なんかふいに思い出しました、ああ一年ぐらい前に青森最後の485が郡山に配給されたな~って。
てなわけで(?)その時の写真とか現役時代の写真とか適当にほじくり返して自己満供養振り返ってみましょう。
最初南千住あたりで迎撃しようとして早発されて撮影地変えたんだっけ。いやあ、情弱って辛いっすね(こなみ)
KY出場から1年もせずに引退しただけあって、床下がまだ若干綺麗なのが見ていて切なかったです。
臨時あけぼのでお世話になった136号機とこんな形で再会するとはね。かすかに残る青森の雪(途中で付着したのかもしれないけど)をみて青森に帰りたくなったのは言うまでもありません(?)
幼い頃、図鑑でも八戸や青森でもよく見たあのでかいロゴ。これが元を辿るとかもしかと同じ485系だなんて当時は知らなかったような。でも、なんか特別なオーラを放っていて強く惹かれたのは覚えてます。
そんな思いがあった他、普段E751系のつがるを利用してばかりだったので、485のつがるに初めて乗れた時は嬉しかったんです。でもその時にあろうことかエアコンが壊れて真夏の弘前~八戸フル区間サウナコースを強制体験させられたのもいい思い出です。なんで僕たちが乗った指定席の1両だけ...orz
あ、E751はE751で好きです。
盛車セ青森派出所…?
...ああそうか、青森車両センターってもうないんだった。つがるのE751、白鳥の485、あけぼのや日本海の24系、疎開留置の211系や651系。懐かしいなぁ。自分の知ってる青森のJRがどんどん変わっていくなぁ…と。
どうでもいいけど青森疎開の211系って…まさか、今長野で働いてるアイツらなんだろうか()。だとしたら凄い腐れ縁。*1
このサボ売ってくれれば買うのに
大ベテランの匂いがプンプンしますねえ(?)
なんかヤバそうなキモヲタ*2が特急サボ持ってますが、これももしかして485のやつだったのかなと。もちろんGAしたんじゃないです、青森駅の売店で当時売ってたんですよ。
どうでもいいけどこれつい最近だと思ったらもう3年前なんですね...。いろいろ思い出して切ない。
この日は授業の関係で、大宮から先は追いかけられませんでした。
1年経った今でもまだ廃車になった実感がないし、なんなら八戸でE2系のはやてを降りて乗換改札を抜けて在来線ホームに降りたらE751や789と一緒に止まってるんじゃないかってさえ思ってしまいます。
弘前に祖父母が住んでいるので、新幹線から乗り継ぐ特急は基本的につがるの一択。よく乗っていた当時のつがる13号はE751系固定運用で485系3000番代の性能には対応しておらず(違ったらさーせん)、新青森開業直前だった先述のエアコン事件が初乗車でした。
青森県民悲願の?新青森開業後、引き続き「白鳥」として活躍する他に定期臨時合わせた全ての新生「つがる」を任された485系3000番代。しかし定期は数カ月でE751系にバトンタッチ、残った臨時も順次廃止と最後がう~~んって感じだった気がします(?)。
ついに北海道新幹線が新函館北斗まで開通し、既に歳だった485系も完全に役目を終えてから早5年。個人的には、マザコン気味な*3E751系の代役として残しておいた方が安心な気もしましたが、古い車だし一本だけ残すわけにもいかないし色々面倒だったのでしょう。それはそう。
白鳥がなくなった高校生の頃は残念ながら見送れませんでしたが、それでもこうして無事(このていたらくはどうみても無事ではないけど)に大人になった僕が最期を見送れたのはよかったな…と。まあ大人になったも何も、いろいろ思い出が蘇ってきて大宮のホームで溢れた涙でファインダーまともに見れてなかったんですけどね(笑)
…うーむ、いつものことながらまとまりがない。この辺で記事を終わりましょう。
改めて、485系青森車には感謝感謝です。ありがとね。
あとがき
…はい、この記事を書いて下書きに入れたのはお察しの通り先月の終わり。僕は何やってたんですかねこの一ヶ月……←
弊ブログ、こんな感じでクソみたいにアホ丸出しで現文偏差値0卍な記事の下書きがたんまりありますのでぼちぼち更新していきます…