過去"画"なのか乗車記なのかしっかりせんかい!というツッコミをいただきそうですがタイトルを考えるのが大の苦手なので許してください。小中高と作文は書けても題名に手こずっていたぐらいなので…←
本日から5年前に、京成シティライナーの定期運用が終了しました。それと同時にAE100形の運行も終了、翌年のラストランにて引退してしまいました。当時高1のクソガキであった私、まだまだ京成沿線に住んでおりましたので躍起になって追いかけていまして、数回ほど乗ることもできたので回顧していこうと思います。
AE100形とは。
一応AE100形についてざっと説明しますと、1991年の成田空港直下のターミナル*1開業に備えて初代スカイライナーのAE車を6連→8連にする際に車両が不足したために2本製造されました(AE108~AE101とAE118~AE111)。その後AE車を置き換えるためにAE128~AE121以下の編成が製造され、AE車を置き換えました。なおその後AE車は3400形に生まれ変わりましたが、こちらも先は長くなさそうです…。登場時からスカイライナー、モーニング・イブニングライナーとして活躍し、2010年の成田スカイアクセス線開業後にはシティライナーとして運行されました。*2。
乗る回数が圧倒的に多かった上りシティライナーに焦点を当てていくかも。写真のAE168編成は唯一家族で乗ったことのあるAE100形で、その車がC#AE161なので宗吾工場での保存対象に選ばれたのはなかなか嬉しい限りです。
車両設備とかその辺とか
青基調のスカイライナー時代とは違い赤紫っぽい?方向幕でした。どこかこう平成初期っぽいナウさが残っているように感じます。
座席はこんな感じでした。後輩のAE形*3と比べて柔らかい座席だったように思います。登場時は茶色系統の内装だったそうで、またスカイライナー時代は最後まで1号車・8号車が喫煙席*4だったそうですが、ガス室なみの空気の悪さだったそうで、ヘビースモーカーの方でもキツかったそうな…()
懐かしいなあ。車内の写真はこれ以外もほとんどがAE138編成での写真です、いちばんよく乗ったので...。成田のナントカ運動公園での新人戦の帰りに乗ったのもこの間の事のようです。
スマホでの写真ばかりで申し訳ないですが、各号車の扉にはこういうのが貼ってありました。2006年12月のダイヤ改正でスカイライナー(1・3号以外)が船橋に停車するようになったのですが、その際に上野・日暮里・2ビル・空港と違って特定の車両のみドア扱いをしていました。これはシティライナーになってからも受け継がれた他、下りシティライナーのみ青砥では8号車のドアのみ開きます。
それにしてもモーニングライナーとイブニングライナーが船橋を通過していた頃が懐かしい...。
あ、ジュース類販売機コーナーの写真は今のところ見当たらないのでそのうち追加します(たぶん実家にデータがあるんで)。5号車にあって、フリースペースみたいな何かも設置されていました。
乗ってみた感想を頑張って思い出そう
上りシティライナーは成田15時16分発、上野着16時13分ぐらいだった気がしま…す。AE100のスカイライナー時代と比べればかなりスジが寝ていますねえ。
なお成田駅の線路容量と配線の関係で成田での折返し時間がないのか、宗吾〇→東成田→成田→上野と運転されていました。みんな大好きライナー用ホーム…ではなく3・4番線での折返しでしたけど、なんでこれも撮らなかったのか5年前の僕に正座させて小一時間説教したいところであります。
で、成田での停車時間はたぶん2分もなかったです()。後続の特急が3分後ぐらいにあったから仕方ないね。始発駅にしては慌ただしかったですが、そんなこんなで成田を出発していくつかのカーブを抜けるとスカイライナー時代のようにめっちゃ飛ばします(語彙力)。
AE形に看板列車の座を譲ってもAE100だって優等列車なんだな~なんて感慨深くなっていたかどうかはわかりません…が、実家のようなナントヤラというかこれぞAE100だよな~と思ったのは覚えています。実際津田沼までは線形もそこそこ良いので当時のスカイライナーと遜色はありませんでした。廃止が発表される前の9月時点では乗車率はお察しでしたがね…その分空いてたのでおkです
さっきも書いたような気がしますが、高校生になって世界が(バーチ―でケツから3番目の底辺中学に通っていて基本地元から出なかった頃よりは)広がってある程度自由になり、何回か一人でシティライナーに乗りました。これはそのうちの一回、大会の帰りです。爪ぐらい切れ陰キャラ君、という過去の自分への説教はさておき、楽しかったなあ。
津田沼から先は時折線形の悪い区間も続きますが、船橋、青砥、日暮里に停まってあっという間に上野に到着したな…というのが最後に乗りとおした感想でしょうか。成田から上野ってそこまで距離がある訳でもないし仕方ないか。最寄りだったうすい→成田→上野→うすいの運賃に加え特急券代もかかり高校生には痛い出費でしたが後悔はありません。
時刻表を見ると、AE100引退後もシティライナーは20分間隔の特急の合間に設定されていたのですが*5、そう考えるとたとえ成田の新鮮な空気をおとどけいきゅう号(下りは上野のそれ)だったとしても”優等列車”だったんだろうなあと今になって思います。下りシティライナーは八千代台で特急を追い抜いていましたしね。
ここまで乗車記。基本的にブログを書くときは酒が入っている他深夜帯で眠いのでごたついててすみません。
その他手持ちの過去画
【AE138~AE131】
5年前の夏に壊れかけのコンデジで撮りました…ああ悲しい。あと5年早く生まれていればシティ追っかけし放題だったんだろうなあ。たぶんこの趣味の原点のうちの一形式に入りますので余計に悔やまれるところでございます。
もっと前、中学時代に習い事の先生の晴れ舞台に行くときに敢えてシティライナーに乗ったときのお写真。見切れていますが船橋のシティライナー乗車目標ももうないんだなあと少しばかり寂しくなります。この時の乗車率はお察しください。
定期運用終了後の1月に臨時シティライナーを任されたAE100形ですが、月末の上りシティライナーが終わるとそのまま宗吾へ返却されました。いや、定期時代に高砂△だったたけで臨時になってからは宗吾〇→上野→成田→宗吾△、宗吾〇→東成田→上野→宗吾△だったのでアレなんですけどね。
定期最終日は下りこそ乗れたものの上りは美容院に行っていた(これも母校の校則が鬼厳しいせい…)為、臨時最終日は千葉大で模試を受けていた為にどちらも本運転を拝むことはできませんでした。せめて、、、ということで模試帰りにこれまた今後が不安なE217系の快速に揺られ船橋でFF様と迎撃。なんか昨日の事みたいではありますが、もうずっと前なんですよね…年を取ったなあ、まさか21の時点で酒がないと生きられない酒クズになるなんて()
スマホで恐縮ですがたぶんその最終日の下りライナー送込みですね、模試の前に回収したんでしょう。初めて沿線で電車を撮ったのはSA開業前だった事もあり、AE100形にAE車から受け継いだ”Skyliner”のロゴや”AIRPORT EXPRESS”の文字がなかった最後の5年半はいささか寂しかったように思います。その頃の写真なんかもっとご覧に入れられませんけどね!へっ!(なぜ勝ち誇るのか)
続きましてはさよなら運転のAE100形(これは送込みだけど)をば。2/21と2/28に分けて運転されましたが期末考査の近い高校生としては何とも地獄なスケジュールでした…苦笑。
AE"39"という列番は一年後に運転される3500形未更新車のS"39"と同様に、京成さんからの感謝を込めてThank You ということ…なのでしょうか。京成さんは3300形(確か3312~3309、3324~3321、3356~3353)を引退前にリバイバルカラーに戻したりみんな大好き3688~3681も引退が近いのかやはりリバイバルカラーに戻してくれたりと、ちょっと人情があるというかヲタ視点でも少しほっこりすることをしてくれるなと思います。思うところはありますが、地元企業ということもあり、やはり好きだなーと思ったり思わなかったり。(思ってんだろ)
本運転はピントが…orz
続いて2/28のラストラン。これだって行きたかったですが、本当にお世話になった先輩方の卒業式を蹴ることなんてできないのでこれにて今生の別れとなりました。AE138編成はおそらく一番乗ることが多かったなと思います、今更ながらお世話になりありがとうございました。この後廃車され、4月ごろに脱線復旧訓練に供された後解体された記憶があります。鉄の塊ですからリサイクルされてどこかで再会することがあるのかないのかわかりませんが、まあその時にはわからないですよね。
【AE168~AE161】
冒頭の写真以外あまりまともな写真がないです。まあそれ以外の写真は手元にすらないのでもっとダメなんですが。
C#AE161の帯の色褪せ方が少し切なかったような。この後お色直しされて、現在ではこの1両のみ宗吾で綺麗に保存されています。引退を前に都営フェスタに出張していたものの、厳しい(笑)家庭だったので行かせてもらえず写真はないです…えーん。いつか結婚して子供ができたら、可愛い子には旅をさせよではないですけど、後悔の無いように生きさせてやりたいな~なんて思います。完全に深夜テンション。
さて、以上AE100形大好き侍(自称)の管理人が乗車録と過去画をすこーし放出する形で振り返ってみました。
平成11年の青森生まれではありますが京成の沿線で育ったものですから、やはりAE100形は身近な存在だったように感じます。あの時この時そういえば乗ったな撮ったな、なんて思い出に浸るといろいろ思い出してエモいものです。速くてかっこいいAE形のデビュー後はどうしても脇役感がありましたが、それでも個人的に京成の大スターだったな~と思います。どこかで書いたかもしれませんが、この趣味の原点でもありますので、まあ好きな車両ですわ(語彙力が来い)。
長らくお付き合いをいただきましてありがとうございました。この弊ブログ史上トップ3に入りそうな拙い記事ではありますが、当時を知る皆様もそうでない皆様も、少しでもAE100に思いを馳せてくださっていれば幸いです。
AE100形は既に本線上に存在しませんが、宗吾には先述の通り1両保存されています。憎き新型コロナウイルスのせいで宗吾見学も当面は厳しそうですが、いつか機会があれば宗吾見学にお邪魔させていただくとともにAE100との再会もできたらいいな、なんて思います。
なおスカイライナーの減便でSAの線路容量が空いている今、京成さんが各種ツアーを開催していますが、その際に宗吾に入ることはできても換気設備のないAE100形への立入りはできないと聞いたことがあります。残念ですがこればかりは仕方ない。新しい生活様式やワクチンなどなどで何とかなるか知りません(なってほしいけど)が、いつかまたコロナ禍以前の生活に戻れたらなあ。