つらつらと書いてきたE4系Maxのラストラン当日の記事も、これで最後(最後とは言ってない)。
10時打ちをお忙しい駅員さんにお願いしにくい系コミュ障な管理人(というのは建前で、最寄りでの10時打ちが既に終了しているのと単に早起きして別の駅でお願いするのも面倒なのと単純にお忙しい駅員さんに申し訳ないってだけ)はえきねっとの事前予約受付で1348→2348Cのハザを確保しようと画策するも惨敗。でも後日えきねっと除いたら無事に確保完了。いや、なんだこれ。
というわけで乗ってきました、新潟発Maxとき号ラストラン。
写真は早朝の撮影ですが、新潟駅ラッチ付近にこのようなものが...。泣けますね。
最終日感がまるでありませんけれど、何とも言い難い寂しさとともにいつも通りMaxに乗るときの特別なwktk感を胸に乗車。この特別な気持ちがかえって切なかったです…。
だって、Maxって当たり前だったんだもん。Maxに乗るときのあの特別な高揚感、何にも代えがたかったんだもん。
ところで、後ろにいるのは千葉急行さん特注のチハライナーかな。
これがラストランならある意味怖いですがご安心ください、誰もいない6月ごろの写真で代用させていただいてます(笑)。既にありがとうRPだったのに...
一応こちらの写真のタイムスタンプで乗った証になるのかなあ...。
もちろん飲みたい酒なのもありますが、白っぽいの+黄色っぽいの+青っぽいのって事で..。お世話になってきたMaxへの愛を込めて、そういうことです。
この時は前職でお世話になっていたメモラーの先輩をお誘いさせていただいたところ、快く応じて遠路はるばる駆けつけてくださり、新潟から東京という短い間ながら楽しい時間になりました。改めまして、先輩にはこの場ながら御礼申し上げます。
なお発車6分前ほどに、303Cから順当に2407Cまで運転されたP11編成が回送列車として入線。実質的な廃車回送かもしれないと考えたら寂しいだけなのでそれはさておき、最後にMaxからMaxを見ることができました…って、湯沢で2416Cと並んだから最後じゃないですけどね。
そうそう、本当の定期ラストとなる2416Cに乗ると終電なくなっちゃったね/////*1となってしまうので没。P13にも思い出はあったので惜しい気もしますが、Maxとき348号って列車にも思い出はあるしP12のお世話になった事もあったし、ヨシ。
P11の回送も撮っていたらブログネタになったのかな...と考えてしまうのは悪い癖ですね(笑)。
途中1分程遅れていたようですが、東京には定時で到着。少しでも長く乗っていたかったのが本音なので寂しい反面、運転士さんは回復運転お疲れ様でございました。
MaxのTOを目指していた*2管理人ですので、最後にお世話になったP12編成に手を添えて記念撮影。おかげで手の跡が残ってしまいました。
高崎発車後に車掌さんがMaxの紹介とかこれまでの愛顧へのお礼とかを放送されたり、東京到着後に駅員さんからの温かい放送があったり、正直切ないラストランだったように思えます。酔っていたのもありますけど、いい年こいて涙があふれてきてまともに見送る事ができませんでした。
といいつつ、P12編成・また高崎で繋がったP17編成の16連で上一運へ回送されていくのを見送り、急ぎ足で5159Mに乗って爆睡。そんな感じで定期Maxとの思い出はいったん終わりとなりました。
あんまり書いているといろいろと思い出して感極まってしまうので、記事がいつも以上にグダついているのは承知ですが、この辺で。
ラストランに際しご同行いただいた先輩、330C撮影で久しぶりにお会いしたFFさま、Maxの運行に携わられたJR東日本さんはじめ関係各社さんの皆さま、ありがとうございました。
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そして、E4系Maxへ。
もう乗る機会はないけど、時刻表を見て待っていれば撮れることもないけど、ふらっと東京駅に行けば当たり前に会えることもないけど、生まれた時からPと一緒だったぼくは楽しかったです。
ほとんど同い年だったり僕が東北生まれだったりするだけあって、デビューした頃から大変お世話になりました。こんなに素敵な車両がこの趣味のきっかけとなり、またいい年こいたこの日までMaxの虜としてオタクできて、何よりです。
そして当初の予定より長くなってしまった活躍、本当にお疲れ様でした。老体に鞭打ってまで、予定より多い思い出を残してくれてありがとう。
私事ですが、中学生の頃、生きるのが嫌になっては親に頭下げて小遣いをもらっては東の新幹線ホームで現実逃避をしていた頃が懐かしく思い出されます。あの時も、Maxは堂々たる2階建て編成で凛々しく佇んでたのを覚えています。もちろんRとかNとかJとかもだけど、あの時Maxを眺めてはまた頑張ろうと気合を入れなおしていたこともありました。
また大学進学後、精神科で鬱病との診断をもらってから、全てが嫌になって新潟に逃げた時もMaxを撮って乗って楽しかったのも昨日の事のようです。
数えきれない思い出に、心からありがとう。
また辛くなったら東京駅に行って新幹線ホームに行けば、仙台始発のMaxやまびこを待っていれば、いつでも温かく迎えてくれそうなMaxが引退してしまったのは寂しい限りです。
寂しいのは変わりませんが、僕自身Maxのヲタクをしていて得たものも沢山ありました。そして何より、一介のマニアとしてMaxを応援し愛するヲタクとして、最後(?)に立ち会えたのはMaxのヲタク冥利に尽きることです。
ありがとうMax。お世話になりました。
…って、ちょっと待て。まだ団臨ありますけど。すっかり二度と会えないかのような書き方で大変失礼いたしました(笑)。
既にP52が解体線に入ってしまっているほか、今月の団臨さえ終わればMaxが本線上を走る事ももうないでしょう。あと何回Maxを本線上で見られるかなんて知る由もありませんが、また機会があれば新しい思い出を作れるよう頑張ろうと思います。
あとがき。
higanari-odekake.hatenablog.jp
宣伝タイム。
数日前に敢行したMax合宿を日記としてまとめてあります。当ブログだとどうしても撮影記としてまとめた方がウケがいいので分割でできるだけそっけなく(???)書いてしまいましたが、一方でウケの悪い遠征記なんかはあちらに書き殴りますので、あちらも今後よろりんこ菊地凛子。