おはようございます。本日は過去画でお送りいたします。アレだね、出しても出してもまだ過去画が出てくるわけです。それが終わるのがいつになるのかは知らないけど。しかし記事を書くのは好きなので、まあ書いていきましょう。
今回は平成30年10月の中央線撮影記を中心にお送りいたします。

多分記事にはしているんだけど一応ね。中央線撮影記って書いておいていきなり武蔵野線205系ってどうなのって話ではあるけれど、まあそういうこともある。同じオレンジだし。いやそれは無理があるから(笑)。
こちらは八王子で発車を待つ205系M20編成のむさしの号。今でこそ現存しない武蔵野線の205系だけど、実はこのM20編成が確か最古の編成だったはず。

多分これはもう記事にしているかもしれないんだけど、狙いは武蔵野線の205系とE257系あずさの並び。並の撮り鉄さんなら被りだからってこんなの撮らないんだろうけど、意識の低い私からしたら並びは並びで美味しいのでヨシ。おいしーかもー!E257系でまたアル中カラカラしたいなあ。

そして多分未公開だった謎の回送。一応同じようなスジの回送も見たことがあるほか、その時もこの時も土休日ではあったので、まあ臨時列車か何かのしがらみでの回送なんだろうかね。

ブレブレで草も生えない。この記事が世に出る頃には中央快速線のグリーン車導入も完結していて、10両の電車ないし列車はもう見られないことだろう。知らんけど。ということは当時の私が考えていた訳でもなく(ただしグリーン車は楽しみにしていたと思われる)、11両、つまりE257系がいた証を残したかったのだと思われる。E257系0代の付属編成、もし一休車で生き残っていたら5500代の付属編成に転生できたと思うとただただ不憫で致し方がない。草津・四万にせよあかぎにせよ、当初の目的だった波動用にせよ、5500代5編成と0代付属5編成ならいい感じに行けたんじゃないかなあって。もう後の祭りなんだろうけど。

ガキ(つってももうこの時点で18ちゃいなのがクリビツテンギョー)は傾ければいいとでも思っているのかね。恥ずかしくないのかね。このブログでネタにしているような輩の大半とはまだ出会う前で平和でよかった。イキリ流しマウンティング小僧は何かの拍子に転生して縁を切ったのにアカウント見つかって繋がったけど。フライングヒルは…まだ生きていたかこの時(笑)。
それはさておき、「快速新宿」に違和感を覚える方も多いかと思う。個人的にはE233系0代のそれを撮りたいと思う一方で、これは当時の臨時快速「ホリデー快速ビューやまなし」のもの。

ほれ。ほれじゃねえよ(笑)。懐かしいな、ホリデー快速ビューやまなし(以下、ビューやま)。ビューやまなんて呼び方聞いたことねえよwwwってマリC(死語)の発言元なんかは「「「鍵垢で」」」抜かしていそうだけど、まあそれはそれで面白いのでいい。

パッと見だと何も変わらないけど、でもビューやまだったんです。八王子のこの時計、撤去されていないといいけどねえ。

NLってニューライナーの略だったのかね。元々は湘南ライナーのために作られた車両だしさ、215系。結局山梨在住時代にビューやまで撮ったぐらいしかないけど、土日の撮り鉄の楽しみだったのは間違いないことだ。なお乗車は「八王子→新宿」のこの時のみだった。なんかねえ、どうしても甲府に住んでいる人間からしたら使い勝手がいい時間帯の設定とは言えなかったのはある。特急はまかいじもそうだけど、首都圏の人間が甲信エリアに遊びに行く需要に応えた列車だったんだろうけど。
という訳でこの時のビューやまにて、最初で最後の215系乗車をしていた。ちょうど高校時代からの親友の大学の学祭にお邪魔させていただいた帰りで、彼と一緒に乗っていたのを覚えている。中央線なので遅れてはいたが、そこそこの回復運転で楽しかったのも覚えている(クモハに乗りました)。215系、まああのボックスシートで特急料金なんて取られたら流石に大炎上(これが本当のJRファイヤー)だろうし、そこそこの経年車でもあったので、まあ湘南ライナー廃止後の廃車解体はいたし方のないことだったのだろう。とはいえ現状のJR東日本の特急車両の足りなさを見ていると、せめて波動用専用として残しておいてもよかった気がしなくもない。他のホリデー快速を特急に格上げしたものとか、修学旅行臨とか、そちらで使う道はなかったのだろうか。

そんな215系を撮っていた甲府在住の4年間も楽しかった。4年目に入るタイミングで運用なくなったけどね。ビューやまは冬季の運転はなく、これは215系に耐寒耐雪設備がなかったことに起因する。しかし令和2(2020)年の3月末の甲府盆地には雪が降り、一体なんのために冬季の設定がなかったのかと問いたくなる写真を撮ることができたのもいい思い出だ。寒かったけどねマジで。低体温症なのか知らんがこの後に出勤してもずっと寒くて震えていたっけか。もう桜咲いてるんだけどなあ。

閑話休題。新宿ではE353系「かいじ119号」を撮っていた。他にも写真はあると思うけど、SDカードに残っていたのは現時点でこれだけ。別にこの写真に限らず私が撮りたいのはあくまでも鉄道車両というのは事実だが、写り込んでいる駅員さんか乗務員さんと思われるJR社員の方の当時の制服が懐かしい。そしてかいじ号の号数が100番台だったのも懐かしい。いつか竜王行も懐かしく思う日が来るのだろうか。いやそれはない。甲府で見ていると、竜王かいじに竜王まで乗る客はいつも一定数いたからね。まあ塩崎や韮崎に行くのであれば、後続の甲府始発ローカルに乗換えることになる上に、甲府でも竜王でも階段を渡っての乗換えにはなるけれど。

そしてだいぶニッチな話題がこちら。平成30(2018)年からは189系豊田車に代わって「当時は(ここ重要)」余剰が発生していたE257系500代3編成が豊田に常駐していたのは皆さんの記憶にも新しいだろう。その編成はNB-10~12編成だった。うちNB-10編成は主に富士急直通、NB-12編成は主に甲府・小淵沢・松本方面での運用が多かったのだけど、今回の編成はNB-05編成。普通に幕張車両センター所属で房総特急に用いられていた編成だ。

臨時快速「快速山梨富士」に充当されたのち、豊田車両センターへの回送として出発を待っていた。このようなことは時折発生していて、例の3編成に豊田常駐の証として(?)軽いラッピングがされてからも時折こういうことがあった。
なお、前の日にはNB-14編成が同じく代走という形で?富士急線の快速に充当されていた。快速富士山か山梨富士か、その辺まではもう記憶が曖昧なのでわからない。これらは恐らく、検査周期によるものだったのではないかと推測している。車検というよりは機能保全やその辺の関係で。JRの保全体系については専門外なので語れることではないが、一応新保全体系に分類される車は所属基地での機能保全検査(従来の月検査)を受けることになっている。そのために豊田常駐3編成も機能保全については幕張車両センターで施行していた。

またこれはE257系0代のうち、定期運用から外れた後に東大宮常駐となっていた編成も同じ。このM-102編成も1年半ほど東大宮常駐だったが、このように機能保全検査は松本車両センターで行っていた。他に東大宮常駐となっていた0代はM-105,M-107,M-111編成の3編成。この3編成が5000代(波動用)に改造されたのとは対照的に、M-102編成は唯一2000代(踊り子・湘南・時折波動用)となった13編成の中で東大宮に常駐した経験がある(東大宮常駐:波動用)編成となる。2000代13編成の中で唯一の経歴だが、その話はまた別の機会にしたいと思う。
なおE257系0代定期運用終了前に少しだけM-104編成が東大宮に行ったり、既に波動用だったM-107編成が少しだけ中央特急の運用に就いたり、そんなこともあった。
撮影 平成30年10月
執筆 令和6年11月30日
