皆さんこんにちは。大学生として初めての夏休みを満喫していた平成30年9月の過去画のうち、再現像したものや未公開だったものを載せていきます。お待たせ!過去画しかなかったけどいいかな。オッスお願いしまーす!初手から例のネタをぶち込んでやるぜ!(あんまり記事内では出てこ)ないです。それはさておき、主に中央線の話題が多くなる気もしつつ、夏休みなので案外出歩いていたのでそうもならないかもしれません。果たしてどうなることでしょうか。乞うご期待!

This is the limited express 'Azusa' No.13, which departed Shinjuku at 11:00, were operated by units M-102 and M-205. Although most of the limited express 'Azusa' and 'Kaiji' trains have been operated by the E353 series since July 2018, this train continued to be operated by the E257 series.
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一応初見さんのために書いておくと、このブログの管理人は表示負けをした際のショックで時折こうして言語設定に深刻なエラーが発生します。この日のあずさ13号はM-102編成とM-205編成での運転。この列車というかそれが絡む運用、というか付属編成が絡むものは特急あずさ・かいじにE353系が進出した平成30年7月以降もE257系で運転されていた。

おかしいな?この時の写真、記事にしていたと思ったんだけど。あっこれも英字表記だ、しまった!まあいっか。ここまで綺麗に表示負けするのもある種の才能かもしれない、と前を向いて生きていけるポジティブさを大切にしたい。駐車場でも時々書いてるじゃん、前向きにって。どの形式とは言わないけどおよそ半年ぶりに復活した特急車両の運用を逆光の中2時間半待てるぐらいのポジティブさが欲しい。いたなそんな奴。

なんて言いながらカッツカツじゃねえかお前(笑)。こちらは諏訪エリアでの花火大会の応援のため中原から回送されてきたE233系8500代のN36編成。元は青梅線用の同系0代青670編成だったものが大人の事情で南武線に転用されたものだけど、割と中央線におけるこの手の臨時で貸し出されていたことが多かった印象がある。元青編成だからなのかな。次に撮るのは房総用に転用された時だろうか。

こちらも花火大会関連の臨時列車で、E257系による臨時快速のムーンライト信州92号。翌日に控えた松井玲奈さんのソロコンサート「スピカツアー2018」に向かうべく上京するならついでに乗ってもまぁ多少はね?というノリで乗っていたと思われる。まあ結局鉄オタ専用列車みたいなとこはあるけども。改札に見えた車掌さんを止めて「さっき運転停車したのどこ?」って聞くのもいれば人の隣でモソモソ動くのもいて、まあもうこの手の夜行快速は定期でマニアがいない限りは乗らないと固く誓ったものだった。俺だって電車オタクなのにね(笑)。とりあえず風呂入れ、この時の連中は(笑)
なお、途中山梨市でのバカ停もあった。

終着の新宿には5時台の到着、各線区への乗り換えにもちょうどよい時刻設定だった。八王子でも八高線等の初電にうまく乗り継げたかと思う。当時の私が毎日これがあれば遠征の選択肢も広がったのに…なんて思ったっけ。そういえばE257系は夜行快速等の運用を考慮して車内の一部照明を落とすことができる機構が当時からあったと思うんだけど、この時ってどうだったんだっけ。なんか減光は特になかった気がしなくもない。

回送として折返していった。快速表示については別の機会に抑えていたのでいいだろう。以前も書いた通りM-110編成は同年7月からE353系の運用が拡大されてあずさ・かいじにも進出したことを受けて、一旦運用を離脱して尾久に疎開。しかしM-111編成の検査入場で車両が足りなくなる関係で、8月から9月のおよそ1か月に渡って運用に復帰していた。当シリーズでも臨時あずさ55号として取り上げていた。あの記事が偉く伸びたのは今でも覚えている。ごちそうさまでした。
そのまま中央・総武線で乗換駅である船橋に向かい、電車を撮っていくこととしよう。またE235系1000代の話が出る数日前という段階だった。なのにE217系の写真がないってどういうことだアホンダラ。これで私も終わるかもしれないね。

Having returned to Funabashi, I was photographing the E257 series, though I thought it unlikely to be possible. This is the limited express 'Azusa' No.3 to Minami-Otari, which departed from Chiba. It ran from Chiba to Minami-Otari, a journey that took about five hours, and was one of the longest limited express trains in Japan. In hindsight, I regret not travelling its full route.
お使いの端末は正常です。E217系のデータ出てきたらいいのになあ。当時甲府に住んでいた私がここまで来てE257系を撮るという何とも言えないアレになるが、何はともあれ撮っておいたことに後悔はない。もう少し撮れるものあったと思うけど。ここで切り位置でのハイビームに加えて運転士本人から中傷されるのはこの3か月と数週間後のこととなる。これからもたっぷりとネタにしていきたい。お互い様~ごめんねSummer~なんちって(笑)。相手を誹謗中傷したって、皆さん、何も生まれないんです。俺にネタにはされるけど。照らすは恥だが記事になる。

当時まだE231系500代の転用は完了していなかったが、既に6M4Tとなり6ダァ車…もとい6ドア車を脱車していたB11編成とM-205編成のツーショット。千葉に帰ってきていつも甲府で見ている車両と地元の車両が並んで感動!なんて思っていたのだろう。だが皆さん冷静に考えてほしい。この並びはそもそもあずさ3号が定期列車である以前に、新宿発着の列車であろうと中央・総武線が運転される区間なら毎日見られていたものだったのだ。
B11編成はじめ黄色い総武線に残留する0代の後継としてE235系の転用なんて話もあるが、現時点でどうなるかはまだわからない(組合報では出ているのでほぼ確実)。
一方の特急あずさ3号は皆さんもご存じの通り、当時千葉から南小谷に運転されていた狂気の長距離特急列車。平日は錦糸町・新宿までのおはようライナー的な性格もあって新宿でガラッと客層が入れ替わるほか、大糸線直通であることに加えて停車駅が多く、中小規模の特急停車駅への初便となることもあり、モテモテの大人気列車だった。参考までに千葉を出ると停車駅は船橋、錦糸町、新宿、立川、八王子、大月、塩山、山梨市、石和温泉、甲府、韮崎、小淵沢、富士見、茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷、塩尻、松本、豊科、穂高、信濃大町、白馬、終着の南小谷。こうして書くだけでもえげつない列車であることがおわかりいただけよう。

そしてもう1本、209系B.B.BASEの送込み回送(両国始発)も撮っていた。令和6年度は暖房の故障で冬季の運用ができないなんてこともあったが、幕張の209系全体としては最後まで残るのかもしれない。知らんけど。なお、同じ幕張所属の209系2000代・2100代の一部編成においては前面の帯の退色が激しい編成も多いが、これはこのB.B.BASEを意識した故のものである。そんな訳ないだろうが。
実家で仮眠をとった後に先述の通り玲奈さんのスピカツアーに参戦。個人的にはBUMP OF CHICKENの「天体観測」を歌ってくれたのが嬉しかった。あの午前2時のフミキリ、俺の実家の近くなんですよ。だから何だよ。

その前には従兄弟と焼肉にも行ってました。

上野21時発と思われるイブニングライナーの写真が残っているので、恐らくは帰りに乗っていたのだろう。当時まだ上野・日暮里→八千代台なら420円程度だったしね。ガキがいっちょ前にライナー乗ってて草、なんて乗務員から中傷されなくてよかったわ~(笑)。陰で言われてることにまで目くじら立てることはしないけど、でも運転士本人がTwitterで喧嘩売りに来たんだからね(笑)。
この時点ではまだ先の話になるけど、平成30年12月24日の4053Mを船橋場面で担当していた運転士にそういうことをされたのは今でもこうしてネタにできるので助かる。さっきも書いたけど。E257系最終乗務でペロペロ舐め回したなんて書き込んでてキモかったなあ。日付と列車を明記するようになってからTwitterアカウントを消された理由は何故なのでしょう。

その自称運転士は死んだのでどうでもいい。二度と人間に生まれてくるな。京成の写真の場面で書くだけ京成に失礼だよ(笑)。そいつJR東日本の社員なんだし(笑)。で、当時よく遭遇していた印象の3023編成の宗吾参道行で実家最寄りのうすいに帰ったみたいだ。なんか高校生の時の過去画回を中心にイブニングライナーと各駅停車を八千代台で乗りついだエピソードがあった気がするので、なんかこれも懐かしい。
翌日。美容院に行っていた私が美容院を終えてTwitterを開くと「都営5500形が直通運用を解禁した」との情報。おいおいマジかよ(笑)。カメラ持ち歩いててよかった~。ということで、ありがたく美味しく運用初日をいただこうではないか。なお5500形は5502編成が同年8月に現車訓練と思われる目的で宗吾に来ていたことがあったが、その回送が勝田台を通過した時点でその報を知った私(これまた帰省中)は線路沿いの眼科から見ることしかできなかった。

という訳でウェルカムトゥザケイセイラーイン。5501編成は初めましてだったかもしれない。平成29年に竣工はしていたもののデビューまでは紆余曲折あったのだろうけど、晴れて京成線への直通も果たした。当時の11Tは日中の快速のみならず夜間は快速特急にも充当されて成田空港まで入線する運用だった。
それがこちら。八千代台や勝田台は混むと判断して成田に来たのだろう。もう覚えていないけど。当時は4直最新の形式ということで注目度もかなり高かったはず。同日に京急線・北総線への入線も解禁していたはずだけど、この日は自称京成鉄らしく京成線内での記録に注力していたみたい。これからいつでも撮れるのにね。
行先表示器はこんな感じ。今でこそ京成新3200形等で当たり前になった次駅案内も当所の4直ではもう新鮮そのもの。そして当時から快速特急幕も搭載されていたんだったね。

せっかくなのでその時の撮影からもう1枚。既に鬼籍となっている3418編成の快速特急も撮っていた。この時の撮影ではこちらの視界を制限する目的と思われるハイビームがなくてよかった、なんて書いたら「嘆かわしい発言をするなら撮るな」って自治()に言われそう。まあいっか。
3400形は平成30年当時5編成全てが現役、3600形の置換えが進行している最中だった。3400形に廃車が出るまであと2年といったところか。まっさかね、3448編成が唯一残存しているともアイドル状態になるとも思わない訳ですよこれ。

折返しの快速。なんかお察しな気持ち悪いマニアが先頭からダッシュで降りて写真を撮ってダッシュで車内に戻っている幻覚を見た気もするが、そいつもう死んじゃったんだっけ。当時まだ旧ROMで5500形も高砂表示だったのを懐かしく思う日が来るとは流石に思わなかった。そして検明けではない、新車ならではの輝きっていいいなあと思う。

翌日、台風が接近する中ではあるが帰峡しよう。E257系M-114編成のかいじ107号で帰っていく。同編成は現在NA-11編成として東海道線方面で活躍している編成。これから先いずれ公開する令和2年分の過去画では主に長野疎開・東大宮での機能保全の関係で度々登場する。多分、多分だけど。

基本的に甲府発着のかいじ号で着折というのはなかったが、今回は台風接近の影響で下りから2番線に入線、14時25分発のかいじ114号に充当されることとなった。何で写真傾いてんだアホ。当時の甲府駅で「新型」表示が出るあずさ・かいじ号はE353系での運用だったので、代走であることがおわかりいただけよう。
この日は恐らく一旦帰宅してからバイトに行ったのだろう。して翌日もバイトに行っていて、当時の上長が人員を確保してくれなかったので9時から22時という地獄のシフトをこなしていた。一番おかしいと思うのは、その足で私が八王子のネカフェに1泊して初電を使って弘前に帰ったことだろう。俺がいちばんおかしいじゃねえか(笑)
次回以降の過去画記事ではその話もしていけたらと思う。

