ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

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平成30年ゴールデンウィークはじめ5月の帰省日記等。189系N102編成乗車の思い出。255系、E257系のあずさ号南小谷行と自由席、LED表記にうんちくを。千葉あずさ椅子取りゲーム(笑)。放課後の中央線撮影記。

画像はイメージ

皆さんこんにちは。昨日の記事に続いて平成30年春の記事を振り返っていきたいと思います。お待たせ、3日連続で過去画しかなかったけどいいかな?オッスお願いします!大学1年生だった時のゴールデンウィークの話で、武田神社からスタートです。189系に乗って帰省もします。3日連続でなんかサーセン

武田神社付近での1枚。まああんなクソみたいな大学に進学したこと自体は今でも悔しいしだったら大卒の肩書きなんていらねえよとすら思うが、しかし山梨県に進学したからこそこうして聖地巡礼をできていたのはよかったと思う。今思えば山梨生活は楽しかったしね。この記事を書いている時点でも既に山梨を離れてからまもなく3年が経とうとしているのがなんか何とも言えない気持ちになる。車があればもう少し楽しめたのだろうか。

 

5日、甲府18時35分発の千葉行あずさを干してまで189系の臨時あずさに乗車するという鉄オタ全開のことをした。まあ1泊2日で実家に帰ってしまった訳だけど。

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せっかくなのでその時の写真を数枚貼っていこう。こちらは新宿到着後に撮影した車内の写真。懐かしいといえば懐かしいが、私が183系・189系に乗車したのは後にも先にもこれしかなかった。保存車を含めれば半年後に183系には乗っているのだけど。編成は長野総合車両センター所属の189系最後の1本となったN102編成で、あさま色の塗装が特徴的だった。外様の私が言うなって話だけど、N102編成を初めて撮ったのはあずさ運用で、なーんか解釈違いだなと思いながら当時記事にしたのを覚えている(高2の時ですね)。

 

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個人的には洗面台が24系あけぼの・日本海を思い出してエモいなあと思ったのは今でも覚えている。もう少し早くから中央線特急の沼にハマっていたら、そう思ってしまう。それでもこうして最後の189系に乗ることができたのはありがたいことだ。

 

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N102編成は同年度を以て引退し、189系全ての車両が引退した。翌年の令和元年には長野総合車両センターで最後の晴れ舞台として展示され、その際はきっちりとあさま幕で展示していただくこともできた。E257系に関しては時折表示が変わっていたという話を聞いた気もするが、詳細は不明。横軽廃止の2年数週間後に生まれた私が言うなって思われるのは承知の上で書くが、あさま色にはあさま幕が一番似合うように感じる。これはこの時の帰省でも大ゲンカとなった親父(山梨生まれ、鉄分あり)とも、そこだけは意見が一致したのを今でも覚えている。

 

そんな波乱の帰省を終えて甲府に戻ろう。この時は255系に乗車した記憶はないので、恐らく京成とE217系総武快速で東京に来ていたのであろう。

後ろにE217系がいるのが懐かしい。両形式とも記事を書いている令和7年では既に風前の灯火だが、255系は多客期に復活するという快挙を成し遂げた。次はE217系のうち執筆日の時点で鎌倉車両センターに残存する2編成を客寄せパンダとして活用してみましょう!ハッハッハ!ハハハ…ハハ…ハァ。ムリだろうなあ。諦めてはいないが。

 

ひっでえ写真だけど、当時の東京駅での乗車口。まだE353系の東京乗り入れってなかたんだっけか。ライナー最後の1年はE257系0代の独壇場だったし、でもスーパーあずさも1本ぐらいは東京に来ていたのかね。

 

写真は多分別の時の写真

東京からは21時45分発、当時のかいじ121号、現57号で当時親父に入れられた民間の寮に帰る。そこには高校生もいたので民度が最悪で鬱になるきっかけだったのはさておき、東京を夜に出る特急には何かこう謎の魅力と乗車時の高揚感があって好きだった。当時のかいじ121号は甲府23時37分、同123号はその1時間後の24時37分に到着するダイヤだったので、夜行列車とまではいかずとも、なんかwktkしたんだよな。

 

勝沼ぶどう郷通過後に見られる甲府盆地の夜景。勝沼から見る夜景はいつ見ても綺麗。別に甲府市なら武田神社よりも上に行けば見られるし、一宮や御坂から見るのもまた綺麗なんだけどね。

 

その数週間後の帰省に際して撮った写真というかE257系のうんちくを垂れて(うんちではない)記事を締めよう。この時は東成田駅公開があったのを口実に再び佐倉に帰省していた。その辺に関しては既に言及しているだろうから今回は省略。10年ぐらいしてまた書くことがあるかどうかはわからないが、最近謎の痣や肌荒れに悩まされている私がそれまで生きていられるかはわからない。あとクソみたいな政治家の売国政策で中国に侵略されていた場合、ブログで散々中国と中国人をdisっている私なんて消されているだろうし。

南小谷行もこの記事がいつか出る頃には流石に白馬行になっているのだろう(なお執筆日時点では千葉発のあずさ3号は松本行となっている)。まあ実際に南小谷まで毎日乗り通す客がいるかどうかはわからないが、やはり東京に直結している列車がなくなるというのは私が地元民だったら残念極まりなく思ってしまうことだろう。いやまあ新宿発と新宿行でしょってなるけど、そういう意味ではなくて。

 

4053M あずさ3号南小谷行 M-116+M-200

黄色い線の内側を歩きましょう。この時は1限目遅刻確定で船橋からあずさ号に乗っていた。今は知らないが当時の千葉発あずさ3号の自由席は錦糸町・新宿への通勤需要も拾っていて普通に満席だった。

私もこの時に何とかして着席戦争に勝利したのだけど、弱冠18ちゃいの私が座っているのがさぞ気に食わなかったのだろう。敗者たるクソリーマンが私を恨めしそうに見ていた。そこに新宿運輸区の爽やか系な車掌さん(半年後にもお世話になった方でした)が改札に見えたので、そのクソリーマンに聞こえるように「おはようございます。甲府までお願いします!」と特急券・乗車券をお渡ししたところ、そのクソリーマンは悔しそうに泣きじゃくりながらデッキへと消えていった。よい一日を。なお寝たフリで改札をスルーしようとする不届きな別のクソリーマン共は車掌さんに起こされてきっちりと特急券を徴収されていた。それが普通なんだよ。

 

前9両、南小谷行はM-116編成

にしても無札で乗っておいて偉そうにSuica出す奴って運んでいただいているという気持ちにはならないのかね。確かに契約上鉄道会社との間には目的地へ運ぶという義務はある訳だし、私とて我々乗客はその対価として運賃や有料列車においては特急券等を払っているという解釈をしているのは事実だが、人として何かしてもらったら感謝の気持ちを持つことを忘れずにいたい。朝早い時間帯から電車で移動できるのは車掌さんや運転士さんのみならず沢山の鉄道関係の皆さんあってこそなんだから。あと無札で乗ってきておいて偉そうにしてるバカは死刑でいいよ。鉄道利用客なんてそんなんばっか。

なお現在も千葉始発で残るあずさ3号だが、新宿までの通勤需要、千葉・船橋錦糸町から中央線への乗り通し需要、新宿場面で朝2番目の定期特急ということもあり、学年のマドンナ以上にモテモテの超大人気列車。今では後ろ3両が富士回遊であることもあり、特に大月までは地獄の様相であることは想像に難くない。くそったれが。マジでインバウンドなんかのせいで我々日本人が迷惑を被る日常が許せない。あとクソ移民。

 

甲府で降りた時に撮ったと思われる方向幕LED。既にこの時点でE257系0代が翌年に定期運用を終了することと全席指定化を行うことは予想していたが、南小谷行がなくなるとは思いもしなかった。大糸線に臨時で来る特急も白馬発着だろうし、大糸線白馬~南小谷と沿線地域の衰退に繋がらないことを願いたい。

 

この記事をいつ公開しているかは知らないが、執筆している令和7年2月には白馬しなのの運転取りやめが少し話題になった。白馬までであれば需要はあるだろうしインバウンドが公害になっている可能性も十分に高く、名古屋はじめ中央西線との繋がりを別に無理になくす理由はないだろう。8両だから入線できないということはないが、4両で十分な列車とJR東海ないしJR東日本、または両社がそう考えているので、だったらもういいかなって話になったのではないだろうか。

 

※画像は甲府進学前の平成28年撮影

E257系においては車内LEDのフォントが2種類あるのも特徴で沼の1つ(偏見)。細字と写真の太字がある。0代と500代でそれぞれ混在している。しかし表示内容には一部違いがあって、500代は255系同様に「あと何キロで○○(停車駅)」と出るが0代では見たことがない。逆に0代の英語表示でIt stops at(its stations to stop), then goes on to(its destinationという表現があるが、なんか独特で好きだった。踊り子・湘南の時ってどうだっけか、また乗った時に確かめよう。あと写真にもあるけどかいじ号での"This is the Kaiji."という表現ね。500代も確か特急とは英語で言わなかったといえばそこまでだけど。終着まで数駅だから?E353系に慣れた今、懐かしい気がする。

 

なお当時のあずさ3号に乗車すると、甲府には9時3分頃に到着となる。一方で私の大学の1限目は9時ちょうどから、つまりはそういうことだ。既にクソ大学生だったじゃねえか(笑)。まあ月曜1限に必修科目を設定するあのクソ大学もどうかと思うけどな。クソ大学との闘いはまだはじまったばかり。当時の記事でも今後公開する過去画記事でも論調が変わらないあたりもう(笑)。

 

76M 特急あずさ26号(後ろ11両は南小谷始発) M-202+M-116

A few hours later, I photographed the limited express ‘Azusa’ No.26 to Shinjuku, operated by the E257 series, unit M-202 and M-116. The train consisted of 11 carriages, with No.3 to 11 having come from Minami-Otari on the Oito line. Actually, I travelled on these two units this morning on the ‘Azusa’ No. 3 from Funabashi to Kofu and saw them again a few hours later. I was delighted because the train displayed information in English, which might be beneficial for international tourists. Whatever, The train was in great demand by many passengers, and it was common for it to be fully booked, even during a relatively quieter period on a weekday. 

This train and other limited express trains on the Chuo Line are crowded with passengers every day, who are also remarkable people, and I have learnt a lot from them. I am sincerely grateful. If this sounds sarcastic, it suggests a serious problem with the behaviour of the passengers on the Chuo Line limited express trains. It will be some time before I can confirm this view. Nevertheless, I am thankful, because it is thanks to them that I can write about passengers of the limited express of the Chuo line, with such enthusiasm. I would like to thank them wholeheartedly.

 

なお、この写真を最初に掲載した際は30分早い24号と勘違いしており、記事にもそのように書いていた。シラフどころか酒も飲んだことがない段階でそれとは…ダメみたいですね…。

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