皆さんこんにちは。新幹線や京成の記事はお楽しみいただけたでしょうか。最新の画像(4か月のタイムラグでそれいう?)と過去画のどちらもお楽しみいただけるよう精進いたします。ふざけたことばかり書いているのは事実だけど。
タイトルの通り、今回は私が大学1年生でまだギリギリまじめちゃんだった平成30年8月頃の記事です。大学生の時、特にオンライン授業ではなかった1年生2年生の時は思い出したくないこともありつつ、中学よりはマシだからまぁ多少はね?この時の私は18ちゃい学生だったってはっきりわかんだね。いいから本題に行きませんか?行きましょうよ。
既に記事にしているものもあるのだけど、せっかくなので多少の編集を加えて再掲するものも含めて当時のあれこれを振り返っていきたいと思う。

(8月)1日から飛ばしていきますよ!オイショ!ということで平成30年8月最初の被写体はなんと115系だった。私が甲府に進学した同年は既に中央東線のローカルは211系とE127系で運転されていたので本来であれば115系が来ることはない。しかしL-99編成は塗装からもわかるようにかつて長野総合車両センターに所属していた編成(元C3編成)。
どういうことかというと、かつて新潟車両センター所属の115系が車検を長野で実施していたところ、ルートの一部が三セクに転換されたので車検の場所は大宮に変更。しかし保安装置の関係で伴車が必要となり、その関係でC3編成がL-99編成としてに新潟に転属。高崎にいた115系の一部の解体を新潟で行った際も伴車を務める等、新潟車以外でも数々の115系の伴車を務めたものの、役割を終えた同編成はこの日に長野への最後の走行を行った。当時18歳学生です!だった上に千葉県出身の私が信州色の115系のうちJRの車両を撮った写真はこれしか残っていないが、撮ることができてよかったと思う。
ちなみに当時からお世話になっているオタクと一緒に撮っていて、打ち上げのラーメンにも行った。
翌日。

今では考えられないが、2日連続で廃車回送があった。今度は185系B2編成。185系が全車現役だったのは私が中学生の頃に終わって既に廃車も発生していたが、平成30年になって波動用のB編成の廃車が始まった。今思うと、この翌月から中央線運用を外れたE257系0代のM-105編成とM-107編成の波動輸送が始まったが、それとの入れ替わりだったのだろう。同月下旬にはB3編成も廃車回送されているが、それは私がバイトを終えてTwitterを見た時に知ったので、残念でした。

以前令和7年7月に投稿した記事でも書いたのだけど、私は当時のTwitterアカウントで「このツイートに3ふぁぼ来たらE257系ちばあずさのグリーン車乗りますwwww」と投稿したところ、5ふぁぼも来たので有言実行って訳だ。バイト代よさらば、我が現金堂々と入場す(指定席券売機の中に)。仕送りは学割乗車券に、バイト代はオプションの特急券代にという使い方をしていた。
という訳で、人生初の特急グリーン車に乗って帰りましょう。船橋で降りていたのは佐倉市の実家に帰省するにあたり京成線に乗換えたから。奥羽線特急のつがる・スーパーつがるですらチケットレス特急券が使えるようになった今、紙の特急券も久しく買っていない。

後ろ9両はM-101編成、現在は2000代NA-01編成として活躍ちうの編成だった。もうこの号車表記も見られないと思うと寂しい。各号車ごとに沿線の様々な風景を模したイラストも描かれていて、これもまた推しポイントだった。8号車のうち普通車区画のイラストは松本城を描いている。なお8号車のグリーン車側はグリーン車マークであるほか、7号車は車椅子対応車のため車椅子マークとなっていた。
ガキがいっちょ前にグリーン車乗ってて草、なんて言われるんだろうなあ。この数か月後に私に噛みついてきて、数時間後に怖くなってツイ消しと「私はどうしてこうやって人を傷つけてしまうのか」とお気持ち表明して逃亡したJR東日本千葉運輸区所属と思われる、同年12月24日4053Mを船橋場面で担当していた運転士に。日付と列番を出すようになってからアカウントまで消して逃亡するなら噛みついてくるんじゃねえよ(笑)。その程度のチンケな人間だったんだろう。

車内はこんな感じ。想像以上に快適なグリーン車でよかった。翌年に中央線特急が全席指定となり料金体系も変わってからは特に51~100㎞ではお得にグリーン車に乗ることができていたので、この先もお世話になることがあった。当時大学生とはいえバイト代で乗りたい電車の乗りたい席に乗っていたんだもの、文句なんて言われる筋合いはない。不法行為をしている訳でもないのに。

そんなM-101編成だが6月に撮った際はこのザマ。11号車のLEDに故障があり、何ならテープで補修しているという悲惨な状況。そしてこの時に私が乗った際は以前も書いた通り甲府発車後に停電(というよりは車内の照明が一時的にお亡くなりになったものの、走行は継続)した上に一部のお手洗いが故障で使えないという満身創痍状態だった。可哀想に。

翌年3月に定期運用を終えてからは塩尻大門に疎開されたほか、0代の長野改造組としては唯一EF64に牽引されて長野へ配給輸送された。これは塩尻大門留置中に車検が切れて自走できないためであるが、無論この頃の私がそんなことを知る由もない。

佐倉に帰省ちうは佐倉市の花火大会を見つつ、花火臨の八千代台行は激パだったので干した。して舞浜臨(死語)と思われる651系0代K103編成の撮影で新習志野に転戦。うすいから新習志野って地味にアクセスめんどいと思うんだけど、どうやって行ったんだっけ。もう記憶のどこかに行ってしまった。
当時勝田車両センターに残っていた651系0代のうち4両のものはいわき~富岡の一部ローカル、7両のものは波動用車両として活用されていた。651系の白っていいよね。俺の心みたいに真っ白で!いや俺の心は真っ黒だろうが。

タキシードボディのなんとやらなんて懐かしいキャッチフレーズ…って651系は俺より10年ぐらい早く生まれているんだったね。スーパーひたちといえばやはり651系、フレッシュひたちといえばE653系、現行のひたち・ときわといえばE657系って感じがする。まあ最後に常磐線特急で撮った651系、何なら651系最後の定期特急は代走としての復活とはいえフレッシュひたちだったんだけどね。
K103編成はこの翌年に郡山に回送されたのちに廃車・解体されてしまって現存しない。波動用で毎日走る訳でもないので当たり前かもしれないが、Twitterで調べると最終出場から半年程度だったとのことで、翌年の廃車が尚更もったいないと思ってしまう。それ相応の事情もあったのだろうけど。
楽しい帰省も終わって帰峡します。まあこの月もあと何回か帰ってきてはいるんだけど。

令和7年7月2日に公開した東海道線撮影記でも触れているが、この時には帰りにE217系のグリーン車に乗っていた。ガキがいっちょ前にグリーン車乗ってて草って訳だね。255系のしおさいに乗りたかった(なんか当時やたらと置換え説が出ていた気もするが多分関係ない)ものの親父が変な道から送ってくれたので間に合わなかった。結果としてこうしてE217系に乗れた上にこうして記事を書けるのはありがたいことだし、いい思い出である。

四街道に残るナウいグリーン車停車位置案内も一緒に撮っていた。国鉄のにおいがryって感じの奴だね。確かまだ執筆日の時点で残っていたはず。

新宿からはスーパーあずさで帰峡していた。8時ちょうどの~~~(ビブラート)。この頃のE353系はスーパーあずさ用とあずさ・かいじ用で運用が別れている頃だったのが懐かしいし、私は私で当時存在したあずさ回数券の暴力とえきねっとトクだ値の暴力でしょっちゅう利用していたのが懐かしい。

甲府でもちろん降りました。恐らく指定席に乗っていたんだろう。ガキがいっちょ前にry。別にいいじゃん、特急券代はバイト代から出してたんだから。貯金しておけばよかったとは思うけど。
あずさ回数券について軽く解説すると、買った状態で改札を通って乗った場合は自由席の利用が可能で、乗車前に窓口・券売機で座席を指定すると差額なしで指定席に乗車することができていた。各駅から都区内各駅までの利用が可能で、甲府からは1枚当たり2,880円という今思えばVERY大判振舞いと言えるお得な切符だった。
全席指定化は当時より賛成の立場だし結果としてSuicaでの乗車とえきねっとチケットレスサービスの併用でスイスイとJREポイントを貯める方がお得な状態にはなっているものの、あずさ回数券の廃止には当時がっかりしたものだった。いやまだこの時点では廃止されていないけど。

This is the special limited express 'Yama-Kaiji' to Kobuchizawa, from Tachikawa. It was operated by the E257 series, which were based at Toyoda. At this time, there were three additional train units for special trains at Toyoda: NB-10, NB-11, and NB-12.
Unit NB-11 operated on both the Kofu area and the Fuji-kyuko railway line, which was a distinctive feature of this unit. By contrast, unit NB-10 was operated mostly on through service to the Fuji-kyuko railway line from the Chuo line, while unit NB-12 operated on the Chuo line towards Kofu. The 'Yama-Kaiji' was primarily designed for hikers. It seems that many passengers used this train, but I don’t know why its operation stopped. It is possible that the limited express 'Alps' is its successor, as it also serves hikers.
おや、なんか深刻な言語エラーの影響で一部が英文になってしまいました(お手持ちの端末は正常です)。失礼いたしました。一応過去記事でも書いたけど私は英語アレルギーではないし何ならイギリス留学の思い出もあるので、そこは別に差別的な意図はないということをご理解いただけたらと思う。表示負けした時に英語でこうしてバグを起こすのが楽しいなって思いましてね。それだけです。E257系だって車内LEDで英語表記あるでしょ?そのノリだよ。どういうノリだアホ。

改めて別の日の山かいじ。1限は寝ジャーするのにこういうのはちゃんと撮っているあたりアレだけど、そもそもあのような大学を出たところで何の意味もないので実質ノーダメージ。どっかの半島の気持ち悪い宗教団体とズブズブの気持ち悪い元大臣に言わせれば私は身の丈にあった大学に進学していたということだ。ウケる(笑)
改めまして、これら2枚はE257系500代のうち189系の後継として豊田車両センターに常駐していた3編成のうちの1編成であるNB-11編成。NB-11編成は先述の通り豊田常駐3編成の中では比較的甲府方面と富士急線直通の双方に充当されることが多かった印象。列車の話に戻ると山かいじの利用率はまあ皆さんお察しの通りだが、まあ多少はね?

時系列が前後して申し訳ない。数日前には6月末で定期運用を終了して尾久車両センターに疎開していたはずのM-110編成がこの白馬行の臨時あずさを以て突如として運用に復帰した。これは数日後に長野総合車両センターに入場するM-111編成の代理であり、後に9月の臨時快速ムーンライト信州92号に充当されることもあった。自慢みたいになって申し訳ないのだけどこの写真をすっぱ抜いた時の記事が当ブログの圧倒的成長のトリガーになったのもいい思い出である。

この他にM-101編成も撮ってはいたが流石に過去記事と丸被りなので一旦割愛。甲府12時半のあずさ13号を撮って帰宅していたようだ。こちらは先述のM-110編成が後に1か月程度?代車を務めることとなるM-111編成で、結果として0代最後の1本になった編成。まだそうなるなんてことは知る由もなかったんだけどね。
この数日後にM-111編成は長野に入場し、今度こそ踊り子用の車両になるか?!と思われたものの、結果はお察しください。なおE257系の踊り子・湘南向け車両は2000代となったが、1000代を飛ばしたのは0代の場合は6号車にあたる単独モハ、要は1C4Mの車両が1000代だったから。被っちゃいやーんってことだろう。