この間5年前の青森の記事書いであったんばって、そういえば弊ブログ開設する前に撮った汚写真があるでねがど思ったはんで、アレな写真ばってモソモソど記事さ残すておぐべど思います。(ここまでテキトーな津軽弁)
なお管理人、舌が東北人なようで、実際にしゃべってるとい行の発音が難しかったりか行が濁ったりするそうです(隙自語)
いや~高校生のこの頃からバイトして金貯めてもっともっと撮りたかったです、青函連絡特急。
これはスマホ鉄しただけで乗らなかった751のつがる。485系3000代がまだ生きていた関係で、北海道新幹線開業前の奥羽本線の特急つがる号はそれなりの本数があった*1ので今日よりは多少なりとも見かける頻度があったなと。
で、ヨンマルのローカルに揺られて川部で下車後、701のローカルで青森まで行きました。なんだろうこの無駄な動き…まあヲタクtってそういうもんよね知らんけど。
川部といえば、GV-E197系の増備が進むと川部常駐のホキもいよいよやばいんですかね。
やってきました青森駅。HEAT789のロゴも誇らしげに新青森か函館かどっちかへの出発を待つ789系をこれまたスマホ鉄していたようです。
この後は同行してくれた従兄弟と八甲田丸を見学していたのですが、その写真が見当たらず記事にできません…orz また行きたいなあ八甲田丸。あとA-FACTORYなる商業施設で土産物も買ったのですが、あそこも楽しかったですなあ。
そうだ、この時は485のつがるもいましたね。臨時かもしれませんし、定期の代走かもしれません。485のつがるといいますと、どうしても真夏にハザの5号車のみエアコンが壊れ、そこに乗車していた管理人一家が弘前から八戸まで動くサウナを体験するという貴重な体験*2がトラウマのごとく思い出されます。
しかしながら新青森開業直後は全てのつがる号が奴らだったこともあり、やっぱ懐かしいんですよね。まだまだ走って欲しかった。せめて、それの生き残りであるジパングのモハには乗っておきたいですね。
6両ですので白鳥の回送?と思いつつ、青森に回送で来る485だと臨時つがるかもわかりません。もう少ししっかり撮っていたらなあ。
正午前に青森に到着する定期白鳥ってあったっけ。お盆前でしたし臨時かもしれませんね。そもそも白鳥って晩年は2往復程度だったじゃないですか。
顔面が黄色い485系3000代には、白鳥やはつかりといった青森の誇る(?????)名門特急の表示がよく似合うなと思う次第です。
だからこそ、最期のこの時は南浦和と大宮でしか見送る事ができなかったとはいえ、どうしても寂しい気持ちでいっぱいでした。このA6編成、KY出場してから半年で白鳥から引退した為にまだまだ床下もきれいで、なおさら切なかったものです。
閑話休題。
これまた今となっては貴重な電車と対面していたようです。まだTwitterを始める前、新青森の駅先で撮ったこともあったなあ。乗車こそ叶いませんでしたが、新青森開業に際してこんなゲテモノ車両(誉め言葉)が改造されて再デビューしたのは平成22年当時ギリギリ小学生だった僕にとってエモかったのが昨日の事のように思えます。
こんなのも撮っていたんですね(他人事)。
789系0代=未だにスーパー白鳥なもので、正直こんな(拙いけどね)写真見たところで懐かしいというよりは安心感しか覚えないなと…。
ところで、スーパー白鳥に限った話ではありませんが、JR北の特急の自動放送を担当されている大橋俊夫さんってマジでイケボですよねえ。羨ましいぐらいです。(もちろん、東の堺さんもイケボで好きですけど、)あの北海道感満載なイケボで八戸発着時代の特急つがる6号なんかでは東の文面で大橋さんの放送が流れていたのも興味深かったなと思います。
この後はリゾートあすなろ号のハザを購入し、次の新青森までゴージャスな6分を過ごしました。お母さんお小遣いありがとう、大学生となったりバイトで金を稼ぐことの大変さを知った今、非常にドラゲない気持ちでいっぱいです笑
長くなってしまうので、一旦この辺で区切ろうかと思います。この後も789系あたりは撮りましたので、次の記事にてまとめさせていただきますね。
では。