ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

アフィリエイトのアクセストレード

高校生の時の写真から振返り。旧ROMメトロ05系(未更新・B修)・東葉2000系・旧塗装新京成・3050形と3500形・3600形・3700形等。都営5300形と京急1000形の思い出。

おはようございます。本日の過去画は高校生の時の写真のうち未公開と思われる写真の詰め合わせセットです。やる気あるのかって話ですけど、まああるとは言い切れませんな。

 

ではさっそく。

83S 快速中野 05-122F

部活の帰りに撮ったと思われる05系前期車の快速。05-122F、まだ当時は更新されていなかった(当たり前)。というかB修されてからも撮っている気はするし、何ならこないだ出張帰りに乗ったけど、こっちのイメージの方が強いなあ。何が悲しくてすし詰めの東西線なんか乗らなきゃいけねえんだよって話だけど。当時純粋無垢(いいえ)だった私が東西線に限らず鉄道利用客の大半がゴミということに気が付くのはまだ先のこととなる。

 

松戸行 8806編成

習志野で乗換えた時に撮った新京成8800形。まだ全ての編成がジェントルピンクになる前の写真だ。なんだかんだで俺が高3の時(平成29年)まで残っていたしな。それから時は流れ、多分この記事が出る頃には新京成ではなく京成松戸線になっていることかと思う。カタカナ語にならなくてよかった反面、新京成ブランドが消えるのはなんかなあ。そしていい加減に私さんは復刻塗装も現行塗装もちゃんと撮りに行ってください。なんかN838編成はしょっちゅう遭遇するとはいえ。

 

←普通上野 3544~3541+3546-45 / 87K 快速佐倉 3052-8~1→

たぶん千葉線沿線にいた先輩と一緒に津田沼まで帰った時の写真なんだろう。前にも言及した松戸だか北小金だかのアレはさておき(もうお亡くなりになっているし)、大半の先輩には本当によくしていただいたと思っている。※許すってことを覚えられまそん

それはさておき、今ではどちらの並びも見られなくなってしまった。3544編成が記事公開時にいるかはさておき、3545-46の2両も今でこそ3547-48号車等と6連は組んでいるけれど。右の3052編成がオレンジ塗装を経て今は赤青になっているのは書くまでもないだろう。もっとも3050形の本来の塗装に関しては、この通り快速での撮影ばかりだったけどね。

 

A11 通特上野 3030-8~1(4直25周年HM)

別の日に学校に行こうという時に撮っていた3030編成の通勤特急平成28年は4直25周年ということで各社局の編成にこのようなヘッドマークが掲出されていた。京急は1025編成、都営は5325編成、まあこれは25周年にかけたのだろう。京成も3025編成に掲出すればいいところを3030編成に掲出したのは、6両の3025編成だと基本的に京成線内での運用だから、では8両の最新編成(当時)であった3030編成にしようということだったのだろう。北総からは7318編成が選ばれた理由は…わからない。

 

高校の帰りに撮った風景。部活の帰りだろうな。あの道好きだったなあ。※日本国尊厳維持局とは関係ありません

 

A09 通特上野 3638~3631

また別の日の通勤特急。A09なんて相当早く起きないとダメだったろうに、よくもまあ撮っていたもんだ。暇だったとも言う。その時間で勉強も頑張ってくださいよ…。高2の時の撮影だけど、高3の私が遅刻常習犯だったのが嘘みたい。

 

A17 快速東成田 3818~3811

この時の狙いはこれだったのか。ごん、オマエだったのか。という訳で当時は1日1本だけ設定されていた東成田行。このブログの名前の由来も実はこの6A17レ。それはさておき、なぜ1本だけ東成田行だったのかは謎だけど、撮っておいてよかったと本当に思う。もっとも、この記事を公開するであろう令和7年から起算すると9年前のことになるというのが怖いけど。こうして年を取っていくんだなあ。

なお車両は3818編成。現役の車両ではあるが、ヘッドライトやパンタグラフ等、現在とは色々と異なるのが懐かしい。

 

63K 快特西馬込 3848~3841

その日に今度は志津で撮っていた朝の快速特急。急行灯も点いていてありがたい。しかしまあ制服でよく毎朝のように撮っていたなあ。ここに非モテの要素が詰まっているといっても過言ではないが、しかしもともとモテようと思ったことがないので実質ノーダメージ。高校に通報いかなくてよかった。

 

A11 通特上野 3738~3731(現9808~9801)

お決まりの7A10レ。一番撮った列車はこれだと思っている。いや知らんけど。当時のSDカードから救出できたデータもこうしてある一方で、しかし消失してしまったデータもあり、なんか残念。それでも、こうして撮っておいたことが損になることはない。いや勉強していなかったという意味では損だけど。とはいえ3738編成はこの1年後には存在せず、千葉ニュータウン鉄道9808編成になっているので、やはり撮っておいてよかったのだろう。

 

05系B修車の運転台

東葉勝田台東葉高速に乗換えて撮った運転台だと思う。同日の撮影かどうかは覚えていないけど。

 

87S 各停三鷹 05-118F

これだ。05-118Fは既にB修を終えていたが、でもよく見るとこれはROM更新前。更新前だと各駅停車においては種別表示がなかった。この平成28年度の終わりあたりから急にROM更新が始まって、自動放送もちょっと変わったんだっけ。LCDの表示も少し変わっていたと思う。

 

comexp2133.hatenablog.com

こんな記事書いてたなあ。懐かしい。思えば電車通学は楽しかったけど、でもうすい→勝田台・東葉勝田台→八千代緑が丘という大して混雑しない区間だからこそできたのかもしれない。今の俺は多分無理。人間嫌いだもの。

 

63K 快特西馬込 3758~3751

また別の日の登校時に撮っていた762K。この日は3700形の中でも一番遭遇していた3758編成が充当されていた。朝7時半の722レに乗り遅れてうすいで撮っていたのかもしれない。雨だからうすいまでバス、それで遅くなったのだろうか。通特のデータも残っていたならどれだけよかったか。なおバスの車内には同じ中学の同期もいたが、ことごとくシカトしていたのが私。イヤホン最高!いやっほう!いやっほんって書かなかった私さん偉い。偉くねえよバカが(笑)。

 

68T 緑が丘始発東葉勝田台行 2109F

部活が雨でウヤになった(陸上部なので)ためか、この時間帯に八千代緑が丘にいた。夕方に緑が丘を出庫する始発の各駅停車があった。今もあるのかな。2000系は運用の都合上、朝は派手な遅刻でもしない限りは乗れなくて、帰りでないと乗れない車両だった。東葉高速線内とはいえそういうこともある。高校楽しかったなあ。椅子は硬いし一度ギブアップしたこともあったけど、でもなんだかんだ好きな車両だ。

 

高1の3月撮影と思われる都営5300形の運転台。あの特徴的な走行音が懐かしい。聞けなくなるなんてこの時は思ってm…いや、でも高1の早い時期に置換えの話自体は出ていたんだっけ。まだまだ先のことだと思っていた。

 

思い出した、この時だ。確か親父と妹と喧嘩して家出した時の写真だ。家出少年(日帰り)。日帰りの家出なんてものがあるのかは知らん。多分この辺はもうどっかで記事にしていたかもしれないし、未公開写真を中心に焼き直して先月の5月22日の記事で予約投稿してある(現在令和6年12月25日)。ご興味のある方は是非そちらも。

 

そんな5309編成を最後に撮ったのは恐らくこの時だろう。25NTというのは本来は北総車で運行される25Nを都営車で代走しているというアレ。確か故障が災いして予定よりちょっと早く廃車になったんだっけ。その節はお世話になりました。

 

いや最後ではなかった(笑)。これは先ほどの25NT撮影(平成31年1月)の数か月後に押上線四ツ木で撮っていた。帰省ついでだから元号が令和に変わってすぐの5月だったっけ。もう本当にいないのが信じられなくて、京成線の電車を撮っている時に心のどこかに5300形がまた来るのではないかと思ってしまう自分もいる。実際は都営車といっても5500形ばかりで、何なら夕方なんて3連続なんてこともあるけど。

 

その家出の時に話を戻そう。とはいっても既に記事にしているはずなので、最後にあと数枚だけ。こちらは東西線方面からの八千代緑が丘行。これだけが撮りたくて撮りに行ったのを覚えている。東葉高速は皆さんご存じの通りそれはもう運賃が高いので、まあ決して少なくない出費だったけど後悔はない。写真がないよりはいいだろう。

なお私は東葉勝田台~八千代緑が丘の定期を持っていた訳だけど、定期を忘れたり定期が切れたりすると実費を払うこととなった。当時の同区間の運賃は360円で、所要時間は6分ほど。1秒毎に1円が消えていたという計算になる。定期が切れている期間に親と喧嘩をしていた時はチャリで高校に行ったこともあった。電車で行ってもチャリで行っても数字的な所要時間は変わらないけど、まあ体力は使ったな。懐かしいなあ。今度は印旛沼の方にドライブに行きたい。

 

最後にこちら、1033編成のエア急。蒲田での撮影ですね。当時はまだ歌っていた同編成も今は歌わず、エア急ことエアポート急行もなくなり、京急車が羽田空港行を表示するときは飛行機マークも追加されているので、これももう二度と撮れない(多分)。こうして時代は変わっていくんだなあ。きっと今の記録も5年10年したら大切なものになっていくんだろう。そう思うならいい加減に何か撮りに行けよって話だよね。疲労が抜けたらそのうち行きます。

 

執筆 令和6年12月1日

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