皆さんこんにちは。内容自体は一部を既に記事にしている上に消していた訳でもないのですが、未掲載だった写真も数多くあることが判明したことと当時の原版を再現像して書いた方が見栄えもいいかなということでこのシリーズを書いています。今回は平成30年6月のものです。

上りかいじで唯一11両で運転されていたかいじ124号。当時のダイヤでは最終の上りかいじ号だった。何を隠そう、ただの帰省である。なんかクソほどめんどくさい大学の用事があってあずさ30号に間に合わなかったんだっけか。付属編成に乗りたいからって2号車を抑えていたら新宿まで隣がいたのがキモかった。なんで?ねえなんで?特急かいじ、11両、しかもスーパーあずさの後続なのに。なんで?ねえなんで?原因を推測してみたが、恐らくは日頃の行いがダメだったからみたいですね…。

その時の写真。山梨はいい場所だけど、弊学はクソだった。というかあの大学のせいで山梨への心証すら悪くなっていた時期があったことに関しては自らの勉強不足も原因とはいえ、今でも当時の自分を恥じている。まあ山梨が嫌いだとまでは思ったことないけど。
新宿でかいじ124号を下車し(現かいじ56号)、恐らくは中央快速線で東京に向かったと思われる。まああの区間でわざわざ山手線に乗る奇行種はなかなかいないだろうしな。やってもいいとは思いつつ、記事を書いている令和7年の東京がインバウンド・移民の外国人で溢れている今はまあ無理だ。こんなことを書くと差別認定されそうだが、上等である。日本が外国人に乗っ取られて日本がなくなってもいいならそう言っていればいい。チベット、南モンゴル、ウイグルで何があったか。世界史を履修どころか離脱した私ですら知っているというのに。

閑話休題。東京からはホームライナー千葉で帰る。時刻に鑑みても恐らくは船橋で降りて京成に乗換えていたのではないかと思う。こうして書いているともう執筆日の時点で7年も前のことになるというのが信じられない。この写真を撮った時はまだ未成年、この時は実家の車が1Tトゥーラン、そして何よりもこの写真にあるようにホームライナー千葉が現役だったのが懐かしい。特急格上げもなしにこの翌年のダイヤ改正以降の着席通勤は快速を増発して対応しますってのもなかなかにゴミだったと思う。結局は2500代と5500代の種車が欲しかっただけでしょ、と思う。
もっともホームライナー自体は東京で一人一人改札をしていたアレはまあ人件費等に鑑みてもコストがかかっていたというのはわかるんだけどね。その点私は各種ライナーの特急格上げに関しては賛成派だ。人件費を削って(ライナーとしては値上げとなっても)着席保証のある特急になる、JR東であればえきねっとチケットレスも使える、いわばまさに会社も客もwin-winであり、何よりも駅員さんの負担も減り、それでよくね?となる。あくまでも私個人の意見に過ぎないとはいえ。

モノサクに行った時に撮っていた1枚。その時の写真はもう記事にしていると思うので、まあ1枚程度だけ触れておくこととしよう。でもやっぱ書いちゃおうかな。そう思ったけど字数の関係もあるので割愛。

たぶんこの写真はもう何回も出ているし、その時の記事ははるか昔に記事にしているかと思う。当時は209系2100代の置換えでE233系やE231系が来るみたいな話があったんだっけか。流石にE131系という形式が出て、その最初の導入先が千葉県になるとは思わなかったよね。209系の置換えをするにあたり一部はE131系での代替と聞くが、例えばだけどワンマン区間の拡大なんてのも見込んでいるのだろうか。E131系の6両なんてのも見てみたいけど、どうなるかについて記事を書いている時点では詳細の発表がないので、まあ夢と希望が広がリングって感じだ。

でもなんか内容薄いからやっぱ載せていくスタイル~。踏切事故の当該となった関係かは知らないが、結果として令和3年春改正を以て廃車となってしまったC612編成も撮っていたらしい。本当に撮れる時に撮れるものを撮っておくべきだよな。そう思うなら暇な大学生の時に撮っておくべきだけど。某氏そんなんじゃ困るんだよぬぁぁぁぁ!

ワンチャンあやめ幕で来ないかなと思ったら無表示でしたwwwこれが何か陰湿なアレなら何年経ってもオモチャにできるんだけど、銚子方5号車のLEDヘッドマークが点灯していたことに鑑みたら多分これは故障だったんじゃないかと思う。そういうこともあるよね。

当時の記事によると既に消えるという噂があったんだという。それから数か月して本当にE235系1000代のプレスが出て、2年して実車が出て、そしてもうE217系に乗れることもなくなってしまった。あっという間だったが、千葉県育ちの私には沢山の思い出があるからいいだろう。その節はお世話になりました。

当時塗装が変わるなど考えてもみなかったE259系成田エクスプレス。今の塗装も悪くはないが、この塗装だよなあと思う。引退前のリバイバルは…まず期待できなさそう。いやほら、転用の可能性もまだあるし。
とはいえこの時は千葉市民として身近な存在になるとも思っていなかったので、今こうして日中の成田エクスプレス等で気軽にお世話になることができるのは素直にありがたいんだけど。それこそE217系廃車回送の際は何度お世話になったことか。

そんなE259系が後継となった255系も当時は全車現役。もう機器更新は終わっていたかと思うが、たまに乗れると嬉しかったんだよな。そういえば俺が高校生になってからだったっけか、運用の持ち替えでしおさい運用も増えたものだった。もちろん255系も好きだけど、正直撮影に関しては満足しているので、もう少し乗りたかったなと思ってしまう。

甲府に戻り、大学の近くで食べていたラーメン。当時つるんでいた大学の同期のくだらない連中とでも食べていたのだろう。あいつらみんな死んじゃったからなあ…。意味のない存在だったよ。

武田神社での1枚。私にとってのパワースポットであることは今も昔も変わらない。この時は厄払いで訪れていて、厄払いを終えた時に来たメールには松井玲奈さんのスピカツアーに当選したとの記載があった。御屋形様パワーは本当にすごいものだと思った。まあ帰りにスマホ落として画面割れたけど、そこはまあ多少はね。

別の日。当時住んでいた甲府市の寮から少し歩いたバス停から山梨交通さんのバスで竜王に行き、回送として到着するNB-12編成を出迎えていた。こちらは臨時特急ちばかいじ号の送込み回送で、どうしてか甲府電留から一度竜王に送込んでの運転だった。しおさい表示に関してはただの誤表示だろうが、NB-12編成が5500代として大宮支社に強奪されてしまった今となってはいい写真になったのではないかと思う。

折返しは流石に回送表示。この臨時特急「ちばかいじ」は平成30年以前も運転されたkとがあったようだが、この年の6月の土休日だけ運転されたことに関しては、需要に応えてというよりは翌年以降の全席指定化、また令和2年以降の特急車掌1名乗務を見越していた、いわばまさに試金石だったのではないかと今になって推察している。
というのも、このちばかいじ号は全席指定かつ車掌1名乗務、また同じく500代を使って同年5月に運転されていた朝の臨時かいじ186号も同様の条件だった。もっとも全席指定は大賛成だけど、特急の車掌さんが1名で足りるとは思えない。結局いまのあずさ・かいじだって、便によっては八王子以東で改札担当が乗っている訳だしさ。12両や14両の特急を全席指定にするのは賛成だけど、全席指定だから車内改札が不要とはならないはず。その改札と運転業務を1人の車掌さんに任せるのであれば、まずはJRの上層部がやってみればいいではないか。できるのであれば、だが。

当時愛用のスーツケースと一緒に。これは確か中学の時の修学旅行を前にジャスコで買ったんだっけ。今思えばこの数か月後に実家に納車されるAWポロちゃんのリーフブルーマイカメタリックに近い色でとてもいい。私が大学生になってからそれはもう各地に行くのに大変お世話になったものだ。そのせいでボロボロになり第一線は引いているが、今でも我が家にいるのでそのうちまたお世話になることがあるかもしれない。

懐かしの乗車位置目標。青がE257系のかいじ号、赤がE353系のかいじ号の乗車位置目標。竜王駅には特急あずさが停車しないので、ある意味では貴重な表示だったのではないかと今になって思っている。一つ言うのであれば、当時はそんなこと全くといっていいほど考えてすらいなかったのは事実だと思う。

列車は千葉に到着。当時は佐倉に実家があったので、結局ここからはJR佐倉まで行って迎えに来てもらったような気がしている。知らんけど。機能保全や一部臨時でも豊田常駐3編成が時折千葉県に帰ってきていたとはいえ、結局は5500代として改造された上に例の3編成は現在高崎線特急以外の運用には実質的に就けないので、まあこの時に撮って乗ってよかったのだろう。数分前にスーパーあずさか何かがあった上に全席指定ということも相まってか新宿までも半分も客はおらず、新宿からはお察しください。とても快適でよかったのは事実。人件費の観点に鑑みるとアレだったのだろうけれど、個人的には地元である千葉県を離れて数か月という心細いタイミングにもかかわらず地元で慣れ親しんだ車両で帰省できたのが嬉しかった。もっとも甲府に住んでいると使いにくい時間帯の設定だったとはいえ。

その帰省を終えて甲府に戻るときの1枚。この時だったっけ、なんか三鷹手前で防護無線を拾った挙句に緊急停止、中央線名物の輸送障害ガチャとしてエアセクション停止のSSRを引いたことがあった。結局無事に帰ることはできていたけれど。まだE257系0代に運用離脱編成は出ていなかった頃だったなあ。一度車両間の貫通扉に閉じ込められたのも今思えばいい思い出だ。M-109編成だったな、あれは。当時住んでいた寮は門限があるようでそれは高校生のみで大学生は実質的に門限がなかったけど、まあそれでも焦ったよね。

こちらはE257系0代天国の終わりの始まりの前日の撮影。甲府・竜王表示自体はまあいつでも見られるとはいえ、E257系でのこれも自由席ももう見られないことだろう。竜王かいじ、地味に竜王まで乗り通す需要があるのでなくなることはないだろうと思う。あと竜王駅の駅メロっていいなあと思う。あ、駅メロヤクザのドヤ顔知識披露は現在受け付けておりません。早く心臓を止めてくれ。

時系列が前後するけれど、先ほどの甲府盆地の夜景はこの時に撮っていたのかもしれない。この時だとしたら多分エアセクションで止まったのも多分この時だろう。E257系が中央線東京駅に入ることはもうないかと思いきや、たま~に臨時で入ってくることもあるようになった。事実は小説よりナントヤラって奴だね。
以前も似たようなことを書いたが、なんか夜の東京駅をE257系やE353系で出発して、都心区間を優雅に特急の車内から眺めることに謎の特別感を覚えている。この当時は未成年なのでできなかったが、成人して既にアラサーとなった私は酒が大好物になったので、夜の東京発中央線特急でそれをやるとなると=LOVEの「とくべチュ、して」ならぬ=SAKEの「とくべ酒(しゅ)、して」をリリースできることとなる。…ならないよ。当時より令和7年春改正基準ダイヤで東京発特急は増えたけど、私が乗る機会があるかというとって話だし。
撮影 平成30年6月
執筆 令和7年2月11日