おはようございます。ネタがないので大学生時代のSDカードから未現像だった写真と現像済でもなんかアレな写真をしれっと再現像して、記事にしていきたいと思います。乞食精神バンザーイ!でも媚びへつらって撮影地クレクレはしないあたりまあ多少はね。いたなそんな奴。
本題。タイトルの通り平成30年・令和元年の中央東線撮影記に関して書いていきたい。本日もよろしくお願いいたします。

平成30年11月の撮影からスタートです。記憶が正しければ鬱の診断が出た2日後だったっけ(笑)。ウケる(笑)。まあでも実際当時の俺は苦しんでいたし多少はね。それはさておき、スーパーあずさが懐かしい。まあこのおよそ半年後の改正でJRが炎上、いわばまさにJRファイヤーを体現してきた訳だけど(あずさ停車駅問題でね)、一旦それはさておこう。
今でこそ東京・新宿~松本・白馬を結ぶ特急の全てが「あずさ」に統一されている訳だけど、速達便の区別化とかブランド化とか、そういう意味ではスーパーあずさという名前を残しておいても良かった気がしなくもない。まあそこはJRさんなりの事情があったんだろうから、外野のオタクが考察する余地もない。この手の下手な考察をハイエナみたいに目ざとく見つけて絞殺するかのごとく噛みついてくるマニアにお気持ち表明されても困るしね。あ、ダジャレです。

続いて当時既に定期運用を終えていたM-110編成。E257系0代自体の定期運用はあった上にこのM-110編成に関しては一度定期運用を終えて尾久に疎開した後にM-111編成の代車としておよそ1か月に渡って定期運用が復活した経歴もある。嘘だなんだと抜かすなら調べておいて。待ってるよ。そんな馬鹿はこのブログの読者さんにいないでしょうが(笑)。何はともあれ、E257系0代の置換えが始まった平成30年以降、この手の機能保全関連の回送・長野入出場関連の回送に関してはマジで楽しませていただいた。美味しくいただきました。ごちそうさまでした(笑)

ちなみにこちらは当時疎開していたM-110編成が機能保全検査のために松本車両センターに帰省した(帰省じゃねーから)帰りを撮っていたみたい。この辺当時暇な俺なら記事にしていそうではあるけど、そういや簿記検定の前の1週間だったからそれどころじゃなかったか。何はともあれ、こうして0代を撮れていたあの頃が懐かしい。定期運用が終わってから都内で撮っても私一人ということが多く、平和に楽しませていただいた。あざーっす!次は5000代に乗って酒盛りかな、イコラブちゃんの好きな曲聴きながら。いや令和6年7月にもやったでしょうがそれ…。いやでも何回でもやりたいですけどね。
ちなみに簿記検定の試験会場は=LOVEの「僕らの制服クリスマス」のロケ地だった。運命感じるね。何言ってんだお前は(笑)。キモータヒッキーが。

バイビー。M-110編成は結局秋田での改造となるが、まだもう何回か帰ってくる機会はあったはず。そう思ってブログ内検索でM-110と調べてみたら、この翌年にも一応機能保全検査で松本に来ていたみたいだ。してこの写真を初めて写真にした時の記事(写真カツカツで反省ちゅう)の俺曰く「昨日心療内科に行ってきました」とのことだ。まあ結局鬱もパニック障害も完治しない心のガンだからなあ。とはいえあの時は辛かったが、薬チューで行こう!なんて不謹慎な冗談を書く余裕はあったみたい。アホか(笑)
処方されていた薬の中には睡眠薬もあったが、パニック障害のトリガーを引いたクソ教員の授業が始まる3分前に飲んで90分ぐっすりと仮眠してめちゃくちゃすっきりしたのは今でも覚えている。睡眠薬バンザーイ!つくづく意味のない大学だよ。
時空が飛びまして令和元年6月の撮影。他にも再現像している画像がある可能性はあるが、それに関してはまた別で記事にしているのではないかと思う。してなかったらごめんなさい。多分してる。なおこの間の写真で再現像した写真のうち弘前帰省に際して撮影したものに関しては、別で記事を書かせていただくこととさせていただく。では早速、スリーツーワンゴー。

信州かいじだったらスマン。信州かいじは数ある特急かいじの派生列車の中でも1位、2位を争う黒歴史な気もする。平成31年春改正において特急あずさは一律峡東3駅(塩山、山梨市、石和温泉)を通過したり甲府以西でも大幅に停車駅が削減されたりして炎上したのは記憶に新しい方も多いだろう。これがほんとのJRファイヤー。なんちって(笑)。冗談はさておき、信州かいじは元々はまかいじだった列車を八王子以東でも中央線にぶち込んだ列車。あずさ24号は土休日に限らず金曜日を中心に人気列車で、自由席があった頃も平日の指定席が満席だなんてこともザラだった。
なお信州かいじと書いてはいるが、正しくはかいじ55号・かいじ54号だったので念のためそこは書いておきますね。

恐らくはこれを撮るために既に暑かったにもかかわらず塩山駅から歩いて塩山ストレートに向かっていたのだろう。めでたい奴である。当時ホリデー快速ビューやまなし(以下ビューやま)は新宿~小淵沢で運転されていて、普通車自由席であれば乗車券またはSuica・PASMO等IC乗車券のみでの乗車が可能だったので、様々な層から支持されていた印象だ。私は八王子→新宿でしか乗ったことないけどね。もしこの時に戻れるのであれば、いやまあこの時だと未成年なのでアレだけど、成人していたらビューやまのグリーン車でゆったりと酒盛りしてみたい。ビューやまなんて呼び方ないでちゅ!そう思うならそう思っているといい。その方が精神的にいいだろう。
してビューやまは令和2年11月を以て運行を休止したまま215系も全廃となり今に至るが、はまかいじ号とは異なり、少なくとも上り便は臨時特急への格上げもなかったのが残念。まあ盆暮れ正月でもないのに数分おきに特急を走らせたらって話ではあるが。気が向いた時にビューやまの運用等を振り返る記事でも出してみたい。

およそ1週間後、甲府10時35分発の臨時特急には東大宮常駐のM-111編成が充当されていた。新宿朝7時3分発のかいじ73号が一旦甲府の電留で折返し作業を行った後に運転される運用だった。この運用に関しては別の記事でも解説していると思うので詳細は省くが、新宿着後は曜日と臨時列車の設定状況によって行先が東大宮・豊田・甲府のルーレットとなっていた。

失礼しました、深刻なエラーが発生して一部言語が英語になってしまいました。内容は皆さんで訳して私の意図をくみ取っていただければと思うが、あずさ・かいじの貫通顔の英語表記は割と好きであることを付け加えておく。あと英語アレルギーではないことも付け加えておく。
かいじ58号も例のあずさ峡東3駅通過キャンペーンの救済策として設定されていた。前年度まで設定されていた朝8時台のかいじ186号とはまた違った性格なんだろう。翌年の改正でかいじ70号となり、いつの間にか設定すらされなくなっていた悲しき列車。先述の通りこの列車の後継は「かいじ70号」だが、現在は平日朝の臨時特急として「かいじ70号」が存在している。甲府5時40分発だが、私がまだ甲府にいたら遠征時に重宝していたことだろう。その話は本記事では関係ないのでまた別の機会に書きたい。今ここで書いてもいいんだけど、多分それを書くと字数が114,514字を超えそうだもの。それでいい世が来るならまだしも。

バイビーベイビーサヨウナラ。ケツ打ちでも表示負けするのはある種の才能だと思う。でもE257系0代を撮る時の表示負けするかしないかのアレは楽しかった。ギャンブルはやらないしそもそも才能のない人間であることはわかっているが、ファインダー越しの私の世界(笑)に見えたタイミングでだいたい勝ち負けの想像はつき、しかもそれは撮れば撮るほど精度も上がっていったものだった。

10分もせずにE655系「和」が下ってくるので、この日はこれがメインだったのかもしれない。和は初撮影だった。団体列車というかツアー列車というか、そっちだったけどね。天皇皇后両陛下がご乗車なさる他、国賓用としても用いられる特別車両(E655-1)は流石に組み込まれていない。でもいち日本人として、いち電車オタクとして、死ぬまでに一度はお召列車を撮ってみたい。そしてその警備で来る警護部の覆面パトカーもついでに撮ってみたい。なお天皇皇后両陛下がご乗車になるのは必ずしも特別車両とは限らない。静養等でご乗車の際は特別車両が連結されないこともあり、それが天皇皇后両陛下の場合は他の皇族の方がご利用なさる時と同じくお召し列車ではなく御乗用列車となる。
そうそう、警護車両を撮りたいってのは、ナンバーを隠さずにネットに上げた時に相手を見て噛みついてくる卑怯な警察マニアをオモチャにしたいのもあるよね(笑)。

差分でもう1枚。さてE655系は用途が用途ということもあり、汚れが目立ちそうな色の車体ながらもピッカピカで、煌めく街並みが写り込んでいるのがめちゃくちゃかっこいい!私が乗る機会はないと思うが、次に撮るのはお召し列車だったら光栄だ。まあ最後に撮ったの松本だし2年半前(執筆日時点)だしアレだけど。

色々と被っているけど曲がりなりにも373系との離合ということで何とかご容赦くださいまし。ごめんなさい。一応E655系はJR他社への乗入れも可能らしいのでこの先可能性がない訳でもないけど、まあ時間もかかるし乗務員訓練の手間等もあるだろうし、373系はじめJR他社車両との並びはあんまり見られないんだろうなあ。

後追いで215系のビューやまが来た。無論先ほどのE655系はお召し列車でも御乗用列車でもないのであれとは無関係。それにしても毎週のようにこうしてビューやまだったり、前年度(平成30年度)なら185系はまかいじ・この年度(平成31・令和元年度)はE257系0代のかいじ号だったりと、何かしらの臨時列車を楽しめていたこの頃は楽しかった。私のオレ調べというか私が撮ってきた中での話となるが、私がビューやまで撮ってきたのはNL-2編成が圧倒的に多かった気がするので、それ以外の編成で2回もビューやまを撮っていたのが新鮮に感じる。

縦でもう1枚。ニートレインなんて心無いあだ名を付けられた車両だけど、末期でも平日は湘南ライナー・土休日はこうして臨時快速で活用されていたんなら別にいいのではないかと思う。まあ運用効率に鑑みたら…都合が悪いので答弁を差し控えさせていただきます。とはいえ結果として特急車両や波動用車両が足りていない現状に鑑みると、もし215系がまだ残っていたら、流石に特急は無理でも何かしらの使用用途があったような気がしなくもない。まあ今だからこそ言えるんだろうけどね。どうしても土休日の夕方に甲府発となると甲府市民(当時)はなかなか乗りにくくて、乗る機会が少なかったのが悔やまれる。
また別の日。この日はE257系2000代が出場するとのことで、1限終わりにチャリで駆けつけていた。当時から甲府でお世話になっていた兄のような存在であるオタクも駆けつけてくださり、談笑しながらの撮影で楽しかったものだった。

という訳で先を走る特急かいじ8号から撮影開始です。数か月前までかいじ108号だった列車。S119編成は(この当時の時点では)撮ったことがないと思っていたけど、撮ったことがあったみたい。ラッキー。甲府11時半の列車なので、マジで1限終わった足で駆けつけていたのだろう。暇か(笑)。まあ当時Fラン国公立の学生だったし、2年生の時点で金曜1限さえ終われば釈放という感じだったし、多少はね。今思えば教員免許を取っていたら、それもそれでまた違った人生だったのかなとは思う。今更だけど。

21号機牽引の貨物列車。そういやこの時間にあったねえ。懐かしいな。当時甲府生活2年目の私は東線の貨物=EH200だった上に知る限りではこれといった代走もなくて大して注目していなかったのがもったいないなと思う。この頃から免許があればもっと色々な場所で撮れたことだろうが、もうそこを悔やんでもどうにもならない。千葉に帰ってきた今、せっかく最寄り路線の1つでもある京葉線でも撮れる機関車なのだし、もう少しちゃんと写真を撮っていきたい。あれ?EH200って全車両コンプリートできてたっけか。

あれ?焼き直すの2回目?まあいっか。この日の大トリはNA-10(元M-113)編成のNN出場配給輸送。恐らく既に下書きに突っ込んでいる令和元年焼き直し記事でも言及していると思うのであんまりくどくどと語りすぎないように気を付けて書くが、2000代がEF64牽引で長野総合車両センターを出場したうち純正のこの塗装でのものはこれが最初で最後だった(前回NA-09編成は塗装含めて未完成、次回NA-04編成は自走)。私個人としては長野からの出場を初めて撮ったのはこの時だったので、エモい気持ちだった。NA-09編成、元M-112編成の出場があった平成31年3月上旬は台湾の新北(シンベイ)市に留学中だったので、そりゃどう頑張っても撮れるわけがないですからね。
これにて一連の撮影回顧は終了。NA-10のケツうちは別の記事で書いていて、いずれ公開するであろう記事でも言及していることかと思う。一部が重複してしまうのは大変申し訳ないが、新たに現像しなおした写真ということで今回登場した車両の当時への思いを馳せていただけるトリガーになれていたらそれ以上のことはありません。ありがとうございました。無論次に中央東線を撮りに行っても同じような写真ばかり撮れるわけでもないんだけどさ。
高校生の頃の過去画記事が10本近く公開未定で下書きに放置されているのでアレだけど、新規写真での記事にも力を入れつつ、こうした過去画での記事も皆さんにお楽しみいただければ幸いでございます。