流石にそろそろ怒られそう。ごめんなさい。
これもまた消してしまった記事のようなので、備忘録も兼ねて再度執筆させていただこうかと思います。
しょっぱなからひでえな。89Nごときで、と書くと語弊がありますが、当時の僕は不定期ながらもそれなりに見られる89Nで喜び勇んでわざわざ沿線にでも行ったのでしょうか。何かのマラソンのスタッフをした帰りだったような記憶もありますがよく覚えてないです。色々な意味で高校の陸上部に戻りたいなあ。
特急も各駅に停まる区間ですし昼ですし急行灯は妥協。3029なんてつい最近デビューしたような気がしますが、もう何年も前なんですねえ。それこそ未だに1号線系統で5500形や3150形を見かけると新鮮というか、違和感まではいかないものの、体感浦島太郎でございます。
現行のダイヤで設定があったかは知りませんけど、当時のダイヤのおよそ1年間は昼間にうすい発着の各駅停車のうち1運用にてなんか車両交換がある運用がありました。あれなんだったんだろう、シラフで考えれば多少は候補が思いつくかもしれません*1が執筆時点で管理人はほろ酔い状態なので知りません。時々回送が撮れたからヨシ!wとでも思っているのでしょう。数回しか撮っていませんけど。
所変わってユーカリが丘~志津の踏切にて。志津駅先で影落ちしても踏切だとギリギリ…なんてことは季節問わずありました。それはさておき。この5318も廃車済なんでしたっけ?マジで5300減ったなあ。
さてさて、今回は内容がいつもに増して薄いですがこの辺にしておこうかと思います。というかこれ以上写真がない。
大まかにいえば5300形、細かいところを言えば前照灯がハロゲンな3000形、どちらも数年すれば見ることは叶わないでしょう。今の京成さんも好きですしカワルミライを楽しみにしている自分もおりますが、それでも過ぎ去った普通の日々にも価値があることは事実なのかなあと思うのでした。笑
ではではー。
*1:いやあんたシラフでもわからないでしょ