ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

アフィリエイトのアクセストレード

平成28年末の山梨旅行記その1。E257系かいじ号、車内販売の思い出、富士急1000系と富士山と6000系とリサとガスパール、富士登山電車、特急かいじ号と武田信玄公像。友情出演:E257系5500番台

おはようございます、昨日に続いて過去画です。平成28年もあと数日、そんなある日、家族旅行で山梨県を訪れておりました。結果として親父を含めた家族旅行はこれが最後だったなあ。親父、無理しやがって…。※一応執筆日の時点では生きてます

 

新宿には始発の特急かいじ103号が入線。

3003M かいじ103号 M-109

はじめまして。いやはじめましてではないんだけどさ。この時はまだE257系の沼に突き落とされる前のことだったが、乗車は初めて。これから先、0代が改造されて2000代・5000代になった今もずっと好きな電車になるのはもう少し前の話。大月までだけどよろしく。

 

謎の乗車標。臨時特急のうちあずさ77号だけこうしていた理由が気になる。

 

当時平成28年は特急あずさ50周年の記念すべき年だった。60周年ではこのようなステッカーが掲出されるのか、はたまたラッピング等でも行うのか。この時はあずさの主力がE257系だったのでこのようなデザインになっていた。せっかくなので0代の走行音でも聞きながら記事を書いていこう。

 

私が乗車したのは10号車。道祖神がモチーフのデザインとのこと。これ好きだったなあ。あずさ60周年を記念してE353系国鉄色・あずさ色・E257系塗装になったら…う、うーん、それはないか…。でもE653系E657系の例もあるしなあ…。

 

懐かしいなあ。今はE257系のかいじ号自体がレアになってしまった上に、甲府方から11号車~3号車ではなく9号車~1号車として扱われるため、この表示はもう見られない。多分。5500代2編成で連結したかいじ号があったら話は別。

 

E257系の少し前に登場したE751系とは方向幕にも違いがあるんだなあと思った。Aの字なんかがその例。

 

9号車にはフリースペースがある。これはかつて9号車が喫煙車だった時、8号車グリーン車が禁煙だったので喫煙所として設置されていた。そんな時代に生まれてみたかったなあ。中央東線の景色を見ながら一服…最高だ。中央道でもできるでしょ?と言われても、流石に高速道路で片手ステアはやりたくないし、そもそも道交法違反(安全運転義務違反)にで切符を切られても文句は言えないので…。

 

自由席車両になっていたら最繁忙期なんかはここで座ってってのもアリだったのかもしれない。まあ9号車思い切り指定席ですけどね。ここが自由席になったのは松本~長野の快速ぐらい…? 指定席自由席といえば、E257系運用の特急のうち6号車について、あずさだと指定席・かいじだと自由席なんてのもあった。自由席がなくなって既にもう6年が経とうとしているので、最近すっかり忘れていたけれど。

 

今はもう止まらなくなった三鷹だが、かいじ号と一部のあずさ号(私が覚えている限りでは7号のみ)が停車していた。東西線方面から来た場合は三鷹かいじ号が停車してくれるととっても便利だったと思うんだけど、まあ新宿~三鷹不正乗車が後を絶たなかったのだろう。この記事を書いている今、中央線グリーン車の無料開放期間に高尾→新宿で乗ったことがあるが、しかしまあひっでえ客層だもの。不正乗車が横行していたと言われても想像がつかな~い!とは言えない。金はあっても品位って金では買えないんだろうな(笑)。

三鷹停車は全席指定化と(その時点での)将来的な車掌1名乗務を見据えつつ、そうなると無札を取りこぼす可能性にも鑑みて平成31年改正以降は通過になっていたのだろうと思う。

 

さて、列車は順調に大月を目指して走っていきます。当時は車内販売が健在だったので、私は信玄餅アイスを購入。当時は華のSJK(Second Japanese Koukousei)だった、もとい17ちゃいつまり未成年。流石に酒は買えないし、飲めるわけもないし、流石にまだ飲んだことはなかった。一度、台所で小学生の時に親父の日本酒を水と間違えて飲み込んでしまったことはあったけど。思えばあの時は酔わなかったのに、今の俺は何故日本酒に弱いんだ…。というか爆笑すんな親父。俺が成人してから何回か飲んでるからそれでいい満足しろ。

購入した桔梗信玄餅アイス。これもう食えないのかなあ。車内販売ではこれが売っていて、ニューデイズ等ではまた別なものが売っていたが、私は圧倒的にこっち派だった。当時初めて食べて感動して、1年と少し後に甲府に進学してからは車販アイス最後の1年間でよく頼んでいたものだ。

 

列車は立川→日野にある多摩川橋梁を通過中。今回は乱入で電車を止めたバカはいませんでした。というかまだ乱入事件が起こる前だしね。いつだっけ、令和3年だっけ?209系1000代の快速止めたのさ。あのバカって刑事責任のみならず民事の面では損害賠償請求されていると思うけど、首回ってんのかなあ。ああそれで自殺しちゃったんだっけ。ご冥福をお祈りいたします。

 

日野→豊田と思われる区間で撮った前面展望。183系・189系E351系や現行のE353系とは違って前面展望も見られるのがいいね。ふと思ったのだけど、中央線の日野駅がある日野市は皆さんもご存じの通り日野自動車のお膝元。では次の豊田駅トヨタ自動車と…関係ないと思う。多分。読み方も「とよだ」だしね。全然違うだろー!

ちなみに私は小学校4年生か5年生か6年生の時の校外学習で日野自動車の工場を見学したことがある。その時のエピソードで未だに覚えていることがあって、案内してくれた日野社員の方が「うちのトラックの自動ブレーキは敢えて完全停止しないように設計することで、ドライバーさんが安心して居眠りしないように、気が緩まないように、というようにしています」と仰っていたことだ。何が正解かは知らないけど、でもよく考えられていてすごいなあと感動したのを覚えている。確かにスバル車みたいなアイサイトも安心して乗れるけどさ。みんな違ってみんないい。

 

既に劣化が始まっていた模様。まあ中央線特急の民度ってマジでやべえからな。平日は出張クソリーマン、土休日はバ観光客、そして当時も今もクソインバウンド。マジで終わってる。でも当時はまだそんな風に思うことを知らない。後ろの白痴、もとい白人のインバウンドの家族はうるさかったけどね、この時。

 

多分まもなく大月に到着。私以外の家族と離れたところを指定していたあたり、なんか思春期だったんだなあ。この時は17ちゃい、記事を書いている今の私は25ちゃい、年を取ったもんだ。ちなみに先日判明したのだけど、私この1年で10キロ太っていたみたい。まあちょうど去年(執筆日は令和6年なので令和5年12月からの計算)ということになる。まあストレスで暴飲暴食に逃げていたからさもありなんという話だけど。流石にデブラーメンの食べ過ぎで太りたくはないが、しかし健康のことも考えてそろそろ運動も始めようかね。

 

大月でかいじ号を下車。E257系にはこの後また乗るのだけど、それはその時に。

富士急ではこの車両がお出迎え。富士急1000系1001Fだ。もうこの記事を書いている時は流石にいないのか…?私が富士急を撮ると大半が元205系6000系だったなあ。当時の私は千葉県人だったけど。

 

富士山が見えてきた。甲府盆地からは先っちょだけしか見えない富士山も郡内というか富士吉田市からならそれはもうバッチリ見える。まあそのせいでインバウンドが大挙して押しかけるため、地元民の方はだいぶ迷惑していることかと思うが。マジでインバウンドなんて邪魔だし日本人はそれで迷惑している訳だし、正直外人の落とす金に頼らないと経済が成り立たないなんて貧しい国のやることなんだよ。なんか先が思いやられる。クソみたいな政策考えやがって。誰なんだ、観光立国なんて馬鹿なことを抜かしたのは。正しいと思うなら日本が戦後に経済成長したのは外人観光客のおかげだったと立証してみろ。

 

どーんと見えます。でも光線だけが残念。この時に乗ったのは6000系の快速(※特急車両が検査のため一般車で代走)だったのだけど、この区間では富士山がよく見えるということで徐行運転をしてくれていたと思う。

 

普通河口湖 6701F ※令和3年撮影

なお、先の写真からもう少し行ったところにこの撮影地がある。それを知るのはもう少し後のこととなる。しかしまあ当時元カノと別れてだいぶ荒れていたけれど、そんな状態でレンタカー借りてよく撮りに行っていたもんだ…。※その時に「失恋した舎弟の味方して説教もした」と思っている痛い方はお引き取り願います。お前に説教される筋合いはない。会社の金で大阪に研修に行って風俗で童貞捨てたくせに。

 

特急富士回遊 OM-53

その時は5500代が回遊に充当された最初の日だった。あの頃も回遊があればなあと思いつつ、6000系の快速というのもレアで楽しかったのでいいだろう。OM-53編成は既に特急草津・四万と特急あかぎ用に再略奪されてしまったので、あの路線に新しい特急が入らない限りはもうこの光景を見るのも難しいだろう。今では5両の回遊が平日だけ運転されて、土休日の臨時回遊はE353系3両のみというのもなあ。回遊は富士急ハイランド→大月でしか乗ったことがないけど、回遊連結のかいじは既に客層がやばかった。いつまで円安とインバウンド地獄が続くのかと思うと辟易する。

 

乗っていた車両はクモハ6003。当時は確か通常塗装だったが、平成31年から「リサとガスパールトレイン」になっている。リサとガスパールになってからどうも相性が悪かったんだよなあ。

 

また撮れる日を楽しみにしたい(←リサとガスパールのファン)。なおこの6003Fだが、富士急譲渡前は京葉線のケヨ27編成として運行されていた車両。更にその前はヤテ4編成、かなりの初期車。田窓がそれを物語っている。

 

富士山。美しい山だと思う。私の家からも時折見えるが、富士山を毎日見ていた大学生の時は贅沢だったなあと思う。当時は高校生で八千代市内の高校に通っていた私だけど、時折秋冬は高校からも見えていたっけか。その点名古屋にいるとどう頑張っても見られない(豊橋が西限?かつて我が推しの持統天皇が主人公の漫画「天上の虹」において三河国で富士山を見ている描写があった。三河の奴らが持統天皇を襲ったのは許さないからね)。富士山っていいなあ。

 

今の6003Fは確かこの内装ではない気がする(リサとガスパールトレインなので)。確かこの3年後に今までもいじってきた中学の同期の1匹「フライング・ヒル」が甲府の家に押しかけてきて勝手に泊まって、最後に富士急に拉致られた時に乗っていたはず。その時の写真もあるはずなので、またいずれフライングヒルといじる時に言及したい。しかし虚弱体質が災いしてもう彼は…うっうっ。ぃやったー!

 

光線はさておき、しかし富士山は美しい。心が洗われる。富士山と愛車の写真も撮りたいし、ただ単に中央道爆走ドライブもしたい(しかしADバンで160km/h出した自慢はいりません)し、スタッドレスが不要な期間になるけど山梨もまた行きたい。あと富士急撮りたい。電車の方ね。

 

富士山駅での折返しを経て富士急ハイランドに到着。今回はリサとガスパールメインなので絶叫刑アトラクションには一切行っていない。楽しみたい人が楽しめばいいと思うが、令和2年にフライングヒルに「ちょっとは金出すから」と言いながらびた一文出さないのに、1人じゃ嫌だからとなんかめっちゃ怖い絶叫刑のジェットコースターに乗せられたのは今でも恨んでいる。高所恐怖症には本当に怖かったし、あの後身体痛くなったもん。回遊に乗せて別れて速攻でLINEブロックしたよね。だから死ぬんだよ。ご冥福をお祈りいたします。やったー!俺を舎弟として扱う人間の共通点として挙げられるのは俺をATMにしてくるというところか。早い話ただのクズって訳だ。

 

なので安心してリサとガスパールのところに行けます。やあ。なんかうろ覚えだけどリサとガスパールの来日回の絵本はめっちゃ面白かった記憶がある。なんだっけ、もう成田に着く前の飛行機内で既にいろいろやらかしてて可愛かった。人間がそれやったら嬉々としてネタにするけど、リサとガスパールだから微笑んでしまうのだ。

 

5000形 河口湖行

当時は現役だった5000形。後継は元カワ28編成(ハエ28ともいうアレ)になったみたいだね、トーマスランド号。結局これしか写真がないので、まあ当時撮っておいてよかったんだろう。

 

我々一家が大月まで乗っていくのは富士登山電車。なんか最近めっきり動いていないとうか、まあもう3年以上前にはなるけど山梨を離れるまでの4年ほどの間、あんまり遭遇できなかった印象。

 

車内はこんな感じ。普通にいい電車だなあと思ったのを覚えている。

 

こんなのも撮っていたんだな。全然覚えていなかった。

 

富士山駅での方向転換中に撮った運転台。当時はこういうのも熱心に撮っていたんだなあという印象。

 

普通に快適だしオシャンティーだった。なんか調べる前から水戸岡さんデザインな気がしたけど、ググったらビンゴだった(笑)。して執筆中の令和6年12月時点では当面運休となっている模様。どうしちゃったんだろう。

 

なお「富士登山電車」で検索したところ、山梨県知事という肩書のバカが提案していた富士登山鉄道のニュースばかり出てきて邪魔だった。長崎は私が甲府にいた時に知事になった男だけど、まあゴミだね。私が鬱と聴覚過敏で寝込んでいた時にうちの前で演説してたし、とにかく何もいい印象がない。無論私は票なんて入れていないが、しかしまあ普段は政治の話をしたくない私がこうして書くというのがどういうことかといえば、そういうことだ。

 

こちらは2両あるうち青富士車両の暖簾。電車に暖簾って珍しいよね。結構電車博士からは不評な印象もある水戸岡氏のデザインだけど、富士山ビュー特急も含めて、個人的にはそこまで目に付くようなものはパッと出てこない。好き嫌いというのもない。

 

もう1両の赤富士暖簾。まさかこのまま引退ということはないと思うけれど、元あさぎりの特急2車種とはまた違った魅力のある富士登山電車、是非ともまた乗ってみたいと思う。

 

乗る日が来たらいいなあ。

 

帰りに太陽を撮ったら富士山が写りました!んな訳ねえだろ。しかしこれは先ほどの撮影地で撮れば順光という意味にもなる。冬の山梨は死ぬほど寒いのに雪が降らないものの、しかしあの空気が好きなので、また行きたいと思う。山梨にいる時にタバコを吸い始めた私だが、冬の朝の紙巻きたばこからしか得られないものがあると思っている。BGMは欅坂46の二人セゾンか、=LOVEのこの空がトリガー。

 

途中ですれ違った8500形「富士山ビュー特急」。実はこの時から2年以上して大学生になった時、元号が変わる少し前に乗ったんだけど、これが普通に良かった。いやマジでまた乗りたい。

 

大月に到着。折返し快速河口湖行になっていた模様。富士登山電車、また乗りたいな。どうかこのまま引退にならず、是非とも運用に復帰していただけたらと思う。なくすには惜しい列車。

 

今度はここで酒飲んでみたい。チョコボールみたいな顔をしたムスリムからしたら目の毒だろうけどここは日本、知ったことか。郷に入っては郷に従えないなら来なければいいだけだ。ちなみに成人した私は時折乗車する成田エクスプレスで近くにムスリムがいようと平気で酒を飲んでいる。バカな反日左翼がしきりに多様性を叫んでいるので、多様性を体現してみました!イッヒッヒ(笑)

 

ロゴと英字表記。このロゴ好きかもしれない。メーカーのエンブレムを剥がしてこっそりこれに変えてもいいけど、でも自作できないので無理だろうな。

 

普通河口湖 1001F

お隣には1001編成が停車ちう。執筆日から1週間程度で定期運用を終了してしまう編成。1001編成がいなくなると1000形は富士登山電車しかいなくなるので、なんかまあ嫌な予感はする。まあこの記事が出る頃には答えも出ているのかもしれないけれど。

 

さて、大月からは宿泊先の甲府まで向かわなければならない。富士急の快速・JR特急に遠回りしてまで乗るぐらいならバスで甲府に抜けた方が良かった気もするが、まあいっか。E257系に乗れたしな。そんな私は12月1日の時点で臨時特急「犬吠初日の出」を抑えているので、数週間後にはまたこの車内を拝むことができることになる。2000代だったら笑うけど、グリーン車の座席配置に鑑みてそれはないだろう。コンセントもWi-Fiもないので、まあ記事作成は大変そうだけど。

新宿→大月では指定席を確保していたが、流石に大月からは自由席。当時の記憶なので実際にどうかは知らないけれど、なんかこのかいじに乗らず先発か後発かのローカルでも大して到着時刻が変わらなかった気がする。親父の金で乗ったから別にいいか。まあ年老いて年金をもらっている親父とはいえ、俺が小学生の時にこつこつ貯めていた小遣いを横取り1万円した恨みもあるしな。だがしかし、私は成人してから横取り10万円されることになる。当時はまだそんなことも知らない平和な時期だった。実はFF外認知していて(よくTLに来るので)正直苦手だったんだよなあ。※その方はお亡くなりになりました。ひゃっほう!

 

先ほどもどこかで言及していた通り、6号車はあずさ・かいじで座席指定の有無が異なっていた証。しかしまあなんでこんなべろべろなんですかね…。

 

勝沼ぶどう郷→塩山で甲府盆地を望む。実は甲府に来るのは12年ぶりで、こんな開けて綺麗な景色なんだなあと感動したのは今でも覚えている。一応中学生の時に当時のファミリーカーだったフォルクスワーゲン1Tトゥーランで小海にスキー旅行に行ったとき、中央道経由だったから甲府盆地自体は通っているはずだけど。いやー当時の写真出てこないかな。マジで無限に記事書けるのに。

 

乗車している編成がM-114であることに関しては後述するとして、E257系は編成によってLEDのフォントが異なるのが特徴的だった。3号車自由席もE257系(に限らないが)のかいじ111号も二度と見られないと思われるので、そういう意味でも撮っておいて本当によかった。まあ当時は物珍しさからとはいえ。

 

今までこれについて言及している鉄を見たことがないのだけど、実はかいじ号に充当されたE257系の車内LEDの英語表記においては"This is the Kaiji. The next stop is..."といった文言の案内が流れる。これがあずさ号だと、”This is the Azusa limiter express...”だった気がする(違ったらサーセン)。なぜかいじ号だとあの文言だったのだろうか。番台区分を問わず他の列車でも見られるはずなので、また機を見てこれについては調査しておきたい。

 

先ほどまで近くにいた富士山。先っちょだけしか見えない。でも甲府に住んでいる時はほぼ毎日見られるのがよかった。

 

山梨市停車中。なんか懐かしいなあ。久しぶりにE257系0代の面影を色濃く残す(ただし内装に限る)5000代に乗りたい。先述の通り執筆日基準では数週間後に乗るものの、なかなか乗る機会がなくてね。

公開日に当たっていたら嬉しいけれど、実はE257系500代の機器更新の予備車兼さすがに5両では足りていない一部特急の増車要員として5000代が幕張に常駐してくれるのではないかと思っている。幕張常駐自体は183系でもやっていたし、何より2000代も1編成は波動輸送に充てることができるようになった今、1~2編成程度ならどうだろうか。E657系の余剰車を東大宮に常駐させればできないことも無いと思う。流石にE657系が入線できない中央線特急はE257系で対応せざるを得ないとはいえ。

 

甲府に到着。当時も私が甲府に住んでいた時も、基本的に甲府発着のかいじ号において着折はなかったはずなので、フレンドリーな方が多いと言われる甲府のJETS職員に運転士交代をしたうえで一旦甲府の電留に入庫して車内整備を行った上での折返しとなっていた。ダイヤ乱れで1度だけ着折に当たったことはあったけどね。

 

乗ってきたのは先述の通りM-114編成。現在は2000代NA-11編成として活躍する編成。その節は大変お世話になりました。なお当時は知る由もないが、この編成は平成31年3月のE257系0代定期運用終了時まで運用された後に長野総合車両センター疎開し、長野で改造されてNA-11編成として出場。今は東海道線方面の特急「踊り子」「湘南」として活躍ちう。でもそうなるということを当時はまだ知らない。でしょうね。

 

いずれにせよこの日の最終目的地は甲府なので、一旦南口に出てみようと思う。泊まった宿は北口の先だったので、まあ逆ではあるんだけどさ。

目的は南口の喫煙所!な訳あるかい(重ね重ね、当時は高校生です)。普通に当時以前から信玄公ファンだったので、聖地巡礼という訳だ。いやマジでさ。でも信玄さんが御父上の信虎さんを追放して甲斐の国の主になったのって、確か信玄さんが22歳の頃だったんだよね。一方、この記事を書いている時点で25ちゃい無職ニートキモータヒッキーな私さんにおかれましては。本当に将来が心配になる。社会に出た時に困るんだよぬぁぁぁぁぁ!!!!!※当時はそういう暴言を吐く奴と繋がっていなくて平穏でした。別なので似たようなのとは繋がっていたけど。

 

さっきのがヨリならこれは引きかね。この1年と少ししてから甲府市民になるのはもう少し後の話。南口の信玄さんを眺めながらタバコを吸うようになるのはさらに後の話。

 

信玄さんが見守る甲府の街。実は私が住んでいたのは甲府駅南口からすぐだったので、武田神社と近くのお墓のみならずここにもいらした信玄さんが見守ってくれていたということだろう。結局行きたかった大学に行けなかった私だが、しかし甲府に進学して今もお世話になっているヲタクの皆さんとのご縁があったのは、いつかも書いたかもしれないが信玄さんのお導きだったのかもしれない。

 

北口に移る。ちなみにタバコを吸うだけなら北口にも喫煙所自体はある。なんかまた親父と揉めた気がするけどもうどうでもいいか。お世話になる旅館「要害」さんのお迎えハイエースに乗り込んで、宿に向かうとしよう。

なんか元AKB48柏木由紀さんの色紙があって草。柏木由紀さんといえば、そういえば我が推しの諸橋沙夏さん(さなつん/=LOVE)の番組「スナック沙夏」にも出演されていたっけ。今もイコラブの現場に行けていたらなあ。なんていいつつ、公開日までには行っていたりしてね。イコラブのヲタクをしていたあの頃(令和元年前後)は楽しかった。もっとも、この写真の撮影時はまだイコラブは結成されていない。多分だけど私はずっとイコラブが好きなんだろうと思う。曲もそうだし推しもそう。

 

さて、甲府市武田神社より更に北にある要害山にあった宿「要害」さんのうち俺が停まっていた部屋から甲府盆地をバルブ。この日はここに泊まったので、あと数枚でこの長い記事も終わりとなる。写真より生で見た方が綺麗だったと思っている。

 

今もこの宿があれば今の彼女さんとドライブがてら行きたいのだが、訪問から数年もせず閉館となり、今は老人介護施設になってしまった。残念だ、とても残念だ。ここの露天風呂からも似たような夜景を堪能できていたのに。なかなか有名にならないが、しかしなんか私だけの宝物感もあっていいなと思う。東京カメラ部(笑)だかファインダー越しの私の世界(笑)だかにパクられないことを願う。

 

なおもっと残念なのは、先ほど「今の彼女さんと~」って書いたと思うのだけど、実際は無職キモータヒッキーなので、いやそうでなかったとしても彼女なんているわけがないということだ。ということで、いつもの2~3倍の長さになってしまったが、平成28年の山梨旅行の前半はこれで終了となる。甲府の夜景、本当に美しい。この要害があったあたりは免許を取ってからカーシェア生活をしたりマイカーで甲府に遊びに行ったりしたときにドライブで訪れていたことが圧倒的に多い。それについては次回記事でまたじっくりと書いていきたいと思う。

 

撮影・乗車 平成28年12月28日

執筆 令和6年12月9日

img { pointer-events: none; -webkit-touch-callout:none; -webkit-user-select:none; -moz-touch-callout:none; -moz-user-select:none; touch-callout:none; user-select:none; }