HDDを整理していたところ、この記事の続きの写真が公開されていないことが判明(多分)。
なのでこの記事からの抜粋も併せて、新しく書いていきますね。
5年前の10月のことなんだけど、高校時代からの親友と大回りをしていた。これはその時に新子安で撮った185系踊り子号。ここから更に2年半は定期運用があったほか、そもそもJR東日本の特急車両が足りなさ過ぎて今でも一部編成が現役なのはご存じの通り。
1時間後のスーパービュー踊り子号も撮っていた。251系乗れなかったのが残念。ビューアテンダントさん、ホームで見ているだけでもプロの矜持が伝わってきてかっこよかった。なお先ほどの185系踊り子とは違い、撮影者は我々だけでした(笑)。
ここからは未公開記事(多分)。どこかで重複していたらごめんなさい。
当時のダイヤと先日の改正前のダイヤで号数が違うかもです。ごめんなさい。こちらは東京から乗車した京葉線各駅停車の通過待ちで撮影。まさかこの頃は通勤快速が廃止されて、ラッシュ時の快速もなくなるなんて思いもしませんでした(笑)。
混雑の平準化(失笑)を建前に快速が廃止される次の路線はどこになるのでしょうか。中央線ですか?埼京線ですか?E235系1000代が黄色で出てきたら総武快速線かもね。レッツ運試し!総武線になるのであれば、緩行線のみホームがある各駅にホーム作ったりしてね。ブフォ(笑)
続いて南船橋ではE257系500代のわかしおも撮影。5連でも収まってよかった。E257系500代、いい加減機器更新等はしないのだろうか。改正で運用が減ったのはそれも見越している気はしつつ、車齢が若くないことを考えるとこのまま使い倒す可能性もあるかもしれない。長生きしてクレメンス。
この頃から既に武蔵野線にもE231系がいたんだったね。確か初めて見たのは高3の3月だったかなあ、新鮮だったけど程なくして僕が千葉を離れたから当時はあまり見ることができなかった。この年度も長野総合車両センターで改造したE231系の出場は普通にあったけど。
懐かしいなあ、武蔵野線の205系。武蔵野線といえば205系だった。廃車解体を免れて海外で活躍している訳だが、どうか向こうで大切に扱ってもらい、末永く頑張ってほしいと思う。
詳細はもう覚えていない。ただ、たまたま撮影できたのは事実だと思う。M51編成とM52編成は原形顔ながら5000代ではないのがポイントだったね。原形顔なのにシングルアームパンタグラフだったり、出身の路線の関係でドア窓が大きかったり、そして武蔵野線205系のうち原形顔なのに界磁添加励磁制御だったり、とにかく面白い編成だった。
そこから津田沼へ移動し、今度は新宿さざなみを撮っていた模様。
そうだ、そういえばこの頃は新宿さざなみがE257系500代で新宿わかしおが255系だったね。いつからか逆のことが多くなり、またE257系9連も充当されるようになった。この頃では考えられなかったというか、この頃からそんなに時が流れていることの方がクリビツテンギョー。
いつも書いているけど、その間ロクに成長していないもんで(笑)。ただこの時の私は19歳だったので当然酒もタバコもできなかったけど、今ではそれができるので、これは唯一の成長と言ってもいいかもしれない。ハハハ。
この頃はまだE235系1000代の投入が発表されて間もないころだった。本当、この頃に戻って色々とやり直したい。11連は乗る分にはクソだけど、基本編成を総武快速線上りで撮影できるという意味ではヨシ。
どうやらこの日は新宿さざなみが2往復運転されていた模様。最近だと繁忙期しか見られないからつまらん。平成30年のことなので、E257系の2500代や5500代への強奪改造はまだ行われていない。また豊田常駐の3編成も通常塗装だったこともあってか、こうして見ると車両数に余裕があったんだなあと思う。余裕があった方がいいよね。ちなみに写りこんでいるのは親友なので全然気にしていない。
なおこのNB-07編成は平成30年度には中央東線の臨時特急等にも充当されたほか、画像の通り臨時列車での運用が多くなっていた。のちに改造され、現在では2500代NC-32編成として修善寺発着の踊り子・湘南・草津四万・あかぎ等で幅広く活躍している。
またしても11連とは、撮る分には大変ありがたい。流石は気配りのできる会社、JR東日本。私は今も昔もJR東日本を心から信頼しています。え、なんで笑ったんですか(笑)。
改正前日=255系しおさい定期最終日の銚子行最終のしおさい11号だけでもすごい黒山だったほか、総武線ホーム発の定期最終となったしおさい13号では知恵遅れのキの字がセルフ出発式をやったという255系です(笑)。この時も我々だけで美味しくいただきました。ごちそうさまでした(笑)。結局255系すべての5編成をフル点灯で既に撮影したとはいえ、少なくとも6月までは定期運用が残るのであれば、更に写真を増やすことができればいいと思う。まだまだ乗りたいし。
以上が5年前の秋の大回り。お付き合いくださった親友氏には改めてありがとう。持つべきは友だと心から思う。内房線方面へ帰る彼を見送り、京成の津田沼まで歩いて帰宅したような気がする。京成津田沼~JR津田沼って歩くと10分少しぐらいのイメージだけど、高3で予備校にも通わせてもらっていた時にはよく歩いていたので全然苦ではない。予備校まで通わせてもらって都内の私文全滅した馬鹿は私です(笑)。
余談。というか、次の日の話。
翌日は月曜日。1年次の後期は確か2限目からだったかな、というわけでギリギリまで実家で過ごしてから朝の総武線と中央線で佐倉から甲府に登校*1。♰ガキがいっちょまえに特急に乗ってイキってて草♰(笑)。マジでウケる。Twitterでそういう因縁を付けてきた総武快速線運転士はお亡くなりになりました。ご愁傷さまでした。平成30年12月23日の4053Mを千葉から担当していたことは存じ上げております(笑)。
東京まで「しおさい4号」、そこからは中央快速で新宿へ。ちなみに当時の4004Mは10連での運転だったが、指定席車両に車いす用座席が含まれていたのでトクだ値35(死語)でそこを確保して、♰ガキがいっちょまえに調子乗ってました(笑)♰。もうそっとしておいてあげなよー。でも隣がいないのはやはり快適だよね。
なお4004Mですが、自由席を中心に無札で乗ってきて朝から偉そうにふんぞり返って車内で特急券を買う不届きなバカリーマンで大盛況でした。確か4004Mは佐倉運輸区の車掌さんが改札要員含めて3~4名ほど乗務されていた気がするけど、本当に大変だったかと思います。
しかし令和6年春改正による房総特急の全席指定化を前に、こちらのクソリーマンの皆さんもご逝去あそばせました。オホホ。お悔やみ申し上げますわ、オーッホッホッホ。うるせえよ記事進めろキモータヒッキーが(笑)
斜めでスンマセン。新宿からはあずさでガキがいっちょまえに以下略。まじでウケる(笑)。客に中指立ててニュースになっても処罰ないらしいもん、そりゃ大半がまともな方とは言えども、中にはそうやってTwitterでケチ付けるのもいますよね。フフフ。
で、当時の新宿8時30分発は松本行の特急あずさ7号でした。平成31年春改正でかいじ+回遊1号に変更された列車でもあります。東京まで中央ライナー、東京から回送、新宿から客扱いという具合だった。車内清掃の都合だから致し方ないけれど、東京から乗れたら楽だったんだろうなあ。あの線路容量じゃ仕方ないけれど。
ところでまもなく中央線快速電車ではグリーン車がデビューするけれど、東京での折返しが最短2分で間に合うのだろうか。
こちらも無論トクだ値35です。自由席の混雑が嫌なのと、何よりも「「「卍いっちょ前に特急乗ってるガキ卍」」」なので(笑)。死ねば仏って言葉、ジャニーズ信者と同じぐらい嫌いです。
ガキながらに(笑)バイト代を削って特急で帰省するときは、あずさ回数券やトクだ値にはお世話になった。この日は車内販売で信玄餅アイスを購入。眠い目をこすりながら甲府で降りてそのまま授業に向かったのを覚えている。
いつかの記事でも書いたけれど、学部1年の私って我ながら真面目だったんだなと思った。学部3年からコロナ禍によるオンライン授業だったけど、オンライン授業に何をするかといえば酒を飲むかベランダでタバコを吸うかブログを書くか一旦退出して近場で電車を撮るかだったもの。あと当時の彼女さんと電話してたこともあったな、ハハ。PCのカメラが壊れたことにして、ガムテで塞いで絶対に顔出しできないようにもしていた。それは単に自分がブスだから見たくないって理由だけど。
オンライン授業のさぼり方はさておき、今思うとE257系500代と0代を乗り継いで通学で来ていたのはなかなか贅沢だったと思う。既にしおさい4号は5連での運転、またあずさ7号というかE257系0代自体がまず現存しない。なんかそう書くと寂しいけれど、これからの記録も頑張りたいものだ。
ご覧の通り10号車のものだけど、E257系0代は号車毎のステッカーのイラストが可愛くて好きだった。もうこういう個性的な特急車両って見られないのだろうか…もっともE257系自体は汎用性の高さもあり、だからこそ彼らの今があるのも事実だとは思うけれど。
長くなったがこの記事はこれにて終了。5年前ってか5年半前なんだよな、あっという間だよ本当に。まだ24歳だけど、なんか20代になってから時間があっという間に過ぎていくように感じる。そうしてさっさと死んでいくんだろうなあ。
*1:当時は山梨の大学に通っていました