最近めっきり見向きもされなくなった感さえあった京成3688編成の話。しかしまもなく前回の検査出場から4年となるほか、後継となろう新3200形も登場しているので、なんかこの先が気になる気がします。
個人的には赤と青の塗装で8連だった頃の方が思い入れもあるので、今回は今まで撮影してきた写真を振り返っておきたいです。最近ちょっとアクセス数が落ちているから記事とアクセス数を増やすためともいう。それではよろしくどうぞ。
一応手持ちの写真では最古のものとなる3688編成の写真。当時まだアス比4:3で撮っていたのもめちゃくちゃさに拍車をかけている。この頃はまさかファイヤーオレンジが見られるとは思っても見なかった。
いやこっちの方が古いかも?朝の快特を多分高校に行く前に撮っていた。機材的にもこっちの方が古いかもなあ。べつにそれはいいのだけど、もう快速特急で3600形を見られないと思うといささか寂しい(撮る側としては)。
だとしたらこれは同じころの写真だろうか。時間帯と種別行先列番からして、おそらくは土曜授業の時の写真だろう。土曜授業は面倒なようで、給食がない(給食も無論好きだったけど)ので必然的に母が弁当を作ってくれて、早弁と部活と帰りの電車が楽しみだった思い出。そんなかつての日常の中に3688編成がいた(なんかかっこよく言ってみたつもりになっている)。
こちらも平成28年夏の撮影。誰かが試運転の度に即上げするので大人気の駅ですね(笑)。勝田台で撮っていたということは恐らく高校の帰りだろう。冷静に考えて制服を着て鉄をしていた当時の僕もいい度胸をしているけど、でも時効だと思うし(自己中なので)何よりも撮らない後悔をしなくてよかったと思う。写真それ自体に満足できるかはさておき。
こちらは私が高校2年生だった平成28年秋に撮影していたもの。この時の本命は後述するとして、「ピン電(笑)」として捨てないでおいて本当によかった。いや、確かに練習用に本命の前の電車も撮りたいんだけど、ガメついケチなキモータ童貞ヒッキーなのでそれさえも大切な記録として残しておきたいのでね(笑)。ヒヒ。
余談ながら、その時の本命はこちら。既に3500形の8連は定期運用がなかったのだけど、この日は何らかの理由で急遽運転された。当時ご一緒いただいた友人氏は改めてありがとうございました。3552編成のうち上野方2連は廃車済であるほか、そもそも現在の3500形の組成に鑑みると8連を組むのも(不可能ではないが)まあまあ面倒だろうし、ましてや4+4の8連を組むとなるとそれはもうドイヒーになりそう。定期運用があった時代を含めて、こっちも撮っておいてよかった(笑)
こちらも同じ年の撮影と思われる。佐倉で撮ったのはわかるんだけど、何の時だっただろうか。成田空港に行ったときだったかなあ。3600形は3668編成を除いて京浜急行線に直通できないという制約もあってか、同線直通に絡まないK台と本線完結のA台でよく見かけたものだった。
カツカツで最悪だ。これは平成29年、全般検査入場前に撮っていた。印刷したらどうなるかなんて考えていないクソガキだったからこうなたとはいえ、なんかなあ。書いていて萎えてきた。
これも同年の全検入場寸前のもの。3858編成の謎の試運転の報をいただいて向かう途中に撮影していた。まあよく見たら帯は色あせて車体も心なしか汚れているように見える。これはこれでアリだけど、でも京成さんはどこぞの採算度外視で利用客と現業第一の会社とは違って車検の度に車体や足回りを綺麗にしてくれるのがいい。結局そういうところに出るんだよね。
試運転は一応受験生だった以前に撮れなかった。AE形乗務員訓練と重なっていたこともあっていつもより遅い時間帯だったのにもったいなかったなあ。
受験期ということもあって、平成29年度の写真はほとんどない。でもたまたま高校が文化祭の振替休日で休みだった時には沿線で撮ってから予備校に行ったのを覚えている。だから受験落ちるんだよバカが(笑)
この時はノーマークだったのだけど、2+4+2とはいえ3500形の特急代走も撮影できてホクホクだったったけ。どちらも急行灯が点灯していて大変おいしい。
センター試験があるのに臨時シティライナーを撮りに行った帰りに撮影。あんたほんとバカじゃないの(笑)。もともと頭が悪いのはわかっているけど、流石に舐めプだったなあ。とはいいつつも、写真は撮っておいてよかったと思う。
ここで私が千葉県民だった時の写真のうち手持ちの物は終わり。ゴミみたいなのでもいいから少しでも復元したい。
余談。中学の修学旅行は東京駅集合で、東京に向かうにあたりうすい→船橋で3688編成の快速に乗ったことがあった。中学の同期の99%が既に死亡しているのでお悔やみ申し上げるいつもの流れは置いといて、700系に乗れた楽しさももちろんなのだが*1、同時に3688編成も思い出の1ページになっているのはなんだか嬉しいかもしれない。
ここからは私が千葉を離れてからたまに帰省した時の写真。
トリミングの余裕のなさに人生の余裕のなさが表れているけど、よく見慣れた3600形のなんの変哲もない運用だ。撮った時は正直何も思っていなかったと思うが、こうして5年半以上経ってから懐かしくなるんだから何か切ないものだ。今から5年半後、3688編成はまだいるだろうか。なんかあれがこれしてどれしてそれしている気がしなくもないのは京成クオリティ。
数日後、市川方面の友人に会いに行くときにも撮影をしていた。障検だなんだとうるさいけど、ないよりはまあいいだろう。
同年12月の撮影。帰省していた帰りに寄り道して撮影していた。快速特急と成田のそれぞれの表示こそ飛んでしまっているが、赤青帯の8連での記録はおそらく二度とできないので妥協。大声では言えないが3600形はハズレなんて声も聞いていた世代なので、こうして貴重かつアイドルになってしまったのは何とも言い難い。
記憶とファイルの日時が正しければ、今の愛機と出会って数か月の平成30年秋の撮影。帰省した帰りに3600形に乗れたので都営線内まで…といったところだろうか。確かに赤と青の3600形は通称ターボ君こと3668編成以外は現存しないし、また都営線内への3600形の運用もないので、一応撮っておいてよかったのかもしれない。写真の出来はさておいて。そんな都営浅草線は今ではすべての駅にホームドアがあるときいておったまげますた。
またまたカツカツな写真撮っちゃって~。これは平成30年末の写真かと思う。
ピンボケなのでお茶を濁させていただくと(蹴)、これの1年ほど前に3688編成と3678編成はコンプレッサーが新しいものに交換されていた。それもあり3678編成も長期の使用を見込んでいるものかと思っていた。しかしそこは車両計画の面白さ、そうも上手くいかなかった。個人的にはちょっと残念だけど。
なので今の3688編成からは昔ながらの?「ドコドコドコwww」といったコンプレッサー音がない。最近乗ってもイヤホンしてばかりでそもそもアレだけど、なんかあの音がないだけで静かかつどことなく寂しい気がしなくもない。
翌日兼翌年に撮影。確かAEのシティライナー狙いだったんだっけか。
その夏にはこんな写真も撮っていた。
同年秋の撮影。令和元年度は京成の新型車両3150形の導入、またそれによる3000形7次車の転入等もあるため3600形の動向にも注目していた。していたけど、エロ光で急行灯も点灯しているからいいだろう。ハハハ。何笑ってんだ(笑)
そんななか、帰りの特急で津田沼から乗車する機会が令和元年秋にあった。最後かもしれないと思うととても寂しい気持ちになり、日暮里で降りようと思っていたのに上野まで乗ってしまったのも懐かしい。というか、多分3150形導入の玉突きで廃車になるのは当時の3600形の8連で残っていた3658編成と3688編成だと勝手に思っていた。
先述の通り3150形のデビューが控えていた時だったこともあり、車内にはその記念乗車券のポスターが掲出されていた。何とも切ない…という気持ちでシャッターを切ったのは覚えている。※この2週間後の帰省では元気に快特として爆走する姿を見ることができています
そこからおよそ7か月。令和2年なので新型コロナウイルスで面倒なことになっていたのも懐かしいですね。ブスなので未だにマスクで顔を隠している私に言われたくないだろうけど。あと前も書いたけど、なんか某指名手配犯に似てるんだってさ(笑)。ウケる。そいつの見てくれのことなんて一度も馬鹿にしたことねえのに(笑)。※その方はお亡くなりになりました。
同年6月の撮影。3500形代走の時にもお付き合いいただいた友人氏と一緒の撮影だった。その節もありがとう。この時はまだ3658編成と共に8連で京成線と都営線をドヤ顔で動き回っていたなあ。
その数日後、まだ帰省していた私はコロナ禍とはいえチャリで沿線撮影地に特攻。3658編成等も撮影していたけど、もれなく3688編成の快速も撮影できた。正直今更って言われたらそこまでだけど、実はこれが赤青帯+8連として撮影した最後の3688編成となる。
無論ほかにも写真はあるのだけど、字数と記事の長さの関係上、今回は色々と絞らせていただいたのでその中からの一部の掲載であることをご理解いただければ幸いだ。市営地下鉄の減便や京葉線快速・通勤快速の「各駅停車への種別変更」と同じノリだよ。ヒヒ(笑)
さて、この撮影から1か月ほどで3688編成は運用から外れて宗吾に入場した。別に事の顛末は皆さんご存じだろうから敢えて書かないが、個人的には「帯を剥がしての入場」であることに注目していたのを覚えている。「期待はしてもいいと思いますよぉ?」あ、はい。お前そろそろこのブログ見るのやめなよ(笑)。
程なくして京成さんから公式にリバイバル塗装での復活のアナウンス、そしてその初日の2日前まで車検明けなのにも関わらず一切の動きがなかった。
なるほどそういうことか。復活前日、早起きをして既出の友人と共に沿線に向かう。
令和2年7月31日、当時との差異はさておいて、令和の時代にファイヤーオレンジが復活!さらに試運転で急行灯も点灯。本当にありがとう。
今まで慣れ親しんだ3688編成ではないかもしれない(いっちょまえにイキるガキなので笑)が、図鑑でしか見たことがなかった姿を愛機のファインダー越しに見ることができ、そして自分自身で撮影ができて、本当に嬉しかったものだ。3300形のリバイバル3種盛合せセットのようなこういうリバイバル塗装は、やはり京成さんだからできたことだと思う。今までの3688編成の写真が増やせない無念さの反面、これからリバイバル塗装での写真を増やせるのであればそれ以上のことはない。ありがとうございます。
まさか生で見られるとは思ってもみなかったファイヤーオレンジの3600形だ。撮影できた時は嬉しかったものだ。もう4年も経つんだなあ。
京成さんらしく、3600形への最後の花道としての塗装変更だと思っていたのだが…まあ色々とあってSR無線の搭載をして今日も頑張ってくれている。趣味的には嬉しいけど、あえて何も言うまい。この編成の全般検査の出場は平成29年5月であるほか、塗装変更は重要部検査だったと聞いている。しかしまもなくこの時から4年、単純計算ではまもなく車検切れだ。
今後の予想については
昨日の記事の末尾に妄想を書いてみたので、そちらも併せてどうぞ。
3600形の中では6連化以前より特によく当たる編成だったこともあって愛着もあるので、今後とも可能な限りは3688編成の写真を増やしていきたいと思う。まあ、8連時代を知っているアラサーとしてはその頃の写真の方がもっとほしいんだけどね…。
引退であれば京成さんからラストランの報は出る気もしつつ、昨今の鉄道ファンの一部のマナーの悪さに鑑みたら今月末でサイレント引退の可能性も捨てきれない。とはいえ3688編成をこのまま廃車したところで、そもそも新3200形デビューまで6連が単純計算で1編成足りないことになる。今後の動向に注目しつつ、明日の記事(京成押上線撮影)を挟んだ次回記事として、ファイヤー塗装の特番も書いておこうと思う。ではまた次回、よろしくお願いするます。
*1:当時は無論未成年だったので15号車のヤニ臭は多少印象的だった