いことになるかと思うと今から頭が痛いし、そういう意味でも観光政策ばかり進めてきたバカな政治家や官僚は死ねばいいと思っている。何が観光立国だよ(笑)。何が楽しい日本だよ(笑)。

3037編成はいい感じに晴れました。わーい。特急はこの区間においては急行灯は点かないのでご注意を。やれ急行灯を日中は点灯しないという指導があるだのなんだのとTwitterでお漏らししてしまう自称社員(何が職だよ(笑))もいれば、急行灯1つでヒス起こして喚くガキもいて、なんかここ最近の京成はギスギスしていて嫌だなあと思う。この頃はまだそれどころか乗務員室ミーグリ事件もなかったけれど。乗務員室ミーグリ事件ってなんか語感よくない?

次の各駅停車は曇っちゃいました。私の心みたいだ。いやどういうことだよ(笑)。日中は基本的にここには6両が来ないが、これらは夜のラッシュに備えて宗吾を出庫してきた各駅停車。多分ね、多分。当時の運用表がないから断言はできない。

後続の快速は3038編成。当時と今ではそこまで車両の顔ぶれも変わらないが、やはり3000形って多いんだなあと思ってしまう。それだけ完成されている形式というのはわかっているし、別に嫌いだと思ったことも無いけれど、しかし撮っている分には…という気持ちがない訳でもない。そういえば執筆開始日(1月24日)に公開された新3200形の車内を見たけど、モケットがまたガッツリ変わったね。早く実車に乗ってみたいなあ。

また微妙に晴れてきた。まあ曇るよりはいいのか。急行灯に関しては日中は点灯しないことというご指導があるらしい(笑)。もっとも常々書いている通り、私にとっての急行灯はあくまでもレッツ運試しに過ぎない存在であるため、急行灯点けろだのロービームにしろだのとお気持ち表明はしないのでご安心いただけたらと思う。応援ハイビームは熱い漢の想いに応えて全力でネタにする。大丈夫だって、京成の社員の方がこんなブログを見ている訳もないんだから。

3700形と3500形の離合。被りという解釈もできるけれど、個人的にはナイスなタイミングで離合してくれたのでおk。こういう並びだってきっと10年もすれば貴重になることだろう。知らんけど。3700形のうち機器更新の有無が今後の命運を分けることになるのかもしれないが、それはまだ現時点では何もわからない。まあ私も内部情報を教えてくれる「俺のダチ(だからダチなんて言い方してんじゃねえよDQNが)」もいないので、予想で書いていくことしかできないけれど。

5510編成の回送。佐倉から成田かどこかまで回送して折返し快速として運転されていたと思う。というか帰りに勝田台から乗った。それについてはまた後述。55Tだと馬込出庫の運用だろうか。

3009編成の各駅停車。3000形の後継がどうなるのかについては気になるところだけど、まあまだまだずっと先のことだろう。逆に3000形が廃車になるなんてあと20年ぐらい後かと思うが、しかし20年前(5ちゃい)を思い出すと何だかんだ今日まであっという間だったとも思うので、まああっという間なんだろう。その時の私は45ちゃい、もうアラフィフじゃねえか…。大病を患わずに今と変わらず仕事と趣味を頑張っていたらいいけれど、まあ無理だろうな。身体はボロボロだと思う。

さて、もう暗いのと次のお目当てがあるので、この快速に乗って撤退することとしよう。ハイビームに見えるけれどこれはLEDヘッドライトなのでそう見えてしまっているというだけ。だったと思う。多分。多分ね。

佐倉市名物の風車リーフデを望む。8月頃にここで毎年花火が開催されていた。この辺の景色は今になっても好きだし、印旛沼沿いのサイクリングロードをチャリで走るのも好きだった。今は車メインになっている以前にミラーのないチャリには怖くて乗れないが、また印旛沼付近にも行きたいなあと思う。屋形船に乗ると汚いから臭いけどね。印旛沼。

BGMはやっぱり「この空がトリガー」かな。あんなに切なくてイケイケな曲調の曲もなかなかないけれど、ああいうのが刺さる人間なんだ。イコラブの曲にはまた助けられてしまったなあ、とふと思った。

いや、玉置浩二さんの田園でもいいかもしれない。佐倉市自体は私が育った大切な故郷である。無論当時の実家のご近所だったり小学校中学校の同期だったり教員の大半だったり、そういうのは全員クソだったけれどね。まあ死んじゃったからいっかー。何だっけ、巻舌DQNの真似をしたら「佐倉出身は育ちが悪い」と罵ってきたクチャラー警察マニアにはわからないだろう。わかっていただこうとすら思っていないので結構。冗談で言ったのに真に受けていつまでも書かれて辛いでちゅ~!冗談だったら何を言ってもいいってことになるよね、そうしたら。こちらも冗談としてこれからもソイツと取巻きのことはいじり続ける。

なんかこれまた微妙な写真だ…。一応3448編成が下ってくるので回収していた。3400形も一部を残しておこうという話もあるようで。まあ残るんであればそれ以上のこともないと思う。それこそ現状でも既に鉄が沸いてくるのに、動態保存なんて形になったらそれこそ客寄せパンダになるだろうし。しかしまあ、そう考えると足回りだけとはいえ今も動いている初代AEってすげえなあ。もっとも車体は平成になってからの製造なので、まあ鋼製車体で塩害をモロに喰らっていた可能性もあるとはいえ、先に廃車になってしまった4編成は少し不憫に感じないこともない。それこそ鉄だって沸いてこずひっそりと引退してしまったし。

勝田台に到着。勝田台も私が高校生だった頃よりは有名な撮影地になったのか、ただ単に趣味人口が増えたのかは知らないけれど、ホーム端に張り紙までされているのがなんかなあといった感じ。無論それはルールを守っていい写真を撮ってねと言った趣旨のものであり、別にルールさえ守っていれば撮る分には往来の妨害や威力業務妨害等の不法行為になる訳もないとはいえ、やはり考えさせられるなあとは思ってしまう。正規運賃落とさなくていいなんてほざくのもいるしなあ。電子計算機使用詐欺罪の法定刑って警察マニアのくせに知らないんだね(笑)。冗談、冗談ですってば(笑)

この後は快速となる運用だけど、これだけ撮って撤退。早く帰って親の作った飯を食いたかったからね。同時に入線して来た5500形の快速(先ほどの後藤)に被られてしまったので、バルブを選択していると悲惨なことになっていたことだろう。3688編成はこの時点で車検期限が残り1年といったところで、恐らくリバイバル塗装になった当時はここまでの長期使用も見込んでいなかったはず。他の編成もこのように6両にして先に3500形6両を置換えていてもよかった気はしつつ、しかし3500形ならではの柔軟性もあったので、何が正解だったのかはわからない。逆に色々と車両計画の狂いが生じた結果、3688編成と3448編成に関しては予想以上に長生きできることとなってしまったね。

先程酒々井で撮っていた5510編成で帰る。あだ名はまあ後藤でいいだろう。編成ごとにあだ名をつけたことはないけれど。

津田沼に到着。当時3040編成には千葉県150周年生誕ヘッドマークが掲出されていた。生誕ヘッドマークではないと思うけれど。翌年の6月まで掲出されていたので、私も千葉県に帰ってきてからは何回か撮ることができていた。

乗ってきた5510編成とはお別れ。バイビーベイビーサヨウナラ。
以上です。なんか内容薄かったなあ…枚数と字数はそこそこあるんだけど。
執筆 1月24日・28日