皆さんこんにちは。平成30年の過去画から、当時の中央線撮影記と弘前帰省を中心にお届けいたします。ハァン年もしたらもう8年も前ですか、悲しい…
本題。常磐線E231系のNN入場から記事はスタートです。
この頃は常磐快速線・成田線我孫子支線で使用される松戸所属のE231系0代の機器更新が行われていた。そのおかげで当時甲府在住だった私もおおよそ月に1回から2回ほど撮ることができていたのが懐かしい。このおよそ1年半後に機器更新は終了してしまうが、その先はE257系の疎開・機能保全・NN入出場関連の動きも活発化する。未来の話はその時の記事で改めて言及する予定。
ちなみに身延線の313系と並走してきました()。一体どこにいるんだよって感じですよね。甲府市っていう場所なんですけどね。大学生時代の過去画で度々言及するが、この回9431Mはこのように時折身延線と並走してくることがあった。ある意味ではレッツ運試し。速度差もあるので綺麗な並走とは言い切れないかもしれないが、それでも中央線と身延線の併走区間ではその気になれば普段なら実現し得ない並びを回収することができたので、美味しかった。
まあこの時、バイトがアレで11時間勤務(1時間休憩)で目は三角になっていたけど。あの店長は本当に酷かった。悔い改めて♰ ※既にお亡くなりになっています

5月の話になってはしまうが、E257系500代と373系の並走なんてものを見ることもできていた。確かに当時の500代は3編成が豊田に常駐していたので中央線方面での運用はこうして特に珍しいものでも何でもなかったが、それでも撮れる時に撮れるものを撮っておくべきだと思った。これ以前に両形式の並びが実現していたとしたら、ムーンライトながら又は東海道線ローカルの373系と横須賀線ライナー関係のE257系500代ぐらい?

バイトを終えてチャリにまたがり甲府駅へ。22時7分発の高尾行終車に乗って八王子を目指そう。八王子に向かった目的は以前投稿した関西遠征でもお世話になったネカフェで1泊するため。また出かけるの?!そうなんです。今回は翌日から弘前に帰省するための移動。Fラン国公立の暇な文系大学生とはいえ随分暇そうなことで。勉強だけが全てじゃないもんね~うんうんそうだよね~。そんなんだから大学院中退してんだよバカ。それはずっと後の私だからこそ言えることというのはさておき、ボックスシート装備のN603編成で高尾を目指していこう。
以前も書いたが既に上り特急の運行は終了しているので当然通過待ちはなく、そこまでの時間をかけるわけでもなく列車は高尾に到着する。高尾からは中央線各駅停車に乗って八王子を目指そう。

中央線各駅停車が高尾に来るわけないだろムキー!ってコメントも来ないだろうからマジレスしておくと、快速線車両での各駅停車は平成31年春の改正まで存在していた。こんな感じで。
とはいっても東京から御茶ノ水は快速線、御茶ノ水から三鷹は緩行線、三鷹から先は複々線ではないので当たり前ながら快速線に復帰することとなる。廃止になった理由はグリーン車連結準備等々の問題もあったのだろう。なお同時に黄色い総武線が三鷹以西で客扱いを行うこともあったが、どちらも全て過去の話となってしまった。

せっかくだからと撮っていた中央ライナーはまたM-110編成(笑)。この頃よく遭遇していたんだな。いわばまさに代車ポジションで運用に復帰していた同編成はこの数日後に?M-111編成が出場したためその役目を終えて再び尾久に疎開された。後に数回機能保全検査の関係で松本に出入りしつつ、秋田総合車両センターで改造されて後のNA-08編成となる。
中央ライナーの特急格上げはこの頃から既に噂されていて、実際に半年後の改正では特急はちおうじ号に変身することとなったが、まさか中央線グリーン車に後を託してそれさえもなくなるとは思わなかった。気を付けよう、甘い言葉とダイヤ改正(字余り)。

ネカフェで仮眠を挟んで翌朝に備えよう。今の私は体力的に初電でおでかけなんてもうできないだろう。オールしたところでって話だし。それにしてもまあ11時間勤務はしんどかった。立ち仕事だし接客もあったし、それ以外にも沢山やることはあったし。逆に11時間勤務をこなしてからネカフェで仮眠して初電で弘前に向かうってあのさぁ…。

朝になりました。おはようございます、といってもまだ夜明け前なんだけどね。明けない夜なんてない、咲かない桜もない。なんか今ちょっとかっこよかったですね(いいえ)。
カワ52編成は元C502編成で、三鷹に新製配置されて長らく中央総武線で活躍した後に、機器更新と編成短縮を経て川越に転属し今に至る。当時の私は知らなかったが、令和4年以降は八高線・川越線でもワンマン運転が開始されているのでもしかしたら川越単体表示はもう見られないのかもしれない。

夜明けを撮っていた。489系の急行能登号におけるおはよう放送で流れていたペールギュントの「朝」でもいいんだけど、せっかくのJR東ネタなので今回のBGMはJR東日本社歌「明け行く空に」で行きましょう。普通にあの曲は好きだし、東の社風に合っていていいなあと思う。私がそれを歌う機会はないけどね。時代(とき)を創り希望を生む私たちのJR東日本だからこそ209系のように革新的な車両が生まれたのだろうと思う。無論この会社に関しては全肯定ではないが、全否定ということもなく、トータルでは好きだしね。
そんなこんなで何気に八高線のうち電化区間の完乗、川越線の完乗(一部区間は高校生の時に英語スピーチ大会や勉強合宿で何回か乗っている)を果たし、高3冬の勉強合宿以来の川越に到着。あの頃の私の努力もむなしくFラン国公立に進学した私だが、思えばこれ以来川越を通ってすらいないかもしれない。川越といえば「べにあかくん」というスイートポテトがあったのだけど、1919年に一度親父が埼玉県に出張した時にお土産でいつも買ってきてくれていて、あれが好きだったんだよなあ。美味しくて。親父ももう死んじゃったし、俺もそうやって年を取っていくんだろうけど、親父みたいにはなりたくないな。

という訳で川越からはりんかい線70‐000形の通勤快速に乗っていきます。埼京線・川越線の通勤快速は混雑の平準化のために運転を取りやめるようなことがないことを願っております。もう千葉支社いじるのやめてやれよ(笑)。それはさておき、りんかい線車両での新宿行なんてあるんだね。埼京線の通勤快速自体は私も先述の勉強合宿等において何回かお世話になったのを覚えている。
ふと思ったけど、令和6年以降版に映画「翔んで埼玉」をリメイクした場合、埼玉解放戦線が「我々には通勤快速がある!」と主張できる可能性が高い(なお宇都宮線と高崎線はry)。一方の千葉解放戦線にあっては千葉県内のJRで最後まで残った通勤快速が廃止となるので、そこで負けが確定するという訳だ。いやどんな勝負。というか、千葉と埼玉はよき隣人でありよきライバル(私のオレ調べ)なので、勝手に千葉を負かせないでください。あんた千葉県出身でしょうが。=LOVEの推しの1人である大場花菜さんの握手会の鍵開け(翌年)と令和7年3月のお話会で翔んで埼玉ネタをできたのは良き思い出だ。※花菜ちゃんは埼玉県出身、私は千葉県出身なので。
さて、楽しい帰省の時間だ。いやもう始まってるよ?という訳で、学割の暴力で新幹線に課金。流石に青森までローカル耐久は厳しいっすパイセン…。脳内には東北新幹線チャイムが響く。E2系やE4系のちょっとこもった音質がいいんだよな。

ゲーミング乗車位置目標。当時既にN編成(左から2番目、E2系0代で主に長野新幹線あさまで活躍)は引退していたはずだけど、当時はまだこうして生きていた証が残っていた。あいみょんの「生きていたんだよな」がBGMに相応しいだろうか。いや歌詞のニュアンス全然違うけどね。このホームは基本的に上越・北陸新幹線の列車が使うホームということでE3系・E5系・E6系の案内がない。多分。どっかにあったら本当にサーセン。

E2系1000代試作車であるJ51編成が朝一番の盛岡行となる「やまびこ51号」に充当されていた。確率的には1度ぐらいは乗ったことがあるはず。この編成は他の1000代と異なり当初は8両で竣工した上に後に中間車を増備した経歴もあればN編成と同様の塗装で登場した経歴もある等、なかなかくせの強い編成。E4系Maxよろしく8両同士での運用も想定されていた関係で東京方1号車にも分割併合装置がある。E4系との16両編成なんてのも可能なら見てみたかったものだ。

だがbutしかし私が乗っていくのはこちら上越新幹線の初電、とき301号のJ72編成。弘前に帰るって言ってなかった?言いました。東北新幹線経由とは一言も言ってないのでまぁ多少はね?
当時ギリギリ残存していたE2系0代のうち日立GTOのふつくしい音色で全国364万人の音鉄を魅了していたJ8、J11、J13編成に期待していたのだけど現実はそう甘くなった。とはいえ1000代後期車でコンセントがあるという時点で優勝。スマホを充電しながら新潟まで爆睡させていただいた。
新潟では新幹線11番線ホームと在来線の5番線ホームで対面乗換えができて、主にとき+いなほでそれが行われている。僕が好きな対面はイコラブちゃんとの対面お話会(オンラインではなく、直接会って話すことができる)です。うるせえよキモータ。何はともあれ新潟駅高架化でできるようになった対面乗換えを体験しつつ人生初の新潟駅と在来線ホームに進もう。

めちゃくちゃピンk…いやはまなす色のU-107編成が充当されていた。秋田まで4時間近い長旅となるがどうぞよろしくお願いします。かつて常磐線のフレッシュひたち用のK307編成として運用されていたが新潟に転属し、平成29年末からはこのようなまっピンクで活躍している。内装に他編成との差異はないんだけどね。
往路は指定席を乗継割引の暴力で確保していた気がしなくもない。もっと車窓を撮っておくべきだったが寝ていた区間もあるので許してください何でもしますから(何でもするとは言ってない)。車内販売で購入したアイスジェラート、美味しかったなあ。

画面撮りで申し訳ないのだけど、E653系1000代普通車はこんな感じの車内。転用に際して小千谷ちぢみを利用した座席に変更された。秋田までの乗車時間は先述の通り3時間を超えるが、なんか普通に快適な座席でちっとも疲れなかった。E653系1000代で夜行快速・夜行特急が運転されたら普通席でも快眠できそう(グリーン車は敢えて何もry)。
そうそう、なんか俺が高校生の頃に一回新潟からの臨時快速「スターライト上野」なんてのもあったよね。AKB48の総選挙が新潟で開催されたんだっけ。鉄オタvsドルオタの間でそれはもう熾烈な指定券争奪戦が繰り広げられたことだろう。ちなみにそんな私は鉄オタでもありドルオタでもある。あの臨時快速、もしかしたら将来的に座席夜行列車の運行を視野に入れた試金石だったのかもしれないね。いやそれはないか。

秋田からは青森行の特急つがる3号で一路弘前を目指して北上していく。乗換え時間の合間に駅弁を買ってE751系の車内で食べた後、寝不足もあって無事に意識を喪失。ご冥福をお祈りいたします。ちーん(笑)
なおこの日のつがる3号は停電の影響で途中運転を見合わせた区間があり、その影響で弘前には3分遅れて到着。しかしお亡くなりになっていた私はそんなことを知らずに夢の世界にウェルカムオンボード。サブ端末のスマホで走行音を録音していたが、それを作業用BGMとして学部1年の時に流してみたら私のいびきまでしっかり収録されていた。あのさぁ…(怒り)。

岩木山神社を訪れた際の1コマ。私が帰る度に様々な場所に連れて行ってくれる祖父母や叔父叔母には本当に頭が上がらない。ありがとうございます。翌日には帰った私だが、祖父母と一緒に餃子を作ったのを覚えている。初孫として私が何歳になっても可愛がってくれるのは本当にありがたいことだ。

楽しい弘前帰省も最終日。秋田、新潟経由での復路なので弘前から秋田は特急つがる号、新潟までいなほ号、新潟からは新幹線で帰ることとなる。祖父母と叔父叔母が見送りに来てくれて涙の別れをしたのちに、人生初E751系グリーン車に乗車。やがて車内改札が始まり、寂しさに打ちひしがれている私に車掌さんが声をかけてくださる。
だけならいいんだけど、車掌さんに乗車券と特急券をお渡しすると、「お客さんごめんなさい。今日は秋田まで行かないんです」と言われた。寂しさで脳死状態だったので何回か聞き返した。今日は大館で運転を取りやめるんです。とのこと。ファッ?!ウーン…(運休)。
というのも大館から先の秋田県内において輸送障害が発生し、その関係でつがるのE751系も運用の持ち替えで3号・4号を秋田~大館で運休にすることで最低限の輸送力を確保。結果、大館からは701系のローカルに乗って秋田に行き、秋田からは予定通りいなほ14号に乗車。当初の予定では秋田で1時間半程度の空き時間が生じていたが、それが埋まった上に大館までのE751系グリーン券代は払い戻し、その金でいなほ自由席をグリーン車に変更できたのでまあいいだろう。
秋田で払い戻しをしてくださった窓口の駅員さんが本当にご丁寧な方で、「せっかくですから払い戻されたこの金でいなほ14号のグリーン車に乗りたいんですけど、まだ空席ありますかね?」とお尋ねしたら、「ありますよ!差額なくなっちゃいますけど、大丈夫ですか?(笑)」「1人席空いていますが、海側ではありません。それでもよろしいですか?」と当時弱冠18ちゃいの私なんかにもお気遣いをいただいてしまった。本当に今でも感謝している。

という訳でガキがいっちょ前にグリーン車に乗って秋田から新潟まで移動していた。マジで快適だった。是非またE653系のグリーン車にも乗ってみたいと思うが、近場だと特急鎌倉でそこそこ手軽に乗れるんだよなぁ…無論当時は知る由もないが。なんなら元U-108編成である現K70編成、元U-102編成である現K71編成が里帰りするなんて思いもしなかったもの。この頃バチバチだったどっかの自治が国鉄色の653の目撃に「頭がまだ連休なんちゃうーん?」とお気持ち表明をしていたのは大変面白いものだった。お前は一旦AT入場して頭を何とかしろバカが。※アカウント凍結後お亡くなりになっています
鳥海山、日本海、庄内平野等々、とても美しい景色を楽しませていただいた素晴らしい時間だった。当時の写真がないのが本当に悔しい。だが案ずることなかれ、また同じ列車に乗ればいいのだ。という訳で復路はU-103編成にて新潟まで移動していた。また新潟で会える日を楽しみにしている。

そんないなほ号だが、酒田発着の便では同じく新潟所属のE653系1100代の運用も1往復あるという。混んでいそうでアレだけど1100代も乗ってみたいし、何よりもE653系はかっこいい。というかまあしらゆき号で乗ってもいいんだしね。心まで白く、染められたなら~。それは粉雪だろうが。
しらゆき号をメインに運用される1100代は4両でフレッシュひたち時代は付属編成として活躍していた。現在のE653系は電気連結器を撤去しているのでかつてのような11両編成・14両編成こそ見られないがまあ仕方ない。1100代はそのメインの運用から座席のモケットがE7系・W7系ものに近いものになっている。
また当該のH-202編成は元K352編成で、現在は上沼垂色として活躍ちう。この形式、フレッシュひたち時代を含めても何種類の塗装があるんだよって話になるが、そこがまた面白い。またE653系は現在のJR東日本特急車の礎ともいえる存在(Sophisticated Simplicity)かつ狭小トンネルを除けばとりあえず電化区間の走行は可能な平成の485系ともいえる汎用性を持つ車両なので、72両しか存在しないのが意外。
さて、新潟でも決して滞在時間が長くはならない(長くはしたい)。いなほ14号の接続列車である「Maxとき348号」の発車時刻が迫っているので新幹線ホームに向かおう。当時よりずっと前から大好きなE4系で運行される20時21分発の「Maxとき348号」で東京を目指そう。

編成はP13編成だった。この3年後にE4系Maxは引退してしまうが、同編成は最終運行まで残っていた編成。この時は長野でE7系とW7系が水没の悲劇に巻き込まれるなんて誰も予測していないし、それでMaxが二度目の延命をされるなんて知る由もなかった。
最後までいただけあってP13編成と私との思い出はまだまだ沢山あるのだけど、記憶にある中に限った場合は初めて乗ったのは私が中学2年生だった平成25年2月にガーラ湯沢から臨時の上野行Maxたにがわ82号に乗った時だった。まだ山吹だった。街路樹色づく時だった*1(2月に色づかねえよ)

引退から5年目となる年にこうして新記事でまた取り上げることができるのは嬉しいし、この記事がもし皆さんにとってMaxとの思い出を振り返るトリガーになっていればそれ以上のことはない。
して、Maxとき348号は途中の高崎で前に始発のMaxたにがわ348号を連結して東京を目指す。Maxとき348号はこの後に何回もお世話になる思い出の列車で、それは私が合宿免許で車校に通っていた新潟滞在期間もそう(乗ったとは言ってない)、そして大好きなMaxに最後に乗った令和3年10月1日に最後に乗ったE4系充当列車もMaxとき348号だった。新潟20時21分発のMaxとき348号からは見えないが、それでもE4系Maxから見た青い空はいつのものもしっかり覚えている。
佐倉の実家で1泊した後、当時住んでいた甲府に帰っていくこととしよう。なおネカフェに忘れ物をしていたので、それを無事に回収してからの帰路となる。バカですね~この人。今も昔も何も変わっていない。無事に落し物は回収したので再び八王子から甲府を目指していk

ファッ?!たまげたなぁ…。世にも珍しい団体専用列車「これ以上巻くな」号の185系B4編成がいた。そんな団体列車ねえよバーカ。
皆さんお察しの通り廃車回送です。平成30年9月よりM-105編成、M-107編成が東大宮常駐で波動輸送の任に就き始めたためか、同年8月から9月にかけて既に東大宮に集約されていた編成のうち波動輸送メインだったB編成が計3編成廃車となっている。これはそのスリーマンセルの3番手となったB4編成。当時甲府在住の中央線オタクにとってこんなに美味しいものもないので、特急で先回りして撮るしかないよね。甲府駅で特急を降りて駐輪場にいたチャリにまたがり、急行ペダルライナーしていつもの撮影地に向かう。

いらっしゃいませ!何名様ですか?そもそも単位がおかしいだろうがボケ。という訳でB4編成最後の本線自走を美味しくいただいていた。今185系の廃車回送なんてやったら大パニックだろうし、それこそ令和3年にはEF64牽引のそれの前を走る209系1000代を止めた知恵遅れもいた(残念なことに翌年にお亡くなりになっています)し、そう思うと八王子場面であんなに平和だったのはよかったのだろう。いや先頭行ってねえから知らんけどよ。
B4編成はこの翌月の長野総合車両センターイベントにおいて一部車両が展示されたほか、車内に入ることもできた。その際の方向幕が踊り子だったのもなんだかエモいが、その話はまたその時にしたい。なんかもう先走ってその時の記事書いちゃった気もするけどね。
*1:元ネタ:探せダイヤモンドリリー/=LOVE

