おはようございます。今日も過去画ですみません。
今日は甲府在住時の私さんが4連休最終日にE353系グリーン車で帰省するところからお届けいたします。
という訳でもう何年も乗ってないE353系グリーン車です。賢い私はもちろん甲府始発のかいじを選択。この前の日、あんまりにも当時のバイト先の客にゴミが多すぎてめっちゃイライラしてたのも何故か覚えてるという(笑)。ゴミ客の皆さんにはご冥福をお祈りします。連休や繁忙期に沸いてくる観光客は本当にただのウジ虫かつ金の成る木程度でしかなかったのも今となっては懐かしい思い出だ。
E353系グリーン車の座席が懐かしい。まあ普通席のそれを広くしたような感じは否めないし、実際割と硬めの設計ではあるんだけどね。でも普通に快適だったし、令和2年当時は今より若干グリーン料金も安かったので、特に51~100km区間のグリーン車がお得だったのを覚えている。
車内はこんな感じだった。普通になんかゴージャスな雰囲気でいいんじゃないかな(何様)。なお今は不明だが、当時はえきねっとから車椅子対応席を指定できたので、中央線特急のクソザコゴミ客のトナラー被害を全力回避できた。
という訳で、コロナ禍の帰省ということもありレッツ体内アルコール消毒。当時は「ホリデー快速ビューやまなし」としての運用があり、酒折で折返し待ちちうの215系からの見送りも受けた。多分むこうには見送ったつもりなんてないと思うけど。
さあ、どんどん飲んでいきましょう!これ書いててめっちゃ酒飲みたくなってきた(飲めよ)。明日の運転に響かない程度で飲みますね。当時は特急かいじ号も車内販売があったのがよかった。本当によかった。
あ〜お一人様最高〜(笑)。ガキがいっちょ前に特急乗ってて草。その発言元の乗務員の方もお亡くなりになりましので、ご冥福をお祈りします。名前すら付けてもらえないのか(笑)。Twitter見たら消えてるし(笑)。
列車は山梨県内(多分)をしんこうちう。車内販売で変えるこの諏訪浪漫の大ファンだった。久しぶりに飲みたい。
特急アル中プスって訳だね。どういう訳だ。
中略。しんづく(新宿ともいう)で一服し、次に向かうのは京成上野駅。バイト代が入ったばかりということもあり、なかなか学生の分際で贅沢三昧してましたね。
選ばれたのはスカイライナー。当時はインバウンドの皆さんがお亡くなりになっていたのでガラガライナーだった。あれマジで快適だったな、京成には悪いけど。今では満席も珍しくなければ、ライナー券を持っていないのに乗ってしまうおバカな日本人も散見される。空港の2駅の構造が今を見据えたものでは無いとはいえ、もう少し何とかならんもんかね。
うっひょーガラガライナーだ〜(笑)。マジで快適だった。スカイライナー久しぶりに乗りたいなぁ。
一応ここでもアルコール消毒でコロナ対策。上野→成田空港は40分少しでの到着だから、割とマジでゆったりと飲酒できないのが残念だ。いや空港アクセス列車だし、逆に成田空港がそんなに近くなったんだからスカイライナーとスカイアクセス線は本当に優秀なんだけどさ。
マジでガラガラ(笑)。今のスカイライナーが賑わいを取り戻してくれて本当によかったとは思いつつ、シティライナーもびっくりなこの空き具合はもう見られないかと思うと残念。ああこれシティライナーだったのか。
いいえ、れっきとしたスカイライナーです。当時の実家は佐倉市だったんだけど、でも佐倉市民がスカイライナーで帰省となると印西牧の原で飛び降りるか空港経由かになってしまうのがネック。いや普通に空港行きました。ちなみに当時の最寄りである京成臼井→成田空港は、平日1653T列車を基準にすると33分。スカイライナーが日暮里→空港第2ビルを最速36分で結んでいることと比較すると、如何にスカイライナーが爆速で比較的安価で優秀かというのがおわかりいただけよう。
あっ、育ちが悪い面が出てしまいました(笑)。失礼いたしました(笑)。熱盛みたいに言うな(笑)。佐倉育ちで巻舌ができる私は育ちが悪いんですよ〜いや〜(笑)。この元ネタを高校の親友に話すとドン引きしてて面白かった。
空港到着。ガラガラな成田空港に違和感しか感じられなかったが、喫煙所で一服した後に佐倉方面へ向かった。めっちゃスカイライナー乗りたいし、スカイライナーで酒も飲みたいけど、郷に入っては郷に従えないクソ外人で世紀末状態だからなぁ。割とマジで本当にご冥福をお祈りします。あいつらの荷物を北印旛沼にポイするバイトがあれば、京成電鉄さんからのご連絡をお待ちしております。そんなバイトねえよ。
ここからは別日の話となる。
で、なんか甲府に戻ってから食ったラーメンの写真もあった。基本的にこのブログの記事は深夜に書いているので、正直この写真を貼るのは自傷行為みたいなもの。まあでもまた食べに行きたいからいいか。何がいいのかは知らん。なお過去画へのナンバリングにあっては後日公開の記事と前後してしまっている上に、まだまだ過去画で出せる記事もあるので、まあなんかごめんなさい。結局そういうオチだと思った。
また別の日の話。
最後にむさしの号(最後とは言ってない)。これは甲府から帰省して、どこだったっけか、なんか大宮に向かうにあたってどっかから乗ったむさしの号。ご覧のとおりすんげえ混み方だった(笑)。むさしの号自体の歴史は長いが、まあそれを書くと本当に記事が終わらない上に多分私さんもちゃんと書けないと思うので割愛。今思えばよく早起きして東線ローカル+中略+むさしの号で新幹線撮りに行ってたわ。多分その頃の記事を読み返せば詳細な行程等はわかるんだろうけど、今回は割愛。調べるのが面倒とも言う。
E231系0代と1000代の並び。もーちょいちゃんと撮ってもらっていいですかね(笑)。なお、今回の狙いは新幹線撮影だった。公開予定日から少ししたらもう4年前の話になってしまうのが残念。
この日の一番の狙いはE3系0代R編成。そうか、4年前はまだいたんだな。結局コロナ禍の乗客数減で仕事がなくなったタイミングで廃車になってしまったけれど、もしコロナ禍がなければ今もまだR21・R22両編成は増結用として存在していたのだろうか。とはいえ速度制限上の足かせであることは変わらないし、座席にコンセントすらないのでアレだけど、もしまだR編成が生きていたのなら最後の最後でJR編成(E2系+E3系)が復活していたのだろうか。なんか、本当にもったいないなあと思いつつ、でも仕方なかったんだろう。
なお、E3の葬式鉄がソーシャルディスタンス(死語)の範囲内に入ってきてすんげえきもかったのは今でも覚えている(笑)。私も借金横取り居候人間に将来を心配されている身なので偉そうなことは言えないが、しかしそういう人間をキレさせるその「まともなコミュニケーション取れない」スキルは尊敬に値する。ご冥福をお祈りいたします。
ここからは同日に撮った新幹線の写真等を貼らせていただく。
まずはやはりE4系Max。この時もまもなく引退だってことはうすうす感じていたんだけど、でもなんかな、4年前はこうして当たり前に会えたのにな…そう思うと寂しくなってしまう。
続いてはJL編成(E3系1000代or2000代+E2系1000代)。当時はE8系の話ってあったっけ。でも当時、まさかE3系つばさとE5系の連結が実現して、E2系がほとんど脇役になるとは思いもしなかったな。なお、こまち葬式のクソガキ君はこちらへのご興味はなかったようでした。すみません、浦佐でのあーもういいから(笑)。そっか、400系代替であるE3系2000代も置換えの時期なのか。悲しいけれど、でも新幹線の置換えを見ていると年を感じるもんだ。
もう少し書きたいことはあって、というかそもそも1本の記事で終わると思ってはいたんですけど、ダメっすわ(笑)。すんません。なので申し訳ないんですが、続きは次回にまた過去画を貼る際に書かせていただきます。すみません。よろりんこ菊地凛子です←反省してます?