以前も書いて来たE217系各編成の振返りシリーズ。今回を以て基本編成編は終了し、次回に本シリーズでの記事を投稿する際は付属編成編になると思います。

下総中山で撮ったY-39編成。西船橋〜市川はガチマジで特急も快速もぶっ飛ばしてくるので実は苦手な撮影地だけど、まぁでも有名撮影地でも撮っておいてよかったのだろうとは思う。常々書いているが短い11両の快速、特に千葉以遠から来るそれに関してはうんこである(混んでいるので)。それは乗るときの話であり、上り(横須賀線内下り)を撮る際には基本編成を先頭で撮ることができるという数少ないメリットも存在する。逆にそれしかないけれど。
続いてY-40編成。確か9月に配給されていったんだっけか。案外最後らへんまで残っていたんだなあといった感想。時間がないからって特急でかけつけてこの出来かぁ(笑)。

続いてY-41編成。比較的最近までいたが、しかし配給輸送が施行されたのも早いもので半年前のこととなるのが信じられない。このY-41編成の配給輸送に関しては外せないエピソードがあるので、それについてもここで言及したいと思う。

写真は現役時代のもので、おそらく千葉駅での撮影かと思う(当時は総武線での最寄りが千葉ではなく佐倉だったが)。自称都会育ちの千葉市民様と上っ面で仲良くしていた時に巻舌DQNの真似をしたら育ちの悪いと言われた佐倉育ちは私です。その方はまあお亡くなりになっているので別にいいんだけどね。このブログを今でも見ているのであれば本当に面白い(笑)。死んじゃってるからE217系配給追っかけで会うこともないだろう(笑)。ヨッシャ―!

高校生の時のものと思われる撮影はこちらもだ。6ドアステッカーとの並び共々貴重なものになってしまった。黄色い総武線にもE235系導入の可能性があるようだけど、急行線(総武快速線)と緩行線(黄色い総武線)を同じ形式に統一するのであればそれもそれで面白いとは思う。E235系に関してはまた別の記事で書こう。
さて、先ほどちらっと言及した外せないエピソードについて。

この編成は(末期にもなってやっとかよと思うが)9月末に長野までその配給輸送を追っかけた記念の編成でもある。八ヶ岳バックは中でも一番やりたかったカットで、甲府市民時代に叶わなかったものなのでこれを撮れたのは大きいと思っている。長野での写真や配給追っかけに関しては別の記事をまた出すと思うので、楽しみにお待ちいただけたらと思う。

続いてY-42編成。こちらは執筆日時点でも活躍中の編成で、基本編成としては最後まで残るのではないかと思われる編成。是非とも予備車として残しておいていただけたらと思う。撮影は平成30年冬、市川での撮影だった。この時は朝のしおさい4号(当時はE257系10両)を撮ろうと思っていたが見事に爆死。下りは下りでなんか光線が微妙だなあ~なんて思って撮っていたが、この後に撮った255系含め今となっては撮っておいてよかったと思っている。

比較的初期に廃車になったY-43編成。平成11年製の車両なので、21年程度しか活躍できなかったことになる。置換え開始時期と当時の検査のタイミング等が悪かったとはいえ、この編成同様に短命に終わってしまった編成も多かったのがやはり不憫に感じてしまう。なおこのY-43編成は、最後の配給輸送(写真)において幕が「エアポート成田」の状態で運転された。もう見られないと思っていた表示だったので、なんか嬉しかったようなまた1本減っていって複雑というような複雑な気持ちだった。※オンライン授業を抜け出しての撮影です

続いてY-44編成。平成11年製ながらもいの一番に廃車となってしまった編成。令和3年になってすぐだった。当時住んでいた甲府にE217系が本当に来た時は何とも言えない気持ちになったものだ。結局FFさんとたまたまお会いして、撮影後には話に花が咲いて、始発の211系が電源を入れようとしている時に解散したのも今となってはいい思い出だ。あの時は楽しかった。しかし同時に、E217系がいなくなっていくんだなと思って寂しい気持ちになって若干視界が霞んだのも覚えている。せめてこの頃に戻ってもう少し撮っておけば…。※まだ現時点ではE235系1000代を見たことがありません

敢えてのこの写真で行くという()。確かこれは中学生の時の写真だったかなあ。何かの帰りだとは思う。エアポート成田が懐かしいね。私が高校を卒業するぐらいのタイミングでエアポート成田という名称がなくなり、4月末以降に公開していく高校生の時の写真において大半を占めるのは京成なので、実はロクにエアポート成田の写真を撮っていないことがバレバレである。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁああああ!!!
Y-45編成は長野総合車両センターへの配給輸送はされず、東京総合車両センターに自力回送された後に解体されてしまった。これは一時期幕張車両センターで余剰になった209系2100代の配給・廃車解体も長野総合車両センターで行っていたため、キャパオバーになることを避けるための措置かもしれないし、そこまで関係ないかもしれない。この他にも基本編成の中では現時点でY-4編成、Y-47編成が東京総合車両センターでの解体となっている。
Y-46編成。お手軽定番撮影地である下総中山での撮影だけど、撮影者が何人いたかはご想像にお任せする。下総中山はホームに人が少ないので同じくストレートになっている西船橋や本八幡より撮りやすいというのはあった。今でこそホームドアはついてしまっていて、それでキャパも減っていると思うけど。この編成の配給輸送は令和6年2月、千葉に帰っていたのに撮りに行っていなかった私はもう何やっても駄目である。まあ2月3月と面倒なのに粘着されていたし、そのせいでエキセンでの撮影ばかりでつまらなかったしなあ。※重ね重ね、その方はお亡くなりになっています
Y-47編成。これは高校生の時の写真で、平成28年9月に当時乃木坂46に所属していた齋藤飛鳥さんの握手会に行った時の帰りに千葉で撮っていたもの。海浜幕張→蘇我→千葉→京成千葉→津田沼→うすいというルートをとっていた気がするが、どうだろうか。少なくとも理由はどうあれこうして撮っておいたことは間違っていなかったと思う。あいにく鎌倉車両センターから東京総合車両センターへの回送となると大船で即上げされたとて間に合う訳がなく、これから先に施行されても撮れる自信はない。
Y-48編成。この編成の配給輸送(令和3年2月4日)から現在までは全て昼間の施行となっているのが謎。とはいえ先日東大宮→長野で回送された209系1000代トタ82編成は夜間帯だったし、結局この年の春の185系廃車回送も多摩川で止めたバカ(お亡くなりになっています)もいたし、どういう基準で昼間の施行にしたのかは不明。令和2年の251系3回目の配給輸送あたりから深夜帯のが増えていたんだよなあ。警備の都合なのか、はたまた別な理由があるのか。トタ82が廃車ではない説やスーパークモヤに関しては、また別な記事でじっくりと考えてみたいと思う。

在りし日のY-48編成。これは大学生の時のだっけ。千葉駅ならではのごっちゃごちゃな配線がいいなあと思う。こうして現役時代も数少ないながら撮っていて本当によかったと思う。その調子でもっと写真撮ってね!大学生の時にもう少し千葉に帰る頻度を増やしていたら、その分だけ電車の写真も増やせていただろうになあと思う。
Y-49編成。こちらも令和3年3月に廃車となってしまったが、当時は妄想名古屋紀行をこなしていたのでどう頑張っても間に合わずに断念。名駅14時のしなの号で行けば撮れたんじゃないかなあと思う。まあ当時は大学生だったから無理か(笑)。バイト代のほとんどを交通費宿泊費等に費やしていたのだけど、いま思えばその金があれば中古のAW前期ポロぐらい買えたんじゃなかろうかと思ってしまう。当時は高くても今は100万ぐらいから狙える訳だもの。
本当にどうでもいいがこの編成の竣工日は平成11年10月20日で、私の誕生日と8日違い。して令和3年の時点では私はまだ21ちゃいだったので、この車両は21年で引退したことになる。なんかなあ…。
Y-50編成で、こちらは十郎橋にて配給を見送った時の写真。取り立ての免許で撮りに行っていた。当時の甲府近辺の黄色いステッカーを貼ったわナンバーのコンパクトカー達には本当にお世話になった。レンタカー・カーシェアは(悪質な転売をするどこかの会社は別として)基本的に4年前後での入替えなので、当時よく乗っていた3代目フィットやE12ノート、10系アクアはもういないだろう。ヤリスもギリギリだな。車庫入れにてこずったこともあったのが懐かしい。
車の話はさておき、このY-50編成とY-51編成は私さんが生まれるより後の製造。両編成共に令和3年に廃車になっているので、まあ先述の通り本当に短命に終わってしまった。E217系置換えが完遂した際に次の置換え対象となるのが車齢の近い209系500代やE231系0代・3000代あたりだった場合も似たような現象が起きる可能性がある。209系2100代、そう考えると一部編成が廃車になりつつも未だに公式からは置換えの話が出てこないのがすごいな。まあE233系はどこかしらから持ってくると思うけど。これで「E233系新区分を新造します!」となり、E233系総製造数が103系をぶち抜いたら最高に面白いと思う。E235系よりは安いからいいのかなと思いつつ、しかし4000代と9000代以外は既に数字を使ってしまっているので、無理かな。
最後にY-51編成、これを以て基本編成のうち現在手元に写真がない編成を除いた全ての編成の写真の振り返りとコメントが終わった。まあこれって半分に過ぎず、付属編成分も残っている訳なんだけどね。付属編成までやるとなると時間がかかるが、まあ書いている時点では1月28日、締切は3月改正前の予定なので、まあ大丈夫か。
配給時は「団体」幕だった。ラストナンバー、もとい最新の車両だったにも関わらず、令和3年8月に配給されていったちょっともったいない感のある編成。まあそれ言ったら一番短命だったのはY-48だった気がしなくもないけど。車検期限ってやはり残酷だよなあと思ってしまう。
高1の時の模試の帰りに千葉から船橋で乗っていたのもこの編成だった。この日は平成28年1月下旬で、AE100形臨時シティライナーおよび一般営業運転最終日だったので、模試の帰りに船橋までそれを撮りに向かう時の写真。この時わたしは16ちゃい、E217系との別れが来るなんて思いもしなかった。ちなみにこのブログの黎明期の写真でもあり、流石にまあ記事は現存していないけれど、それでもこのシリーズの1度目の区切りとして当時の写真も使うことができてよかったと思う。
執筆 1月28日








