ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

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平成28年春の京成撮影記と東京おでかけ。京急600形・都営5300形快速、3600形、E217系と255系、上野駅で展示されたキハ48系「リゾートしらかみ」とEF81。

おはようございます。本日の過去画は平成28年4月分です。仕事の合間や休みの日に書いているこのシリーズ、いつになったら書き終わるんだろう。正直いまの京成も撮りに行きたいし、3688が汚れる前に撮らないといけないのもわかってるんだけど、でも昔の写真で書くのも楽しいからなあ、というお気持ちです。

 

ではさっそく行きましょう。スリーツーワンゴー。

53K 快速西馬込 3618~3611

学校の帰り…なんだろうか。同日撮影の写真で朝の写真もある(さっきの)ので、そうかもしれない。無論当時から折返し乗車なん定期券区間内でもやっていないので、予めそこはご了承を。みんなそうだよね。え、なんか正規運賃を無理して落とさなくてもいいと思っている人間もいるの?そうなの?へーえ。無職ニートキモータヒッキーの私が正規運賃を落としている(それが当たり前のことです)前で社会人(笑)がよくもまあ不正乗車できるよなあ。※妄想の人物です。

 

A05 特急上野 3029-8~1

まあこちらは普通に現存している編成なんですけどね。でも上野行の旧ROMはもう見られないんだよね。時が戻ることはない。あ、なんか令和5年12月に3052編成が唐突に旧ROMに戻ったときのマウンティングは受け付けておりません。おかえりくださいませ。

 

81H 回送→佐倉始発快速三崎口 6081-

お目当てはこちら、608編成の快速。これ高校の時の帰りの撮影だったかな。それもこの写真を見るまですっかり忘れていた。これは私にも言えることだが、そもそもここところで撮っている時点で偉そうなことは言えないのだ。

 

81H 快速三崎口 6081-

という訳で、私はこれに乗りに来ていた。かぶりつき席にいたかどうかはもう流石に覚えていない。京成に直通する定期運用を持つ8両の600形のうち、他の三菱電機GTOVVVFインバーターとは音が異なるのが特徴。なお4両もむかーし金町線に入線したことがあったらしいが、私の専門外なので割愛。ちなみにこの608編成は81H初日にも充当されていた編成だった。あの時は沸いたけど、この記事を書いている時点では9年近く前。公開時は10年経っているかもしれない。俺も年取る訳だ。ちなみにここ最近、左の肩の痛みが取れません。公開前の最終点検をしている令和7年6月上旬には下腹部の複数個所に謎の腫れというか肥大感があります。これで私も終わりかもしれないね。

 

何故か船橋競馬場まで乗っていた。乗ったこと自体は記憶にあるので(でもうすいからだと思っていた)、まあただ単に音を楽しむのが目的だったのだろう。もしかしてと思ってスマホのボイスメモを見たらちゃんと音撮ってたし(笑)。せっかくだからこの先はそれをBGMに書き進めていこう。

 

デハ608-1の車番ステッカー。600形の更新なんてつい最近のような気がするが、でも10年以上も前。それだけ私も年を取ったということだ。そして先述の通りこの時の走行音をBGMにしている訳だが、車掌さんの肉声放送がとても懐かしく感じる。あれこそ京成って感じだったんだけどな。

 

A01 特急成田空港 3027-8~1

当時はまだ新車のイメージが強かった3027編成だが、この撮影からも公開時に10年近く経っている以上、なんかもうね。こんな過去画ばかりだとまた鍵垢で老害予備軍だなんだ言われたり、よくそんな写真を出せるなと言われたりするんだろう。どうぞどうそ。私のことを嫌いなのにブログは気になって見に来てしまうんだね。

 

31T 快速成田 5324編成

この日は再入場の後にこれに乗って帰った。当時の1531Tは羽田空港からの電車…なのは別にいい。当時の話だが、日中は佐倉発着だった快速はこの列車以降はこのように成田・成田空港・芝山千代田方面へと運転されるようになる。当然この後から来て佐倉で追いつく電車は特急ではなく快速特急だった。当時は1531Tを見ると夕ラッシュの始まりを感じたな、と懐かしくなった。この頃既に5300形の置換え構想は出ていたが、実際に5500形実車が出てくるのはまだ先のこと。

 

さて、これだけだとあんまりにも内容が薄いので、過去記事から漏れている写真とこの日に撮ったと思われる写真もここから更に貼っていこうと思う。

23 回送(うすいから普通上野行)3008-8~1

恐らく登校時に撮っていたものと思われる。雨だからバスでうすいに来ていたのかな。この722レ、マジで空いていたので穴場だった。特に、高校の行き帰りで電車を撮ろうという考えに至らなかった高1の時なんかはね。あの頃はそもそも勝田台からバスだったし。地獄だったなあ、今思えば。うちのクラスは大丈夫だったけど、下のクラスの奴らと同じ空間なのがマジで無理過ぎた。世界が違い過ぎて。それはもう陰キャの私はビビりバビりでしたし、ずっとイヤホンしてましたわ。えーん怖かったよー(笑)。ああいう人たちって今どこで何をしているんだろうな。歌舞伎町でホストの客引きをやっている在日中国人のチンピラなら知ってる。冷やかしに行くのでよろしくね。

 

A11 通特上野 3708~3701

多分この後にも何回か撮ってはいると思われる7A10レの3708編成。個人的にうすい育ちとしては通勤特急は爆速(スピードを出しているとは言ってない)で都内に出れる有能種別というイメージが強い。特にうすい・ユーカリが丘・志津ユーザーからしたら強い味方。夜の下りが2本にまで減ってしまったのは残念だけど、これからも遠近分離のために朝ラッシュは沢山走ってほしいなと思う。もう私が佐倉市に住むこともないと思うけど。

 

A03 特急上野 3030-8~1

あれ、これはなんだ。なんか時系列が錯綜している気がする。まあ当時の私が如何にちゃらんぽらんに記事を書いていたかがよくわかる。せめて下書きに残してくれていたらよかったんだけどなあ。全消去することはないでしょうよ。いやまあ実際にいちいち下書きに戻すのもだいぶ手間がかかるんだけどさ。

 

1518F 総武線快速 Y-3

さて、これはまた別の日の撮影。なんか当時どういう訳か家族で都内に泊まろうという話になって、わつぃはなんか千葉から総武線に乗っていた。その時の写真も記憶も出てこない。こちらはその時に撮った千葉駅8番線停車ちうのE217系Y-3編成。Y-3編成自体もとっくに全車解体されているうえ、現時点(令和6年12月15日)では過去画の投稿予定が令和7年4月下旬まで埋まっている訳で、高確率でこの記事を世に出せる時にはE217系は本線上にいないことだろう。せめて生首でもいいからどこかに保存されてほしいが、やはり可能性は低いだろうのだろうか。ポッポの丘さんあたりが後述する255系と共に保存するためのクラウドファンディングなんかをやってくれたら無論そこは全面的にご協力をさせていただこうと思っている。

 

特急しおさい Be-02

さて、令和6年8月公開の過去画清算事業でも取り上げたこの写真だが、Be-02編成が正解でした。南武線で寝過ごした上にスマホを落としたせいで撮れなかったあれね。令和6年10月と11月に現時点で計2回もスマホ落としてるってアホだよなあ。それはさておき、当時の写真も出てきたので、せっかくだからここについても加筆という形で書いていきたい。

 

方向幕LED。なーんだ当時ちゃんと自由席表記も抑えてたんだ。まあ流石に高校生の小遣いで指定席は無理だもんなあ。そんな今は房総特急が全て指定席だが、自由席500円区間(要は50㎞までの区間)、例えば千葉から東京・品川・新宿や蘇我から東京なんかはチケットレス指定席で660円というのは嬉しい。無論、毎回毎回乗れるわけでもないけれど。

 

1598E 上野東京ライン U16

さて、日付が変わったので上野に向かおう。何故向かうか、それははるばる上野に来ていたリゾートしらかみ橅編成を拝むためだ。

 

その前に可愛い写真を撮っていたので掲載。やはりSuicaのペンギンはいつでも可愛い。どうしような、ぬいぐるみ買って助手席に乗せておこうかなあ。

 

上野駅停車中の651系1000代。651系こそまさに後世に遺すべき車両だと思うんだけど、KYでもう全車解体なんだっけ?流石にそれはないでしょう。最後の1両のクハだけでもどうか残ってほしいが、どうなることか。

 

なんか撮ってた上野駅の駅舎。どうしてここで撮っていたのかなんて覚えていないし、というか何なら泊まったホテルから上野駅まで朝シャンした髪の毛を自然乾燥させるという建前で歩いた気すらする。なんでそんな無駄なことだけ覚えてんだよ…。

じゃあさっきの上野東京ラインE231系って何だったんだ…?ああ、日付が回る前に東京で撮った説はあるか。こうしていつかの日常も記憶の遥か彼方に消えていくんだな。

 

気を取り直して上野まで車両展示会のために来ていたリゾートしらかみ橅編成。17番線での展示でした。これもひとえに上野東京ラインが開業して常磐特急の大半が品川発着になっていたからこそできたことなのだろう。この記事は早くても令和7年6~7月公開の予定なので、そう考えるとこの記事を皆さんにご覧いただく時は定期の常磐特急は全てが品川発着になっているのか。

 

ご丁寧に案内表示板でも車両展示会の旨をお知らせしてくれていた。写真はないが、青池のモックアップも上野に来ていて、恐らくあれは当時弘前駅におかれていたものだった。

 

牽引はEF81形139号機。10年前に青森車両センターに所属していた同型の136~139号機のうち、この139号機は双頭連結器を装備していたこともあってかこのような任務にも抜擢されていた。

 

137号機と138号機は自動連結器のみの装備だったのであけぼの廃止後にそう遅くないうちに廃車となり、令和6年には136号機も秋田総合車両センターに入場しているので、まあそういうことなのだろう。末期のあけぼのを知る機関車も執筆日時点で現役の車両だと、田端機の代走を除くと長岡車両センター所属のEF64では双頭機以外だと1051号機と1053号機(ただし執筆日時点での1053号機はぐんま車両センター所属)、EF81だとこの139号機のみとなる。多分。こうしてどんどん過去のことになっていくのが大変残念だ。昔の、それこそ定期あけぼのが運転されていた中学生の頃の写真、それがあれば無限に記事を書くことができるはず。いい加減に実家に探しに行かないと。

※公開前追記 1051号機は秋田へ、1053号機は自走で長野へそれぞれ廃車回送されてしまいました。

 

7両の電車、というのは恐らく651系またはE653系のことだろうか。ご存じの通り、651系は定期運用を終えたかと思えばE657系の改造に際して常磐特急に帰り咲いた過去がある。もしかしたらこれはその時の名残なのかもしれない。上野駅16番線と17番線には喫煙所があり、この時から何年も経ってヤニカスとなった私はもうこのホームを”そういう目でしか”見られないのはさておき、そういう目で見ながら時折使っていてこの表記は見たことがないので、もうないのだろう。この後の京急撮影については、また別の記事にて。

 

撮影 平成28年4月

執筆 令和6年12月

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