かつて、波動輸送に対応するために189系3本が豊田車両センターに配置されていたのは皆様もご存知かと思います。
しかし大人の事情で189系M50~M52編成は中央線回りの特急ドナドナあさま号*1として、長野総合車両センターへと回送されてしまいます。言わずもがな廃車・解体となりました。
その後釜として選ばれたのは...
みんな大好きE257系500代でした。折しも房総特急の削減で余剰が出ていた同車は、一部の編成が平成30年春に豊田車両センター常駐となり、中央線やその周辺での臨時列車や団体臨時列車などで幅広い活躍を見せました。(対象はNB-10編成、NB-11編成、NB-12編成。)
それから3年近くが経ち、豊田常駐の500代3本も順次5500代=波動用として改造・機器更新を施工されると共に東大宮へと転属することがほぼ確実です。
500代3本が豊田に来て中央線臨時特急などに顔を出すようになったのとほぼ時を同じくして千葉から山梨へと越してきた管理人なりに、その活躍を振り返ってみようかと思います。*2
平成30年
・豊田常駐の開始
書いた通りですね。確か3月から常駐していたかと思うのですが、この頃は受験戦争で敗戦の憂き目に遭い引きこもっていたのでよくわかりません…
普段は豊田車両センターにいるとはいえ、あくまでも所属は幕張車両センターで変わりませんでした。このため、E257系のような新系列電車で一定の周期で実施されている「機能保全検査(=従来の車両でいう交番検査ですね。)」の為に時折幕張車両センターに帰省していたほか、時折房総特急の臨時運用に就いている姿も見ることができました(後述)。
・臨時快速への登板
ホリデー快速富士山等の臨時列車を189系から引き継いでのスタートとなりました。主にホリデー快速富士山号はNB-10編成、金曜日運転の快速富士山号はNB-11編成がそれぞれ充当される機会が多かったように思われます。
なお189系と比較すると減車に加えドア数も減っており、この1年間は混雑が酷かったとのこと。
・臨時特急への登板
1,臨時かいじ
当時は朝の臨時特急かいじ186号、多客期中心のかいじ188号や180号などがよく設定されていました。そのうち186号と188号については500代が使用されることが多く、中でもNB-12編成の登板が特によく見られました。
当時の中央線特急はまだ自由席の設定があったのは皆様も覚えていらっしゃるかと思いますが、かいじ186号に加えてちばかいじ号や山かいじ号など、基本的にE257系500代が使用される場合は全席指定での運行となることもありました。
当初は編成が短いからなのかな?と思っていました。しかし後述のちばかいじ号で車掌さんが甲府から新宿までは甲府運輸区の車掌さんが、新宿から先は新宿運輸区の車掌さんが、それぞれ1名のみで乗務されていた事を鑑みると、現在の中央線特急のように全席指定+車掌1名乗務を見越しての実験的な要素もあったのではないかと推測することもできます。もしくは短編成だからということで人件費削減を目論んでいたのかな。まあ知らんけど。
余談ですが、186号については月によって189系N102編成を長野から持ってきて運用していた事もありました。人気の差は...いうまでもないですね(笑)
余談②。
この年のGWの一部のかいじ号ですが、普通に幕張所属のNB-07編成なんかも充当されていました(笑)。朝のかいじ→新宿へ回送→またかいじ、といった具合です。
昨今の情勢では考えられない設定ってのはさておき、撮る側として美味しかったです(笑)。秋にも午前のかいじにNBが入っていましたしね。
このNB-07編成は現在2500代NC-32編成として活躍している訳ですが、思えばこの頃から臨時列車のような運用が主体でしたね…距離の抑制でもしていたのでしょうか..。反対にNC-34となったNB-14編成なんかはホームライナーから後述のホリデー快速まで色々と見かけた気もするんですけどね。
2.ちばかいじ
僕が甲府に来る前にも同様の列車は運転されていたようですが、この年の6月限定で臨時特急ちばかいじ号なるものも運転されていました。運行区間は名称からそのまんまそういう区間です。これも確か全席指定でしたね。見た限りではNB-12の独壇場でした。また回送では竜王にも入線していました。
隙あらば宣伝
上りは当時のスーパーあずさの後追いで走ることもあってか、乗車率それ自体は芳しいものではなく、新宿まではそこそこ乗っていても千葉までとなると…お察しください。
3.山かいじ
八王子支社史上でもかなりの黒歴史になっていそうなのはさておき、登山客向けの臨時特急として早朝に設定されていました。5両でも十分空いていたようで...。試験的な要素もあったのでしょうか。
初日はかいじ幕での運転でしたね、そういえば。
臨時特急で印象に残っているのはこのくらいでしょうか。
・団体臨時列車
この年度はE257系の波動運用が本格的にスタートした年でしたが、あいにく管理人は時間とカネの都合であまり撮れていません。
500代に関して書けば、諏訪湖の花火大会の旅行商品として臨時で中央線に来ていたことがありました。
NB-10編成が甲府方面に来たのってこれとあと何かあったかな...?
・代走(?)
基本的に富士急線直通の運用には豊田車、中でもNB-10編成が主に充当されていましたが、平成30年秋頃にはどういうわけか純粋な(?)幕張車での運転がありました。10月にはNB-05とNB-14のそれぞれでの運転を確認しています。
これは波動運用の拡大とか交換とか…というよりは一時的に検査とか走行距離とかの都合でこうなったと考えたほうがよさそうです。写真こそないですが、豊田常駐の500代でも房総特急の臨時で千葉に帰省していたこともあるようですし...。
これ以外にも純粋な幕張の257による運用はありましたが、割愛。
時系列が前後してしまいますが、シルバーウィークのかいじ188号はNB-11編成が充当されていましたね。この頃、185系で運転されてきたホリデー快速鎌倉号がE257系500代への置換え+全指化され、NB-12編成の実質的な独断場となっていたためか、この頃からはNB-11編成の臨時特急を見かける事が多くなりました*3。大学の授業まで時間がなくて仕方なく金手で撮った記憶があります。かなしい。この時間絶対に塩山ストレートで優勝できたじゃん、悲しいな。
余談ですが、このあと出席した英語の授業では地元民の学生がcutという単語の意味がわからないと宣っていて大変愉快でした。甲府市の教育水準ってどうなってるんですか(笑)。
年末の臨時かいじ(195号だったかな?)もNB-11編成でした。
本運転のBは強風で死んだから知りません。
平成31年/令和元年
・細かな塗装変更
それまで"BOSO EXPRESS"ロゴも誇らしげにほとんど千葉以外の各地を走ってきた豊田の3本ですが、平成31年春=中央線特急の全席指定化を前に編成毎にカラーリングが設定され、"SERIES E257"の新たなロゴとそれぞれのアクセントカラーを纏ったうえで運用に就きました。
NB-10編成は赤色、
NB-11編成は写真の通り灰色、
NB-12編成は緑色と3色に設定され、豊田の3本はある意味唯一無二の形態となりました。
・特急富士回遊号新設(臨時回遊は500代で継続)
それまでホリデー快速富士山が連日のように大盛況となっていましたが、平成31年3月のダイヤ改正でこれが特急に格上げされ、定期列車の「富士回遊」として運転されるようになりました。定期列車はE353系で2往復(中央線内はかいじ号と併結)設定されましたが、3両の特急が2往復*4であの大盛況な富士山需要を捌くのはいくらなんでも無理があろうと思われます。ということでかなりの頻度でE257系500代使用の臨時富士回遊が設定されたのでした。
ホリデー快速時代と変わらず、主にNB-10編成がメインで臨時回遊にも充当されるようになりました。散々混雑だドアが少ないだ廃車にしろと心無いお友達からフルボッコに叩かれていたE257系500代でしたが、わかりやすい料金体系のもと全席指定になってからはそこまで混んでいなかったようにも思えます。(なお、コロナ以降は...お察しください。)
・NB-12編成は実質東大宮常駐?
どうも東大宮にいる日が多くなったようで、実質的には東大宮常駐の車として扱っても差し支えなさそうです...(?)。
代わりなのか知りませんが、E257系0代のM-111編成が年度の変わり目かどこかで実質的に豊田に常駐するようになりました。当時はM-102・M-105・M-107・M-111と東大宮常駐で(改造までの間)波動輸送用として活躍していた0代4本ですが、いつしか実質豊田常駐のM-111編成が中央線臨時特急に就く機会が増えたように感じ、特に令和2年度まではほぼ毎週の土日で運用されていた臨時かいじはM-111編成の独壇場となっていました。
それ以外には特にこれといった変化はなかったかと思います。
強いていうのであれば、この年以降は彼らにとっての地元である房総各線の特急列車として走る機会も時折ありました。
・令和2年
新型コロナウイルスの蔓延によって定期運用を持たない豊田の3本は徐々に活躍の場が狭まっていきました...257オタクとしては大変やるせない。
一部既出の画像で恐縮ですが、それでも数少なかった臨時回遊や団体輸送などで引き続きの活躍を見ることができました。
令和3年
主観ではありますが、相も変わらず新型コロナウイルス流行のため、令和元年のように臨時列車でガンガンに使われているという感じではありませんでした。
・5500代への改造
そんなこんなで臨時回遊や団体列車等で活躍を進めてきた3編成ですが、踊り子・湘南用のE257系2000代/2500代の改造がひと段落するのと前後して、0代で残っていた3編成全てと一部の500代がそれぞれ波動用の5000代と5500代へ順次改造されています。豊田の3色も既にNB-10編成は新OM-53編成として改造が完了しているほか、加筆修正をしている令和3年11月現在はNB-11編成が秋田総合車両センターで改造中であり、残されたNB-12編成の改造も時間の問題と思われます。
・NB-12編成が臨時富士回遊に充当
直前到着でカメラが間に合わなかったのが大変悲しいですが、ちょっとした小ネタということで…。
これまでNB-12編成が富士急行線内に入線する頻度は高くありませんでしたが、前述の通り他の2色が改造済ないし改造中であるためか、この年はNB-12編成の臨時回遊が運転されていました。なお半ばホリデー快速鎌倉号専属だったこの編成ですが、同年10月以降はその任を5500代に譲っています。前述の通りNB-12編成の改造も予想されるため、この年の冬臨からは富士回遊等も5500代になるのかどうか気になるところです。
以上、素人ながらに豊田常駐なE257系500代の活躍の大まかな記録をまとめてみました。
あとがき
いろいろクセの強い動きをした豊田常駐のE257系500代も5500代として生まれ変わり大宮所属になる…と考えると、大学への進学以来ほぼ同時期に中央線やその周辺へと活躍の場を移した3編成に少しばかり注目してきた身としては、いささか寂しいものです。もっとも、機器更新がされる以上は当面の活躍も約束されたようなものですし、ある意味喜ばしいのかもしれませんがね。
初めての一人暮らしがほとんど縁もゆかりもないに等しい山梨で心細かった当時の僕ですが、時折新天地で地元の特急車両を見ることができた時はやはり嬉しかったなと思い返します。もっとも、500代の臨時かいじって最初の1年に少し見た程度でしたけど…。願わくは年末臨でまたやってほしいな~なんて思いますが、こんな情勢だと流石に厳しいですかねえ。