本来であれば大学生の時の記事は来年以降の作成・公開を予定していたのですが、中央ライナーと青梅ライナーの後釜である特急はちおうじ・おうめが3月の改正で快速線グリーン車に代替される形で運転を取りやめます。両列車に関してはE353系が充当されていたのでヘッドマーク掲出はなく撮ったところで別にわかる訳でもないですが、まあそれに関しては方向幕LEDや発車標を撮りに行くとして、6年前まで運転されていた両ライナー、また巻き添えでホームライナー千葉に関しても写真を書いていきたいと思います。

これは恐らく12月に公開した新潟遠征の際にも掲載していた写真。実はホームライナー千葉に関してはこの時に撮ったぐらいしかない(本番はピンボケでお亡くなり)ので、この時のものも併せて掲載させていただくことをお許しいただきたい。この時に駐輪場でもめたコバヤシってジジイのこと書いたっけと思ったらちゃんと書いてた(笑)。もうろくすると空きがあっても満車って言い張る病気になることもあるんだなあ。あんな奴に年金なんて払ってんじゃねえよ(笑)。詳細は末尾に貼る関連記事からどうぞ。

八王子では高校時代の同期でもある親友と合流し、E257系あずさ号をバルブ。冬はバルブの季節ってはっきりわかんだね。既にE257系0代定期運用終了まで3か月を切っていたが、確か俺たちしかいなかったはず。平和が一番だね。M-114編成は現在NA-11編成として活躍している編成。今となっては2000代初登場から6年、5000代登場からもまもなく4年、そして0代の改造終了からも3年以上が経っていて、既に私も見慣れてきてしまっている。見慣れてきた2000代・5000代もかっこいいが、0代も負けずにかっこいいし、欲を言うならもっと撮りたかったとすら思ってしまう。

東京から千葉までホームライナー千葉に乗る。E257系500代10両すらなくなるとは思いもしなかった。ホームライナー千葉、普通に乗車率は高かった上に快速グリーン車と異なり確実に座れるのに快速グリーン車より若干お安いという素晴らしい列車だった。それでも他所みたいに特急に格上げせず廃止にして、座って帰りたいなら着席保証もなく割高な快速グリーン車を使ってねってのは残念だった。結局は修善寺踊り子・湘南の2500代や波動用・高崎線特急用の5500代の種車として捻出するためで、それからさらに数年が経過した今は特急が成田エクスプレスを除いて5両・6両というザマ。いかに冷遇されているかよくわかるエピソードだと思う。東京から千葉なんて30分なんだからだの津田沼から東京の20分がどうだから我慢しろなんて抜かしている不勉強なキッズはすっこんでろ。お前にわかる話ではない。

ホームライナー千葉は千葉行なので、まあこの幕でいいのだろう。ホームライナー自体は故・須田寛氏が国鉄にいらっしゃる際に考案されたとか商標権をJR東海が持っているとかその辺はまた別な機会に書くとして、英語放送では"This is the HOME LINER CHIBA bound for Chiba."という若干千葉が強調された放送だったのが印象的だった。

これは全く別の時の撮影だけど、列車によって総武地下2番から出たり同3番から出たりしていたっけか。先ほどのライナーは確か19時台発、このNB-14のものは22時台だったような。E257系500代モノクラス10両は着席定員が612名と、ライナー・特急としての輸送力はまあ申し分ないものだろう。せめて500代19編成が全編成いれば255系を置換えてさざなみ・わかしおをE257系500代に統一してもよかったと思うけど、今の千葉の特急事情はねえ。今度は車掌1名化で5両、6両に統一だって?ばっかじゃねえの千葉支社も本社も(笑)。
成田エクスプレス12両でも1名乗務だろうという話ではなく、そもそも満席で乗れずに車内発券をしている客もいるような状況の特急わかしお号(一部)の改札担当と運転兼掌を一緒にできると思っているその考え方がすごいと思う。中央線特急の全席指定化後に車掌さんのケツついて車内改札のタイムを本社だか支社だかの人間が計測していたのも見ていて正直なんかうわーってなったし。
閑話休題。ホームライナー千葉を千葉まで乗って解散したのを覚えている。当時はまだ実家の最寄りがうすいだったので、千葉線経由で帰ったのだろう。

で、ここからが18券での中央ライナー撮影・乗車旅行となる。旅行といっても別に行っても東京な上に宿泊地も八王子なので、別に大したことはない距離なんだけどね。
こちらはN609編成の高尾行。552Mということで、先ほどのローカルと同じ列車。今回はN609編成なので同じ長野の211系貫通6両でも2000代、車内はロングシート。この時に実は0代より2000代、1000代より3000代、つまりボックスシートよりもロングシートの方が案外隙間風が少ないということに気が付くことができたのを覚えている。途中甲斐大和で特急待避があったと記憶しているが、当時は19ちゃいなので無論通過待ちをタバコ休憩と勝手に変換して喫煙所に歩くようなことはしていないのでご安心いただきたい。

この日も懲りずに八王子バルブしてましたー。11両だとできないので、後続のあずさ26号は撮れても入線流し程度。この編成は定期運用終了前、サロハ(8号車)の塗装の剥がれがドイヒーだった思い出。0代の末期はまあ酷かったからなあ。内外装共に。それだけ客層が悪いのが中央線特急だ。平日のビジネス需要(出張に限らず通勤も含む)しかり、土休日の観光・レジャー等の需要しかり。まあ半分ぐらい自由席廃止~令和4年のあずさ減便のあたりで死んじゃったんだけどね。
それにしても0代が懐かしい。さっきも貼ってたけどさ。M-115編成はM-114編成同様に定期運用終了時まで運用された後に、両編成共に長野総合車両センターに疎開した経歴がある。M-115編成は現在のNA-12編成として活躍していて、私が人生初のおデートに向かう時にたまたま出場をすれ違ったり、私が心身を病んで千葉に帰ってくるときに小田原→東京で乗ったりと、NA-12編成としてもお世話になっている編成。

あーはいはいキモータヒッキーだからデートなんかしたことねーよ(笑)。一方レンタカーなのに文句ひとつ言わないどころかめちゃくちゃドライブ楽しんでくれて、運転してる俺のことめちゃくちゃ気遣ってくれるお相手さん良い人すぎて泣けてくる。人として出来すぎでしょ。なんだよまだいるのか(笑)。きも(笑)。その後「お相手さん」とはいかがですかぁ?(笑)。いや~車ネタのネタツイ(きもい警察マニアには通じないのか)に、しかも当時失恋中だった私に、よくああいうリプライできたな(笑)。

さて、八王子からは八高線に乗っていく。当時乗ったのはE231系3000代のような気がするけれど、せっかくなので209系3500代の写真も貼っておこう。八高線に乗ると言っても拝島で降りてしまうんだけどね。

関係ないけど、個人的に八高線・川越線は205系3000代や209系3000代・3100代のイメージ。高校生の時、沿線にある系列校に行く時に時折使っていたのが懐かしい。

やっと本題。現在の特急おうめ号の前身である青梅ライナーを拝島で撮っていた。青梅ライナーはこの時を含めて2回しか撮れていないのがアレだけど、まあ写真がないよりはいいのか。
改正後は特急おうめが運転を取りやめて、青梅ライナー・特急おうめの青梅線内停車駅である拝島・河辺・青梅~新宿・東京等の着席通勤は全てが中央線グリーン車となる。着席保証もなく、また例えばだが夜間下りであれば通勤快速であってもライナー・特急より停車駅が増えた上に実質的な値上げとなっている訳で、そこがどう出るのかについては気になるところ。ただしコンセント・WiFiは維持されるほか、グリーン車であれば車内販売がある可能性もあるので、全て改悪という訳でもなさそうではあるが。

青梅線で立川に来た。ここでは自由席特急券・ライナー券の券売機を撮っていた模様。ついでに10両のE233系も撮っておいていただけると助かります。しかしまあ色々と懐かしいなと思う。当時から中央線グリーン車の構想はあったが、でも特急はちおうじ・おうめの廃止は想定外だった。都内の区間利用で山梨・長野への客が座れなくなる事態にならなければいいなと思う。

まずは千葉行のあずさ30号を撮影。今の50号にあたる。千葉市民としては千葉発着が残ってくれているのはとてもありがたいことだし、30号→50号の新宿以東は基本的に混雑なんて概念がないので隠れた穴場でもあるので、車両は変われどこれからも存続してほしい列車。甲府から帰省する時にも沢山乗ってきたけれど、最近だとE217系配給追っかけの帰りに八王子→千葉で乗ったのも思い出だ。

本命はこちら、青梅ライナーの返却回送。予想通り2番線に来てくれたので、被る電車もなくこうしてバルブすることができて何より。※三脚を使用しての撮影です。
このM-102編成は私個人的にはとても腐れ縁な編成で、多分枚数が一番多いのはこの編成という自信もある(最後まで0代だったM-111編成よりも多い)。現在はNA-02編成として活躍している同編成だが、他の2000代と唯一異なる点がある。基本的に0代から2000代に改造された編成は疎開等を経て秋田・長野・一部はJ-TRECで改造されているが、このM-102編成だけは定期運用終了後に東大宮常駐としてM-105,107,111編成と共に波動運用にも充当されていた。一時的にM-104編成が東大宮に回送されたり数日だけM-107編成が定期運用に充当されたりしたこともあったが、1年半の短い間とはいえ、現2000代のうち0代としての定期運用終了後に波動用車両として活躍していたのはこの編成だけ。これはただ単に検査期限に比較的余裕があったことによるだろう。

秋葉原に移動し、バルブ開始。今はまあ無理だろうなあ。この時の狙いはホームライナー千葉のうち唯一の新宿始発だった同7号。しかし今になって蓋を開けてみれば、むしろその前にバルブしていた車両の写真もとても貴重なものとなってしまった。6ドアステッカーが懐かしい。

大絶賛転用中のE231系500代も。今でこそ大半が500代だけど、でも顔がいいのでとにかくヨシ。ただし時折乗るとLCDの劣化が目に付くのが何とも…。あと台湾でもニュースになっていた「中電病」、あれが気になるところ。線形等の路線環境が悪いのであれば今までの形式でも同様の事例が多数起こっているだろうし、乗務員室等の車内環境に問題があるのであればE231系500代が山手線にいた際にも似たようなことが起こっていた可能性が高い。あれは本当に何なんだろう。何はともあれ、乗務員の皆さんはお身体ご自愛くださいね。

本命でそれかあ(笑)。それかあ(笑)。ホームライナー千葉のヘッドマークはわかるっちゃわかるけど、それかあ(笑)。バルブでピントを外すという大やらかしは当時からやってしまっていたみたいだ。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁぁぁ!!!!!流石にまあ俺もこれは困る。無意識のうちに見下して蔑んでマウンティングして自尊心を満たすようなクズにも去年言われたでしょ、バルブでピント外すなって(笑)。※その方はお亡くなりになりました。
さて、この日は東京都内に泊まることとしているが、それに際して中央ライナーに乗ることとしていた。東京に移動してライナー券を確保し、八王子を目指そうと思う。

座席を隠したタイミングで号数も隠れてしまったが、こちらは中央ライナー7号の八王子行。東京22時30分発で、残業で疲れた時や飲み会の帰りには貴重な存在だったことだろう。コロナ禍を経て人間のライフスタイルが多少変わったこともあってか、近頃はこの時間帯に出るライナーの流れを汲む特急がほとんどないのが寂しいところ。
まあ、当時も今も最終かいじ123号→現59号は東京22時45分発、新宿23時ちょうど発なんだけどね。あれはまあ例外だろうし、今後も存続するものと思う。
さっそく乗車予定の中央ライナー7号が到着。中央ライナーは基本的に大半が高尾行だったが、この7号は八王子行だった。なお中央ライナーは他線区のホームライナー(ホームライナー千葉・湘南ライナー等)とは異なり座席指定こそできないが号車指定ではなく指定席として運転されていた。これは始発の東京駅でいちいちドアコック扱いをして一人一人のライナー券を改札している余裕がないことによる、いわば中央線特有の事情から来ているのであろう。決して中央線特急の客が馬鹿ばかりだからではない。
そういう意味ではホームライナーに関しては駅員さんのお手間も増えていた訳であり、特急化に関しては比較的合理的で多少の値上げに関しても私は許容できると思っている。嫌なら使わなければいいのであって。言葉を返せば、金を払ってでも快適に帰りたい層からしたら房総特急の強引かつ横暴な減車や今回のはちおうじ・おうめ廃止は、まあ非難轟々だろう。

列車は無事に八王子に到着。11両でも3番線に入ってくれればこうしてバルブできたので、ワンチャン12両のE353系もできるのだろうか。まあ朝早いまたは夜遅いので、行くとなると車になるけども。千葉から八王子なら国道357号と同20号で行けるとは思うけど、都内の20号って道幅が馬鹿みたいに狭いからなあ。
なお車内はほとんど満席だったが、東京から無札で乗ってきた不届きな輩がいた。流石は中央線の有料列車(笑)。東京発車後に案の定車掌さんが改札で見えて、全席指定という旨をご丁寧に説明なさると知らなかったフリで通そうとする。あれは私にもわかる、明らかに無札常習犯が嘘をついている目であった。車掌さんは「新宿で降りていただけるのであれば今回に限っては料金はいただきません」とおっしゃっていたが、遅い時間帯にあんなクズの相手をなさるなんて本当に大変だったことだろうと思う。なおその客は中央ライナーが特急はちおうじに格上げされたこと、特急はちおうじが運転を取りやめてしまうことの2点により大変な心労を重ねたため、先ほどお亡くなりになったとの報を受けております。かわいそうに(笑)

発車待ち。発車まで撮ったかどうかは不明だけど、普段は甲府エリアであずさ・かいじとして撮っているE257系0代のいつもと少し違った姿を見ることができてよかったと思っている。そして7号が付属編成も入った11両というのも、今となっては本当によかったと思う。付属編成、マジで早々に解体してしまったのがもったいなかったと思う。正直5000代・5500代の増結用として生き残る道があれば、それこそ草津・四万の増結なんかにはおあつらえ向きだったと思うんだけど、なあ。まあ5000代に増結するような運用があるかについては要審議として。
結局こういう日常の記録が一番強いものだと再認識。やれ鉄道会社社員の「オレのダチ」経由で得た試運転だの臨時回送だのを撮るのが悪いとは思わないが、いちいちそれで私にマウンティングしてくんじゃねえよってな(笑)。いちいちLINEしてくんなって(笑)。そんでもってそいつらに言わせたら俺は試運転ひとつ撮れない情弱なんだもん、ウケるよな(笑)。情弱だよそうだよ(笑)。でも不法行為はしていない。

さて、夜も遅い上に次の日は朝が早いので、以前もお世話になったメディアカフェポパイさんで夜を明かす。写真自体は同年8月の関西遠征前夜のもので代用とさせていただいていることをご了承いただきたい。まあその時も朝の中央ライナーに乗ったんだけど、その時の話についてはまたいつか。

当時そのネカフェにもあったニチレイさんのあの自販機。これが地味に旨かった。初めて食べたのは妹が入院した時だったっけ、でももう20年ぐらい前だからなあ。最後に食べたのは大学4年生の時におデートを終えてから合宿免許を取りに行く途中に、東刈谷→市川→小岩で車に高校の同期の親友が横乗りさせてくれた時に立ち寄った潮見坂かどっかの道の駅だったか。これももうないのかな。好きだったんだけどな。
翌朝。仮眠を挟んでおはようございます。

冬の朝だからこそバルブできた中央ライナー2号。マジで撮っておいてよかったと思う、まあ同業の方が写り込んでしまってはいるが、もうこればかりは致し方がない。この時もこれに乗っていくこととしていたので、一発でバルブを終えて爆速で車内へ。短い時間だったけど、再び意識を失っていたのを覚えている。
なお朝のラッシュは基本的に線区を問わずに需要が集中するため、大半の線区では朝ラッシュの最混雑時間帯で着席通勤用列車は運転されないことが多い気がしている(朝のしおさい以外でその例外があればコメント欄からご教示いただけると助かります)が、そのせいか中央ライナーに関しても朝は比較的早い時間帯の高尾始発と八王子始発が1本ずつ、青梅ライナーが1本だけだった気がする。今の特急はちおうじ・おうめも似たようなものだろうが、それさえも中央線グリーン車に丸投げしてしまうことが吉と出るか凶と出るかについては見物だ。
東京にて降車。255系しおさい1号を市川で撮ろうと思ったのだけど、
このザマって(笑)。編成はBe-05編成で、まだ定期運用の代走という形で255系が全席指定となった京葉線特急の一部で使用されている中で真っ先に廃車になってしまった編成だったが、当然この当時はそんなこと知る由もない。Be-05編成いちばんの思い出はやはり昨年2月に千葉に帰ってきた時に雪が降る中をしおさい号として乗ることができたことだろうか。東京で255系に乗ってとても安心したものだった。思えばその時に小田原→東京で乗ったのはNA-12編成、元M-115編成で、今思うとなんか不思議なご縁を感じないことも無い。知らんけど。
市川で撮影したE217系の快速。もう一度朝ラッシュで撮りたい気もしつつ、既にE235系ばかりだからなあとも思う反面、E217系が少しでもいる今撮らずにいつ撮るんだよとも思うので迷うところ。ちなみにこの時は防護無線を拾ったのか列停でも押されたのかここの場所で抑止されていた。なんだっけ、なんか安全確認がどうたらって放送があった気もするけどどうかな。後続の特急しおさい4号は千葉→緩行線本八幡付近までは基本的に前に快速に詰まりっぱなしなのだけど、この快速が副本線に入ったので爆速で通過していったのも併せて詳細は不明。しおさい4号を撮りたかったのにミスったけどね。
なお2日目も18きっぷでの移動だったが、せっかくなので佐倉市の実家に顔でも出していくついでにもう少し居残りしておくことにした。こちらは既に廃車になっているY-18編成の快速。総武快速の下りをいい感じに撮れる駅は基本的にないと思っているが、若干紐と言われるかもしれないが本八幡はそこまで悪くなかったかもしれない。知らんけど。
狙いはしおさい4号の返却回送だけど、こうしてE217系も撮っておいて本当によかったと思う。この時は既に後継のとしてE235系1000代の製造が発表されていたけど、まあまだまだずっと先のことだと思っていた。置換えられてもきっと武蔵野線205系みたいに海外譲渡の道があると思っていた。
一応は本命のしおさい4号返却回送。一時期は全車自由席だったぐらいには通勤ライナーとしての性格が強い列車だった。指定席はえきねっとトクだ値の拡大と共に少しずつ増えて行っていた印象だけど、自由席の客層は最後までまあ最悪だったよね。無札で乗ってきて改札に見えた車掌さんに偉そうにSuica出してんじゃねえよクズ共が。なお曽於のような方々はしおさい号全席指定化にショックを受けてお亡くなりになっています。
当時のしおさい4号は10両だったが、それでも大盛況だった。四街道・千葉からの乗車が少なくとも8割を占めていて、基本的に千葉→錦糸町は満席だった。現在この列車に当たるのは佐倉7時前発のE257系5両のしおさい4号、佐倉7時4分発のE259系6両によるしおさい6号に分割されている。E259系の方が定員は若干だが少ないので、実質的には減車されているのがアレ。あと座席数に若干とはいえ余裕のあるE257系の方が従来より早い時間の列車ってのもなんかなあ。

なんかついでに撮っていた209系500代と花。スナップのセンスがなくて困る。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁぁぁ!!!!!209系500代もいつの間にか総武線からいなくなったけど、武蔵野線や八高線等で活躍していて一応は編成単位での廃車はないはず。ケヨ34編成ばかりが危ないと言われるけど、そういいつつ去年の今ごろにそんなことほざいてガセスジ渡してきたのもいたからなあ…。
実家で仮眠して起きて、翌日はバイトがあるので甲府に戻っていた。もちろん18きっぷなのでローカル縛りだが、それもそれで楽しかったと思う。

してこれが撮った記憶がないのだが、このローカルに乗っていて山梨市で待避でもあったのだろうか。最後の最後でここがあやふやだ…。
この数日後に千葉行あずさ30号で千葉に帰省して年越しをしていたのだけど、その辺の写真というか基本的に大学生時代の過去画に関してはまだまだ先の公開を予定しているので、いずれまた覚えていたらそこらへんについても言及したいと思う。それに先立ち、4月末頃からは平成27~28年、私が高校生だった頃の過去画のうち当時記事にしていたものの消してしまったものを中心にリメイクして公開予定なので、そちらも是非お楽しみにお待ちいただけたら幸いだ。

最後にお待たせいつものってことで、甲府駅前の大黒屋でいただいていたラーメン。大学生になってバイトをして自分で金を稼ぐようになってから一気に家系ラーメンにはまったなあと思わないこともない。高校生がパパやママのおこづかいで騒ぎに来ていたのはまあ置いといて、マジで大黒屋のラーメン食いに甲府まで行きたいぐらい。無論ラーメンの食べ過ぎで太るのだけは絶対に嫌なので、セーブしないといけないんだけどね。
撮影 平成30年12月21日・26日~27日
執筆 令和7年1月21日




