ひがなり雑記帳

自称青森県産千葉県人。京成とJR東日本が主食の撮り鉄・乗り鉄・呑み鉄のブログです。イコラブの推しも好きです。

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【特急踊り子・湘南】JR東日本E257系2000番台 全編成の記録  ~0番台の写真と思い出を添えて~

執筆開始時点で令和2年11月なんですけど、今月マジでカメラを一度も握っておらずなんかなあ…という感じです。この記事で取り上げるE257系2000代に置き換えられるであろう215系とか215系とか215系とか撮っておけよ、とは思うのですが、2年前のバルブ記事(ほぼ徹夜明けでフラフラで適当だったけど)やビューやま振り返り記事がアクセス数を稼いでくれたのでヨシ、としましょう。どこかでライナー撮れればねえ。

 

…という記事を書こうと思っていたのが令和2年11月、現在そこから丸5年。あんたちゃんと管理しなさいよと思いつつ、前にもそういうことはあったので仕方ない。そのバチとしてかは知らないが、大半を書き上げたらデータが飛んだ。嫌になりますよも〜。

メタい話はさておいて、E257系2000代全13編成の記録を0代時代にも一応はかじっていた私なりにまとめていきたいと思う。なお、0代時代・2000代時代ともに過去画リメイク記事については現在鋭意準備中。E257系や中央東線のファンの皆さんに楽しんでいただける記事を目指している(?)ので、そちらも楽しみにお待ちいただけると幸いだ。

 

 

 

NA-01編成(元M-101編成)

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7/29 NA-01編成NN出場

令和2年7月に長野総合車両センターを出場した元M-101、現NA-01編成。この記事を書いた頃にはすぐ出せると思っていたのだろうという画像詳細はさておき、表示が英字表記なのは残念。また2000代を撮って表示負けをしたらa part of 記事のlanguageがEnglishになるアレをやろうと思う。じゃあ撮りに行けよ。

それはさておき、同編成は令和3年春改正までは運用に就かなかった。ただし疎開対象えではなく、確か基本的に東大宮の車庫警備をしていたと記憶している。そのため、E257系には防カメ作動のシールが貼られているということになる。警備の腕章みたいなものだ。※全然違います

 

0代としては改造に際して唯一EF64形に牽引されたのも同編成だった(M-101編成時代だけど)。塩尻で立ち聞きした情報によれば、社員さんいわく車検切れのため同編成が自走できないという理由でこうなったとのこと。確かこの時は1032号機の不具合で明科で抑止されていた。

 

現役時代の同編成。私が初めて自分で稼いだお金で乗ったグリーン車(特急・新幹線・普通列車グリーン車すべてを含む)が同編成だったんだけど、いざ甲府から乗ってみたら発車してすぐ照明が落ちるわ編成内数か所のお手洗いが壊れているわで満身創痍だった(平成30年8月)のが見ていて気の毒だった。

 

 

NA-02編成(元M-102編成)

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検査期限の関係か、中央線での運用が終了した後もしばらく東大宮常駐という形で波動輸送に従事していた元M-102編成。一応最後に入場した2000代はこの編成。最後に改造を終えたのが最初に改造された元M-112・現NA-09編成なので、最後に改造された編成といっていいのかは不明だけど。2000代としては0代時代に唯一東大宮常駐で波動用輸送に充当された編成でもある。

なお出場時の特徴として、0代時代からの連結器カバーの装着を挙げることができる。踊り子・湘南・アルプス・あずさ等で撮られた方はご存じの通り、現2000代と5000代は基本的に連結器カバーがないので、地味にレアな形態となった。

 

M-102編成時代の同編成。0代としての活躍期間が長かったのでたぶん同区分の写真はこの編成が一番多いかもしれない。というか定期運用終了前から普通によく遭遇していた。こちらは平成30年秋に青梅ライナーに充当されていた時の写真。

 

平成30年4月~令和4年2月を甲府市で過ごした私だが、定期運用終了前最後の1年はこうしてお世話になることも多かった。今でこそ東京発着の中央線特急は増えたというのはさておき、こちらは東京21時45分発の特急かいじ121号(現57号)。当時四ツ谷にも停車していたというのはまた別の機会に書くとして、なんか夜に東京を出る特急って特別感があってよかったなあと思う。

 

NA-03編成(元M-103編成)

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秋田での改造第1号にして内装の残工事が発生して再度入場した他、その前に誘導障害関係をクリアしてからは総武快速線等での試運転にも供されていた編成。秋田改造組に関しては2500代・5500代を含めて一切その出場を撮ることができなかったので、そこが心残りだ。

 

昨年ようやっと編成で撮れた、といっても側面は薄い上にエキセンだからアレだけど。

 

甲府市内の大学に進学する前の高2の頃に旅行で訪れた同市内でも撮ってはいたが、同編成は0代の頃も2000代の頃も何故かそこまで遭遇できなかったのが残念。確か平成30年6月末を以て運用を離脱していた編成だったということもあるのかもしれないが。

 

 

NA-04編成(元M-104編成)

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湘南として走ったあとの折返し回送電車

令和元年10月に長野総合車両センターを出場。2000代のうち長野改造では3本目にして、自走で出場してきたのはこの編成が初。出場ののち、記憶が正しければ大宮かどこかを経由して幕張に疎開、令和2年3月の同区分運用開始時にNA-08・NA-13編成共々一部のスーパービュー踊り子号を置換える形で営業運転を開始した編成。

 

出場は授業の関係でこれしか撮れなかったのが悔やまれる。せっかく甲府到着前はフル点灯ハイビームだったのに。

 

…あとなんかよく遭遇する印象の編成でもある。参考までに藤沢で撮ったこの湘南にはそのまま乗って酒盛りをすることもできた。朝の通勤特急で飲む酒はなかなか美味しかった。湘南もまた撮りに行きたいものだ。

 

0代時代の同編成。平成31年3月改正を前に一時的に東大宮に回送されたという話を聞いたこともあるのだけど、当時短期留学で台湾にお邪魔していた私がリアタイできる訳もないので、突っ込んだことを書くことができないのが残念。いや、短期留学は本当にいい経験になっているので全然結果オーライなんだけど。

 

 

NA-05編成(元M-106編成)

秋田で改造されたのち一時的に疎開場所が長野だったり新潟だったりと忙しい印象の編成だったが、結果長野疎開に落ち着いていた気がする。先述の通り私が甲府に住んでいたうちの1年である令和2年度を中心にE257系2000代一部編成の長野疎開があったので、ありがたくそのおこぼれを頂戴できていたのが大変美味しいことだった。また、長野疎開組としては最後まで長野にいた編成だった。そのため、運用開始は令和3年改正となる。

 

令和6年にはアルプス・あずさとして里帰りも果たしていた。これは同区分の運用の見直しで1編成程度が波動用に充当できるようになったのもその一因だろう。ただ5000代は知らないが、2000代は山岳線区走行のために0代時代に搭載していた死重と発電ブレーキが撤去されていると聞いているので、現場からの評判に関しては気になる面もある。それはそうと、5000代を含めて計4編成を波動用として使える今は、M-102・M-105・M-107・M-111の4編成が東大宮常駐で波動用として活躍していた頃を思い出すようでなんかエモいかもしれない。

 

M-106編成として活躍していた時の写真。タイローはもう仕方がない。付け焼刃で取りに行った簿記検定を終えてその足でバルブをしていたあたり、救いようがない。この時は215系ホリデー快速ビューやまなし185系はまかいじ・211系ローカル等も撮ることができて美味しかった。当時の記事もあるものの、この辺に関しても改めて焼き直している気がするので、来年以降みなさんにもお楽しみいただけたら幸いだ。

 

NA-06編成(元M-108編成)

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湘南にフル区間乗ったときのやつ

唯一J-TRECで改造されて、一時期は塗装だけ0代の2000代というド変態仕様になっていたレジェンドと化した先輩がこの編成。自称E257系パパラッチとしてはあれを抑えることができなかったのが今でも悔しい。塗装を除いた各種改造をJ-TRECで行った後に結局は秋田総合車両センターに配給されて現在の姿になった。推測の域を出ないが、あのペニンシュラブルーの塗料が特殊で長野・秋田で塗りたいというJRさんの意向もあったのではないかと推察する。

 

M-108編成時代の写真を1枚。長坂カーブで撮っていた。やはり見慣れた0代が恋しいが、2000代になってからの写真が壊滅的かつ絶望的にえげつなく少ないので、これは近いうちに撮りに行く必要がありそうだ。なお武田菱とも呼ばれるこの塗装に関しては、E653系1000代よろしく何かしらの形でリバイバルをする場合に実現する可能性もある…ということに期待をしたい。2000代NA-06編成としては令和3年の改正から運用に就いた。

 

 

NA-07編成(元M-109編成)

この編成も秋田での改造だった編成。特にこれといったニッチなエピソードはないと思うが、どういう訳か2000代になってから嫌われたか出禁を喰らったかを疑うレベルでなかなか遭遇しないのが残念な編成。いや撮る機会が少ないから仕方ないとは思うけど。この編成は令和3年2月が2000代として初の客扱いとなっていて、大半の編成より少し早く営業運転に就いている。出場は令和2年2月。

 

M-109編成としては平成30年6月末に運用を終了していて、私が知る限りではそれ以降0代としての客扱いをしていなかったと記憶している。尾久や新潟への疎開を経て、秋田総合車両センターで改造された。私個人の思い出としては平成28年に初めて乗った思い出の編成でもあり、甲府市民となった平成30年6月頃には車両間の仕切り扉のセンサーが職務放棄をしてしまった関係で1分ほど車両連結部に閉じ込められた思い出の編成でもある。あれは控えめに言って焦った。

 

 

NA-08編成(元M-110編成)

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秋田での改造後の試運転で発煙したため出場が延期になったこともありましたって当時の俺が書いていた。そういやそんなことあったなあ。SL踊り子って訳だね。同編成は令和元年秋に秋田を出場後、NA-04編成同様に令和2年改正から運用に就いていた。この写真も令和2年7月の撮影なので、まだ3編成しか客扱いをしていなかった頃のものとなる。この頃は踊り子にもまだ自由席があった。

 

湘南として恵比寿で撮った同編成。7月末でもノイズが厳しく、下り湘南は撮影のハードルが高いのが難点。また2000代全体に言えることとして、特に平日だと湘南の本数の方が多いので、あずさ・かいじ等中央線系統に充当されていた0代時代よりいささか撮りにくく感じないこともない。

 

M-110編成時代の1枚。平成30年6月末で一度運用を離脱していたものの、M-111編成が検査で長野に入場するために代車というかたちで一時的に運用に復帰していたことがあった。

 

これがその初日のもの。当時の臨時あずさ55号(白馬行)でおよそ1か月の間、中央東線に帰ってきていた。自慢でも何でもないが、これをいの一番にすっぱ抜いたのはこのブログで、それに限らずE257系もまた当ブログが成長するきっかけになった車両でもある。

 

また、同年9月には臨時快速のムーンライト信州92号に充当されていたこともあった。甲府は1時半ごろ発、新宿には朝5時半前の到着で、山梨市でのバカ停こそあったものの、遠征に使うには最適な時間帯の設定だった。私も当時住んでいた家でシャワーを浴びたその足でこれに乗って都内でのライブに突撃したのを今でも覚えている。

 

 

NA-09編成(元M-112編成)

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2000代への改造第1号にして残工事だらけで配給された面白担当だったNA-09編成。ペニンシュラブルーや5000代の緑も綺麗で好きだけど、この塗装もこれはこれでシンプルかつ似合っていて正直かなり好き。E257系のコンセプト「シンプルさの中のくつろぎ」を身を以て体現していた訳だね。

先述の通り、出場時が短期留学と被っていた関係でそれを撮れなかったのが未だに残念。

 

残工事も終わり、2000代としては最後にNN出場した時の同編成。連結器カバーなかったんだね。

残工事が生じた同編成に関する個人的な推測なんだけど、他の2000代とNA-09では座席が異なるように見える(現時点では乗車できていないので、他編成と同じ可能性も充分にあります)。また屋根のパッチワークがなく綺麗に修繕されているため、もしかすると計画当初ではもう少し257の改造に手をかけるつもりだった可能性がある。いや別に2000代が手抜きだと言いたいわけではない。

ただ、皆さんもご存じの通り結果として残工事が発生するぐらい無茶なスケジュールを本社が押し付けた以上、本来はもっと修繕できる場所を端折って改造する羽目になった可能性もあるのではないか?というのが私の推測だ。まあ、内部情報を教えてくれる「俺のダチ」はいないので、真相はわからないけども。その謎を解明すべく、我々調査団は代々木2-2-2の奥地へと向かった。※向かってません。東の本社でリットン調査団ごっこでもする気か。

 

0代時代はM-112編成として活躍していて、平成30年6月末で運用を離脱していた。確か国府津にも疎開していたと記憶している。同年9月末に長野総合車両センターに回送され、結果として2000代最初の編成となった。なお、残工事も含めた改造が完全に終了したのは令和3年2月末(1枚前の写真)。そのため同編成が2000代として運用に就いたのは大半の編成同様に令和3年春改正以降となる。

 

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長野総合車両センターにて改造を待つクハE256(11号車)。平成30年10月の長野総合車両センター公開イベントにて撮影していた。

個人的な思い出を書くと、私が大学進学にあたり甲府市に引っ越したのはこの編成のかいじ115号(東京始発、新宿16時半発)だったという思い出もある。その辺はまた別の記事で書くと思うが、座れたから全然いいとはいえ、総武線内人身事故の影響とはいえ乗りたかったE353系スーパーあずさ23号(新宿16時ちょうど発)に乗り遅れて、東京始発の特急に新宿から乗ったのも無知丸出しで懐かしい。

 

 

NA-10編成(元M-113編成)

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こちらも長野で改造された車両で、長野改造組としては初めて完成状態で出場したのがこの編成。ただしこの令和元年6月末時点では誘導障害の件をクリアできていなかったため、このように前回のNA-09編成に引き続いてEF64形での配給輸送という形を採っていた。先述の通り次回NN出場はNA-04編成の自走となっているので、少なくともNN出場において完成形・ペニンシュラブルーの2000代が配給されたのはこれが最初で最後だった。

 

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およそ1年後に同じ場所で撮ってんじゃねーよって話だけど、令和3年の改正前に突如長野に回送され、それから1年ほど疎開先の長野総合車両センターと所属先の東大宮センターを数カ月おきに往復していた。所属先に戻るのは機能保全検査のため。

2000代仕様のROMに回収されていない編成はどういう訳か中央線内ではこの通り回送であっても無表示で運転されていることが大半で、少なくとも私が撮ってきたのは全てがそう。一方で律儀に回送表示をしてくれたのはROM更新後と思われる緑文字のものばかりだった。これは私の仮説にすぎないのだが、何らかの理由で旧ROMの編成では回送表示を出さないという通達か何かがあった可能性がある。もっとも、東海道線方面では旧ROMの回送や試運転の目撃もあるので、JR全体としてという可能性は否定するが、中央線方面だと何かしらも決まりがあった可能性、または乗務員さんが2000代仕様の設定に対応していないので無表示としていた可能性も微レ存?

 

0代時代の同編成。平成30年6月末以降(今更ですが、E353系があずさ・かいじ運用に進出した頃ですね)を過ぎても一時期は運用に就いていたものの、どういう訳か8月頃?に運用離脱。幕張に疎開した後に平成31年1月ぐらいだっけ?長野総合車両センターに入場、先述の通り令和元年6月にNA-10編成になった。疎開関連の話もした通り、令和2年改正時点では運用に就くことはなく、翌年の本格的な運用拡大から東海道線特急に充当されるようになった。

 

 

NA-11編成(元M-114編成)

元M-114編成だったのがNA-11編成。平成31年3月改正での運用離脱後は長野に疎開、そのまま長野で改造された編成。令和3年度は疎開先の長野と所属先の東大宮を往復してくれていたのでこうして当時甲府市民の私もありがたく写真を撮ることができていた。あざっす。

 

この編成も令和3年の運用拡大までは客扱いはせずに長野と大宮を往復していた印象。結果として特急アルプス・およびその返却を兼ねた特急あずさとして中央東線で撮る機会こそ復活したとはいえ、定期的に運転されるこの手の回送を甲府エリアばかりで撮っていたのは今になって後悔している。

 

M-114編成時代の1枚、つってもわかりにくいけども。257(にーごーなな)の竜王かいじが定期で生きていた頃の撮影。竜王もだし4年近く私の最寄りだった甲府もだけど、駅メロが変わってしまったのが残念。いや、東線系統のIKSGシリーズ、いやIKSTシリーズは好きなんだよ。いい曲だと思うんだよ。でも甲府だけは変えないでほしかった。

 

石和温泉で撮った1枚。定期運用終了前の撮影だが、撮影者は僕しかいませんでした…何がいけなk(以下略)。当時の下り最終特急あずさ35号として撮っていた。フル点灯ハイビーム最高。

185系(一部は251系だけど)の後継として2000代がデビューした時は非難轟々代々木にGOだったE257系だけど、今ではファンも増えているようで何より微笑ましいことだと思う。その中にはマウンティングをしないと死ぬ病気のバカもいて、俺にマウンティングをしてきてたものだった。そういうアホへの対処として一番いいのはマウンティング返しで、私も0代の写真で何回もそれをした。Foo↑気持ちいい~。好きな車両でそんなことしたくないけどさ。

 

NA-12編成(元M-115編成)

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おっと

非鉄の野暮用(デート)で利用したあずさ3号でダラダラしてたら上諏訪で出場とすれ違ったのがこのNA-12編成、元M-115編成。何も知らなかったのでこれしかない。内部情報を教えてくれる「俺のダチ」がいたらあずさ1号で先回りして撮っていたかもしれないが、もう5年以上も前のことだし今更だ。

 

この記事を書き始めた時は知る由もないが、令和5年にメンタルの全損事故を起こした私が当時大学院生として住んでいた名古屋から戻ってくる際、小田原でひかり号を降りて1時間程度だが踊り子でお世話になったのもこの編成だった。M-115編成として撮っていた頃はそんなご縁があるなんて知ったことではなかったが、雪が舞う中を2000代で酒を飲んで移動するというのがなかなかいいものだな~と思い、心の傷に響いたのを覚えている。その節はありがとう。

M-115編成時代の写真はどれにしようかと思ったが、せっかくなので中央ライナーの写真でも貼っておこう。同編成もこの写真の数か月後に長野疎開組となり、2000代として踊り子・湘南に充当されるのは令和3年春改正以降だったと記憶している。2000代とは無関係だが、中央線快速グリーン車のサービス開始でこの中央ライナー及び兄弟の青梅ライナーの後継となった特急はちおうじ・おうめを廃止した件については、各方面からどのような意見・反応等が出ているのかについては良くも悪くも気になる。

 

 

NA-13編成(元M-116編成)

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これで2000代は全編成コンプリート。令和2年3月改正から運用に就いてて、何なら改正初日にパパラッチ代表で突撃したら数日前に見送って寂しくなるな~と思っていたコイツが来やがった。腐れ縁かな。今後ともよろりんこ菊地凛子だ。これは改正初日の撮影。

 

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前年は長野総合車両センターにて改造中の姿を撮ることができていた。どう見ても0代だったものの、編成番号がNA-13となっていたことで当時の運用体制・2000代への改造済編成の付番等に鑑みても波動用が3編成になるんだな~と想像していたのが懐かしい。これを英検準1級試験の前日に撮っていたあたり、クソ大学生だと思うけど(この写真は令和元年)。いや受かってもだよ。

 

0代としてはM-116編成として活躍していた編成だった。改正後は一旦長野に回送の後に新潟に疎開していたと記憶しているが、いかんせん撮っていないのでその写真を貼ることができないのが悔やまれる。

出場回送

令和2年3月2日に長野から東大宮に回送された。改造自体は数か月前に終了していたのでこれを出場と書くべきか疎開返却と書くべきかは不明ながらも、NA-13編成として出てきたのは初だったし連結器カバーもあるので、出場ってことにしておこうと思う。

 

再び0代時代の写真。こちらは千葉あずさことあずさ3号として撮った写真。

 

ウケる(笑)。これが嫌がらせでのハイビームなら構わないが、この乗務員(平成30年12月24日に4053Mを船橋場面で担当していた運転士)はあろうことか、私のTwitterを特定して中傷してきたということも書き添えておこう。IDまでは出さないが、しかしこうして記事になり永遠にオモチャとなるリスクも知らずに。動免ってそんな簡単に取れると思わないけどねえ。この件に関しては来年以降改めて公開予定であるので、その際にも改めて言及していく。こちらはメアドも公開しているのに何のアレも来ないので、今後とも本件をネタにするスタンスは崩さない。謝罪が来たら考える。考えた結果によってはソイツのTwitterのIDを開示してネタにする。考える内容とは(笑)

 

なお、0代のうち定期列車として最後に乗ったのもこの編成だった。その節はお世話になりました、まあ寝落ちしていたけれど。何の偶然か、2000代として最初に乗ったのも現NA-13編成であるこの編成だった。E257系に乗る最後の日は考えたくないし末永く輝いていてほしいが、いずれまたNA-13編成としてお世話になることができる日を楽しみにしている。※もっとも、千葉県民が2000代に乗る機会となるとかなり絶望的です

 

 

 

という訳で、2000代現13編成との思い出も交えたこの記事もここで終了です。ここまでのお付き合い、ありがとうございました。本当は不遇に消えたE257系0代付属編成5本あたりも「よし、じゃあぶち込んでやるぜ!」しようかと思ったんです。でも私の悪い癖で好きな電車ほど語ってしまったせいでかなりの字数になっているので自重します。既に付属編成のそれは出していると思いますが、それ以外にも当ブログに現存する記事や来年以降の過去画回でバンバン取り上げますので、そちらもお楽しみいただければ幸いです。

 

185系と一部251系の代替として東海道線特急に転用されたE257系2000代ですが、当初の不評自体は今でも残っているのかもしれませんが、今日も頑張って活躍してくれています。既にJR東日本さんの特急車両としては比較的経年車となっていますし、現在の運用範囲と所属がそれぞれアレなので、5年後は安泰でも10年後にどうなっているかはわかりません。

新幹線と在来線特急を一概に比較するのもナンセンスかもしれませんが、E2系1000代のうちWiFiを設置して数年で廃車となった編成もいれば同時期に活躍していたE4系Maxは最後までそのような動きがありませんでした。湘南はまだしも、公害として我々日本人にとってのゴミでしかないインバウンド需要を拾っているであろう踊り子に充当される同系列で未だにWiFiが設置されないのが未だに気になります。どのような結末に転ぼうと悔いのないような記録をしたいと思いつつ、とりあえずまずは新記事でE257系2000代を取り上げる方が先ですよね…。センセンシャル。精進いたします。

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