皆さんこんにちは。本日はまた平成28年分の過去画で京成回としてお送りいたします。以前の志津でのオフ会の続きの3758編成からスタートです。

志津で3758を撮るのって大抵が通勤特急だったから、なんかこの写真が新鮮。撮ったのも流石に覚えていないし。あと私は基本的に京成信者なので、というかファンなので、前回の3648のようなことがあっても京成が嫌いになることはない。そして、ハイビームにされた腹いせに退勤して帰るところを盗撮して晒すなんてことも絶対にしないし、勝手に在線を見られるサイトにアクセスした挙句にそのスクショを鍵垢に上げるようなことも断じてしない。

まあ、記事はまだ続くので書いていきますよ。こちらは3638編成の快速。当時の79Kで3600形を撮ったのははじめてだったかもしれない。K台の快速の大半が羽田にビュンしていた時(スカイアクセス開業前)とは違い、この頃は3600形もよく快速に充当されていたなあなんて思った。その写真が大してない私が言うのもだけど、思えば3600形8両がこうして日中の快速に充当されるのはSA開業から8連消滅までの長いようで短い間だったんだなあと思ってしまった。

当時の狙いだったと思われる4両の定期回送。この時は3524編成だったんだね。毎日のように運転されていたというのは運番からお察しいただける方も多いかと思うが、しかしこういった定期回送にハマっててよかったのだろう。何だろうね、当時の俺は撮れるものを撮るだけだと思っていたけど、でもそれが後世とまでは言えないレベルの8年後になってから撮っておいてよかったと思うなんて。数年後に貴重になる電車をまさか普通に現場で撮ってたなんてな…。もうそれやめてやれよ(笑)

この快速から成田行になるダイヤだった。そうだそうだ、懐かしい。1531Tが来ると(うすい17時20分)日中ダイヤも終わって夕ラッシュになるんだなと思っていた。この前の快速までは佐倉行で、佐倉での接続は快速特急ではなく特急の成田空港行だった。5300形、結局この5320編成が大人の事情で生き残ったことを差し引いても、なんかこうちゃんとお別れできないままだったなあと思ってしまう。
その5320編成があそこまで生き残ったのも嬉しいことだけど、しかし最期の陸送もテストを控えた大学院生としては行けなかったし。あ、陸送ヤクザ(笑)のマウンティングみたいなのはいらないです。きんきゅうちゃりょう転回しあーちゅ!でお帰りくださいまし。やべえよな、PCつったら普通はパソコンだけど、PCって発言だけで「PC?パトカー?ウー!」って(笑)。クルクルすんのはてめえの頭だけにしておけ(笑)

えーこんなの撮ってたんだ。カツカツですなあ。ダメですよ、トリミングの極意も知らずに。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁぁ!!!!将来が心配だ。将来が心配(笑)。そうですなあ(笑)。まさか、まさかこの写真を撮った時の純粋無垢なJK(JK:Japanese KImowota)だった私が、こうして気に入らない人間を片っ端からオモチャのチャチャチャするようになるとは思わなかっただろう。

えーこんなのry。撮ってたんだよボケ。連結器の向きの曲がり方もそれ以外も、まあ何というか実家のような安心感を覚えてしまう。結局私はずっと京成鉄なのだろう。でもそれでいい、私が生きている限り、京成の電車はずっと撮るかと思う。その心がけはいいけれど、だったら休みに寝て酒飲んでないで撮りに行きなさい。※元駅員バイトに「将来が心配」と言われた無職ニートキモータヒッキーの発言です。元バイトがエキセンで社員気取りかあ…。

そんなことを書いていても何も始まらないので、記事を続行いたします。正直これを見るまで忘れていたけれど、思えばこんな写真撮りましたわ(笑)。うん、撮った。今になって思い出した。10年後mいや20年後、これも貴重な写真になるんだろうか。もっとも旧ROMや当時のアレソレはあるので、一概に比較はできないんだけどさ。

87Kの響きだけで3050が来る気がしたよ(当社比)。実際当時の63K、81K、87Kあたりは比較的3050形が充当されやすかった気がする。知らんけど。懐かしいなあ、青い3050形。引退前になんかリバイバルをやってくれそうな気はしつつ、でもね。もっとも、こういって撮っておいて得になったといえる写真かどうかはさておき、損はしていないと思いたい。

後続の快速特急は3026編成だった。当時の快速特急は朝の上りと夕方~夜間の下りだったのが既に懐かしい。日中の優等運用の大半が快速になった今、たまに快速特急(日中40分おき)が当たるとその速達性に感動するようになることを当時の私はまだ知らない。まあ別に特急との停車駅の差異は佐倉~成田の通過駅の有無でしかないので、そういう意味では特急でもよかった気がするけども。

この日の71Kは3708編成。3700形初期車と7300形のうち北総純正の編成に関しては種別幕の下に縁取りみたいなのがあることが特筆できる。まあだから何だって言われたら困るのは俺だけど。下枠交差パンタグラフが懐かしい。いやだったら3色LEDとか幕とかの写真だせって話だけど、残念ながらない。ない訳ではないけど。全米が泣いた。だから何が全米だよ(笑)。でも全中国とか全アフリカとかそっちのがキモいか。

ターボ君の各駅停車。当時もう編成短縮の話って出てたんだっけ。これだとあんまり6両だとわからないなあ。そうそう、そういえば高校の入学式の帰りがターボ君だったっけ。懐かしいな。こうやって年を取っていくんだなあ。10年後、ターボ君はまだいるのだろうか。案外生き残っていそうではある。

3018編成の各駅停車。何度も書いていて申し訳ないが、やはり旧ROMに安心感を覚える。今のROM、この電車なら京成上野行になるあれ、未だに慣れない。老人がJRを国鉄って呼んでしまう気持ちもわからなくはない。

今を時めく3448編成の快速羽田空港行が来ました。3448がまさか誰もが目を奪われていく究極のアイドルになるなんてな(笑)。かくいう私も令和6年の佐倉ヘッドマークの時はそこそこ狙っていたからアレだけど。別にこれと言って今との差異がある訳ではない。しかしまあ脱線事故が2回もなければ当然この車両もいなかったわけだろう(多分)から、車両計画もどうなるかわからないもんだ。というかいくら足回りが初代AEとはいえ、更新車といえどほぼ同い年な3500形より先に潰す計画だったなんて…。

最後にこの各駅停車を撮って終了。当時ご同行いただいていたお二方はどうもありがとうございました。私ともう1人の方はこれに乗って帰ったことかと思う。今みんなどうしてるんだろうなあ。
撮影 平成28年8月
執筆 令和6年12月5日
校正 令和7年9月12日
後書き 8月に公開しているであろうこの記事ですが、諸事情により(私の凡ミスともいうアレにより)この高校生の時のryシリーズの中では多少順序が前後しております。ごめんなさい。詳細は「高校生の時の~」みたいなタグからお乗り換えいただけたらと思います(令和7年1月12日追記)。