おはようございます。本日の過去画は朝の志津での撮影です。実はこれが志津での初めての撮…違った。初めてではない。しかし。こうして朝ラッシュを撮るようになったのは間違いなくこれが最初のことだ。全てはここから始まった。多分。そしてその記録がアラサーなのに将来が心配な無職ニートキモータヒッキーになった今、こうして毎日家に引きこもって酒だけ飲んでぶくぶく太っている私の助けになっている。この記述は文字通りに捉えたい方はその通りに捉えていただいて結構だし、皮肉やジョークに聞こえる方には色々な意味を含んで捉えていただいて結構。だから言語は奥が深い。思えば文学部や教育学部に進学したらそれもそれで楽しそうだった。

そんな記念すべき当ブログの朝ラッシュ特集の初回を飾るのは3448編成の快速特急でした。でも惜しい、ケツが切れている。しかしこれも今となってはいい思い出、そう思いたい。コンデジでの撮影なので画質等にはご容赦をいただきたいが、でもそもそも構図の問題だと思う。
この時は3448が誰もが目を奪われていくアイドルになるなんて思いもしなかった。もし巷で言われる(というか京成社内で実際に検討中の)3400形の保存の件が実現した場合、後継のAE100どころか2代目AE形の初期車よりも長生きすることになる可能性が微レ存…?やりますねぇ!

続いての普通は3023編成。この編成は3004編成と並んで高校時代はよく遭遇した編成だった。それは通学でもそうだしプライベートでもそう。3000形は20年弱の間ずっと作っていた訳だが、流石に車検順に鑑みて新しい編成から廃車…ということにはならないことを願いたい。まあ、まだずっと先の話だ。下手したら俺の方が先にお迎え来ているかもしれない訳だしな。

これから沢山撮ることになる7A10レの通勤特急を初めて撮ったのは3728編成だった。流石に偶然だと思うが、私が成人して初めて乗った列車がこの7A10レで、車両はこの3728編成の3722号車だった。さなつんつんって読める車番なのもその時のエピソードもさておき、高校生の時の消えてしまったと思っていた写真をこうして掘り返した上に写真も復活させられて、挙句の果てにこうして記事にできる。これほど嬉しいこともない。

さて、こちらはまだデビューしたてほやほやの3031編成。3025編成以来カナーリ久しぶりの6両なので、正直だいぶ新鮮だったのを覚えている。そんな3031編成も今ではすっかりベテランになってしまっている訳だが、でもこの時はバリバリの新車。懐かしいな。この記事を出した次の令和8年には10年選手。3500形の例に鑑みるとあと40年は活躍してくれることだろうか←新手のパワハラ

当時は新鮮だった17インチのLCD。17インチって言われるとタイヤとホイールの話が先行することになるとは当時の私は思ってもいない。今でこそ3000形のうちスクロールLEDのあれで落成した編成ならこの17インチLCDに換装されているので何も珍しくないが、でも当時は新鮮だった。

同日に撮影の5322編成による快速。せっかくならこっちも撮っておきなさい。もー、何してんの。しかしまあこんな当時は何の珍しさもなかったのが懐かしくなるなんて思わなかった。当時に戻って電車を撮りたい。5300形、もういないんだもんな。なんかなあ。

多分どっかで乗ってた。1995年、つまり平成7年。まだ公開日で30年選手ってそれ実質新車じゃん。いや流石に新車ってのは無理があるけど、でもなんか改めて美人薄命にも程があってもったいないと思ってしまう。というか3600形の置換えで京成に売り飛ばすとか、800形・2000形・1500形チョッパ車の置換えとして京急に売り飛ばすとか、それでもよかったんじゃないだろうか。そうもいかない事情があってこういう運命なんだろうけど。
さて、今更ではあるが、関東では珍しい「優先座席」の表現がとても斬新だと思う。関西だと割とよく見るんだけど、関東で優先座席って案内はなかなか見聞きしない気がする。
さて、また別の日の撮影だ。そうか、朝の登校時に少し家を早く出てこうして電車を撮っていたのはこの頃に始まっていたのか…。てっきり高2になってからかと思ったけど、普通に高1の時だった。

3818編成の快速特急からスタート。だいぶ早起きしていたな俺(笑)。急行灯に関してだが、当時はまだ「日中の急行灯は点灯しないこと」という指導こそなかったものの、しかし当時から運ゲーだったのは覚えている。どのような事実があろうとも、正直京成の明るい時間帯の急行灯なんてレッツ運試しだと思っている節はあるので、別に私はそこで文句を言うことはないかな。急行灯1つに拘って趣味に過ぎない行為を制限して自分の首を絞めるのはあほくさいと思う。しかし点いていたら点いていたで嬉しい。まあ本当に私にとっては運試しみたいなところはある。某名門大学の某学部の入試問題みたい。

後続の各駅停車は3828編成。しっかしまあこうして見ると本当に酷い写真だ。擁護できるのは旧ROMだったことぐらい?でもそうして人間は成長していくのだろう。それでは今の私の写真が完璧かと言われたらそうとは言えないが、しかし実戦の積み重ねでこの時よりはまともな写真を撮っていると思いたい。

後続の762Kレは3858編成。日中の急行灯には期待しないでいる私だが、たまにこうして点いていると嬉しかったものだった。罰則がない指導というのはどのようなものか気になります。まあ福岡かどっかの警察マニアの偽覆面みたいに京成の社員を装った偽中の人かもしれないし、それに噛みついていたガキも同類だし、まあ関わらないに越したことはないけれど。まあ、何はともあれこうして撮れる時に撮っておくことは本当に大切なんだろうと思う。いつかそれは大切な記録になるから。

そうそう、私この頃部活の先輩(笑)(これまでも書いたけど、これからも沢山登場する肉野郎クンです)に個人情報を晒されて大変だったんですよ。うちの高校ってSNS禁止なので、まあそれチクったら一発であいつ退学だったんだけどね。千○○○大学への指定校推薦、もらえてよかったですね。いやー、ねえ。私が権力を振りかざさなかったから高校卒業できたなんて思ってもいないだろうな。いやいやそれは俺の妄想だから(笑)。肉澤、そろそろ多分デブラーメンの食いすぎで身体壊して死んでそう。ご冥福をお祈りいたします。でも記事でネタにはいたします。部室でSKE48の推しとセ〇クスしたいって叫んでたあたり、心が不自由だったんだろう。この記事見ていたら最高に面白いのになあ。なおこの先に公開する多数の過去記事に置いて最高のオモチャとして多数ご出演いただいておりますので、これからもよろしくNE☆

そんなこと言いながらケツ切ってんじゃないか…(呆)。ほんと将来が心配になる。その将来が心配の発言元も肉兄貴と同じようなのばっか食ってるような奴だったけど、まあ類友ってことか。そうだよなあ、その肉野郎(肉兄貴)から受けた仕打ちを話し終る前に「許すってことを覚えないと」だもんな(笑)。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁぁぁ!将

そんなこんなで将来が心配な私は撮影を続行。まあ肉兄貴にはこの翌年も晒されている訳だけど、しかし将来が心配だなんて言われるとはね(笑)。今まで関わってきた人間のうち縁を切った人間の大半はクズだったが、しかしそれだけでは終わったことなので今更恨みつらみを書かれると向こうも困るんだよぬぁぁぁぁぁぁ!となってしまう。時折こうして語録を拝借するようにしたいとは思う。大丈夫だよ、個人情報なんて晒していないし、そもそも肉澤も横取り10万円も妄想の人物だから(笑)。なんかマジで旧ROM懐かしいな。ちなみに肉澤が当時やっていたブログでの写真を拝見したことがあるが、あれはまあひどかった。あれで撮り鉄名乗っていたのがすごい。Twitterではだいぶイキリ散らかしていたが(笑)

そんなこと書いても何にもならないし、多分当人も流石に見ていないだろうからいい加減に電車の話に戻ろう。この時の7A10レは3027編成だったんだね。今も別にその気になれば充当されるとは思うけどさ。しかしまあなんだ、なんか撮っていたこと自体が懐かしい。電車通勤とは無縁になった私、もっとも出勤前に電車を撮る度胸も気力もないとはいえ、当時みたいな胆力は戻ってきてほしい。

で、多分これはまた別の日の撮影。ターボ君、6両だったのになあ。もっとも、皆さんにはこれから先にご覧いただける過去記事においては6両のターボ君は現役。しかし何を隠そう、その辺を先に記事にして下書きに投げてしまっているので、多分6両のターボ君の記事をこれから先書くのも本当にあと数回だろう。4両になって何年経つんだって話だし、そもそもお前はいい加減に4両の写真も撮れって話なんだけどさ。逆に4両になってからの写真って、記事を書いている令和6年12月時点では4枚も撮っていないかも。ダメじゃねえか(笑)。

同日かどうかは不明だが、北習志野での8805編成。千葉線沿線に住んでいらした先代主将にあたる先輩と緑が丘から一緒に帰っていた時の撮影と思われる。
よくもまあ先輩の前でこうして電車撮ってたなあとは思うが、そこは先輩の優しさ。その先輩に鉄分が皆無だったとは言わないが、しかしそれでも先輩の優しさが今再び身に染みる。肉澤みたいな人間の屑とは違い、ああやって私に目をかけてくれていた元主将でもあるその先輩のことは今でも尊敬しているし、一度職場に家庭訪問した時はとても喜んでくれた。中学3年間で自動車でいう所のフレームが全損レベルで歪んだ私だが、その先輩をはじめ、当時も今も仲良くしてくれている同級生たちや恩師たちのおかげで今の私があるんだろうと思う。本当にあの高校に進学してよかったのだろう。

我々が乗っていくのはこの8815編成。割と最後まで旧塗装で残ってた編成だったっけ。北習志野、こうして撮ってすぐ乗れたのがよかったなあ。懐かしい。新京成が京成になった後の既存車両の塗装はどうなってしまうのだろうか。

乗入非対応の運転台を撮影。どのような基準で新京成車のうち京成千葉線等への入線が不可能とされているのかは今もマジでわからない。保安装置等さえなんとかすれば物理的には全編成京成線内を走れると思うのだけど。というのは、令和6年12月の私の戯言(連勤でスーパー寝不足で脳死状態)。京成への統合後、また何か変わるものがあるのかもしれない。この記事が出る頃には明らかになっているかもしれないので、それはそれで続報を楽しみにしたいと思う。

津田沼で居残りをしていた模様。勉強しろよ高校生(笑)。こういうところにアホなところが露見しているし、その構図に至ってはもう将来が心配どころではない。ひぃーん(笑)。ウケる(笑)。しかし流石にこれに関しては改善の余地どころではないことだろう。こんな写真を撮っていたら金だけかかるのにロクに走りもしない国産高級車(笑)の某クソダサSUVで粋がっている市○ナンバーの老害みたいになりそう。ならねえよ(笑)。でもその元ネタのジジイ、○原ナンバーに泥を塗った引責として首都高のトンネルのあの壁に突っ込んで死んじゃったんだよね…。綺麗に分割!車も分割!費用も分割(ローン)!なんちゃって(笑)

そんな8812編成と並ぶのは3688編成の快速。いいもんいいもんファイヤーの快速いっぱいあるもん!それはそれでいいと思うので、別にどうでもいい。個人的に腹立つのは、致し方がないとはいえ、顔面に被っているアレ。まあそういう日もあるか。

これはまた二度と見られなさそうな写真。撮っておいてよかったと思う。世代的には新京成と言えばこの塗装。なんか懐かしい塗装だなあ。重ね重ね、この記事が出る頃には新京成さん自体がないはずなので、10年もすればきっと撮っておいてよかったと思える日が来る。知らんけど。やはり新京成と言えばこの色とこの顔みたいなところはある。

なんか謎に居残りしていた。アホかお前は(笑)。その時間で勉強できたんじゃない?と当時の私に言いたくなるが、まあもう終わったことだし関係ないか。突き進めばのぞみは叶う。立ち止まらない振返らない。とはいいつつ、過去画の時だけは過去を振り返らないと書けないこともあるのでご容赦くだちい。

なんで縦で撮ったの?としかいいようがない。正直黒歴史のような面はあるが、それでもこうして記事に残しておくことには意義があると思っているので、まあ書きます。ただ単に記事を書くのが楽しいとか、当時に想いを馳せるのが楽しいとか、そういうのも無論あるけれど。

津田沼上り方での撮影。3798編成はまだいるはずだし3668編成(ターボ君)もまだいることはいるが、「6両のターボ君」「日中の特急」「高砂以東での経由路線表示」はそれぞれ見られない。6両のターボ君については運番からそれがわかる。こんな出来の写真でもいつかは貴重になると思うと、なんか本当に撮れる時に撮れるものを撮っておきたいと思う。最近マジで疲れて全然電車を撮れていないのが辛いけど。

翌日の通学に際してまた志津で撮っていた模様。今思えばほんとよく毎朝撮ってたよなあ。最近マジで仕事でもない日は疲れて起きられないし、それこそ都営フェスタの日も休みにしたのに結局疲労と二度寝でいけなかったし。結局寝坊ですかい。そんなオチだと思った。なんか結局行かないんだろうなって思ってた。ウケる(笑)。これは確かこの撮影よりずーっと後の令和5年2月4日18時56分にTwitter上において私に向けて吐かれた暴言です。LINEの方もスクショしておけばよかったな。え、その後のE217系配給で何があったのでしょうか。私には何もわからない。

そんな大学院生の時の話なんてどうでもいいので、当時は一応建前としては代走だった3050形の本線運用です。つっても常々書いている通り、またこの記事より後に出る過去記事でも書いている通り、もうなんか63Kってだけで3050の響きがする。愛しているの響きだけで強くなれるのと一緒。懐かしいなあほんとに。初めて3050に乗ったのも本線の運用だった。結局どういった理由でこうして青い3050形が本線の代走運用にほぼ日常的に就いていたのかは不明だが、しかし当時は楽しんでおいてよかった。これから先に公開する過去画記事でも沢山出てくるので、全国114,514万人の京成ファンの皆さまにおかれましては是非ともこのブログを今度もよろしくお願いいたします。これ下手したら高校生時代の過去記事を全部放出し終わるのが令和8年までなるような気もしてきたぞ…。

個人的に3400形の中では一番遭遇した印象の3428編成。写真の出来はさておき、こうしてこうやって狙わずとも撮れたこの時がとても懐かしい。3400形なんて(まあ5編成しかいなかったとはいえ)当たり前だったのになあ。機器更新+編成短縮であと10年使うという判断が下されていた場合は今の3500形6両運用はなかったのかもしれないが、しかし3500形自体も大金をかけて更新している以上、何が正解だったのかはわからない。
という訳で三拍子ゲーム!さん、さんさん、三拍子!3400形といえば? コンプレッサーの音のクセが強い、ブレーキがマックスコーヒー、顔がいい。こんな感じ?*1

最後にまたターボ君。高校の帰りにでも撮っていたのかなあ。今でもターボ君は6両のイメージだし、4両のそれを片手で数えてもお釣りが来るような回数しか撮っていない私ではあるが、6両の写真をこの時点(平成28年2月)から1年の間死ぬ気で撮って、その写真を焼き直している。6両ターボ君とのサヨナラを振り返っても追いかけてもしょうがないので、また撮れる時に4両の姿も沢山撮りたいと思う。千葉線運用に入ってほしいが、しかし今(令和6年12月)は3544編成に入ってほしいというのもある。
撮影 平成28年2月
執筆 令和6年12月18日