おはようございます。本日の過去画は何の変哲もない日常の京成撮影(平成28年)のものから始めさせていただきます。よろしくお願いいたします。まあ京成ネタこれだけであと全部メトロだけど。

いつもの通特からだよね(笑)。珍しくこの通特が下りと被ったらしい。今も3868編成は存在しているが、でも旧ROMは常々書いている通りもう見られないはずなので、やはりこういった日常の記録は貴重なものになってくる。あ、1日だけ復活した3052編成の旧ROM写真の自慢は別にいらないです。いたなそんな奴。
この写真を撮ってから今日時点で8年半、恐らく記事自体の公開は令和7年となるはずなので9年ほど経過しているのかもしれない。次の9年後、流石に3700形も置換えが始まっているかもしれないと思うとなんかなあ。

朝の通学電。恐らくは3868編成に乗って乗換えをしたのだろう。こちらも今とは姿が軽く異なるほか、やはりLEDのROMも違う。しかし、だったらこちらももう少し撮っておけばよかったのになあと思う。まあB修してるし当面は使うだろうから、今のうちにもっと撮りに行きたい。
その日の夕方。部活を終えて八千代緑が丘から東葉高速で東葉勝田台に戻る。たかだか6分とはいえ、電車によって混んでいたりそうでもなかったりしたのを今になって思い出した。しかし事件は東葉勝田台到着後に起きる。東葉勝田台肉離れ事件ではない(それはこの次の年)。

わかる人にはわかるかなりVERYやばい状態。基本的に東葉高速の大半の電車は地下鉄東西線に直通するんだけど、この時は直通が切られていた。だから西船橋折返しってこと。東西線内で何か輸送障害があったんだと思う。

まずはLCDから撮影。このLCDも実は旧ROMのもので、今の15000系とは少々異なる。それはさておき、西船橋行かあ。西船橋行自体は東西線内なら終日見られるうえに、東葉勝田台からのものでも別に定期がない訳ではなかった気がするので、別に北習志野行みたいに明らかにやっちまったアレではないんだけどさ。

という訳で居残り撮影開始。こちらは15109Fの折返し西船橋行で、しかも代走というオマケつき。相当やったなこれ。もっとも代走自体は時折見かけていたので(こないだ撮った時もいました)、4直と比べるとそこまで珍しい訳でもないけど。

してこちらも東葉2000系の代走として運転されている07-104F。旧ROMかつB修前のこれを撮っていたのは正直でかいと思っている。写真の出来についてはさておいて。
これアレだろ、直通切っているからメトロ車は東西線に帰れず、東葉車の中には東西線に閉じ込められているのもいたのかもしれない。JR直通に関しては基本的に東西線・総武線・中央線のいずれかでダイヤが乱れた時点でスパーンと切られると思われるのでわからない。というか東西線からのJR直通のうち総武線津田沼行のアレ、千葉まで来たら面白いのになあ。ただ単に本数が増える上にバリエーションも増えるからって理由だけど。
そんな07-104F(74F)はB修されて今日も活躍している。東西線撮りに行きたいなあ。今気が付いたけど、スカートの形変わったんだね。
別の日の朝。この日も休まずサボらず高校に向かう。偉い!いやそれが普通だから。

折返しの九段下行(B789S)で登校。これに乗ればなんとか高校には間に合うけど、次だと確かジ・エンドだった。高3になってから一気に遅刻が増えたのも懐かしい思い出。いやダメだけどね。
九段下行は当時も今も平日朝に1本しかない存在で、朝ラッシュに現れる謎の存在。もうなくなったと思っていたけど、それはあくまでも東葉高速からの話で、実は妙典始発のB817Sが1本残っている。これでますます謎な電車になった。なぜ朝の8時44分に九段下で止めて中野まで回送なのかはマジでわからない。妙典始発は遠近分離のためだろうか。まあ酷いからね、東西線のラッシュ。毎日アレで通勤しろって言われたら発狂する自信しかない。

また別の日に撮った07系快速。高校の帰りという定期券区間内での実質合法タダ乗りだったので、今思えばもう少しやっておけばよかったと思う。この時刻、普段であれば部活をやっていたので、まあテスト期間だったんだろうなあ。頼むから勉強してくれ。なんだかんだ高校の時は学校も部活も勉強も楽しかったなあ。
うちの高校はスマホを持っていったら先生に預ける規則だったけど、別にカメラに関しては何も言われていなかったのでいいだろう。不法行為だって無論していない。別にそんなことで怒る先生ではなかったし。でも今だからこそ書くけど、スマホの持込みには本来申請書を書いた上で学校の許可が必要だったのだけど、私は無許可で無申請で3年間も預けていた。変に厳しいのに変にザルだったなあ。まあ許可もらっておきながら預けないで休み時間に隠れていじるよりはいいだろう。

この独特なフォルム、いいなあ。07系はホームドアの関係で有楽町線を追われて東西線に転用された訳だけど、その東西線でのホームドアには無事に対応し今日も走っていて何より。津田沼以東でも見てみたいけど、まあJRからしたら客が流れる可能性にも鑑みて嫌なんだろうなあ。個人的にはコスパ最高としか言えない朝ラッシュで撮りたいけど、問題は朝起きれる自信がないことだろうか。あと晴れたら多分光線も厳しい。通勤快速も撮りたいんだけどなあ。
うーむ、内容が薄い。よし、じゃあ過去画もぶち込んでやるぜ!過去画記事に過去画をぶち込むってもうなんかアレだけどまあいっか。

中学生の頃の過去画から3300形です。もう少しやる気を出しましょう。高砂から金町なんて私なら歩いてしまうというのはさておき、歩くと案外沿線撮影地もあるので、当時の私には猛省を促したいところである。

こちらは臨時化されてからだが寝台特急あけぼの号を帰省で利用した際の1枚。自分で言うなって話だけどあの頃の写真が全部復元できたら無双できる自信しかないので、実家の自室に早いところガサ入れをしたい。定期あけぼの号としてはソロも利用していて、その写真があれば多分過去画記事中学生編を沢山書けると思うので。
なお臨時化されてからのあけぼの号はB開放5両とソロ1両が基本の編成となり、モノ寂しい印象でもあった。私が知っている定期最末期の組成のうち基本となるのは青森方から電源車、ゴロンとシート、A寝台シングルデラックス、B個室ソロ×2、B開放×3、レディースゴロンとシートという組成だった。また時刻も変わっていて、特に下りは弘前・青森に到着する時刻が大幅に遅くなっていた。こういう話も書きたいので、やっぱり画像を見つけないといけない模様である。

最後に新京成の新津田沼の松戸方面のホームにあった弥生軒のから揚げそばでも置いときますね。飯テロは諸刃の剣ってはっきりわかんだね。私が高校生の頃にできて、高3で津田沼の予備校にも通っていた時によくお世話になったものだった。結局閉店してしまい今は跡形もないのがとても残念。本家とは違った美味しさがあってどちらも好きだったんだけどね。
撮影 平成28年5月(3300形とあけぼの24系は除く)
執筆 令和6年12月2日
