ひがなり雑記帳

一瞬を永遠に残したいという建前の写真と独り言。

アフィリエイトのアクセストレード

E257系0番台→2000番台/5000番台 (独断と偏見に基づく)転用と改造の記録

長らく中央東線の特急列車「あずさ」「かいじ」等で活躍していたE257系0代。後継のE353系導入によりその任を解かれ、改造のうえで他線区で再スタートをしたのは皆さまも記憶に新しいかと思います。

管理人としては、置換えが始まる少し前から曲がりなりにも中央東線を時折撮ってきた身として、また257のあずさ・かいじの世話になった身として、置換え開始から現在までの流れを備忘録を兼ねて残しておこうと思い、書くに至りました。情報の正確性等はあまり保証できかねますが、よかったらぜひ。

 

 

平成30年3月~6月

E351系引退と進むE353系増備

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同年春の団体列車を以て全ての運用を終えたE351系

この年の春の改正ではE351系が引退し、特急「スーパーあずさ」は新型車両E353系に統一されました。

 

www.comexp2133.com

また当記事との関連性は高くありませんが、同時期に189系豊田車の運用が終了するとともに、E257系500代の中央線臨時運用がスタートしています。

 

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写真はS109出場試運転。

またE351系引退時、スーパーあずさ運用に就いていたE353系はS102+S202、S103+S203、S104+S204、S105+205、S106+S201という組み合わせでした。しかしそれからも1か月に1~2本程度のペースでE353系は出場し、松本車両センターまで公式試運転を行った後に尾久や幕張・武蔵小金井等に疎開される編成もありました。

肝心のE257系0代ですが、この改正ではこれといって大きな動きはなかったかと記憶しております*1。この時点で0代は基本編成16本と付属編成5本全てが現役であり、特急「あずさ」「かいじ」のほか「中央ライナー」「青梅ライナー」でも幅広く活躍していました。

 

E353系「あずさ」「かいじ」への導入とそれによる置換え発表

同年5月、JR東日本は「あずさ」「かいじ」の一部列車にE353系を追加で導入する旨を発表*2。言わずもがな置換えの対象はE257系です。これにより同年7月1日から、あずさ3往復・かいじ9往復がE353系での運転となりました。

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竜王にいるって伝わってますかねえ

特筆(できるかはさておき)できそうな点を敢えて挙げるのであれば、この改正では竜王発着の2往復はE353系に持ち替えられたにもかかわらず、あずさ25号(75M)→快速長野行*3や千葉発着のあずさ3号/30号に加えてライナーが絡む運用は全てE257系で残された点でしょうか。

今だからこその考察ですが、翌年からライナーを特急化することに絡んでライナー絡みの運用はE353系での置換えを避けていたのではないかと考えます。まあ知らんけど。

またS205編成以降は付属編成が製造されていなかったこともあってか、このタイミングでは基本編成のみの導入となり、両形式共に付属編成とそれの絡む運用は特に変わりありませんでしたね。

 

 

平成30年7月~9月

E353系運用拡大とE257系運用離脱

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写真は改正前夜、竜王発かいじ送込み回送

前述の通り、E353系がE257系の運用の一部を置換えたため、E257系には余剰となる編成が出ました(それはそう)。この改正では量産化改造の終了したS101編成ならびにS107~S112編成が新たに運用入りし、直前に落成したS113以降の各編成は疎開だったり青梅線試運転に供されたりしました。

 

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写真はM-112編成の疎開回送

一方でE257系ですが、M-103,M-105,M-109,M-110,M-112編成が改正後に離脱しました。

他にも一時的にM-114編成が離脱したのちにM-113と入れ替わりで復帰したり、M-111編成の検査入場の穴埋めでM-110編成が一時的に復帰したりということもありましたね。このトレード?は情弱なので真相こそわかりかねますが、改正当日も颯爽と動いていたM-113があるとき疎開から復帰したM-114と入れ替わって幕張に疎開した後に翌年には改造まで終わっていたことを鑑みますと、計画変更でもあったのか走行距離の関係なのかその辺の大人の事情なのかなと邪推するぐらいしかできません…。

なおM-107編成はこの改正の少し前に検査のため長野総合車両センターに入場しています(後述)。

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一時的に復帰していたM-110編成(後述)

各編成の疎開場所としては、M-103,109,110の各編成が尾久車両センターへ、M-105編成は大宮総合車両センター東大宮センターへ、M-112編成は国府津車両センターへとそれぞれ送られています。先述の通り例外的に復帰したり入れ替わったりということもありましたが、各編成ともに時折ながら機能保全検査(=従来の交番検査)のために松本車両センターに回送され、数日後には再び疎開先へ回送されていました。

 

 

M-107編成のNN出場

E257系の東海道線転用が公式にアナウンスされた矢先、M-107編成がついに新しい装いに…

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あれ???

ならず、引き続き0代ご自慢の武田菱塗装を身に纏って出場しました。

 

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蛇足ですが、この日は市川大門で花火大会が開催されていまして、そのためかふじかわ13号(4013M)が甲府駅3番線に入線していました。そのため257と373という珍しくはないけどなんか珍しそうな並びを見ることができたのでした…。

甲府駅線路容量の関係か甲府での最終高尾行との接続との関係なのかはわかりかねるものの、翌年は高尾終が1番線発に変更された代わりにこの4013Mは身延線のホームに入線していましたね。

 

話を戻しますと、M-107編成は翌日の臨回電として東大宮に回送されていたようです。情弱な管理人は臨時の白馬行あずさにでも突っ込むのかと思っていましたが…。

 

M-110編成運用復帰とM-111編成NN入場

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先述の通りM-107を待っていたらM-110の復帰を撮れてしまいました…。結果として唯一これをとらえた拙稿がアクセス数を稼いでくれたのでそれはいいとして、これはM-111が入場した分の穴埋めと思われます。撮影当日はまだM-111も運用に入ってはいましたが。

 

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ムーンライト信州にも就きました

私が唯一乗車したML信州92号もそういえばこの子でしたね。オタクパンデミックで安眠もクソもないし隣の電車オタクがずっとガサゴソしていて迷惑だしで二度と夜行快速に乗ることはないだろうと思った次第です(笑)。

閑話休題。M-111こそは踊り子仕様かな...と思ったら今回も0代として出場。E353系の製造は進み疎開なんかも増えていく中、一向に踊り子仕様のE257系は姿を見せませんでした。

 

M-112編成入場

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どうしてこうなった

それまで国府津疎開していたM-112編成ですが、9月下旬に長野総合車両センターまで回送されました。今回も0代のままなのかついに踊り子仕様が完成するのか気になって、個人的には夜しか眠れませんでしたね。

 

0代使用の波動運用開始

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これも波動運用(の送込み)

疎開された数編成のうち、東大宮センターに送られたM-105編成・M-107編成は9月頃より波動用車両としての運用を開始しました。それまで185系が受け持っていた一部の運用を引き継いだ形で、この影響か185系B2編成(8両)・B3編成・B4編成(以上6両)は長野総合車両センターへ回送されたのちに廃車となりました。

余談ながら写真のM-105の数時間後には検明けのNB-12の回送もありましたね笑。

 

 

 

 

平成30年10月~平成31年2月

ついに踊り子向けの改造が始まる

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長野総合車両センター公開で展示されるM-112編成

平成30年の長野総合車両センター公開イベントでN334編成等と共に展示されたM-112編成です。この時はまだ公式には2000代への改造は一切アナウンスされていませんでしたが、この数か月後には塗装やライトに機器類と内装など多くの面で生まれ変わった元M-112編成が目撃されることとなりました。

 

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余談ながら、この時に展示されていたB4編成のクハはE257系2000代の試験塗装に供されました。

 

 

M-107編成のあずさ運用復帰?

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この時SDカード忘れたのが痛い

走行距離調整の為かなと勝手に推測しておりますが、一時的に実質的な波動用車両となっていたM-107編成が定期のあずさ・かいじ等に充当されていました。

E257系の動きとは関係ないものの、E353系は年明け前後から付属編成を用いた試運転が始まり、例えば甲府駅電留線富士回遊向けの乗務員訓練(と、その送込みや返却回送)が時折目撃されていました。またS209編成等、改正を待たずして運用入りした編成もいたかと記憶しています。さらに、かいじ+回遊の運転開始に伴い大月での連結が始まるため、大月での連結訓練のためか12連での試運転(ってか送込み回送じゃねえのかなあ)が運転されていたこともありました。

 

 

平成31年3月(ダイヤ改正関連中心)

M-104編成の疎開とM-105編成の運用復帰?

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画像はイメージです

改正まで数週間という時に何故かM-104が東大宮疎開され、代わりにM-105が特急運用に就きました。既出のM-107と同等の措置なのかはわかりませんが、M-104が改正後それなりの早いうちに改造されたことを鑑みると、走行距離調整等の目的だったのでしょうか。

 

 

E257系2000代 踊り子向け車両登場(NA-09編成出場)

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写真はry

NA-09編成として生まれ変わった元M-112編成ですが、3月上旬にEF64の牽引で長野総合車両センターを出場しました。ご覧の通り内外装共に工期の不足のため未完成である箇所が多かったのが特徴です。

なお私事ですがこの年の2月末~3月末まで台湾へ逃亡語学研修で訪れており、写真はなくTwitter等で得た知識も含みます。NA-09撮りたかった。

 

E257系0代 定期運用終了と疎開

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改正まで走り続けたうちの1本・M-116編成

3/15(金)を以ち、平成13年12月以来続いていたE257系0代による中央線特急列車の定期運用が終了しました。また同時に「中央ライナー」「青梅ライナー」の列車自体も運行が終了しました。

 

なお、改正と前後する数日間で各編成がそれぞれ疎開のため回送されました。

改造関連は後述しますが、M-101編成が最終の上り快速に充当されたのち3/19に塩尻大門に疎開され、1カ月放置された後にEF64の牽引で長野総合車両センターに回送されたのは記憶に新しいところです。M-108編成は中央ライナー5号として運用を終了後、尾久車両センター疎開され、のちのNA-06編成として何かヤバい形態で出場していましたね。M-111編成は青梅ライナー5号として運転されたのちに拝島留置が続き、17日に東大宮センターに回送されたほか、M-116編成は新潟に疎開されました。

 

付属編成の引退

ご存知の通り、この改正で付属編成は完全に運用を終了しました。

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基本編成の疎開回送を兼ねて付属編成は長野総合車両センターへ回送されました。

ただしM-203編成のみ1か月程松本車両センターに留置されたのち、機能保全検査で松本車両センターにいたM-109編成がエスコートする形で長野総合車両センターへ回送されています。これが付属編成最後の本線上走行となりました。

 

 

 

平成31年4月→令和元年5月~6月

波動運用で中央線特急にカムバック?

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既に波動輸送の任にも就いていた一部0代ですが、4月13日(土)の臨時かいじ73号/58号から中央線の臨時特急列車として再スタートしました。

 

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また東大宮センターに送られていたM-102とM-111の両編成ですが、この年の10連休から無事に?波動用車両として運用に復帰しました。

 

www.graffiti-of-alpho.com

なお波動用の4編成ですが、各編成ともに怪しい英中案内もあるステッカー(座席未指定券or無札向けの案内)が車内に掲出されていました。乗車こそしていませんが、これは同様に豊田常駐のE257系500代NB-10~12各編成にもありましたね(一応外から見ただけですが)。

 

NA-03編成出場

秋田での改造第1号となっていた元M-103編成ー新NA-03編成ですが、4月上旬に出場しました。こちらは内装が未完成だったようですが、あいにくNA-03編成になってから一度も撮影できていないのでそのうち写真撮れたら追加します。

ちなみに当記事では入場に関しての記述は基本的に省略しています。文字数増えるし。

 

NA-10編成出場

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6月下旬、初の完成形となったNA-10編成=元M-113編成がEF64の牽引で出場しました。この時も誘導障害試験等が済んでいなかったためか釜牽引となったようです。

なお誘導障害試験が済んで自走が可能となってからは、総武快速線上越線等での試運転が盛んにおこなわれていたのが印象的です。写真ないけど。

 

令和元年秋~冬

NA-04・NA-06・NA-08編成 出場

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授業で間に合わなかったかも

10月には初の自走出場となったNA-04=元M-104編成と、

 

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翌月には秋田からNA-08=元M-110編成がそれぞれ出場しました。秋田入出場に関しては全く撮影できなかったのが心残りです。そういえばNA-08は出場試運転に際して何か不具合があったんでしたっけ…。SL踊り子か

 

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なお10月には唯一横浜の総合車両製作所にて改造されたNA-06=元M-108編成が自走で出場して改造前の疎開場所と同じ尾久に疎開されました。あいにく写真がないのは257ヲタクとして大変悔やまれますが、皆さまもご存知の通り写真の武田菱塗装+2000代のライトというありそうでなかった形態となったのは特筆されるかと思います。

 

 

 

令和2年1~3月

EF64+M-101編成 入場

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塩尻大門に長らく留め置かれ特に動きもなかったこの編成ですが、2月4日にEF64の牽引で長野総合車両センターに回送されました。疎開に際して機能保全検査等もなかったようですので、検査期限の関係かと思われます。E257系の改造に際して0代をEF64が牽引したのはこの事例のみでした。

 

 NA-07編成・NA-13編成 出場

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カツカツですんません

M-101入場の数日後には元M-109=NA-07編成が秋田から、それからおよそ1カ月経って3月2日には元M-116編成であるNA-13編成が改造を終えて長総を出場しました。思えば踊り子・湘南では連結器カバーがないので、これは一応出場って伝わるのでしょうか。

 

NA-10編成を皮切りに長野疎開開始

この頃には既に改造を終えたE257系2000代が増えてきた一方で、置換え対象となる251系や185系はまだまだ東大宮センターにわんさかいたためか、一部編成を対象に疎開が始まっていました(長野以外…例えば上沼垂等への細かい疎開に関しては勉強不足で把握しておらず細かいことは書けないのがアレですみません…)。初回の回送は3月6日だったかと記憶しております*4

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写真は翌年6月11日

なおこの疎開関連に動きは185系215系引退で大注目となる令和3年春改正直前まで続きましたが、E257系0代の疎開に際してもそうだったように、一定の周期で機能保全検査のために東大宮センターと各疎開場所を往復している光景も見ることができました。

また疎開していた編成のうち、NA-11編成やNA-13編成のように改造終了後に一定期間は長野に疎開されていた例もあります。

 

 

E257系2000代「踊り子」デビュー

改造第1号が出場してから1年余り。

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185系置換えということで転用されたこの車両たちですが、最初の一年は251系「スーパービュー踊り子」をE261系「サフィール踊り子」に置き換えるにあたりサフィールにならなかった運用を受け持つ形で1日2往復からのスタートとなりました。

この時にデビューしたのはNA-04編成、NA-08編成、NA-13編成の3編成。それ以外の編成は改造を終えていても、東大宮センター留置ないしは長野や尾久・新潟に疎開し、時折機能保全検査のために東大宮まで回送されてまた疎開されて...という日々でした。

 

M-111編成は実質的な豊田常駐?

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それが伝わる写真がないッ

この頃からか、M-111編成は豊田車両センターに常駐となることが多かった(というか管理人が通るといつもいたような気がしますですけどね)ように思えます。トレードなのかはわかりませんが、500代NB-12編成は逆に東大宮常駐みたいな感じでした。Like Literally~~~~~~~~~~~~~~~

 

www.comexp2133.com

500代豊田車に関してはこっちも見ておくんなまし❤

 

 

 

令和2年4月~12月

新型コロナウイルス流行による運用消滅

今でも影響が消えない新型コロナウイルスの流行ですが、踊り子号は減便される列車がありました。というかE257系が受け持つ列車は6月ごろまで運転されませんでした。

これは窓の開閉が可能な185系の方が安心...というよりは、ライナー絡みのためか251系の運用からライナーを差し引いて踊り子号のみを行け持っていたE257系の列車を削ったのではないかと推測しております。まあ知らんけど。

 

NA-05/NA-11編成 出場・疎開(?)

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カツカツなの悲しい(若気の至りですな)

5月に秋田から元M-106編成なNA-05編成が出場し(て翌月には長野に疎開され)ました。

一方、改造が完了したのちに長野疎開となっていたNA-11編成=元M-114編成ですが、7月に出てきました。

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まあ数日したら戻ってきたので、きっと機能保全検査のために東大宮センターに回送されてまた長野疎開...といった感じなのかと思いますが。

 

NA-01編成 出場

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いつだったかロクヨンに牽かれて長野に入場していた同編成、無事に出場しました。他の編成と異なる点として強いて挙げると、出場したまま東大宮センターに留置されて特に疎開回送等で見かけることがあまりなかったことでしょうか。

 

NA-12編成出場と未完成編成の改造進行

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出場の写真は非Vすぎるのでカットで(

10月下旬には元M-115編成であるNA-12編成も出場。

 

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既出でスマン

また、改造が未完了であったNA-03、NA-06、NA-09の各編成の残工事も進みました。基本的には最初に入場した工場での施工でしたが、横浜の総合車両製作所で内装の改造を行ったNA-06編成はEF81の牽引で秋田総合車両センター(旧土崎工場)に入場、塗装等の残工事を完了させました。

 

付属編成の廃車・解体

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長らく長総の留置線の肥やしと言わんばかりに放置されてきた付属編成5本ですが、M-205編成が未だに謎な塗装試験に供された*5ほかは特に大きな動きもなく、令和2年秋までに全ての編成が解体されてしまいました。編成構成等が災いしてか再就職の噂もなく、なかなか無念の最期となってしまったように思えるのはヲタクとしては寂しく思えないこともありません。

 

 

 

令和3年1~3月

NA-02編成 改造完了

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0代→2000代への改造対象編成としては最後に入場(令和2年9月)した元M-102編成がNA-02編成として長野総合車両センターを出場。改造途中の編成も含めて、一旦これでE257系2000代が出揃いました。

 

NA-09編成 改造完了

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縦構図で撮ったの反省かも

一番最初に改造されて一番最後に改造が完了したのもまた奇妙なものですが、2月にNA-09編成の改造が完了して出場・回送されました。

 

各地への疎開措置の終了

そりゃデビューするんだから終わりますわな。

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最後まで長野に疎開していたNA-05編成

そういえばM-106編成として長野に疎開していた際は最後に白馬臨か何かをやってから秋田に行くなんていうちょっと変わった動きをしていましたっけね…といっても撮ってないし覚えてないしでアレなんですが、令和3年春改正を目前に各編成は東大宮センターに回送されていきました。

 

特急「踊り子」全列車のE257系化、「湘南」運転開始

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惜しまれながら185系215系が定期運用*6を退いた代わりとして、全ての特急踊り子号と新しく新設された特急湘南号はE257系に統一されました。

251系も含めて、消えゆく車両が華々しく盛大に見送られたのとは対照的に静かなスタートとなりました。もっとも、引退する車の何でも真剣部をする方々に限ってE257系の新天地に見向きもされないのは如何なる理由なのかは気になる所なのですが。何はともあれこれからのE257系2000代・2500代の活躍を一人の257ヲタクとして願いたいところです。

 

 

 

これでE257系の改造も終わり。改造を終えた2000代と2500代のみならず波動用として東大宮や豊田常駐で頑張る0代や500代、そして房総特急として通勤やレジャーを支える純粋な?幕張所属の500代の末永い活躍を応援したいところです。ちゃんちゃん。

 

 

 

 

 

…そうは問屋が卸しませんでしたね。

E257系0代東大宮常駐車の相次ぐNN入場

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まあM-105は出てきた時にまたベツモノになっていましたけれど

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年が明けた令和3年、東大宮常駐として残っていた3本の0代が改正と前後して相次いで長野総合車両センターに回送されました。

 

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武田菱と四季をもっと撮っていればなあと

一部では「M-107編成最後の特急運用!」「波動用の新しい区分に改造!」と話題になっておりましたが、結局は防犯カメラの設置等の簡易的な改造を済ませての出場でしたね。

 

 

まあM-105に関しては…このタイミングで入場した後に本当に改造されてしまいましたが(後述)。

 

令和3年春~冬

E257系5000代登場(5月・8月・12月)

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写真はOM-92編成

特急用の転用対象外となった0代3本と500代5本(うち3本は豊田常駐のあいつら)は原番号+5000番となり、波動用車両として生まれ変わりました。2000代ならびに2500代は座席上方のランプはじめ特急に特化した仕様となった一方で、5000代と5500代は内装は一部を除きそのままに塗装と足回りをリニューアルした形であるのが対照的です。

確かに(山梨弁でいう県外で育った信玄公マニアとしては)武田菱を模した塗装で例えば新潟まで足を延ばすのではカチコミと捉えられてしまっても無理はないかもしれません*7し、むしろJR東日本さんのコーポレートカラーであり185系の復刻ストライプ塗装にも使われている色であった緑をうまくデザインしているのですから個人的にこれはこれでアリだと思いつつ、やはり慣れ親しんだ0代がいなくなるのは寂しいなと思ってしまうのも事実なので複雑です。もっとも、大学に入ってから本格的に撮って乗っている私など山梨県民の一部過激派な皆さまからしたら県外人は黙ってろって話なのかと存じますのでそろそろ黙りますけどね。

 

E257系0代消滅

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令和3年8月、最後まで0代として残ったM-111編成の入場*8を以てE257系0代は消滅しました。

 

それからおよそ4カ月。

OM-93編成出場/(元)0代 改造完了

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0代最後の改造対象となったOM-93編成は長野総合車両センターを出場し、新天地の東大宮センターへと旅立っていきました。

 

 

 

まとめ…になるかはわかりませんが。

以上、E353系によるE257系置換えから基本編成すべての改造完了までを独断と偏見に基づいてまとめさせていただきました。わかりにくい箇所等あるかと思いますが、ここまでお読みいただきましたことをまずは御礼申し上げます。

一介のE257オタクとしましては、拙い記事ながらE257系の活躍を後世に遺すとまではいかずとも、この記事が彼らの過度期の記録とでもなっていましたら幸いです。

不本意ながら山梨の名もなき大学に進学して苦労も多々あった(自分で言うな)身ですが、山梨での4年近い生活にE257系は欠かせない存在だったと私は考えております。そんなE257系が完全に中央線から旅立ち、また時折臨時特急として数々の需要を拾い我々の「会いに行く」をこれからも支えていくところを見送り見守ることができたのは一介のキモヲタとしては257ヲタク冥利に尽きるところです。春からは東日本を離れ新たな人生を歩むかもしれない管理人ですが、E257系各番台の今後の活躍を遠くから応援しつつ時折お世話になる機会があればいいなと願い、この記事を締めさせていただきたいと思います。

 

 

 

末筆ながら、お読みいただいた読者の皆さま、どうもありがとうございました。またE257系のみならず他形式での場合も含めて私の大学生活にあたり数々の場面でお世話になり、日々安全運行を支えてくださったJRさんと子会社さんの皆様にも御礼申し上げます。

*1:351引退のためライナーの持ち替え程度はあったかと思うのですが、そもそも僕この時まだ山梨にいなかったってのもあります…

*2: https://www.jreast.co.jp/nagano/pdf/180516-01.pdf 参照

*3:翌日の快速松本行

*4:18券でいわきに行ってたら撮れなかったのを覚えてますわら

*5:ネイビーブルーっぽいこともないので相鉄10000系関連なのかなと思いつつ、執筆日時点では長野を出場した10000系は機器更新のみを行っているようなので、本当に謎です…。

*6:215系だって…ライナーしかりビューやま然り…頑張ってたもんね…うん…

*7:どんなカチコミだよ

*8:写真は機能保全のために松本車両センターに回送されているところなので厳密にはNN入場じゃないです

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