皆さんこんにちは。本日の過去画は高2の6月に撮った写真が中心となります。本日もよろしくお願いいたします。
まずは北総車の宗吾入場回送から書いていきます。

当時の実家からチャリで行けるところで適当に撮っていた。急行灯が点いていて嬉しいね。あのマンションを見るとユーカリが丘を感じる。佐倉市にはもう住むこともないと思うけど、ユーカリが丘は住みやすそうだなと思う。それこそサティもイオンに進化したし。
次。255系の方向幕LEDだ。

これは臨時特急「新宿わかしお」に充当されていた時の写真。自由席廃止から少しして255系も定期運用を終了。すこーしだけ臨時列車に使ったかと思えばさっさとポイ、まあそれだけ状態が悪かったということなんだろうか。京葉線がダメなのか外房線がそうなのか。まあ千葉市中央区のうちも正直やばいだろうしなあ。それは車の話だけど。なお255系は執筆日時点ではBe-03編成とBe-04編成の2編成が現存するが、Be-04編成に関しては既に京葉車両センターに回送されてしまっているので、まあそういうことだろう。この記事が出る頃は間違いなくいないと思う。

そんな255系の更新したてほやほやなVVVF。みーんな前の東芝GTOが好きっていうし、別に俺もあれはあれの良さがあったと思っているけれど、更新後のIGBTも好きだった。そうか、この頃は機器更新したばかりか。まだ撮影日の時点では未更新もいたんだっけか。

そんなこの編成の正体はBe-01編成でした。結局郡山総合車両センターに配給され、既に解体されている編成。トップナンバーでも容赦なく潰してしまったからなあ。ポッポの丘には先代183系の生首がいる訳だし、ここは房総特急一筋で(まあビューかいじもやったけど)30年以上千葉県民を運び続けた255系も是非保存していただけたらと思う。クラウドファンディングがあれば私も支援したい。1両まるまるもらって休憩所なんかにしたら割とウケそう。

そして何故か蘇我で撮っていたE257系の新宿さざなみ。この時の私はまだ、この7年後にE257系500代の下りしおさいが復活することも、しかし房総特急が全席指定になったはいいものの255系大減車で大幅に座席数も便数も減らされ、しおさいに至っては最早半分が通勤特急みたいにされてしまうなんてまだ知る由もない。銚子なんて別に車でも横芝から先が1本の国道だからそこまでアクセスよくないのになあ。
写真、もっとなかったっけ…。おかしいなあ。6月これしか撮っていないとは思えない。消えちゃったんだろうなあ。

この辺の写真なんかはまさにそう。そしてこの時(24時前後)に「はてなフォトライフからダウンロードすれば復元できるじゃん!」と気が付き、平成28年4月以降の写真のうち明らかに記事を消しているものと焼き直せそうなものについてもダウンロードして、今もう2時半です。これまで振返ってきた記事に関しては写真を追加して補正する方が面倒なので触れないが、これからの記事においては今回救出できた写真についても交えつつ書いていきたいと思う。おかげで完全にリメイクながらもさらに過去記事ばかりがたまっていく…ヒィン。流石に何かしらそろそろ撮りに行きたいめう。明日たぶんBe-04の廃車回送はあるから、追っかけてもいいけれど。行先は知らないが、スタッドレス履いてないから秋田まで行くとなるとレンタカーかなあ。秋田まで行ったらまあ弘前に顔出すしかないよね(笑)。ああいいなあそれ。最終回がATだったら弘前に車で行くのも悪くはなさそう。
という訳で、一旦京成の話はお休み。

さっきの255系・E257系500代の撮影の前に蘇我で撮っていた貨物。やはり何故佐倉市民の私がこの時に蘇我にいたのかは不明。まあ書いている時点で8年半も前だし、記事を公開する頃は9年以上経っているかもわからない。

桃太郎かっこいいよね。音もいい。でもあんなところにレンタカーあったっけか。私が知らないうちに街も変わっていたんだろう。

京葉線各駅停車。この記事の公開時は分割編成がどうなっているかはまだわからない。まあ転用にあたってはめちゃくちゃいい出物になるだろうし、東金直通は総武快速に持ち替えてしまえば分割編成は要らない子になる訳だし、転用じゃないかとは思っている。しかしまあねえ、この写真を撮った高校生の時はまさか千葉支社が通勤快速廃止と通勤時間帯の快速の運転取止め(後に少しだけ復活)が大炎上することになるなんて思ってもみなかったことだろう。代替の特急は減車だし。JRの大炎上、まさにJRファイヤーって訳だ。
京成の話に戻る。多分この前の日の撮影で、114514%高校の帰りの撮影。

3728編成の特急羽田空港行からスタートです。夏は明るいから1880Kがこうして撮れてよかったなあ。今も特急羽田空港行はあるが運番は違う上に3728編成の外観も前照灯やパンタグラフ等が異なるので、懐かしいと思える写真。

一時期よく撮っていた75Kの快速特急。実は部活を終えて八千代緑が丘から東葉勝田台に向かって勝田台に来たところで、当時のダイヤでは各駅停車が14分ほど来ない。クソダイヤなのはさておき、だったら電車でも撮っておこうと思っていたのだろう。制服姿で撮っていた度胸には我ながらドン引きするが、しかし8年半経ったいま、とても貴重な写真になっているので結果オーライ。これからも日常の記録は絶対に怠らないようにしたい。

これはこれはコメントに困る写真ですな。先ほどの75Kが勝田台を18時40分頃に発車し、3~4分後にこのライナーが通過する。八千代台では私が乗りたい各駅停車はこの2本の電車の待避を行うこともあって勝田台での各駅停車の間隔が空いてしまう訳になる。まああまり喜べたことではなかったけど。なおその各駅停車だが、多客のために1~2分遅れてくることがあったが、ユーカリ→うすい(全種別停間105)の回復運転のおかげで大抵うすいには定時で着いていた思い出だ。

だがうすいには直帰しない。ユーカリで当時は定期列車だった4両の回送を撮っていくことにしよう。そのついででこういう写真を撮ることもいずれ貴重になる。当時の俺、ありがとう。でももう少し勉強もしましょうね。

これがその回送。3504編成は今は中間に2両を挟んだ6両なので4両も見られないかもしれないし、別にそんなこともないかもしれない。この1852レは夜間帯の千葉線・千原線のラッシュ運用に充当するための送込み回送。回1852だと思っている人はずっとそう思っていていただいて結構。これをユーカリで撮っているのなんて私ぐらいだったなあ。まあ今も運番51で朝の上りと夕方の下りに4両の定期回送はあるけどさ。ああ、挨拶をすると死んでしまう病気のガキが時々挨拶もなく来ていたことはあったなあ(笑)。なめてんのか?って気持ち(笑)

翌日と思われる写真。違ったらスマン。うすいから乗っていた722レ(うすい7時半)はユーカリで快速特急を待避するので、待避の間に撮っていた。結構時間はカツかったが、まあよく撮っていたもんだ。
うすい→勝田台は待避を含めてもせいぜい10分、東葉勝田台→八千代緑が丘は6分。自宅→うすいと八千代緑が丘→学校はチャリだったのでそれはさておき、しかし仮に電車に乗っている時間が16分と仮定して、帰りは待避がないので往復30分程度、その1日の30分も週5で150分=2時間半、1か月で10時間、1年で120時間。その勉強時間があれば、今の私はまた違った人生を歩んでいたのかもしれない。もし現役中高生が見ていたら、この言葉はアラサーの無職ニートキモータヒッキーが書いていたことも踏まえてやるべきものを見失わないでいただけたらと思う。

なんていいつつ、この記録があることもまた貴重であることには変わりがないので、何が正解だったのかはわからない。それは10年後にわかるのかもしれないし、30年後かもしれないし、50年後(には死んでそうなのはさておき)かもしれない。死んでからかもしれない。でもそれでいいんじゃないだろうか。やるべきことをやるだけさ。

帰りに撮ったのかもしれない3030編成の快速。当時は4直25周年のヘッドマークを掲出していた。確か以前の過去画リサイクル記事で3030編成が選定されたと思われる理由については言及したので割愛。旧ROMが懐かしいというよりは安心感すら覚える。そして今、こうして旧ROMの写真で記事を書けるのも新鮮。そういう意味では過去画焼直し記事もいい。しかし過去画の焼直し要員となる写真がそれはもうごーっそり貯まっているので、多分全ての過去記事を清算できるのは令和8年ぐらいになっているのかもしれない。いやそれでも終わらないかも。それだけ記事を書くネタがあるのはありがたいことだけど。

また別の日の写真。これは相当早く起きてますな。エキセンでの記録とはいえ、しかし結果として撮っておいたことが今となってはとても貴重なものになっている。過去記事を消したせいで余計な仕事が増えている訳だけど、当時はそこまでの数字も取れない今以上の弱小ブログだったので、結果として当時より少しだけ数字も取れるようになった今こうして貼るのも悪くはないのだろう。

途中の快速特急はミスったのかなあ、という感想。志津で6連を撮る場合、横と縦のどちらがいいんだろう。代走等、種別行先運用を際立たせたい時は両数を問わず縦がいいんだろうけど。

普段はこの時間の快速特急は絶対に撮るチャンスがなかったので(朝に弱いので)なぜこの日は早く起きていたのかは不明。高3は毎週遅刻だったし、受験落ちてからは不登校だったのに。

いや~~~旧ROMが懐かしい。でも見慣れていて安心感もあっていい。この記事は常々書いているとおり執筆日時点では8年半前の写真だが、逆に今から8年半経ったとき、つまり令和14年(2033年)6月はどうなっているんだろう。電車の事情もだし、私の人生もね。結婚してパパになっていたら流石に子育てや家事に全力を尽くしていると思うので、まあブログはなかなか更新できなくなっているだろう。もっとも結婚願望もない上にそもそもこんなのを拾ってくれる女の子なんている訳もないので、まあその線はなしかな。仮に結婚したら子供は欲しいけど。

そんな未来のことを憂いても何にもならないが、過去の写真ならいくらでも話せることもあるのでまあいいだろう。3658編成の通勤特急も撮っておいて本当によかった。この編成も含めて3600形の8両は私が千葉を離れている間に廃車または編成短縮の運命を辿っているので、千葉に帰ってきてからでは撮れない写真だったからね。3658編成は令和2年に3100形(3150形)に成田スカイアクセス線を追い出された3000形7次車(3050形)の転用で玉突きで追い出される形で廃車となっている。それももう4年半前、信じられない。3638編成・3648編成・3668編成・3688編成とは異なって最後まで編成短縮はされなかった。編成短縮も何も、元々3600形は6両で落成していて後々に8両に組み替えられているんだけど。
撮影 平成28年6月11日・12日前後
執筆 令和6年12月3日