皆さんこんにちは。高校生の時の過去画の清算が多分終わったので、これからは大学生・大学院生時代の未公開だった過去画について書いていきたいと思います。なお大学生・大学院生時代の過去画は既に都合よく穴埋め要員で使っているので、新しく書いていく価値があるのかどうかはわかりません。私の人生よりは意味がある記事だったんじゃないですかね、また。変わらないんだよなぁ…。
大学生になり佐倉市から甲府市に引っ越した私(平成30年なのでいつの話だよって感じだよね)は転居前から気になっていたE257系の沼にどっぷりと浸かっていました。その頃の記事自体は平成30年4月以降の記事からお探しいただけたらと思うんですが、今回はそこから漏れていた写真を中心にお届けいたします。なお、本記事とは別に新たに大学生4年間の記事(主に中央東線・京成・JR東日本の新幹線)で焼直し記事を書きます。毎日更新予定ですので、ぜひ楽しみにお待ちいただけますと幸いです。
本題。なんかまあ早速スマホで適当に撮った方向幕で申し訳ないんだけど。

こちらはE257系0代に定期運用があった頃の「あずさ30号」。確か帰省の際に立川→千葉で乗っていた(なお当時は甲府在住)。ガキがいっちょまえに特急乗ってて草。そう因縁を付けてきたJR東日本の運転士(平成30年12月24日の特急あずさ3号を千葉→新宿で担当)はお亡くなりになりましたのでご冥福をお祈りいたします。いやあ、Twitterどうしてるかなと思って見に行ったらアカウンコ消えてたもん。マジで死んだのかよ(笑)。
あとこのあずさ30号に並んでいた時に因縁を付けてきたクソリーマンね。中央線ユーザーの中高年クソリーマンってなんであんな馬鹿ばっかなんだろうか。まあでもその人も死んじゃったのでもういいや。なんでも自由席廃止が衝撃的すぎて心筋梗塞になったとのこと。タバコ吸いすぎちゃったのかい?ご冥福をお祈りいたします。
さて、この時の編成はM-113編成だった。現NA-10編成というのは置いといて、なんか横揺れがすごかった記憶。
まあE257系0代の末期は編成にもよるが劣化が酷かったからなあ…。踊り子・湘南の2000代になった今、今度は伊豆方面での塩害も心配されるが、どうか末永く頑張ってほしい。

その少し前の日の撮影。ついでに擦るなんて将来が心配ですね(笑)。そういう暴言を平気で書くような奴とこれから先現場で会うことになるなんてな…。
その発言元はお亡くなりになったのでさておき、今思えば竜王かいじも撮っておいてよかったものだ。あいにく当時は車どころか免許すらなかったので、発車まで待っていると1時間以上竜王で待つことになるのは無理ということでこれしかないのが残念。M-114編成は現在NA-11編成として活躍中の編成。

なんかこれも立川で撮ったと思うんだけど、何の回送だったっけ。富士急線方面のそれってのは大体想像つくんだけどさ。山梨富士か何か?でもしたら新宿まで行っている気もするけど…。流石にもう記憶にない。当時の記事にも残っていないし。確かNB-11編成(現OM-54編成)だったと思うけど、立川で折返して豊田に入庫していたとは思われる。

こちらはこの時よりずっと後の撮影になるけれど、同年には一時的にNB-05編成とNB-14編成が豊田常駐3編成に代わって中央線方面の臨時快速運用に就いていたことがあった。これはまあ回送で豊田に戻るところではあるんだけどね。その辺についてもいずれ熱く語った記事を出すことができたらいいなあと思っている。
時空がまた歪んで、今度は8月の話。臨時快速ムーンライト信州というと懐かしいとなる方が大半かと思うが、今の小学生は知らないかと思うとビビりバビりというのはまあさておき、基本的にムーンライト信州は下りで新宿→白馬での運転だったが、年に数回上りが運転されることもあった。

こちらは諏訪湖の花火大会の際に臨時で運転された快速「ムーンライト信州」の発車標。甲府での撮影。臨時ながらも夜行特急「アルプス」が運転されている今、来年の花火臨として上りアルプスが設定されるんだろうか。なおムーンライト信州の上りだが、この次に運転された際には乗車もした。まあほとんど眠れなかったってのはさておき。

なんかもう甲府駅自体が懐かしいな。左下に移る液晶式のタイプの自販機も懐かしい。回送に関しては定期列車ではなく、諏訪湖花火大会での多客需要に応えて運転された甲府止の臨時普通列車だった。

青編成を使用した諏訪方面からの臨時甲府行で、甲府からは回送としてその日のうちに上り回送として返却されていった。甲府の電留線にでも突っ込んでおいて、翌朝の回送としてくれたら順光で撮れたかもしれないんだけどなあ。そんなこと今になって言われましても(笑)
いろいろと被ってしまっているけれど、こちらが本命のムーンライト信州。表示は「快速」。ホリデー快速ですら特急化が進んでいる現状では快速表示も珍しくなったように感じるが、それ以上にこの時の臨時快速が11両で運転されていたのが意外だった。
今だったらこの手の列車を特急に格上げしたとて9両だろうし、JR東なんて特急を金の成る木程度にすら見ていないのか、特に房総方面においては平気で減車減便するし。JR東だからこそできた革新的なことに惹かれていた面もあったが、しかし深澤政策というか、なんか最近の東には愛想を尽かしそうになることもある。
なんて書いてはいるが、209系がまさにいい例だけど、東だからこそできることはあると思っている。JRファイヤーだなんだと時折JRをいじっている私だが、JR東日本は好きだし応援している。そこは皮肉でも何でもない事実としてご理解を賜れたらそれ以上のことはない。というか東アンチならここまで撮らないし、過去画で取り上げようとも思わない。それが答えだ。夢語れJR、時代(とき)つくれJR。批判はするがこの時も今もこれからも皮肉抜きに東は割とマジで応援している。ここでは書けないエピソードも含めて。
発車前にはフル点灯。なお甲府1番線で撮ろうと思っていたところ、駅員さんが「たぶんこの後の貨物が被るから撮れないよ」と教えてくださった。ありがとうございました。快速幕でのフル点灯ハイビームなので、尚更しっかりと撮りたかった感はある。当時は踏切から撮れるってことを知らなかったのが悔やまれるところだ。いやでもこの長さの貨物だと被っていたのかね。というか実際被ってたんだろうけどさ。

い…いいもん…M-202だって塩山ストレートで撮ってるからいいもん…いい…も…うっうっ。せっかくの快速表示がもったいない。付属編成、何かしらの形で残っていたら5500代の増結用に転生できただろうにと思うとやはり不憫かつもったいないの一言しか出てこない。
あれ、そういえばやたらとご自慢の写真を頼んでもいないのにいちいちLINEの個チャやグルチャで送ってくるような承認欲求の塊かつ横取りマウント10万円野郎って、なんか5000代かっこいいなんて抜かしていた(それ自体は否定しない)けど、そういえば0代の写真でのご自慢が一切ないまま死んじゃいました。ウッケる~~~(笑)。ご冥福をお祈り申し上げます。お前に写真くれなんて言った覚えねえからいちいち送ってくんじゃねえよ(笑)。ソイツにマウントを取られると腹が立つという理由でこれらE257系の写真を見せると黙っていたのが最高に草。泥沼にしかならないので本当はしたくないが、マウンティングがうざいゴミに関してはマウントを取り返すのがおすすめだ。

もう1本、NB-10編成の団臨も運転されていた。この時は知らないが、同年9月の新作花火の際はムーンライト信州が山梨市でバカ停し、その間に後続のE257系500代の団臨が先に発車していった。NB-10編成は豊田常駐時代には基本的に富士急線方面への列車に優先的に充当されていたので、これは地味に珍しかった。マリNB(ドヤ顔)クンにはご理解いただけないことだろう。ソイツさっきいじったばかりだからもうやめてやれ(笑)。
別日。関西遠征に向けて八王子で1泊した後に、東京まで中央ライナーに乗車。それについてはまた別な機会にどこかで記事にすることかと思う。

懐かしいな、中央ライナー。この時はお手軽にグリーン車に乗れるからって700円少し払って乗ったのを覚えている。

編成はM-115編成だった。懐かしいな。現NA-12編成。この当時はサロハの塗装の剥げ方がえげつねえ印象が強かったのも昨日のことのように思えつつもなんか昔のことみたいだ。
その前にE259系の高尾発成田エクスプレス(以下高尾エクスプレス)も撮影していた。当時はまさか高尾エクスプレスが八王子エクスプレスに短縮され、またそこから程なくして八王子エクスプレスすら廃止されるとは思いもしなかった。それこそ、この時は河口湖エクスプレスもあったしな。何なら池袋へ回送で入る運用は現行ダイヤ(執筆開始は令和6年10月20日)もあるのに、池袋エクスプレスすらないし。
でも今となると、結局それもしおさい号の255系を強引に置換えたかったからなんだろうと納得してしまう。減車、この1つだけはマジでゴミ。敢えて言うまでもなくカスである。どうせこうやって混んでいるからと利用客が離れることを狙い、次期房総特急も大した座席数のない遜色特急にでもするんでしょう。全席指定になってからも255系9両(544席)で代走していた一部特急はE257系500代5両(306席)より沢山の客が乗っていたこともあったのに。E259系の居住性は正直普通席の料金で乗るのが申し訳ないレベルで快適だからこそ、残念極まりない。しかし本当に悪いのはJR東日本ではなく、同社の減収を引き起こした中国・中国共産党である。新型コロナウイルスは中国の武漢で発生したのだから。

東京駅ではE2系はやて号に遭遇。これが当たり前だったはずながらも、実はE2系に残された最後のはやて号がこれだった。この半年後の改正でこの列車はE5系のはやぶさ号に格上げされて、E2系はやて号の定期運用は消滅した。E2系のううちJ70編成以降(当ブログでは後期車として扱っています)は実はE5系U1編成より後に作られているほか、E10系による置換え対象として名指しされているので、あと少しまだいてくれると信じている。

最後にサンライズ。また乗りたいなあ。この時は乗ったことがなかったが、大学2年生の2月(令和2年2月)と大学院1年生の5月(令和4年5月)に2回ほど乗った。次に乗るときは香川県高松まで乗れたらいいなと思う。四国にも行ってみたいし、会いたい人がいるから。でも高松に7時半って朝に弱い私としてはちょっとなあ…。
こんな感じで寄せ集めましたが、次回以降はもう少しちゃんと振返っていきます。原版を見つけられたものに関しては再現像もしていますので、何かしらのお役に立てたら幸いです。というか、多分ここに出てきた写真とそのエピソードに関しては大半を更に深掘りして記事にしていく予定ですので、是非楽しみにお待ちいただけたら幸いです。




