#1と#2をお読みいただいた後にでもご覧いただけると嬉しいです。
M-112編成→NA-09編成
バルブで表示負けすんなって話だけど、この編成は0代から2000代に改造された一番最初の車だ。
平成30年夏改正で一部あずさ・かいじにE353系が導入されたタイミングで運用を離脱。疎開ののち長野総合車両センターに入場した。私事だけど山梨に引っ越す際に乗ったということもあり、思い入れのある車両。そうなんだ。
皆さまご存じの通り、なんかよくわからない感じで出場。肝心の初回出場は留学中だったので撮れなかったけれど、まあでもそれから1年半して撮れたからいいや(笑)。この塗装もなかなかシンプルでかっこよかったよね。
#1で書いたM-102編成の後に唯一長野から出場したのがこの編成。それを縦で撮ってどうするってのは当時の私にきいてもらうとして(ごめんなさい)、最初で最後に改造された編成ということでいいのかな。
今では普通に活躍している。ただ個人的に気になるのは、初回改造の車ということで、実は他編成とは内装に差異があるのではないかという気もしている。実際は知らないけどね、まだ新しくなってから乗れていないから。
何はともあれ、山梨に送り出してくれた車の旅立ちを撮影できたのは本当によかったと思う。これからもがんばってね。
M-113編成→NA-10編成
例の平成30年夏改正で運用を離脱したと思ったのだけど、なんか運用に復帰していた印象。幕張に疎開していたこともあったっけ。0代時代に立川から船橋まで乗った時に、乗車口で因縁をつけてきたクソリーマンはお亡くなりになりましたのでご冥福をお祈りします。当時は平成30年でしたが、新元号どころか中央線特急の全席指定化すら見届けられなかったか…ウケる。ああいうのって何で自由席に無札で乗って偉そうに車急券買うんだろうな。バカだからか。何が死ねば仏だよ(笑)。
その時に乗ったのがM-113だったんだけど、なんか横揺れが大きかった記憶がある。当時は未成年だったから当たり前とはいえシラフで乗っていたけど、それでも覚えているので多分そうだったんじゃないかな。
このブログではJR東日本の全席指定化は元から賛成しているほか、自由席無札幼卒リーマンに関しては常々ご冥福をお祈りしております(誰が祈るかバーカ)が、減車はやめてほしいDEATH。それはいいとして、M-113編成も無事に改造されています。
長野総合車両センターでの改造第2号。この時はまだEF64牽引でした。懐かしいなあ、もうそろそろこれから5年ですよ。その間なんも成長できていない私は以下略
この配給輸送前日にお声かけくださったヲタク氏、当日にお誘いしたらお越しくださったヲタク氏、今でも本当に感謝してる。その節は本当にありがとうございました。
余談だけど、この自走は配給から1年弱ほどの日の撮影。185系定期運用終了まで定期運用に入らず、疎開等を繰り返していた。懐かしいなあ。ROMの関係なのか、当時は2000代でも編成によって表示の有無があって楽しかったのも懐かしく思い出した。令和2年、コロナ禍の撮影。もう4年前だけど、あの頃は色々と楽しかったものだ。
あいにく踊り子や湘南での撮影ができていないが、これからの時間も大切にしていきたい。この時の疎開回送?機能保全の返却回送?は、確か大雨で遅れていたんだっけか。人生には悔いしかないけれど、自分の人生の傍らにこうして(E257に限らないが)好きな車両がいるのはいいことだと思う。
M-114編成→NA-11編成
アル中なので記憶が曖昧だけど、この編成もE257系定期運用終了まで残っていたと記憶している。逆に一時期は東大宮にいたM-105かM-107編成が定期運用終了直前で特急数本をやったなんて話もあったっけ。代わりにM-104が一時的に離脱していたような。違ったらすみません。
今こうして書いていると、E257系0代が懐かしい。あの走行音と武田菱モケットと酒しか勝たん。成人してから乗った0代は数えるほどだけどね(笑)
もう二度と原形の0代ハイビームを撮影できないのが悲しいけれど、大学1年次の1年足らずで沢山の思い出をもらったのは忘れられない。無論房総の500代も大好きなんだけど、それまでご縁が薄かった0代も好きになれたあの1年は趣味的には無駄ではなかったと思う。知らんけど。
E257系って183系のようなオールマイティさを持った車両だと思うんだけど、それを今でも存分に発揮している姿も好き。個人的にはE257系各番台の置換えとして、同じような汎用性を持った新型特急が製造される気がしている。それはそれで寂しいので、記録は今のうちに沢山増やしたい。
改造後も疎開関連で比較的多く中央線に来ていた印象。なお写真は定期運用入り前の疎開関連しかないのでヲタクやめますわ。
やめねえって(笑)
先月千葉に帰ってくる際に小田原から東京でE257系踊り子号に乗車したのだけど、下田編成がNA-11だった。折しも関東地方では雪が降っていて、あずさ時代に想いを馳せながらひたすら酒を飲んでいた思い出。荒み傷んだ心で帰ってきた(被害者ヅラすんな)けれど、小田原からの1時間弱とはいえ、あの時にE257系に乗車できただけでもだいぶメンタルが回復したのは事実。キモータ童貞ヒッキーなので。君がいい、なんてなかなか言えないよね。脳内BGM:青春“サブリミナル”
また会いましょう。何かあれば俺が洗車するからな!←できねえよ
M-115編成→NA-12編成
松本方11号車のLEDがよく壊れていた印象がある。それは後述するとして、やっぱ0代は本当にかっこいい。もっともっと撮りたかった。
つってもまあ左上の一部がアレだっただけなんだけど(笑)
この編成はそこそこ遭遇率が高かったっけか。ハイビームの写真があるだけでもう妥協だね。いわゆるピン電かもしれないけれど、日々の記録の大切さを教えてもらった気がする。#1から連続で記事を書いていたら外が明るいので、そういうそれっぽいことを書く前に人間らしい生活リズムで生活してほしいんですけどね私には。
中央ライナーでも撮影できたのは良い思い出。なお既出のM-114編成とこのM-115編成は、改正での運用終了後は長野総合車両センターに留置されたのちに2000代へと改造されている。
今でも仲良くしてくださっている兄貴分ともいえるような某オタク氏と知り合った時にはこんな写真も撮っていた。E257系を撮りにいかなかったらその方とつながることもなかっただろう。
踊り子で頑張るNA-12編成にもまた会いたい。ちなみにこれはいずれかのタイミングで池袋踊り子を撮ったのちに新宿の喫煙所で一服する前に撮ったんだと思う。あのホームの喫煙所は最早ふるさと。タバコ吸いてえな~~。脳内BGM:ふるさと うさぎ美味しまろやか~~~
M-116編成→NA-13編成
本来は付属編成までまとめたかったのだけど、E257系大好きマン(オエ)なので思いのほか長い記事になりそう。なので付属編成に関してはまた改めて記事とする。
先ほどのM-115のサロハもだけど、この編成は大宮所属じゃないのに塗装の剥げが特に痛々しかった印象がある。
一度ちばあずさで乗った時に嫌がらせ+Twitterでの中傷をしてきた千葉運輸区の運転士もいたけれど、お亡くなりになりましたのでご冥福すら祈りません。で、この時は私が留学する前の最後のあずさ35号撮影だったな。最後にこうしてバルブできてよかった。
ガキ(笑)がいっちょまえに特急乗ってさーせんした。もうその辺にしておいてやれ(笑)。ご意見があれば是非ともTwitter(higanari6618)にご連絡をお待ちしております。貼ってるメアドは機種変したらログインできんくてさ。あは。
これは長野総合車両センターで改造中のM-116編成。既にNA-13の表記が見えるね。令和元年公開では貴重なものを見せていただきました。次の日が英検準1級の試験だったのに何遊んでるんだYOって思うけど、受かったしまあ時効ってことで。
令和2年3月、改造を終えて新天地へ。これからも頑張ってね、応援しています(当時のわたすのコメンツ)。脳内BGM:カワルミライ
数日後の改正でしっかりデビューしてくれました。またおまえか!でも嬉しかったなあ。
この日は都内での所用等を済ませて、大回りで無理やり乗ったのもいい思い出だ。
この通りね。新宿で215系と並ぶことが長くないかもしれないとは思いつつ、池袋踊り子が臨時化されるとは思ってもみなかった。あれから4年、何も成長していない私はry
本来であれば3分割にしたかったこのシリーズなんだけど、長い。この続きは必然的にE257系0代付属編成だったり500代だったりすると思う。とりあえず、次はそちらでも記事を書いていくことができたらいいなあ。頑張ります。末筆ながら、この一連の記事でお亡くなりになった皆さんのご冥福をお祈りしません。いや、しろ(笑)。
人として終わり散らかしている私に冥福を祈られた方々はいいとして、E257系ファンの皆さんにお楽しみいただけていたらそれ以上のことはない。ではまた。