ひがなり雑記帳

一瞬を永遠に残したいという建前の写真と独り言。

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【京成本線】追悼・日中の本線特急

先日のダイヤ改正において、京成電鉄では日中時間帯に上野~成空を結んでいた特急の運転を取りやめました(その代替として、上野~佐倉の快速として運転しています。またこれに伴い上野~うすいのローカルの一部は津田沼発着となりました。上手い)。

上野や日暮里等から成田空港へ安く移動できる手段として、若者から外人まで老若男女どころか人種を問わず利用客に愛されてきた?日中の本線特急につきまして、撮り鉄かつ元京成ユーザーの私が写真とともに振り返ってみたいと思います。たぶん記事が終わる頃には振返りになってねえじゃんってセルフツッコミができる気がします(訳:この記事も適当に書いています)。

 

 

1.ぼくが知り得る本線特急の歴史

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平成14年に白紙大改正があったらしい(けど当時3歳だったので知りません)ですが、それ以前からも本線の速達列車として上野~成田空港等を結んでいました。一時期はエアポート特急なんてのもあったのは皆さまもご存知のとおりです。

 

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平成18年12月10日のダイヤ改正では、京成電鉄で初めてとなる「快特(現在の快速特急)」が設定されたため、本線系統でライナーを除いた最速列車としての座は快特に譲りましたが、基本的に日中は上下線ともに引き続き特急が運行され、ライナーより廉価な移動手段として輸送の使命を果たしていました。

次の転機は令和元年秋改正でしょうか。それまで日中ダイヤでは設定されなかった快速特急が一部本線特急を置換えたため、また成田折返しとなったため、成空発着の特急は本数が減りましたね。蛇足ですが、その分ライナーが20分おきの運転となったどころかそのためにSA開業から9年の時を経てAE9編成を増備したのは京成さんのやる気を感じます。

コロナ禍でいろいろあったのは書くまでもありませんが、前述のとおり、先日の改正で突如京成電鉄の特急のうち日中時間帯に運転されていたものは全て快速となりました。

 

 

2.ここ7年の本線特急を写真で振り返ろう

ここまで来ると自己顕示欲丸出し、まあ別にいいんですけどね。

(1)3400形

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初代AE形から改造されて*1合計5本が存在した3400形です。初代AEの魂を受け継ぎ?K台の快速等のみならず特急なんかでも活躍していた3400形かっこよかったですね。

 

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本記事の本コーナーで取り上げた3400形の写真ですが、執筆日時点で既に廃車となっている2編成の写真を使っております。こいつらが廃車だなんて元地元民としては未だに信じられないものがありますね。

 

(2)3500形

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代走でごめんさい

3500形自体は4連で1編成として製造されましたが、そのオールマイティな編成構成を活かして今日でも6連でも活躍しているほか、一昔前までは4+4や2+4+2等の8連としても活躍していました。

立っていればガクガク揺れるし車内にLEDの案内表示器すらないほか、そもそも3500が本線特急で恒常的に動いていた時期の京成では自動放送なんてありませんでしたので、ぼくが外人だったらこれに乗ったときに軽く絶望しそうな気もありませんが…笑

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これは代走じゃないです

なお写真も含めなのですが、3500形の恒常的な8連がなくなった(=3300形引退時。3000形8連新造車が代替。)後にも、前述の通りその柔軟な編成構成を活かして複数回8連で動いています。K台に入ることもそこそこあったのですが、前後の運用でそれに絡まないA15運用に入ることが多かったように感じます。

 

(3)3600形

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3500形が本線特急に基本的には充当されなくなった後にもしばらくドヤ顔で本線特急に充当されていました。3500形同様に車内設備を鑑みるとアレでしたね…。

成田スカイアクセス線開業の際の平成22年7月改正でそれまでのK台快速が羽田空港発着から西馬込発着に変更された(日中のお話です)ためか、それ以降はK台快速でも見ることは増えましたが...やっぱり特急でこれが来た時は外人さん初見さんお疲れさ~んみたいな気持ちになったです。

現在残る2本がそれぞれ4連と6連な上に後車はリバイバルカラーのため、もう本線特急で36を見ることはないのでしょう。乗る分にはあまり気にしませんが。

 

(4)3700形

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京成が誇る優等生としか思えない3700形ですが、その優秀さを活かして多彩な運用を今でもこなしているものの、特急にも無論充当されていました。個人的には撮るにも乗るにも当たりって感じでしょうか。

仮に本線に3100形が導入され3600形以前の経年車が一掃された場合、平成初期から増備されてきた3700形にもなんかしらの動きが生じる可能性は決して否定できません(が、あってほしくないです)ので、特急云々よりは本形式の今後が気になります。

 

(5)3000形本線仕様

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長らく3001編成のみが8連として運用されてきましたが、気づけば3026編成から3030編成に3033編成、3035編成~3038編成、3041編成と3042編成と8連も増えまして、無論本線特急にも数多く充当されてきました。なお3000形6連の一部編成においても、一部編成の登場時に残っていた6連の特急(A30番台)に充当されていたものかと思われます。

 

(番外編1)3050形

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代走といえるかは微妙です(そもそも、撮影当時の平成28年頃は恒常的に3050形が本線系統…主にK台の運用に入っていたほか、3026編成以降の3000形もそこそこ成田スカイアクセス線に入線していましたのでね)が、3050形が青かった頃には稀ながら本線特急に充当されていたことがありました。

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...もっとも、本線の運用に3050が入ったところでK台がメインですし、A台に入ることなん前日ないしは当日にダイヤがよっぽど乱れない限りはありませんでしたが。

 

(番外編2 3300形)

ガキなのでA台の3300の写真なんてありません。

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K台(一応上野始発ですが)ではありますが、3300形もA台の特急として活躍していた時期はあったことでしょう。写真ないので知りません。

 

3.おわりに

正直既に京成本線沿線を離れた私としては何の痛手もないというのが本音かもしれませんが、今回の改正では近距離の移動のしやすさが向上している一方、元は特急だった快速に乗ったところで時間が増えているだけのようにも感じますんで、何とも言えないところです。

趣味的には、長らく親しんだ本線特急が日中は見ることができないのかと思うと少々寂しい気もします。正直当面佐倉に帰ることもないので、影響を受けるかというとアレなのですが、やっぱりね。

 

 

てな感じでここ20年の本線特急のめちゃくちゃざっくりした経緯と手持ちの写真で追悼っぽい何かに代えさせていただこうと思います。もっとも、夕方は快特より特急のが増えている訳ですし、アレなんですけど。

*1:というのは書類上の話なのかもしれませんが、厳密には足回りだけAEで車体は新造されています

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